神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

三ノ宮あたりをブラブラしてました。

2011年01月13日 16時58分01秒 | Weblog
名店が消え、街には、携帯電話屋さん、薬局屋さん、足裏マッサージ屋さんが席捲しつつありますね。なんだか寂し。
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苺大福の差し入れが・・・。

2011年01月13日 16時55分32秒 | Weblog
美味しかった!
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ふー、ようやく村上春樹さんのインタビュー集を読み切ったよ!

2011年01月13日 00時54分19秒 | Weblog
とにかく長いインタビュー集だった。
年末から読み始めて
三週間ほどかったのかな。

で、
いろいろ勉強にというか、
なるほどね、
っていうか、
ほかのジャンルのアーティストとの
比較で、
いろいろ興味深い発見がありました。

初期の作品は、
国籍不明だけども、
アジアの小国ではない、
欧米の生活圏で、
語学はしっかり日本語圏という感じの
現在の(現代ではなく)
寓話っていう感じで、
大いに共感を得たのだけども、
実際に
リアリズムへのアプローチで
ありふれた日本語の名前がでてきたところから、
ワシは、
村上春樹氏の新作を
あまり読まなくなっていた。
それはたとえていうなら、
四畳半フォークを否定しても、
しっかり純日本的な「春よ」を歌ったユーミン、
演歌撲滅をスローガンにしていたけど、
「おめでとう、おめでとう」
と演歌的な言葉をサビにした山下達郎氏の歌を
聞かなくなったきっかけと符号する。

アーティストが成長する過程において、
古いファンがついていけなくなることは多々ある。
芸風というか、
テーマ性が変わってファンが離れてしまうアーティスト、
古今東西、たくさんいる。
たとえば、
佐野元春氏だって、
初期のノリの曲をもう書けないみたいな
インタビューを聞いたことがあるけど、
ライブで盛り上がった経験あるワシとしては、
あの時代のノリをずっと続けてほしかったと、
切に思ったことがある。
また逆に
金太郎飴のように
千年一日のような作品作りになってしまう
アーティストもどうかと思うから、
変化することをとやかく言っても仕方ないのだけども、
それにしても、
である。
村上氏の後期のリアリズム作品、
まだ読んでいないのだけども、
それはまったく別人の作品のような気がするねえ。
(逆手にとって、ザ・ベンチャーズっていうバンドのように、
アレンジも変えずに演奏し、ずっと変わらないことをポリシーにしているアーティストもいるけどね。)

村上氏の発言でひとつだけ興味深いのは、
いつの時代も
最大の読み手が若い世代だということ。
つまり、
若い世代の読者を牽引する魅力がある半面、
かつてのファンが年をとり、
いつの間にか本を(村上氏だけの本ではなく)
読まなくなり、
芸術から遠ざかっている旨の発言を読んだ。
これは、どういうことだろう。
年をとると、
人間は、(否、平均的な日本人は)
純文学や芸術から離れてしまうということだろうか。

確かに生活の渦中にいる中年以上のワシたちに
そんな余裕がないのは、わかる。
でも、
「モモ」の時間泥棒の童話の話じゃないけど、
時間がないから、芸術から離れているのでなく、
芸術から離れているから、
実りある時間がなくなっているような気がする。
「ノルウェーの森」だって、
すでに25年は前の作品だから、
準古典と言えるだろう。
あの時代に村上春樹氏の新刊が書店に並ぶことを楽しみにし、
夢中で読んでいた同世代の諸君、
みんな、本を読んでいるのかい?
またはお気に入りの作家がいるかい?
(ワシの場合、『ダンス・ダンス・ダンス』はすぐに売り切れて、
書店めぐりをした思い出がある。)

そしてもうひとつ、
はやり革新的というか
ひとつのジャンルの中で基準をガラリと変えてしまう先駆者は、
いつの時代もバッシングされるという事実。
海外で一般の講演を
しかも、笑いをとれるなら、
(しかも英語で)
日本のメディアへのアプローチも
すこしくらいは考えてほしい。
そういう点は、
山下達郎氏みたいだね。
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