和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「方丈記」と鎌倉幕府。

2012-06-01 | 短文紹介
読売新聞2012年5月1日の文化欄「『方丈記』関連書 相次ぐ」とあり、まずは昨年11月に出た浅見和彦校訂・訳「方丈記」(ちくま学芸文庫)が、4刷9000部を数えた。と紹介されておりました。
これは未読と注文いたしました。
そのあとがきに、
「鎌倉から帰京後の建暦2年(1212)、長明は『方丈記』を執筆する。一つの可能性ではあるが、この『方丈記』は源実朝に献呈されたものであるかもしれない。少なくとも実朝はこの新作の『方丈記』を読んだフシがある。おそらく長明にとって、この『方丈記』は会心の作であったのではなかろうか。作中全編に込められた長明の気迫のようなものを感じるのは私だけではなかろう。」(p252)

本文にも、「仁和寺の隆暁法印といふ人」の箇所(p110~)に

「福原遷都の折も、長明は事あるごとに現地へ赴き、その様子を正確に書きとめてくる。今回もそれこそ左京の全域を虱潰しに数え回ったのであろう。隆暁法印の偉大さを知ろうとしたのか、それとも飢餓被害の甚大さを知ろうとしたのか、はたまた数え始めたところ、残すところなくすべてを数えきりたいという衝動にかられたのか、その動機はさまざま考えられるが、長明の行動力は特記するに十分値しよう。
さて隆暁法印であるが、『隆暁』は『方丈記』全体の中で、同時代としては唯一名前の明記された人物である。隆暁で注目されるのは、源頼朝がその息貞暁を隆暁の弟子として入室(弟子となること)させている点であろう。・・・貞暁は一条能保につきそわれて、隆暁のもとに入室したわけである。・・実はこの一条能保は源実朝の女婿で、頼朝とは義兄弟の関係にあたり、有力な親幕派公卿の一人であった・・・」(p114~115)

方丈記と親幕派の関係とは、
興味深い指摘で、なるほどと頷いてしまいます。

ちなみに、この文庫の最後には、こうありました。

「本書は『ちくま学芸文庫』のために新たに書き下ろされたものである。」
うん。最新の方丈記への考察を聞かせていただけた満足感があります。

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