谷川健一著「渚の思想」(晶文社)のあとがきに。
「 渚は大自然の搏動を体得するのにもっともふさわしい場所である。大自然のリズムを身につけるかどうか、それが人間の心身を健全なものにするかどうかの分かれ道である。だが、自然海岸の大量の破壊は、日本人が日常的に海にふれあう機会を極度に少なくした。それは、砂浜で孵化した海亀の子が、生まれてすぐに波打ち際にむかって這っていく、そのまちがいのない正確な本能を私たちに閉ざすことにもなったのである。
渚に立ってまなざしを海の彼方にそそぐときの解放感は何ものにも替えがたい。」(p222~223)
この前、東京で一泊してきたのですが、
ちょうど小部屋に一人。
天井を海の波のうねりがひろがるような、
ひろさを思い描いて寝ておりました。
うん。それでないと、閉塞感で
気持ちが縮んじゃうと思ったからなのかもしれないなあ。
ほら、なんせ田舎に暮らしておりますから。
うん。ちょうど神社で、
荒波の彫り物が掲げられているような
イメージが浮かんで、
ひろがっていきました。
まあ、生ビールのせいでもあります(笑)。
「 渚は大自然の搏動を体得するのにもっともふさわしい場所である。大自然のリズムを身につけるかどうか、それが人間の心身を健全なものにするかどうかの分かれ道である。だが、自然海岸の大量の破壊は、日本人が日常的に海にふれあう機会を極度に少なくした。それは、砂浜で孵化した海亀の子が、生まれてすぐに波打ち際にむかって這っていく、そのまちがいのない正確な本能を私たちに閉ざすことにもなったのである。
渚に立ってまなざしを海の彼方にそそぐときの解放感は何ものにも替えがたい。」(p222~223)
この前、東京で一泊してきたのですが、
ちょうど小部屋に一人。
天井を海の波のうねりがひろがるような、
ひろさを思い描いて寝ておりました。
うん。それでないと、閉塞感で
気持ちが縮んじゃうと思ったからなのかもしれないなあ。
ほら、なんせ田舎に暮らしておりますから。
うん。ちょうど神社で、
荒波の彫り物が掲げられているような
イメージが浮かんで、
ひろがっていきました。
まあ、生ビールのせいでもあります(笑)。