和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

案の定。

2007-06-13 | Weblog
ちょうど、2冊の本で津田左右吉の名前が出ていたのでした。

一冊は対談「人間は一生学ぶことができる」(PHP)
もう一冊は、高島俊男著「座右の名文」(文春新書)。

それでは一冊目から
【谷沢】チャイナの古典に惑わされないという根幹を最初に定式化したのが、津田左右吉でした。・・・「支那の史といふもの」で津田は、シナには民族がない、民族の歴史を持たないシナ人に世界史の観念がないのは当たり前である、世界史の観念のないシナ人に民族の観念が生じなかったのもまた当たり前であると言わねばならない、と指摘しました。同時に、シナの歴史には根拠なり出所なりを示していないということを注意せられよとも言っています。
ちなみに、津田左右吉が歴史について書いた論文を集めた「津田左右吉歴史論集」という文庫本が岩波文庫から出ました。その広告を見るなり注文したら、案の定、「支那の史といふもの」と、もう一つ大事な論文の「アジアは一つではない」という二つがきれいに抜いてありました。それを除くことによって、出版社としての姿勢を北京政府に明示したのでしょう。

この谷沢永一さんに応えるように渡部昇一さんが語っております。
【渡部】岩波文庫の「紫禁城の黄昏」で虫食ったように記述を省いたのと同じですね。それは書評するに足ります。・・・・

ここでは、「書評するに足る」とはこういうことなのだ。という指摘でした。

さてもう一冊は高島俊男さんの新書。こちらは10名が登場しております。
新井白石・本居宣長・森鴎外・内藤湖南・夏目漱石・幸田露伴・津田左右吉・柳田國男・寺田寅彦・斎藤茂吉(生年順)。私などはこの新書の「まえがき」「あとがき」だけで満腹してしまっております。ちょいとスラスラ読むのが、もったいない一冊(というか、その内のまだ2~3名しか読んでいないのでした)。
ということで、とりあえず津田左右吉の箇所。

その津田左右吉の箇所は副題に「処世のへたな独歩の人」とあります。
はじまりは「ぼくは津田左右吉が大すきです。・・・」。
こんな箇所もあります。
「論語に対してだけでなく、支那思想全般への敬意をもたないところが、津田左右吉の特徴でもあり、ぼくがすきなところでもある。支那人の思想は支那人の生活から生れてきたものであって、生活基盤がちがう日本人にはなんのゆかりもないものである、と左右吉は考えた。これも、たいへんユニークです。ぼくが生涯最大の影響をうけた本、『支那思想と日本』にもこの思想がつらぬかれている。・・・津田左右吉はここでも書いているように、『東洋文化』の存在を否定する。このあたり、内藤湖南とは正反対だ。支那文化の影響を極力大きくとらえようとしたのが湖南なら、左右吉はそれをできるだけ小さく考えようとした。ぼくは二人の大学者をともにこのうえなく尊敬するが、こういう見解の相違については『どちらが絶対に正しい』ともきめがたく、なかなかに困った問題なのである。」

そして左右吉の日記にも言及しているのですが、なかなかでして。
こりゃ、高島さんが好きだというわけだ。そう思える人物像が活写されております。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「さん」付け。 | トップ | 朝日新聞出版広告。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事