和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

千利休

2024-09-27 | 道しるべ
いつかは、千利休を読んでみたいと、
思ったことがありました。

まず、古本で千利休関連の本を買っておく。
私がはじめたのは、それでした。
読まなくっても買っておくと
それなりに溜まってゆくものですね。

たとえば、桑田忠親著「定本 千利休」(角川文庫)
というのを買ってありました。はい。読んではおりませんでした。

そのあとがきをひらくと、そのはじまりにはこうありました。

「私が千利休の研究に志し、その根本史料である利休自筆書状の
 蒐集を始めたのは、東京大学の史料編纂所に勤めていた昭和10年、
 33歳の頃であるが、それらの根本史料をもとに、
 『 千利休 』と題する評伝を著わしたのは、昭和17年、40歳の
 ときである。・・・  」(p232)

はい。今回初めてあとがきをひらいてみました。
それじゃってんで、本文のはじまりはどうなっているのか?

「 茶の湯というのは、要するに、遊びごとであり、
  楽しみである。この点では、今も昔も同様であろう。・・  」
                          (p8)

はい。本文は、こうはじまっています。
やはり、古本で購入した本に
臼井史朗著「 昭和の茶道 忘れ得ぬ人 (淡交社・平成5年)に
その桑田忠親がさまざまな方の中に登場しておりました。
そこからも引用。

「昭和61年2月15日の深夜のことである。
 隣りの家から火が出た。博士(桑田忠親)の家は、
 みるみるうちに類焼、全焼してしまった。・・・

 すでにその頃、博士は83歳となっていたのである。
 もうほんとうに晩年だった。3万冊にも及ぶ厖大な
 蔵書と資料は、一瞬のうちに烏有(うゆう)に帰してしまった。
   ・・・・・

 たまたま未亡人を訪ねた時、焼跡に黒こげになって残っていた
 鞄の中から発見された、多くの手紙を拝見する機会を得た。
 火煙をくぐり、水にぬれて残った手紙類ばかりであった。 」

こうして、松永耳庵・川端康成・井上靖・司馬遼太郎の手紙を
紹介したあとの最後には、こうありました。

「水と火をくぐりぬけ、ボロボロになってしまった
 これらの来翰を見るにつけても、その学殖の文学への
 ひろがりを嗅ぎわける思いがした。それは、
 戦国時代を研究テーマとしたその核のひろがりでもあった。

 とくに、茶道史を実証史学の爼(まないた)にのせ、
 その研究成果を数多く公刊し、歴史理解への道を
 大衆のためにひらいたその業績は、茶道史に不朽のものとして残る。

 博士は、昭和62年5月逝去。85歳。生涯が学究一途の旅だった。 」
                         ( ~p105 )

ちなみに、この本のはじまりは佐々木三味で、
そこには、終戦で焼けた道具類の手紙が紹介されておりました。
そこにも、火事のことがでてきております。

「 空爆避けの山疎開は山火事にて大事な道具を喪いし之由
  其道具こそまことに数奇な運命とも可申候   」(p26)

とか

「 名古屋の友人伊藤幸楽主人は今様に 水ツケの焼け跡から
  茶器類をホリ出シ 小生ニモ珍しき事なる旨通知ありたるに
  蕨の絵をかき
    春山に やけ太りたる わらびかね
  と申送り候処 それらを取繕ふて 木曽川町の仮寓で
  名古屋より疎開中の茶友を招き 会致度由 
  楽げに茶会記を添へ申来りて候
  又左近君は爆風にて散々に家を崩されながら
  之を自分にて幾分修理し 道具類を纏めつつある旨申来り
  到処此喜劇のみ承わり居候
  茶道には非常時無く 平常心是道 茲に御喜ひ申上候
                         敬具  」(p28)


うん。雑本ばかりですが、千利休の本もすこしづつ溜まってきたので、
パラパラと読み始められますように。まずはパラパラと、この秋は、
桑田忠親著「定本 千利休」(角川文庫)からひらけますように。
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