和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

雨露と大仏。

2008-02-03 | Weblog
君塚文雄氏の「館山を中心とする地震被害について」という文を読んでいたら、『君津郡誌』の記述を引用している箇所がありました。
「同書には『明応元年(1492)5月26日、地大いに震ふ。』と記し、続いて『明応4年(1495)8月15日大地震洪水あり。鎌倉にては由比浜の海水千度檀に到り、水勢大仏殿に入り堂舎を破る。溺死人二百余あり。』と記しているが、この地震の震源地、規模等は明らかでない。鎌倉大仏はこの災害以来露座となったと伝えられている。」(房総災害史・千葉県郷土史研究連絡協議会編・千秋社)

露座となった鎌倉大仏といえば、そういえば、と思い浮かぶエピソードがありました。それがここにありました。
広岡勲著「こんな時代だからこそ心にとめておきたい55のことがら」(アーティストハウス・2006年)の中でした。

「報知新聞に入社して1年目は、スポーツだけではなくて、いろいろなことを任された。ある日のこと。『なんでもいいから、とにかく面白いと思ったことを出せ』と当時のデスクに言われた。1年生だったさ、そう言われてもどうしていいのかよく分からなかった。・・・・ぼーっとしたくなって、仕事をサボるつもりで大好きな鎌倉へと出かけた。なんのあてもなく出かけた鎌倉。海岸などをぶらついた後、ふと鎌倉の大仏が見たいなあと思って、足を向けた。近くのベンチに座って、鎌倉の大仏を本当にぼーっと見ていた。『オレも疲れているけれど、鎌倉の大仏もずいぶん疲れているなあ』などと勝手なことを思いながら見ていた。すると、どうだろう。鎌倉の大仏が、猫背になっているように見えたのだ。そんなはずはない。もう一度、目を凝らしてよく見てみたが、やはり、背中が丸まっているように映った。それから首のあたりを丹念に見ていたら、大仏の首になんとうっすらと亀裂が入っているのに気が付いた。それで『あれっ』と思って、僕は拝観料5円を払って大仏の中に入った。そうしたら、首のところから水がポタポタと垂れていて、遠めに見ても赤いさびがついているのがわかった。・・・記者魂を発揮して、住職に連絡を取ったのだ。話を聞いていると、『実は大仏が酸性雨にやられていて、このままでは首が落ちてしまう危険がある』ということが判明した。・・・・」(p212~213)

ちなみに広岡勲氏は1966年生まれ。2003年よりニューヨーク・ヤンキース広報部とあります。

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