和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

笑の領分。

2007-07-29 | Weblog
追悼・河合隼雄。
私は、新聞での3人の追悼文を読みました。

7月20日読売新聞:中沢新一「日本人を救った知恵の賢者」
7月21日朝日新聞:梅原猛「『河合心理学』未完が残念」
7月24日産経新聞:養老孟司「笑いの力 心得た人生の達人」

ここでは、養老さんの文について。
その追悼文の最後はこうでした。

「個性、個性と声高にいう世の中だが、河合さんはそういう言葉では語らなかった。でも河合さんのような個性は稀(まれ)である。その意味では、惜しい人を亡くしたと思う。文化庁長官のような仕事をやらせるべき人ではなかった。個人的にはそう思う。患者さんを含めて、他人のストレスをあれだけ解消していた人に、ストレスがかからないはずがない。河合さんは名伯楽だった。その伯楽を真に上手に使う人がなかったのは、やむをえないのであろうか。」


笑についてでも、養老さんは印象深く語ります。

「笑いといえば、河合さんと最後にまじめな仕事をしたのは、三年前に小樽で行われた『笑いの力』というシンポジウムに参加したことである。その結果は岩波書店から同名の書物として刊行された。作家の筒井康隆さん、女優の三林京子さんが参加された。河合さんには本当に『笑いの力』という主題が似合っていた。私も笑うのが大好きだが、河合さんもお好きだった。あのダジャレを聞いた人は多いはずである。臨床家としても、人生の達人としても、笑いの力をよく心得ておられた人だった。」


笑ということで、柳田國男に「笑の文学の起原」という文があります。
筑摩書房「定本柳田國男集 第七巻」(昭和55年・古本)に入っております。

その文はこうはじまっておりました。

「今日のやうな記録文藝の隆盛期に於ても、『笑いの文学』だけはまだ別系統を持続して居る。所謂滑稽作者は人も容易にこれを真似ようとせず、自分も亦調子に乗って外へ出て行こうとすれば大抵は失敗する。一方を『泣く文学』若しくは怒る文学と名づけては勿論狭きに失するであろうが、兎に角に二通りの文学には両々相容れざる截然たる差別がある。これを自分などは偶然の結果では無く、必ず本来の性質に基くものだろうと考えて居るのである。出来るならば少しでもこの問題の糸口を尋ねて見たい。それが私のをかしな野望である。」

その次には、何げなくこんな言葉があったのでした。

「読者に与ふべき『笑の文学』の影響又は価値、それを決定するのは次の時代の心理学者の領分である。・・・」


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