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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ひっくり返し。

2008-12-23 | Weblog
立川談春著「赤めだか」を読んで、しっくりと一言で伝えられない何かがあることに気づいたわけです。それが何であるのかも、分からないまま。プア~ンとした、そんな気分でおりました。さてっと、21日の日曜日、コンビニに日経新聞を買いにでかけました。その日経に「THE NIKKEI MAGAZINE」という大判冊子がついております。開いて見ていたら、そこに柳家三三(さんざ)へのインタビュー記事があったというわけです。
名前が変っておりますけれど、その由来も書かれております。
師匠の小三治が「二ツ目になるとき『お前は何の特徴もないからせめて目立つように』と師匠が思いついた。由来もはっきりしないが、確かに人目を引く分、得をしている・・」

そこに、気になる箇所がありました。
インタビューは「小林省太」とあります。まあ、気になるといえば、全文を引用しなきゃならないのでしょうが、ご勘弁を願って、一箇所だけ。

「世の評判はそれとして、三三は自分の落語を嫌う。登場人物がすべて自分の一本の物差しの中でちょこまか動いている。高さも幅も奥行きもない。だから、芝居の書き割りのようなきれいごとの落語なんだという。『これって、人の心の揺れや痛みを分かれない人間なんだな自分は、ってことですよね』でも、そうやって駄目だとか足りないとか感じていないと持たない性質(たち)。一番怖いのが自分を嫌だと思わなくなることだというのだから、自分の落語は下手だ嫌いだと思うことこそが、進化の原動力になっている。」

う~ん。もう一箇所引用。

「師匠に『修業の答えが出ました』って言ったら、『ああなるほどな。自分の生きてきた道を否定されたくないからな』って言われて」と落とした。
理屈を披露しては、それがなんぼのものか、とひっくり返してみせる。


これを読んでいて、思い浮かんだのは、谷沢永一著「日本人が日本人らしさを失ったら生き残れない」(WAC)のはじまりの言葉でした。
そこには、こうあります。

「私にいわせれば、『進歩』は劣等感の産物である。劣等感がなければけっして進歩はありえない。事実として日本が後れているかどうかは問題ではないのである。日本人は観念の上でいつも、自分たちは『後れている』と思ってきた。これが日本の原動力であった。そしてこの思いこそ――大東亜戦争の敗戦を別とすれば――日本の歴史が一度も大きく落ち込むことなく、つねに上昇を続けてきた秘密であろう。
そうだとすれば、これを単に『劣等感』と呼ぶのはいささか物足りない。ちょっと寂しい。そこで私は『未然形の劣等感』という言葉を捻り出した。『為すところあらん』とする劣等感、である。もう駄目だ、ではなく、まだまだ後れているから頑張ろうという踏ん張り。とどのつまり、やる気に直結したコンプレックスである。この『未然形の劣等感』がこれまで日本を牽引してきた。」(p9)

この谷沢永一氏の本は、こうして始まっているのでした。
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