和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

分相応の楽しみ。

2010-06-25 | 短文紹介
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社)を読んでいたときに、
あれっと、思った箇所があります。

「一度は欝におちこみながらやっとの思いで書きあげた『百言百語』は、今後の私に前途の行程を拓く道標(みちしるべ)となり、ありがたくも十数年にわたって継続的に版を重ねる次第となった。このとき思い立った新しい様式である読解(コメント)つき名言摘出(ピックアップ)は、以後の私にとってはいつも念頭に置く主要な仕事の柱となってゆく。」

この百言百語は、私も一読すばらしかったという印象が残っております。

そのあとに谷沢さんは次の新書をつくります

「遅筆の貴方に書いてくれるよう頼んだところで、何時になることやらわからないだろうから、このたびは一気に語り下ろすべし、という方針である。そこで名句の表を前に置いて睨みながら、四時間ほど休みなく語ってできたのが『古今東西の珠玉のことば』と副題する『名言の智恵 人生の智恵』(平成六年)である。」

私は、この『名言の智恵 人生の智恵』を手にしてガッカリした覚えがあります。
そして、ガッカリが尾をひいて、次の本には手を出さなかったのでした。
それについて谷沢永一氏は、こう書かれているのでした。


「読者の要望に応えるべしと独り合点の気分になり、今度は、私自身が慎重に新たなお目見えの句を選び、全編を書き下ろして同じ判型と装幀で『古典の智恵 生き方の智恵』(平成10年)を刊行したところ、初版どまりでまったく動きを見せず今日に至っている。たった四時間ほど語ったのみの本が10年以上も続けて求められ、逆に十分に用意して時間をかけ全力をふるって執筆した本が読者からあっさり見捨てられた。」(p174)

うん。私にとっては、前回のガッカリが影響して、出版社も判型も装幀者も同じ本に、はなから見る気もしないでおりました。ということで、「執筆論」を読んでから古本で『古典の智恵 人生の智恵』を購入したというわけです。

購入してから、それを丁寧に読んだわけではないのですが、いちおう本棚には置いてありました。今日ひさしぶりにぱっと開いてみると、こんな箇所。
それは恩田木工(もく)の『日暮硯』からの引用をしてあります。

そこには、
『さて又、家業油断なく出精(しゅっせい)すべし。・・・・
惣じて、人は分相応の楽しみなければ、又精も出し難し。これに依つて、楽しみもすべし、精も出すべし。』

この引用のあとに、谷沢氏の説明がつづきます。
その説明の最後には、こうありました。

「  人の真似をしてはいけない。
本当に自分は楽しいのか、
とみずからに問うべきである、
そこからようやく
自分に独自の楽しみが見出せるであろう。 」


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