昭和18年に出た田中冬二の詩集「橡の黄葉」に「焼津の海」という詩がありました。
焼津の海
沖には白い雲の峯がくづれかけてゐた
鰯の群がおしよせてゐた
漁家や粗末な町家のすぐ裏を
暑さに煤煙の窓をあけた列車が地響をさせて走つた
その窓に海は見えかくれした
うん。そうそう。思い出したのですが、
幸田文に「鰯の話」というのがありました。
それは昭和2年の1月。
幸田文が23歳の時に、父と伊豆へ出かけた時のことでした。
ちょっと、その鰯の話の前に、その頃の幸田文の年譜を振り返ってみます。
1923年(大正12年)19歳
向島の自宅で関東大震災に遇い、千葉県四街道へ避難する。
1924年(大正13年)20歳
六月、小石川区表町66番地へ転居。
1926年(大正15年・昭和元年)22歳
11月、弟・成豊が死去。享年19歳。
12月、チフスに感染するが、翌月には全快。
1927年(昭和2年)23歳
1月、父と伊豆を旅する。
5月、小石川区表町79番地へ転居。
うん。これについては、松村友視著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)に年譜が掲載されております(p109~)
さて、松村氏の著作を読めばよいのでしょうが、ここはそれ、
「幸田文対話」へとあたってみました。
瀬沼茂樹氏との対談に、その箇所はありました。
ちょっと煩雑ですが、その前の箇所も棄て難いので、長い引用をしてみます。
【瀬沼】こうして文さんのお話をうかがっていますと、ことばがなにか古語的ですね。そういうのも先生に訓練されたためでしょうか。
【幸田】ええ。お客さまのお取次ぎでも、とにかくはじめが、『するか、せんか、どっちかだ』と、『後生だからはっきり言ってくれ。それでなければ取次ぎはつとまらない』って。大人がするみたいに、真っ直ぐ相手を見て、むこうの言うことをまずよく聞くんだ、それを覚えてきて親父のところへ行って、親父の言うことをむこうへちゃんと伝える。その間に自分が勝手にこしらえてはいけないっていうんです。だから、『いまはいやだと言いました』というような返事になってしまうわけ(笑)。
【瀬沼】いちいち復唱するわけですね。
・ ・・・・・・・・・・
【瀬沼】先生のこわいところばかりですが、やさしいところはどこですか。
【幸田】いまどきのお父さん方よりも遊んでくれたと思います。
縄跳びでも、綱渡りでもしてくれました。それから、いっしょに鮒も釣ってくれたし、メダカをとったり。私が二十何歳かになったときでしたかしら。鰯の泳いでいるのを見たことがないっていいましたら、『これはいけない』といって、伊豆の三津浜(みとはま)へつれていってくれました。囲った鰯ではないんです。畳一枚くらいの小さなグループになって泳いでいるんですね、鰯って。『見ろよ、これだ。これが鰯なんだ』と。鰯というのは、どんなに群れたがって、傷つきやすくって、そして弱い魚かということを、わざわざ見せてくれました。
うん。いつぞやの新聞で、水族館の大型スクリーンのようなガラスの水槽に群れる鰯の写真が載っていたことがありました。いまでは、そこへ連れて行くことが出来る(笑)。
もう少し書き加えます。
鰯ということで、最初に思いうかべた詩がありました。
それについて
衣更着信著「孤独な泳ぎ手」書肆季節社という詩集のはじまりは、
題名の「孤独な泳ぎ手」でした。
それを引用してみます。
では、はじまりから引用してみましょう。
いわしの集団のなかで泳いだことがあります
夏の真さかりの、まだ五センチくらいの小いわしの群れが
浜辺まで近寄って来ることがあるでしょう
近寄っては離れ、固まっては小さく散る
その辺は、小さな雲の影みたいに濃紺色が走るんです
うす緑の、勢いを誇っている海の水に―――
いたずら心を起して、魚の群れのほうへ泳いでみました
かれらがせいいっぱい陸に近づいたときに
なにしろ、そんな時刻(ちょうど十二時、わたしは昼食前)に
この浜で泳いでいるのは、わたしだけでしたから
人家を出ればすぐ浜辺ですが、危険だとか
水が汚れているとかいって、子どもたちを泳がせないんですよ
・ ・・・・・・
泳いで近寄っても、魚は逃げませんでした
意外にも左右にさっと開いて、わたしを群れに
はいらせてくれた、そしてそのあとを閉じるんです
つまりわたしは小いわしの集団の真ん中にいる
・ ・・・・・・・
しかし、さすがです、魚は絶対に人間にさわらせませんよ
わたしの泳ぐスペースを最小限に許しているのに
・ ・・・・・・・
泳いでいると妙なことを考える
その真ん中にいるのにさわれないんですよ、lifeは―――
至近距離にあるのに、道を開いて迎え入れ
ときにむこうから近づいて来るのに、さわれないんです、lifeは―――
太陽が激しく輝いていても
潮風がさわやかに吹いていても、これだけ沖へ出て来ても、
沈下海岸に積まれたテトラポッドがかすんで見えるほどになっても
すぐそばを泳ぐ魚に手が届かないように
これだけ歳月を過ごして来ても
目がくらむほど暮しを続けて来ても
わたしはもどかしい、わたしはさわれなかった
あれがlifeなんだ、今こそ悟る
あれがlifeなんだ
焼津の海
沖には白い雲の峯がくづれかけてゐた
鰯の群がおしよせてゐた
漁家や粗末な町家のすぐ裏を
暑さに煤煙の窓をあけた列車が地響をさせて走つた
その窓に海は見えかくれした
うん。そうそう。思い出したのですが、
幸田文に「鰯の話」というのがありました。
それは昭和2年の1月。
幸田文が23歳の時に、父と伊豆へ出かけた時のことでした。
ちょっと、その鰯の話の前に、その頃の幸田文の年譜を振り返ってみます。
1923年(大正12年)19歳
向島の自宅で関東大震災に遇い、千葉県四街道へ避難する。
1924年(大正13年)20歳
六月、小石川区表町66番地へ転居。
1926年(大正15年・昭和元年)22歳
11月、弟・成豊が死去。享年19歳。
12月、チフスに感染するが、翌月には全快。
1927年(昭和2年)23歳
1月、父と伊豆を旅する。
5月、小石川区表町79番地へ転居。
うん。これについては、松村友視著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)に年譜が掲載されております(p109~)
さて、松村氏の著作を読めばよいのでしょうが、ここはそれ、
「幸田文対話」へとあたってみました。
瀬沼茂樹氏との対談に、その箇所はありました。
ちょっと煩雑ですが、その前の箇所も棄て難いので、長い引用をしてみます。
【瀬沼】こうして文さんのお話をうかがっていますと、ことばがなにか古語的ですね。そういうのも先生に訓練されたためでしょうか。
【幸田】ええ。お客さまのお取次ぎでも、とにかくはじめが、『するか、せんか、どっちかだ』と、『後生だからはっきり言ってくれ。それでなければ取次ぎはつとまらない』って。大人がするみたいに、真っ直ぐ相手を見て、むこうの言うことをまずよく聞くんだ、それを覚えてきて親父のところへ行って、親父の言うことをむこうへちゃんと伝える。その間に自分が勝手にこしらえてはいけないっていうんです。だから、『いまはいやだと言いました』というような返事になってしまうわけ(笑)。
【瀬沼】いちいち復唱するわけですね。
・ ・・・・・・・・・・
【瀬沼】先生のこわいところばかりですが、やさしいところはどこですか。
【幸田】いまどきのお父さん方よりも遊んでくれたと思います。
縄跳びでも、綱渡りでもしてくれました。それから、いっしょに鮒も釣ってくれたし、メダカをとったり。私が二十何歳かになったときでしたかしら。鰯の泳いでいるのを見たことがないっていいましたら、『これはいけない』といって、伊豆の三津浜(みとはま)へつれていってくれました。囲った鰯ではないんです。畳一枚くらいの小さなグループになって泳いでいるんですね、鰯って。『見ろよ、これだ。これが鰯なんだ』と。鰯というのは、どんなに群れたがって、傷つきやすくって、そして弱い魚かということを、わざわざ見せてくれました。
うん。いつぞやの新聞で、水族館の大型スクリーンのようなガラスの水槽に群れる鰯の写真が載っていたことがありました。いまでは、そこへ連れて行くことが出来る(笑)。
もう少し書き加えます。
鰯ということで、最初に思いうかべた詩がありました。
それについて
衣更着信著「孤独な泳ぎ手」書肆季節社という詩集のはじまりは、
題名の「孤独な泳ぎ手」でした。
それを引用してみます。
では、はじまりから引用してみましょう。
いわしの集団のなかで泳いだことがあります
夏の真さかりの、まだ五センチくらいの小いわしの群れが
浜辺まで近寄って来ることがあるでしょう
近寄っては離れ、固まっては小さく散る
その辺は、小さな雲の影みたいに濃紺色が走るんです
うす緑の、勢いを誇っている海の水に―――
いたずら心を起して、魚の群れのほうへ泳いでみました
かれらがせいいっぱい陸に近づいたときに
なにしろ、そんな時刻(ちょうど十二時、わたしは昼食前)に
この浜で泳いでいるのは、わたしだけでしたから
人家を出ればすぐ浜辺ですが、危険だとか
水が汚れているとかいって、子どもたちを泳がせないんですよ
・ ・・・・・・
泳いで近寄っても、魚は逃げませんでした
意外にも左右にさっと開いて、わたしを群れに
はいらせてくれた、そしてそのあとを閉じるんです
つまりわたしは小いわしの集団の真ん中にいる
・ ・・・・・・・
しかし、さすがです、魚は絶対に人間にさわらせませんよ
わたしの泳ぐスペースを最小限に許しているのに
・ ・・・・・・・
泳いでいると妙なことを考える
その真ん中にいるのにさわれないんですよ、lifeは―――
至近距離にあるのに、道を開いて迎え入れ
ときにむこうから近づいて来るのに、さわれないんです、lifeは―――
太陽が激しく輝いていても
潮風がさわやかに吹いていても、これだけ沖へ出て来ても、
沈下海岸に積まれたテトラポッドがかすんで見えるほどになっても
すぐそばを泳ぐ魚に手が届かないように
これだけ歳月を過ごして来ても
目がくらむほど暮しを続けて来ても
わたしはもどかしい、わたしはさわれなかった
あれがlifeなんだ、今こそ悟る
あれがlifeなんだ