久々に読んだ村上春樹の80年代に書かれた一連の小説は、どれもこれも懐かしく、満員電車(特に帰り)の中で心が和んだ。
時代だと言われればそうかもしれないけれど、80年代にはまだCDが登場したばかりで、レコードの方が優勢だった。
だから村上氏の小説の中に、ターンテーブルとかオート・リターンとか読んでも、そのニュアンスというか、空気感は、現在の読者には、伝わらないのではなかろうか。
もちろん、携帯電話もインターネットもない。
だから、「電話のダイアルを回す」とかの表現もかなりアナクロ。
人間関係が希薄というか、人間関係を嫌悪しているかのごとく、いい意味で独立的、個の確立、悪い意味で独善的な態度は、もちろん、それは村上氏の分身を連想させるけれども、
そういうところに共感できる若い人たちは潜在的に大勢いたと思う。
しかし、現在の日本(世界)のようにインターネットや携帯が流布している中で、80年代の村上氏の作品のストーリーが成立しないズレがどうしてもでてくる。
何も現在の若者の方が、80年代の若者たちより、コミュニケーションがうまいとかいう意味ではない。
ツールとして、文明の利器が、若者の存在価値というか、有り様を大いに変えてしまったということだ。
オフ会で正直になるのか、はたまたアバターを演じるのか、ただのお不快になるのか、実際の対面では、ヘルシーな人間関係を築けなくても、ネットの中では、本当の自分を表現できる。
ヘルシーであればいいのだが、反面、大きな隙間があるのも実際の話である。
しかし、それにしても、当時の村上氏の作品に出てくる登場人物たちが、もし、現在の日本で生活していれば、なんの閉塞感もなく、パラダイスだったのではなかろうか。
当時の若者に携帯やネットブックなどのツールはなかった。
何かを表現するのは、ビジネスでも、芸術でも、かなり時間がかかり、情熱や、労力を要したはず。
また、80年代のビジネスモデルは個よりも全体や組織の方が絶対的に優先された。それは通奏低音のごとく儒教が日本人の底流にあるからだ。個の発想やアイデア、理想よりも、全体が優先される。
だからこそ、初期の村上氏があまりリアルな世界を描かず、ファンタジックな世界観、隠遁生活のようなスタンスを描写しようとするのは、今現在の読者のひとりとして、私は皮相的に思えた。いや悲愴かもしれない。
そういう意味では、村上氏は生まれるのが20年早すぎたとも言えるし、時代が20年、遅れたとも言えるかもしれない。
たとえばサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」等の短編で、第二次大戦以前のニューヨークの若者を描いたものがあるが、描かれている生活環境があまりにも近代的なので、私は時にそれが、65年前以上に書かれたものだとは思えなくなる。現在のタイムズスクエアの喧騒さをにじませないような、ソフトでヴィヴィドな世界観、普遍的なニューヨークの描写なのである。
ただ、それが訳された当時の日本の生活環境が、戦前のアメリカのそれに立ち遅れていた。たとえば、サリンジャーの原文に「ティッシュ・ペーパー」とあっても、日本語訳には「薄葉紙」となっている。それだけで、サリンジャーの小説が、なんとなく昭和30年代の日本のなんとも言えない湿度と粘土を想起させて、イメージダウンになる。
それは何も翻訳者が間違っていたわけでも、ティッシュペーパーを使っていなかったわけではなく、単に文化の違いだ。哀しいほど生活水準が立ち遅れていたのだ。
アメリカ現代小説を読むにあたって、アメリカンな文化が流布している都市の、ありとあらゆる商品や風俗を知っている、知っていないは、作品を味わう上で大きな鍵になる。
もちろん、それはなにも、現在文学に限らない。エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読むにあたって、「ヒース」がどのような植物か、花屋で売っているのかいないのかなどを知らないと、その魅力は半減する。
村上氏は、それを表現するためか、または撹乱するためか、コアなレコード・コレクターでもある村上氏の膨大なコレクション・ストックから、綺羅星のごとく音楽や音楽家を散りばめる。それは反則技なのか、作戦なのか、はたまたアメリカ文学の立派な信奉者の基本ルールなのか、実際に、氏の文学を読み込むにあたって、それらの音楽を知っていることが最低限の読者としての条件のように、妙な負担感を覚えるのだ。(そういえば、田中康夫氏のなんとなくクリスタルもその裏を突いたような本でしたね。)
村上春樹氏の作品からすべての音楽の描写を省くと、なんとも味気ない作品になることだろう。
ところで、私もビートルズくらいなら、立派な評論家になれそうだが、「ノルウェーの森」というタイトルはずるいと思う。
これも有名なエピソードだけども、「ノルウェーの森」の実際の訳は「ノルウェー産の木材家具」、イケア家具のようなもののことだと言う。あの小説が、いや、あの曲が「ノルウエーの木材家具」なら、まったく違うイメージになってしまう。その誤訳を計算して、書いたとしたら、村上氏はかなりのイリュージョンプレイヤーだと思う。そういうところが、正統?というかオーソドックスな文芸評論家たちに攻撃されるのは、よくわかる。
しかし、あの80年代、別に80年代回帰とか、80年代懐古主義ではないのだが、あの当時、アメリカの文化や風俗がリアルタイムで流布されていたとしても、まだまだ当時の日本は、閉塞的だったと私自身も実感していた。
「フール・オン・ザ・ヒル」の愚者は目覚めた聖人だったのか、ただの馬鹿だったのかという問題に近いかもしれないが、その当時の閉塞感というかジレンマを、たとえファンタジーを交えても、見事に解消してくれる小説は、村上氏以外に見出すことができなかった。
モラトリアム青年の絶望とまではいかなくても、村上氏の世代で、旧タイプの日本人と一線を引き、ドロップアウトのような感じで氏は独自の経済活動を確立し、その後、見事に小説家として成功するのだから、氏の人生そのものが、ひとつの大きな小説のような感じがする。それは私にとって、もちろん、大いに励みと目標になるんだけれどもね。
って、ここまで書いて、後は明日!
時代だと言われればそうかもしれないけれど、80年代にはまだCDが登場したばかりで、レコードの方が優勢だった。
だから村上氏の小説の中に、ターンテーブルとかオート・リターンとか読んでも、そのニュアンスというか、空気感は、現在の読者には、伝わらないのではなかろうか。
もちろん、携帯電話もインターネットもない。
だから、「電話のダイアルを回す」とかの表現もかなりアナクロ。
人間関係が希薄というか、人間関係を嫌悪しているかのごとく、いい意味で独立的、個の確立、悪い意味で独善的な態度は、もちろん、それは村上氏の分身を連想させるけれども、
そういうところに共感できる若い人たちは潜在的に大勢いたと思う。
しかし、現在の日本(世界)のようにインターネットや携帯が流布している中で、80年代の村上氏の作品のストーリーが成立しないズレがどうしてもでてくる。
何も現在の若者の方が、80年代の若者たちより、コミュニケーションがうまいとかいう意味ではない。
ツールとして、文明の利器が、若者の存在価値というか、有り様を大いに変えてしまったということだ。
オフ会で正直になるのか、はたまたアバターを演じるのか、ただのお不快になるのか、実際の対面では、ヘルシーな人間関係を築けなくても、ネットの中では、本当の自分を表現できる。
ヘルシーであればいいのだが、反面、大きな隙間があるのも実際の話である。
しかし、それにしても、当時の村上氏の作品に出てくる登場人物たちが、もし、現在の日本で生活していれば、なんの閉塞感もなく、パラダイスだったのではなかろうか。
当時の若者に携帯やネットブックなどのツールはなかった。
何かを表現するのは、ビジネスでも、芸術でも、かなり時間がかかり、情熱や、労力を要したはず。
また、80年代のビジネスモデルは個よりも全体や組織の方が絶対的に優先された。それは通奏低音のごとく儒教が日本人の底流にあるからだ。個の発想やアイデア、理想よりも、全体が優先される。
だからこそ、初期の村上氏があまりリアルな世界を描かず、ファンタジックな世界観、隠遁生活のようなスタンスを描写しようとするのは、今現在の読者のひとりとして、私は皮相的に思えた。いや悲愴かもしれない。
そういう意味では、村上氏は生まれるのが20年早すぎたとも言えるし、時代が20年、遅れたとも言えるかもしれない。
たとえばサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」等の短編で、第二次大戦以前のニューヨークの若者を描いたものがあるが、描かれている生活環境があまりにも近代的なので、私は時にそれが、65年前以上に書かれたものだとは思えなくなる。現在のタイムズスクエアの喧騒さをにじませないような、ソフトでヴィヴィドな世界観、普遍的なニューヨークの描写なのである。
ただ、それが訳された当時の日本の生活環境が、戦前のアメリカのそれに立ち遅れていた。たとえば、サリンジャーの原文に「ティッシュ・ペーパー」とあっても、日本語訳には「薄葉紙」となっている。それだけで、サリンジャーの小説が、なんとなく昭和30年代の日本のなんとも言えない湿度と粘土を想起させて、イメージダウンになる。
それは何も翻訳者が間違っていたわけでも、ティッシュペーパーを使っていなかったわけではなく、単に文化の違いだ。哀しいほど生活水準が立ち遅れていたのだ。
アメリカ現代小説を読むにあたって、アメリカンな文化が流布している都市の、ありとあらゆる商品や風俗を知っている、知っていないは、作品を味わう上で大きな鍵になる。
もちろん、それはなにも、現在文学に限らない。エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読むにあたって、「ヒース」がどのような植物か、花屋で売っているのかいないのかなどを知らないと、その魅力は半減する。
村上氏は、それを表現するためか、または撹乱するためか、コアなレコード・コレクターでもある村上氏の膨大なコレクション・ストックから、綺羅星のごとく音楽や音楽家を散りばめる。それは反則技なのか、作戦なのか、はたまたアメリカ文学の立派な信奉者の基本ルールなのか、実際に、氏の文学を読み込むにあたって、それらの音楽を知っていることが最低限の読者としての条件のように、妙な負担感を覚えるのだ。(そういえば、田中康夫氏のなんとなくクリスタルもその裏を突いたような本でしたね。)
村上春樹氏の作品からすべての音楽の描写を省くと、なんとも味気ない作品になることだろう。
ところで、私もビートルズくらいなら、立派な評論家になれそうだが、「ノルウェーの森」というタイトルはずるいと思う。
これも有名なエピソードだけども、「ノルウェーの森」の実際の訳は「ノルウェー産の木材家具」、イケア家具のようなもののことだと言う。あの小説が、いや、あの曲が「ノルウエーの木材家具」なら、まったく違うイメージになってしまう。その誤訳を計算して、書いたとしたら、村上氏はかなりのイリュージョンプレイヤーだと思う。そういうところが、正統?というかオーソドックスな文芸評論家たちに攻撃されるのは、よくわかる。
しかし、あの80年代、別に80年代回帰とか、80年代懐古主義ではないのだが、あの当時、アメリカの文化や風俗がリアルタイムで流布されていたとしても、まだまだ当時の日本は、閉塞的だったと私自身も実感していた。
「フール・オン・ザ・ヒル」の愚者は目覚めた聖人だったのか、ただの馬鹿だったのかという問題に近いかもしれないが、その当時の閉塞感というかジレンマを、たとえファンタジーを交えても、見事に解消してくれる小説は、村上氏以外に見出すことができなかった。
モラトリアム青年の絶望とまではいかなくても、村上氏の世代で、旧タイプの日本人と一線を引き、ドロップアウトのような感じで氏は独自の経済活動を確立し、その後、見事に小説家として成功するのだから、氏の人生そのものが、ひとつの大きな小説のような感じがする。それは私にとって、もちろん、大いに励みと目標になるんだけれどもね。
って、ここまで書いて、後は明日!