和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

山階宮殿下の慰問。

2024-05-07 | 安房
「安房震災誌」の第2編「慰問と救護」に
「山階宮殿下の御慰問」(p226~230)という箇所があります。

そういえば、吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)に
その山階宮殿下に関する記載があります。そのすこし前から引用。

「殊に小田原から鎌倉にいたる相模湾沿岸の地域と
 房総半島の那古、船形、北条、館山等は震源地に近いだけに
 最も激しい震動に襲われ・・・・  」(p47)

「・・・・藤沢の吉村別邸では東久邇宮(ひがしくにのみや)師正王殿下が、
  鎌倉の由比ヶ浜別邸では山階宮(やましなのみや)妃が
  それぞれ圧死した。  」(p51~52)

それでは、「安房震災誌」の箇所を引用。

「殿下(山階宮)の御慰問を給はったのは、9月28日のことである。」(p227)

そして、殿下の言葉が載せてあります。

「  今回の地震は多数国民を失ひ遺族の心中察するに餘りあり
   余も亦遽に妃を失ひ痛恨に堪へずと雖も妃が多数国民と
   其の難を共にせるを想へば以て慰するに足る

   妃も亦此の点に於て必ずや安んじて瞑すべきものあるは
   余が平常の信条に照し確信する所なり 

  と御仰せあらせられたり御心中拝察するだに忍び難き極みにして
  ・・・唯々感泣の外なし
  尚震害に関し青年団、軍人分会、消防組が能力を盡して
  活動せる次第を言上せるに深く其の行動を嘉し給ひ

  又一般罹災民に対し此際災害に屈せず寧ろ
  禍を転じて福と為す底の大決心を以て
  奮励努力一日も速かに復興の実を挙げられんこと
  余の特に希望する所にして此旨一般に貫徹せしむべき由
  特に仰出されたり・・・    」(~p220)

この文は、安房郡長・大橋高四郎の名で各町村宛に
その概況を記して送ったなかにありました。


ちなみに、関東大震災の一年後の大正13年9月1日、
南三原村には「震災記念碑」が建立されております。
360字ほどの漢字が刻まれた碑の上部には横書きで
「転禍為福」の四文字が刻まれておりました。

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