和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

発火於薬品全焼

2024-08-04 | 地震
安房郡の南三原村に、関東大震災から一年後
『 震災記念碑 』が建立されております。

そこに
    縣立農學校舎 発火於薬品全焼

という文字が記されております。
震災の年に、安房農学校の校舎が完成し、
学校授業に必要な、さまざまな備品が完備したことでしょう。
当時の農学校の塚越赳夫先生の記録があります。
そこから火事の場面を引用。

「ふと後を振り返ったら二階建ての寄宿舎は北側へ引っ繰り返っていた。
 その直ぐ隣の理科室は半潰れになっていた。とその中に火が見えるでは
 ないか。・・・斜めに傾いた窓から白煙濛々と立ち上がり、
 理科室の内部はみるみる内に真赤な火焔が一杯ではないか。

 ・・・火の廻りが非常に早かった事である。それは火元である
 薬品戸棚と壁一重隣りの実験室の天井がペンキ塗りであった 
 ためであろう。折からの烈風にあふられて半潰れの校舎は
 忽ち火に嘗められた・・   」

薬品火災については、吉村昭氏の指摘が印象深いので
以下には、その箇所を引用しておわります。

吉村昭氏は、関東大震災後に出た『震災予防調査会報告』を
語っておりました。こうあります。

「『震災予防調査会報告』は、関東大震災後、当時の一流の学者たちが、
 それぞれの専門分野で震災について徹底的な調査研究を一年半に
 わたって推し進め、まとめた報告書である。」

「私のような素人ですらそれを入手し書架におさめてある」

さて、火災についてです。

「報告書でこの火災について取組んだのは、理学博士中村浩二であった。
 まず発火原因について、中村博士は、薬品の落下によるものが44個所 
 もあると指摘している。
 学校、試験所、研究所、製造所、工場、医院、薬局等にあった
 薬品類が、棚等から落下して発火した。

 ことに学校からの出火が最も多く、
 東京高等工業学校、日本歯科医学専門学校、明治薬学専門学校、
 陸軍士官学校予科理科教室、東京帝国大学医学部等、
 17箇所から出火した。
 中村博士は、発火性の薬品が、震動で棚等から落下せぬように
 工夫することが絶対に必要だ、と強調している。

 昭和53年6月12日、マグニチュード7.4の宮城県沖地震が起った。
 ・・・・・テレビをつけると、東北大学理学部の建物から煙が
 出ているのを眼にした。私は、瞬間的に薬品の落下による
 出火だ、と思った。

 この短文を書くにあたって、東北大学に問い合わせてみると、
 『 地震と東北大学化学教室――宮城県沖地震の被害とその教訓 』
 と題する櫻井英樹氏の論文をFAXで送って下さった。

 それによると、出火原因は薬品の落下で、
 櫻井氏はその落下を防ぐよう工夫することが肝要だ、と記している。

 関東大震災当時よりもはるかに薬品の多くなっている現在、
 東北大学理学部の出火でもあきらかなように、
 中村博士の警告は今でも生きている。・・・」

(p98~99 「吉村昭が伝えたかったこと」文芸春秋平成23年9月臨時増刊号)

それにしても、震災記念碑に、無駄をはぶきながら記したなかに
「発火於薬品全焼」という細部を記したことの慧眼を思います。
こういう細部をおろそかにしない記述が、後世の人への参考になります。




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