長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社・2008年)。
この最後の方に、「母の晩年」として痴呆の母親のことが出てきます。
そのはじまりは
「70代の後半には母の痴呆が進んで、
もう娘達の見分けがつかなくなっていた。」(p176)
とあります。うん。それはそれとして、
「母の晩年」のつぎは「別れ」でした。
年譜には
1983(昭和58)年 まり子と町子、用賀の新築の家へ引越し。
1985(昭和60)年 洋子、彩古書房設立
1987(昭和62)年 母・貞子、死去(享年91歳)
とあります。年譜の三姉妹のなかの、
洋子さんの「別れ」をとりあげた章なのでした。
町子・まり子の2人して新築の家へと引越しする場面です。
「この段階でも、私はまだ引っ越していくことをためらっていた。
このまま串だんごとして一生を終わっていいのかと
自問自答する毎日だったのだ。
生まれたときから末っ子の味噌っかすで、
機関車に引かれる貨物列車同様、
姉達の引いたレールの上を走ってきた。
おもしろこと、楽しいこと、心強いこともたくさんあった。
でも、自分で考えて自分で決めて、自分の足で歩いて
こその人生ではないだろうか。
私は自分の自主性のなさに改めて呆れていたのだ。」(p188)
はい。この箇所が何だか身にしみます。
私は、というと、四人兄弟の末っ子でした。
うん。自分では、あまり気にしなかったのですが、
孫ができるような年齢となりますと、
孫たちの、その兄弟のつき合い方といいますか、
自然と譲ったり、しゃしゃり出たりの兄弟関係に
思い至ることがあります。すると何だか、
子供の頃だった自分がどのような立ち位置でいたのか
ボンヤリしていた私に、ダブって浮きあがってくるのでした。
はい。引用をつづけます。
「些細なことでも自分の一存で決められるのは新鮮な驚きだった。
六十歳に近くなってひとり立ちもおかしいが、これが
ひとり立ちできるチャンスではないだろうか。
いろいろ考えているうちに決心が固まってきた。
・・・・・・・
姉達は、おとなしかった妹の突然の独立宣言に驚き、
なかなか理解しがたく不快だったようだ。
それでも無理やり押し切って、串だんごの末っ子は、
遅いひとり立ちを果たしたのだった。
姉達との間に溝ができたのも、いたし方ないことだった。」(~p190)
このあとが「一人あるき」と題した章になります。
うん。こちらも印象深い箇所があるので最後に引用しておきます。
彩古書房を、洋子さんは立ち上げます。
「・・育児出版は、誰のためでもない
私自身のために大変勉強になった。
ある精神分析の先生は、
『長年この仕事をしていますが、
結論を言えば人は人を救えないということね。
マイナス地点にいる人をゼロ地点にまで引き戻すことはできても、
それから先は人にはできません。
人を救えるのは宗教だと思いますよ。
人を超えた大きな力が人を救うのです』
と言われた。この先生に連れられて一度、
禅宗のお寺にお説法を聞きにいった。
そこのお坊様は、あぐらをかいて団扇(うちわ)を
バタバタ使いながら、べらんめえ口調で説法をされる
型やぶりな方なので面白かった。
・・・・・
『 大体、悟りを開こうの救われようのという量見が欲ですぜ 』
・・
私にも忘れられない言葉として残っている。この頃から
私は少しずつフロイト先生からもユング先生からも離れていった。」
( p198~199 )
コメントありがとうございます。
長谷川洋子さんの、この本は
単行本と文庫本とあるようです。
私が読んだの本は、単行本です。
最後の章は「国税局」という題。
その最後の章のはじまりは
『1992年5月末、町子姉が亡くなった。
72歳だった。訃報を知らせてくれたのは
姉妹社に勤めていて、姉達の秘書のような
仕事をしている人だった。・・・・
話によれば、町子姉は家の中で何度か
転んだあと次第に足がもつれたり、
ろれつが回らなくなったりして衰弱した末、
亡くなったということだった。
まり子姉は当分、世間には発表しない意向で、
特に≪洋子には絶対、知らせてはならない≫
という厳命なので、弔問なども遠慮してほしい
と言い、慌ただしく電話は切れた。
まり子姉の耳に入るのを恐れている
らしい様子が伝わってきた。・・・』
え~と。そうそう、国税局でした。
お母さんの時も、相続権を放棄し、
今回も放棄したことを不審に思い
国税局が、訪問したときのことが
書かれておりました。
うん。ここも引用しておきます。
『何しろ生まれたときから60年近く
一緒に生活してきて、同じ考え、同じ行動
という掟のようなものが出来上がってしまっていましたから。
姉達は昔から自分達のことを≪串だんご≫と
言っていましたが、その柵(しがらみ)から
抜け出せるなら、財産より自由のほうが
ずっと貴重なありがたいものだと
私には思えたのです。・・・・」(p215)
ちなみに、文庫には、さらに2章が
付け加えられているようなのですが、
残念。その文庫が手に入らない。