和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

千載(せんざい)にあひがたし。

2021-02-21 | 正法眼蔵
道元著「正法眼蔵」のなかの、
「仏道」巻をせっかくめくったので、
興味ぶかい箇所をとりあげてみます。まずは、
その前に、道元が宋に渡るまでを順をおって辿ります。

「道元は、14歳にして叡山で剃髪したが、
その翌年にはもう山を降りた。・・・・
『正法眼蔵随聞記』の第4巻によれば、
『終に山門を辞して、遍く諸方を訪ひ、道を修せしに、
建仁寺に寓せし中間、正師にあはず、善友なく故に、
迷て邪念を起しき』とみえる。・・・・

その迷える道元を救ってくれたのは、栄西の法嗣明全との出会い
であった。その時、道元は、はじめて、仏祖正伝の仏法を語る
禅のながれに触れることを得たのである。

そのころ、彼が明全によって伝え聞くことをえた建仁寺の
故僧上すなわち栄西の言行は、しばしば、若くして求道の
志にもえる彼の心をうった。・・・・・

おなじ思いの師の明全をうながして、直往して宋に渡った。
明全は40歳、そして、道元はなお23歳であった。
・・・・『・・五宗の玄旨を参究せんと擬す』・・・・
彼が入宋以来その時まで参究せんとしていたものは『五宗の玄旨』
であったと知られる。・・・・

いうまでもなく、ここに『五宗』といい、かしこに『五門』というは、
おなじく、いわゆる『五家』を指さすものであって、しかも、そのなか
においてもっとも大いなるものは、ほかならぬ臨済宗であった。

『・・・・いはゆる法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗なり。
見在大宋には、臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、
ただ一仏心印なり』それが、道元の見たかの地における禅の現勢
であったといってよろしい。

しかるに、道元は、はからずも、やがて『先師古仏』すなわち
天童如浄にまみえて、参学の大事を了得し、故国に帰ってきた。
つまり、彼は、臨済のながれではなくて、曹洞のながれを汲ん
だのである。『いささか臨済の家風をき』いてここに到った彼が、
いまは曹洞のながれのなかに立つこととなったのである。」
( 増谷文雄著「臨済と道元」春秋社p17~20 )


こうして、曹洞宗の道元なのですが、
『正法眼蔵』の第49『仏道』をひらくと、
仏法としての、視界がはれてゆき、
ひらけてゆくのを覚えるのでした。


『仏道』から、天童如浄のことばを引用している箇所。

「先師なる如浄古仏は、上堂して衆に示していった。
『このごろ、そこらあたりのあれやこれやが、しきりと、
雲門(うんもん)・法眼(ほうげん)・潙仰(いぎょう)
臨済(りんざい)・曹洞(そうとう)など、
いろいろ家風のわかちがあるというが、
そんなのは仏法ではない、祖師道でもない』

このようなことばは、千歳にも遇いがたいものである。
先師にしてはじめていいうるところである。
ほかではとても聞きえないところで、
この法席にしてはじめて聞きうるところである。

だがしかし、その席につらなった一千の雲水のなかにも、
そのことばに耳をそばだてる者はなかった。
それを理解するだけの眼識ある者もなかった。
ましてや、心をそそりたてて聞く者もなく、
ましていわんや、その身をこぞって傾聴する者もなかった。
・・・・・・・
わたしもまた、まだかの先師なる如浄古仏を礼拝しなかった以前には、
かの五宗の家風を学び究めたいと思っていた。・・・・」
     (講談社学術文庫「正法眼蔵(五)」p90~91)

はい。如浄古仏の言葉の次からを原文で
あらためて引用してみます。

「この道現成(どうげんじょう)は、
千載(せんざい)にあひがたし、先師ひとり道取(どうしゅ)す。
十方にききがたし、円席ひとり聞取す。しかあれば、
一千の雲水のなかに、聞著(もんじゃく)する耳朶なし、
見取する目睛(がんぜい)なし。いはんや心を挙してきくあらんや。
いはんや身処に聞著するあらんや。たとひ自己の渾身心に
聞著する億万劫にありとも、先師の通身心を挙坫(こねん)して、
聞著し、証著し、信著し、脱落著するなかりき。
あはれむべし・・・・・」(p88~89)

この『仏道』巻を増谷氏は、原文・現代語訳してゆくまえに、
「開題」と題して、ていねいに解説しております。
そこからも引用して終ります。

「この一巻(仏道)の内容とするところは、
かなりながいものであるが、しかし、
そのいわんとする趣きは、きわめて明快である。
つまり、仏道には宗派の称などあるべからざるものだ
ということをずばりと説いているのである。

・・・・仏祖正伝の大道を、ことさらに禅宗などと称するのは、
それは仏教そのものがまるで解ってはいないのだというである。
・・・・
そのことを道元は、それぞれの祖師がたについて一人ずつ
証(あか)ししてゆくのである。ともあれ、まったく
至り尽したことであるというのほかはあるまい。」(p70)








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