和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

初対面の詩人。

2023-03-12 | 好き嫌い
詩を読むのは好きで、
分かりやすい言葉で、明快で
簡潔な詩を読むのはそれだけで楽しい。

ですが、元来うつり気の私ですから、
潮が引くように、興味がうつります。

興味をもって、古本をたのんだのに、
その古本が届くころにはもう他へと
その興味がうつっていたりしてます。

興味が遠のいて引いてしまった波打ちぎわに、
届いている未読の古本が打ち上げられてたり。

ですが、不思議なもので、興味の波はまた、
何気なく、再度押し寄せることがあります。

今回、竹中郁を本棚から取り出し、
まだ興味の波は引かずにおります。
その興味から丸山薫へと繋ぎます。

詩人との対面で、竹中郁が丸山薫との
出会いを語っている箇所がありました。
そこを引用してみることに


「昭和7年12月10日前後であったが、
 東京麹町三番町の第一書房で、わたしは初めて
 丸山薫と面晤(めんご)した。

 丸山の第一詩集『帆・ランプ・鷗』とわたくしの
 第三詩集『象牙海岸』とが時を同じゅうして刊行され、
 その日たまたまわたくしは神戸から上京して・・・

 そこへ丸山が訪れて同席した。
 身長は170センチ以上にもみえ、大柄な体格は
 年嵩(としかさ)ということもあって、
 わたしには至極大人に感じられた。

 じっさい丸山はゆっくりとものを言い、しかも寡言(かげん)であった。

 わたくしの『象牙海岸』よりも、丸山の『帆・ランプ・鷗』の
 方が用紙といい、本の造型といい、その手にとっての軽い手ざわりといい、
 好もしい出来ばえだったので、

 わたしが店主の長谷川巳之吉が座をはずした隙に
『 あなたの本の方が羨しい出来ばえですなあ 』と嘆じた。

 大抵なら、ここでお愛想の一つと・・・
 挨拶をくり出すのが世間一般なのだが、丸山はそれを言わなかった。

 この場のくだりを今日にまでもはっきりおぼえているのは、
 やはり丸山のその率直な態度にわたくしが感じ言ったからにちがいない。

 要らざる感情をもたない、要らざる発言をしない、
 という態度は丸山の生得のものだったのだと思うが、
 或は又、自ら鍛えてきたものででもあたろう。

 前近代の詩人たちが、溺れたようにめそつく繰り言風の
 スタイルを美学として信奉していたのと比べるがよい。

 丸山は自分の才質にはっきりと自信をもって、
 寡黙で力感のこもった言葉つかいをしている。

 言葉の流れに寄りかかることを避けて、むしろそっけないと言ってもよい。

 大正時代が終るのと同時に、現代詩の方向がそういうコースを
 とりはじめたからでもあるが、丸山が自分の才質に
 自分で目ざめる賢さをもっていたからだ。・・    」

    ( p496~497 「丸山薫全集1」角川書店・1976年 )


はい。次回は丸山薫の詩を引用できればと思っております。 


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