神戸在住、恋するスタジオ・フォトグラファー、ときどきドキドキ、ホンニョホニョン日記!

元銀塩・スタジオ・フォトグラファーである吾輩が日々、感じ、考え、体験したことをのんびり書き連ねていく日記形式のブログ。

結構、毒舌めいているが、当たり前のことを書いているみたいだ!

2012年04月03日 17時46分39秒 | 
大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)
幻冬舎


医療のシステムは、今後、どう変わっていくのだろう。
また終末期医療はどう穏やかなステージへと導いてくれるのだろう。

何よりも面白いのは、
はしがき。
「有名人じゃないので、失うものがない。おまけに先が短いので恐いものがありません。」
だって。

過激タイトルのオン・パレード
ざっと上げても、
・介護の拷問を受けないと、死なせてもらえない。P53
・死ぬのはガンに限る。P95
・「がん」で死ぬんじゃない、「がん」の治療で死ぬんだよ。P108
・医者にとって年寄りは大事な「飯の種」P170
などなどである。

しかし、その過激さは医療の現場での実体験での率直な感想なのだから、説得力がある。
昔の偉い方々が構築したシステムを改良するには、どうしたらいいのだろうか。
その答えがもしかしたら、
この本にあるのかもしれない。
今から楽しみ。
またまた読む本が溜まっていく…
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本屋さんの景品、ぺんてるのボールペン、ビクーニャをもらった。

2012年04月03日 15時47分56秒 | 
ブラック・ジャック創作秘話~手?治虫の仕事場から~ (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)
秋田書店


今日は全国的に春の嵐。

昼食を食べてから職場に戻ろうとしたら、
外はたたきつけるような雨。
とにかく台風並みである。

しばらくJR構内で待機していた。
強風のため、列車の遅延も相次ぐ。
暴風雨は収まらない。
仕方ないので、オープンしたばかりのPLICO神戸のBOOK KIOSKで立ち読み。

で、この本を買ってしまった。
天才手塚治虫先生のブラックジャック創作秘話。

もうひとつ、
中村仁一氏著『大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ』

その二冊を買ったら、ボールペンがおまけでついてきた。
ビクーニャというのは、アンデス地方に生息する動物。


 

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伊藤みろさんの『極意で学ぶ写真心』を読み始めています!すごい本だあ!

2012年01月14日 11時19分14秒 | 
極意で学ぶ写真ごころ
伊藤みろ
フィルムアート社


昔、おやじのペンタックスのSVを無断で借りて、
ガールフレンドの写真を取り巻くっていた時期があった。
今から思うと、
写真やカメラのことを全然知らず、
露出設定は、
ネガフィルムの梱包紙の裏側に印刷されていたガイドを参考にしただけで、
尚且つ、
自分自身の視力が近視だと自覚していない中での撮影だった。

ピンぼけも気にせず、
アンダーやオーバーも気にせず、
というよりも、
露出はネガだから、プリントの際に補正がきいたのだろうけれども、
多少のピンぼけ写真も気にせず、
外れたピントの写真もカメラのせいだと思っていた。

何が楽しかったのか?
私の場合は
カメラマンと被写体の間にあるのかないのか
実体のわからない
妙な空気感が楽しかった。

人物撮影はコミュニケーション能力だと思う。
すべての人に対して解放されている人ほど、
いい写真を撮れると思う。
そういう意味では、カメラの物理的な側面だけではなく、
コミュニケーション術をレクチャーする講座とかあれば、
参加したいと思う。

写真初心者から脱却すべく、
書店で手に入るあらゆるカメラの撮影本や雑誌を読みあさり、
それなりに人様に見せられる写真も撮ることができるようになったのだが、
皮肉なことに、
写真の知識や技能が向上すれば、
魂レベルでの感動や作品の持ち味や重みが半比例していくのである。

カメラというものと出会い、
原始的ともいえるくらいの衝動で取り巻くっていた情熱が、
薄らぐくらいならまだいいのだが、
自分自身の過去の作品に対しても、
露出がどうの、構図がどうのなどという
ステレオタイプな視線で見るだけの罠に陥ってしまったのだ。

で、本書、
たまたま立ち読みしていた際に知った本であるが、
なんという饒舌な本であろうか。
まえがきからしてすごい。
サラっと書いてあるけれども、
よく考えて読まないと作者の真意の100分の1も理解できない事態になる。
写真の技術論的な面は、
もちろん私はプロなので、基本とも言えるのだが、
解説がなぜこうも哲学的なのだと思ったら、
作者はドイツ国立ルール大学で芸術哲学を学ばれた経歴がある。(それだけではない)

写真の技術があるレベルに入ったら、
あとは確かに『無』の境地に対してのアプローチになるのかもしれない。
あるイベントの講演会で、大手写真館の女性幹部(30代女性)は、
営業?カメラマンとしての寿命は50歳、50歳がリミットと演説していた。
それもわからなくはない。
しかし、
その年代に自分がなって、
極意を伝えていくという使命はあると自覚している。
それなりの年数を経た経験者の智慧も大いに参考になるはずだ。
技術革新の著しい昨今、
そういう内面世界や極意を伝える立場の人材が不足しているように思う。
そこで本書、
これほど写真の極意をまとめた本は
私の知る限り、

この本だけである。

私が若い頃、本書に出会っていたらと思うと、
とても悔しい感じがする。
志を持った若い世代のカメラマンたちの参考書として、
読まれることを切に願う。

また本書を読みながら、折々に感想などを述べてみたいと思う。
フォトグラファーとして、
私自身は、今後どのような方向性を向くべきかを
大いに背中を後押しして、励ましてくれる素晴らしい本である。
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コンビニで買いました!

2011年12月22日 09時09分35秒 | 
宗像教授異考録/真実の顔 (My First Big SPECIAL)
クリエーター情報なし
小学館
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CAPAの先月号は30周年記念で記念ストラップ付きだった!

2011年10月25日 11時56分47秒 | 
CAPA (キャパ) 2011年 10月号 [雑誌]
学研マーケティング


アマチュア時代の頃、大学生時代から愛読していたカメラ雑誌だけれども、知らない間に30周年になっていた。
で、付録の記念ストラップが素晴らしい。
赤と白のツートンで結婚式にも使えそう。

プロカメラマンの卵だった頃、(っていっても30歳は過ぎていたけれどもね。)
CAPAに出ていたサークルに参加したことがあった。
で、
その時のメインのお二人さんがまだ学生さんで、
一回り、歳上の私を暖かく迎えてくれたのだ。
しかし、当時、学生さんだったお二人ですが、常連のコンテスト上位入賞者だったようで、
彼らの写真のセンスには大いに影響を受けたものです。

神戸の震災を挟んで、
つい最近、そのメインの方と再会することができました。
(その時のお話はまた書くとして)

思い出深い雑誌ですが、ここ10年くらいはご無沙汰していました。
このストラップが気に入ったので、
もう一冊、買おうかなあと思います。
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デアゴスティーニはとうとう「サンダーバード」で攻めてきたぞ!

2011年06月24日 00時21分00秒 | 
ジェリー・アンダーソン SF特撮DVDコレクション 2011年 7/12号 [雑誌]
 
デアゴスティーニ・ジャパン

 

どうする?これ。「サンダーバード」だけではなく、「謎の円盤UFO」、「キャプテン・スカーレット」、海底大戦争スティングレイ」、「ジョー90」の5作品全159話分を隔週54回に分けて発売するとのこと。

ざっと2年ほどで96,000円ほどの価格になる。「寅さん」の時にも思ったのだが、過去にDVDのBOX1,2を買った人はどういう心境だろうか。

もちろん、メディアが変遷すれば、商品は更新される。過去には、ビデオもあれば、レーザー・ディスクもあり、そしてDVD、そのうち何らかのリニューアルでブルー・レイも出ることだろう。

で、デアゴスティーニさん、なかなかいつものごとく、商魂巧みである。

初回のみ低料金で釣っておいて、購買意欲をそそり、買わせてしまうという単純な商魂なのだが、私としてはいつも痛い。いつも第一号というか初回しか買えないのだ。

いつも疑問に思うのだが、最後まで購入完了する人の割合というのは、何パーセントほどいらっしゃるのだろうか。過去のテーマを見ても、まだDVDとか情報などは、ペーパー・レスでいいけれども、軍艦や戦闘機やお城を作るようなシリーズは、実際に部品とかの製作や在庫の問題もあると思う。

なら、最初から、もっと安い料金に設定すればいいと思うのだけれども、一定の分岐点があるのだろうか。

それにしても、「寅さん」といい、今回の「サンダーバード」といい、私たちアラフィー世代をターゲットにしているのは、明らか。そのうち、私の敬愛する石立鉄男氏の一連のドラマもデアゴスティーニのシリーズに登場するのだろうか。そのときは買ってしまうのだろうなあ。

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閉店まぎわの大きな本屋で、手ぶらで帰ることができず、つい買ってしまった。「お金の科学」という本!

2011年06月23日 00時00分49秒 | 
【CD-ROM付】お金の科学~大金持ちになる唯一の方法~
著者 ジェームス・スキナー
フォレスト出版

どうしてこの手の本に弱いのか、だだっぴろいショッピングタウンの大きな本屋で立ち読みしていて、気がつくと私だけ。で、おもわず手ぶらで帰ることができず、読んでいたこの本を買ってしまった。

この手の本、自己啓発というか、願望実現というか、著者に対して実際、個人的には大富豪で、人格者なのかと首を傾げることも多いのだが、全世界2億部突破となっているから、凄い人なのかもしれない。

ただ、立ち読みをしているだけで、これはなるほどという一文に目が止まった。それは236ページのコカコーラのエピソードである。

「コカコーラはコカコーラが本物だ!」というスローガンに集中することで、世界一のブランドを確立した。」

そしてもうひとつ、ザ・リッツ・カールトン・ホテルのエピソード。

「ザ・リッツ・カールトン・ホテル」では、『我々は紳士と淑女に仕える紳士と淑女である』という簡単な言葉をもって、グローバル・ラグジュアリー・ブランドを作り上げた。

いくつかのエピソードを紹介し、次の言葉でくくっている。

 

「絶大なインパクトを発揮するようになるまで、メッセージを磨き続ける。」

 

なぜか、このページがとても印象に残り、結局、買ってしまった。この本の定価以上の価値を生み出すことができるのか、果たして何がどう向上したのか、はたまたただの気休め程度の本なのか?

はいずれ後日、書いてみようと思う。

 

 

 

                                                                                                                                        

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プルートがすごい!

2011年05月31日 17時03分00秒 | 
PLUTO (プルートウ) 全8巻完結セット (ビッグコミックス)
浦沢 直樹
小学館



浦沢直樹氏のコミック「プルート」を今朝の通勤電車の中で読了。元々は手塚治虫氏の「鉄腕アトム・史上最大のロボット」がベースになっている。
しかし、これは奥が深い。深すぎてまるで宗教書のようである。
で、元々の手塚治虫氏のストーリーがどうだったんかが気になるので、それを今度、読んでみようと思う。

しかし、それにしても、浦沢氏はすごい漫画家だ。「YAWARA!」、「モンスター」、「マスター・キートン」、「20世紀少年」、そして最近では「ビリー・バット」、スゴイ才能である。

科学の進歩により、ロボットと人間との差異がどんどん縮まって、人類とロボットが理想的に共生している未来。
そこに文明の対立する人類同士の戦争が起こる。そこでロボットも傭兵として参加し、軍事力の弱い国が壊滅的に荒廃する。そこに人間のエゴに操られたロボット同士の代理戦争がからみ、ラストへと向かうのであるが、この作品を読んでいると、人間を人間たらしめているもの。
その基準がわからなくなる。
人間の本質は何であるのか、どうあるべきか、その生存理由は?何が間違っていて何が正しいのか?そもそも正しいという基準などあるのか?などと、自問自答しながら、ページをめくっていた。
そして作品に登場するロボットたちが、人間以上に高尚な生き方を全うすればするほど、人間という動物の矛盾を抱えながら、宙ぶらりんに生きている自分自身が嫌になる。
この本は宗教書だと思う。
人が人としてどうプログラムされているのか?つまり神の視座として、人間はどう存在すべきなのかをやんわり、実は厳しく問いかける作品のような気がする。

人間とロボットの差はなんなのだろうか?
1、人間は都合よく忘れることができる。
2、人間は憎むことができるし、許すこともできる。
3、人間には寿命がある。
4、人間は願いを持ち、祈るということをする。
5、人間は眠る。
6、人間は死ぬ。
等々。

もし以上の基準というか資質をロボットがクリアすれば、それこそ人間とロボットの差異がなくなる。
神の視座で見るなら、肉体も物質と見ることができるかもしれない。
この作品に出てくる、ロボットから抜かれるメモリーが「魂」と見れば、分かりやすくなるかもしれない。
ロボットのメモリーは抜かれてても、生誕から死(破壊される)まで、すべての記録をメディア(記録チップ)に記録する。それは物理的な記録だけではない。ロボットが人間のように、最後の瞬間に強烈な憎悪を抱いたとしたら、それさえも記録されている。それは感情として記録されているのか?それとも電気信号の組み合わせとして記録されているのか、よくわからない。
しかし、その記憶チップを別のロボットに注入すると、そのチップをベースにして、受け手側のロボットの頭脳の中で新しい解釈(感情?哲学?倫理観?道徳?)が生成されるのだ。
復活したアトムが強烈な憎悪を咀嚼し、止揚ていくプロセスの描き方は素晴らしい。


この作品に出てくるロボットたちはみんな立派だ。
ロボットは人間以上に成長する。
人間のようで人間でない、いや人間らしさを追求すれば、それは人ではなく神の領域の住人ではないのだろうか?

 

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今朝の通勤電車でサリンジャーの短編集を読み始めたぞな、もし。

2011年03月03日 15時58分27秒 | 
サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
J.D.サリンジャー,刈田 元司,渥美 昭夫
荒地出版社


この本、オークションで格安で入手した。
昔、持っていたのだが、村上春樹氏の書を読んでいくうちに、どうしても読みたくなってきた。
満員電車の中で読んでいると、外国人がおや?という顔をしている。
サリンジャーの短篇集なんて、本国?アメリカでも読まれていないだろう。

で、この本、ジョン・アップダイクの推薦文?が裏表紙に書いてある。
「出来事といえばまったく内向的であり、行為といえば〈語る〉こと以外ないのに、これほど豊かな言葉をあえて使おうとしている作家はジェイムズ・ジョイス依頼、ほとんどいない・・・。」
とある。
久々に読んでみようと思ったけれども、翻訳が、本のページのように少し古い感じがして、読みづらい。
村上春樹氏に再度、サリンジャーのの一連の短篇集の翻訳、とにかくグラス家の連作だけでも試みてもらおうかなとか不謹慎に思ってしまった。

で、内容であるが、昔、一生懸命に読んだのに、ほとんど忘れてしまった。
確か、文芸教室の女生徒と駆け落ちする講師の話があったような気がしたけれども、サリンジャーだったかどうかも定かでない。
で、その女生徒は実はかなり歳をごまかしていたというオチだったはずだ。
もうひとつは学芸会の劇で足を踏まれても我慢している女生徒の話。
これもサリンジャーだったかどうか定かでない。

ま、とにかくこれから通勤電車が楽しみだ。
戦前のアメリカの学生を扱ったストーリーが多いはずだ。
そういえば、昔、クイズダービーに解答者として出演されていた、
鈴木武樹氏もサリンジャーの作品をいくつか翻訳されていたのを思い出した。
その文庫本も一冊、持っていたのだが、どこにいったのやら。
またネットオークションで手にいれようか。

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家の光という雑誌に掲載されていました。が、その雑誌って・・・。(肯定的支持笑)

2011年02月07日 14時13分48秒 | 
悩みも苦しみもメッタ斬り!
美輪 明宏
家の光協会



この本も、立ち読みで見つけた。この本で面白いのは、美輪氏が悩み相談の回答者だったのですが、連載していた雑誌が「家の光」という雑誌。
雑誌名から、なんとなく宗教団体と無縁に思えなかったけれども、JAの一公益法人。農業に関係ある方、特に農家の主婦向けの雑誌みたいです。
80年の歴史があります。

ワシが初めて知ったのは、
森高千里のオークションで、彼女の記事が掲載されているのを知ったから。
意外とお金、かかってそうです。
なかなか興味深い雑誌です。他に「地上」とかもあります。

家の光ネット
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本屋でこんな本を見つけたら、買わずにおれないでしょう。ずるいっす、村上春樹さん。(肯定的笑)

2011年02月07日 12時16分38秒 | 
村上春樹 雑文集
村上春樹
新潮社


何気なく入った本屋で立ち読みしていたら、偶然、村上春樹氏の新書を発見。
シリアスな物語よりも、力を抜いたような、
気楽な文書が、実に楽しい。
そういう意味では、才能ですね。

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村上春樹さんの「象の消滅」、いいねえ。

2011年01月20日 00時53分31秒 | 
平成の現代において
小説家の立場というか、
現在の小説の存在価値というものが
よくわからない。

昨今の小説には、
セックスの描写は必須になっているけども、
っていうか
過激な描写がある方が、
妙に
名作などともてはやされたりするような気がする。

村上春樹さんの小説も
現代的でハイブロウでスノッブだと思うのだが、
現代の夏目漱石氏と評価する向きもある。
また、
ノーベル文学賞もとるだろうと目されている。

しかし、
ポピュラー文學としては大いに評価はできるけども、
はたして文學なんだろうか?
別に愚弄しているわけではないのだが、
そもそも、
文學という定義がわからない。
太宰氏作品もいくつかは文學だろうけれども、
「人間失格」は文學になるのかな。

よくわからないのだ。
クラシック音楽とポップスの違い、
最高傑作と駄作の違い、
売れる売れないの違い、
つまりは
その境界線と言えるものがあるならば、
ぜひともそれを知りたいものだ。

本質的に芸術の存在価値はなんなのだ?
「太陽の塔」が後世に残るモニュメントだというのはわかる。
しかし、
子供が地面に書く落書きは
芸術ではないのか?
「モナリザの微笑み」が人類の遺産だというのはわかる。
しかし、
素人のママが撮る
ピンボケのわが子の写真は芸術ではないのか?

要は表現ではなかろうか。
表現という作品を通じて
受け手はインスパイアーされ、
魂の中で何かが発酵し、副産物が拡がる。
そしてまたそれは
ひとつの潮流として発信者たる表現者に還元され、
あた新たな表現が生まれる。
表現者と被表現者とのつながりにおいて
その組み合わせの数ほど、
個々の芸術というか
個々の作品、個々の表現が発動するし存在する。
つまりは
その源として、
各々の芸術家というか表現者は
一体全体、
何を訴えたいのか
何を表現したいのかを
私は常にわかりたい。

村上氏の作品には
ストーリーの筋として
誰かを、または何かを探すというテーマと
パラレルワールドのような
別世界、または別次元、異空間へのリンクがあるように思う。
そこにメッセージがあるのかないのか知らないけれども、
村上氏の
なんとも言えない
のんびりした余裕の表現力が
個々の作品を魅力的にしている。
その点においては
確かに芸術的だし、
現在の日本で村上氏を上回る作家はいないことだろう。
(いるなら、だれか教えて!)
しかし、
村上氏は
一体全体、その表現という以前の
っていうかその奥の、
っていうかその深みの向こうに
どんなメッセージを内包しているのかを
私は知りたいし、理解したい。

村上氏のキャリアの中で
ユニークな装丁の
「像の消滅」
これは
アメリカのペーパーバック本を連想させる
一見、チープそうに見える本だけども、
かつての日本の文壇の大御所の
文學の先生という感じではなく、
書いて書きまくる
バイタリティのある、
アメリカの通俗作家のノリでとらえた
村上春樹という感じで
とても好感が持てる。

文學の先生ではなく、
ペーパー・バック・ライターでいいではないか。
だからもし、
ノーベル文学賞とか受賞されたとしたら、
それはそれで素晴らしいことだけども、
その時点で文学の定義を変えるべきだろうね。
もしかしたら、
太宰氏の後期のほとんど病んでいる退廃的な作品は、
夏の読書感想文のリストからは排除されるかもしれない。
これは、
ノルウエーの森が文學かどうかという
テーマへと続くのできりがないからここではやめる。

ジョン・アップダイクが
村上春樹氏の一連の小説には
目を通していると
「像の消滅」のはしがきに
村上氏ご自身が直接書いているのだから、
村上氏は、
きっとただものではないのだろう。
すごいね。
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