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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

しらす。

2009-04-12 | 詩歌
深皿へすりおろしたる大根の白にまされり春のしらすは  太田市 正田健三郎

読売歌壇。栗木京子選の最初でした(2009年4月6日)。その評は
【評】しらすと大根おろし。清らかな白さが食欲をそそる。春だからこそしらすのおいしさが大根に一歩まさるのだろう。春という季節への挨拶とも言える一首である。

この一首から、村松友視(ネは示)著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)の
ある印象的な場面を、思い浮かべてしまうのでした。

「私は、東京に生れたが静岡県の清水、あの次郎長ゆかりの清水みなとで育った。駿河あたりでは生(なま)のしらすを生醤油(きじょうゆ)、酢醤油、生姜醤油、酢味噌などで食べる習慣がある。この生のしらす漁の解禁日が三月二十一日で、私はこの日になると何となく弾む気分になる。中央公論社につとめている頃も、休日の早朝に久能の浜のしらす小屋へ電話し、しらす漁の舟が出たことをたしかめると、アイスボックスを持って新幹線に乗る。静岡駅からタクシーでしらす小屋を往復し、ふたたび新幹線で東京駅へ戻る。そこからタクシーで何軒かに生のしらすを配って家へ向うということをよくやっていた。その何軒かの中に、あるとき小石川の幸田家入れたことがあった。
夕方近く、突然あらわれた私に、『あらまあ、今日はまた・・・』、笑顔と驚きの表情が入り混じる幸田文さんが、玄関で私の来訪の意味を探るように言った。私は、手短かに生のしらすと食べ方の説明をし、『それじゃ失礼します』と頭を下げた。すると幸田文さんは、『うーん・・・ちょっと待ってよ!』と手で宙を引っ掻く仕種(しぐさ)をし、足早やに奥へ入って、玄関に戻って来たときは小皿と醤油さしを両手に持っていた。
幸田文さんは、私が玄関に置いた生のしらすの入ったパックを開け、蓋の方に少し取って上から醤油を一滴(ひとた)らしすると、それを右手の指で素早く口へもっていった。そして、さっきと同じ笑顔と驚きの表情をつくって『おいしい!』と言い、私にペコリと頭を下げると、『ごちそうさまでした、はい、どうぞお次へお急ぎを』と右手を前へさし出して私をうながした。食べて見せ、ほめ言葉を与えてから私を帰さねば気がすまない・・・・幸田さんらしいと思った。」(p190~191)

うんまだまだあるのです。鯖の話。鰯の話。
それらはまたあとで。
コメント
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