和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ワイドショーの踏み絵。38度線。

2017-05-30 | テレビ
正論7月号届く。
高山正之がワイドショーに
ついて書いており、よく言って
じゃなかった、よく書いてくださいました。
ありがたい。収穫がありました。
見えないワイドショーの38度線ルール。
これからテレビ観戦を楽しめる気がします。

途中から引用。

「・・・赤旗の背後の、つまり共産党が
『あのテレビ局に電話とファックス攻勢をかけろ』
と指令したのだろう。
200人がかかればテレビ局を虐め倒せるとあとで聞いた。
陰険な威力業務妨害だが、立件は難しい。
テレビ局は泣き寝入りするだけ。
彼らを怒らしたコメンテーターは番組を危うくした
罪により間もなくクビになった。
そういう例は表に出なかったけれど山とある。
NHKの磯村尚徳は『ニュース9』で
『北朝鮮が38度線を越えた』と当たり前を言った。
途端に総連がNHK攻撃を指令し、
同時に社会党の大物にも指令して番組担当者を脅かさせた。
ほんの小一時間でNHKは麻痺し、
磯村は番組の中で平身低頭し、謝った。
以後、NHKは今も
『北朝鮮が侵攻』の史実を語らない。
売れっ子の山口敬之も森友学園絡みで
辻元清美の名に触れたら
『洪水のような抗議が殺到して仕事にならなかった』
という。
こちらは2度のクビでワイドショーには
赤旗とか9条の会など『威力業務妨害組織』の監視があって、
それに関わる発言を抑え込んでいることを知った。
多分、池上彰でも原発賛成を語れば
その途端テレビ局は機能を喪失し、池上は職を失う。
ワイドショーとはそういう制限された
言語空間に生きている。(p63~64)


はい。さっそく高山さんの新刊対談集を
注文したのでした(笑)。
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質問する松野頼久。

2015-07-03 | テレビ
雑誌「WILL」8月号の
蒟蒻問答は、こうはじまります。

堤】 ・・・維新の党代表に就いた
松野頼久が安倍に向かって言う。
『総理、こんな重要な法案は国会を
二つか三つ跨いででも、議論を尽くして
決めるべきじゃないですか。この夏いっぱい
までに仕上げると仰るが、なぜそんなに急ぐ
んです?いまの日本にそんなに危機が迫て
いるんですか?』・・・


これなどは、古田博司氏がいうところの
「中立性を客観性だと誤認したり、
偽装したりしている・・」
という指摘に、あてはまりそうな発言。



この松野氏は、テレビの国会中継を録画して私も見ました。
WILLでは、この後、堤堯氏の歴史的指摘が素晴らしい。
ここでは、雑誌「正論」8月号の中西輝政氏の文
のはじまりを引用して、現在の危機が迫っているか
状況判断材料のひとつを提供。
うん。こういうのは当たり前だといわれると、
当たり前のことを引用するのみ。

「・・・ウクライナをめぐる米露関係の悪化を
『新冷戦』と表現する向きもあるが、そんな言葉が
生ぬるく感じるほど、米中関係ははるかに大きな
スケールで危機的な局面を迎えている。その危機とは、
言うまでもなく、中国による南シナ海、南沙諸島の
埋め立てである。広大な埋め立て地に軍事施設を建設
すると公言してはばからない中国の姿勢は、アジアに
おけるアメリカのプレゼンスへの真っ正面からの挑戦
である。警戒を強めるアメリカとの間では、
『軍事衝突』の可能性を言い立てる当局関係者の言葉の
応酬がなされ、一触即発の事態を招来している。そこに
・・・6月12日~13日にAP通信など米メディアが
そろって報じた中国による対米サイバー攻撃である。
総合すると、この攻撃で、アメリカの情報機関である
CIA(中央情報局)やNSA(国家安全保障局)など
の要員に関する個人情報が流出、その数は『数百万人分』
に達する可能性もあるというのである。
情報機関とは、文字通り国家の生命線であり、国家の安全
を支える最も有力な土台(インフラ)の一つである。・・
情報機関の活動には情報収集のノウハウと共に、要員の
安全に関わる個人情報には最大限の秘匿性が求められる。
この最高機密が中国の手に渡った時点で、世界中に展開する
アメリカの情報関係要員たちは中国の監視下におかれ、
特に北京や上海、成都や西安に身分を偽って潜入している
要員は一網打尽にされかねない。・・」(p60~)

とはじまる13頁。「いまの日本に、
そんなに危機が迫っているのですか」
という方にチェックしてもらいたい文。


話題をかえて、
新聞広告の見出し力。
7月2日の週刊誌の新聞広告。

週刊文春の右見出しは
「自民党は死んだ」

週刊新潮の右見出しは
「うぬぼれ『自民党』の構造欠陥」

これじゃ、週刊誌購買欲わかず、ゲンナリ。


気になるのは週刊新潮のなかの、
百田尚樹氏の「私を『言論弾圧』男に
仕立てあげた大マスコミに告ぐ」。





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なんでも鑑定団と徒然草。

2015-04-19 | テレビ
谷沢永一・渡部昇一『平成徒然談義』(PHP)
をパラパラとめくっていたら、


谷沢】私は『開運!なんでも鑑定団』を
けっこう楽しみに観ておりますが、
真贋を見極める力のある人、ない人、
さまざまな素人さんが、さまざまな
エピソードをもって登場して、
人間の面白さが出る、それが楽しいのです。
書画や骨董品に関する話といったら、
次の段でしょうかね。


ということで、徒然草の第八十八段を
短いので引用して


谷沢】これは書画骨董の蒐集家には
是非読んで欲しい話です。真贋を
見極めることは、本当に簡単ではない。
・・・・(p208~)


そういえば、テレビの『開運!なんでも鑑定団』は、
平川祐弘著「書物の声歴史の声」(弦書房)でも、
触れられていておりました。層の厚い番組です(笑)。
ということで、平川氏の文も、ちらり引用。

「テレビで『開運なんでも鑑定団』は人気が
高いとみえて再放映もされている。この番組を
私も楽しんでいる。興味は美術品だ。
山間の小都市で由緒あるお宝が出たりすると、
地方の歴史の厚みが感じられる。
骨董狂の主人を持った夫人の悲喜こもごもも、
人情の機微をうがつ紳助(この本の2009年発行)
のコメントも、面白い。常連の鑑定士はいまや
全国に知れ渡る名士となった。その鑑定団の
お託宣も、含蓄あり、人生訓あり、結構聞かせる。
時に意想外な高値がついて満場興奮に包まれる
・・・」(p108)

こうして、私もついつい
見てしまうのでした(笑)。
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一日中テレビ。

2014-12-26 | テレビ
年末のテレビは見るものもなく。
録画を再生して見ております(笑)。
ナンシー関をとりあげたドラマも、
録画したまま見ていなかったので、
見れてよかった。

そういえば、新潮45の1月号。
そこに小田嶋隆の文がありました。
はじまりをすこし引用。

「2002年から2008年までの6年間、
私は、今はもうなくなってしまった
新聞社系の週刊誌で、テレビ批評の
コラムを連載していた。で、そのコラム
のための半ば職業的な義務感もあって、
一日中テレビをつけた部屋で暮していた。
無論、習慣としてテレビのスイッチをオンに
しているというだけの話で、私自身が、
四六時中画面に見入っていたわけではない。
が、それでも、オリジナルの思考の何分の一か
は、確実にテレビに持って行かれている。
そこのところが、あの機械の恐ろしいところだ。
テレビがついている部屋にいる人間は、
実質的にはろくにテレビを見ていないにも
かかわらず、テレビを見る以外のことが
何もできなくなる。つまり、私は、丸6年がとこ、
テレビ受像機の周辺機器みたいな存在になりさが
っていたわけだ。それが、テレビを消し去ってみると、
状況は一変する。テレビを消すと、明らかに、
自分の時間が増えるのだ。
一日は時間であふれている。・・・・ともかく、
時間はたっぷりできた。で、現在、その時間は、
ほぼまるごとネット依存に振り分けられている。」

これが小田嶋さんの文のはじまり。
私は、これだけで満腹(笑)。
なにやら、時間があふれだし、
続きを、読む気がしなくなる。
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頑張れ大越キャスター。

2013-12-02 | テレビ
曽野綾子さんの産経新聞でのエッセイで
同じ産経新聞内での記事や意見を、とりあげる文があったりします。
なんだか、水木しげるの「テレビくん」を思い出します。
テレビくんは視聴者なのに、テレビのなかで、ゴロゴロしています。
曽野さんのエッセイは、産経新聞のなかでゴロゴロしたりします。
こうした書き方があるのかと印象に残る。
さてっと、
今日の12月2日の産経新聞を読んでいたら、そんなことを思い出しました。
個別に署名文を書いているのに、同じような指摘をしているのが面白かったのです。

では、さっそく引用。

岡崎久彦氏が「正論」欄に書いておりました。
その最初の方にこんな箇所。

「・・最近、戦後世代の評論家と対談した。
考え方は私と同じで、人格識見とも非難の余地のない人であったが、一つだけ違和感を抱いたのは歴史上の人物、業績に触れる際に声を大にしてその人格、政策の欠点を批判する点であった。
戦後教育のどこかで、殊更に政治、社会の非を鳴らし、人物の欠点を糾弾しなければならないように教えているのではないか。・・・」

次に引用するのは一面と二面にわたって櫻井よし子さんが書いている「美しき勁き国へ」でした。そこから


「特定秘密保護法案に関する一連の報道にも、同質の偏りを感じる。同法案が衆院で可決された11月26日の『ニュースウオッチ9』を具体的に見てみよう。
同日の『9』は、冒頭で同法案を取り上げたがその論調はおそよ反対一色だった。国会前で拡声器で法案反対を訴える人々の大音声や衆院国家安全保障特別委員会で、委員長席に詰め寄る民主党議員らの映像を見せつつ、『9』は安倍晋三首相以下、自民党の中谷元・特命副幹事長らの意見に、民主、日本維新の会の『強行採決は委員会運営の失敗』『数の横暴』などのコメントを対比させながら報じた。後半部分では浅田次郎日本ペンクラブ会長の『時代に逆行』との非難、採決前日、福島の公聴会に出席した馬場有浪江町長の『はじめに結論ありきだった』との批判を紹介し、政治部が解説した。
補正予算、税制改正、外交日程などで会期延長が困難な中、採決に踏み切ったという国会日程の表面的事象のみの説明だ。
番組キャスターの大越氏が、日程ありきの審議を批判し、中身の濃い議論に期待する旨語って、同コーナーは終わった。約12分間、NHKは法案の内容も、必要論も賛成論も伝えず、結局、反対論ばかりを伝えた。・・・」

うん。こういうニュースにウンザリさせられる私は、バラエティ番組へチャンネルをかえることしばしばなので、よく言ってくださったと思うわけなのです。
今日の『9』では大越氏がどのようなコメントをするかで、これからの『9』のあり方を占うことになる。頑張れ大越キャスター、NHKという組織の中でどれほどのことが言えるのか。はたまた言えないのか。
今日は『9』を見てみよう。こういう新聞での意見がでたあとに、当り障りのない受け応えをするキャスターになるかどうか。大越さんの真価が問われるのですが、番組の最後にちょこっと触れたりするのじゃないかと、いまから心配しております(笑)。

頑張れ大越キャスター。
ニュースに、そっぽを向かれ
バラエティー番組へと替えられるかどうか。
今日の「ニュースウオッチ9」は
最後まで観戦することにします。

うん。「ニュースウオッチ9」を
見るのは、今日でしょ。
今日の産経新聞のご意見を、
真正面にうけての
大越キャスターのゴロゴロぶりを観戦できるかどうか(笑)。
たのしみにしております。
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武隈親方。

2013-11-14 | テレビ
昨日は、
NHKの相撲放送を見ておりました。
今回停年をむかえる
黒姫山こと、武隈親方が
最初からアナウンサーと北の富士親方(?)と
ならんで、解説席におり。
本場所の間に、回想の名場面をところどころに
入れながら。
現在の武隈親方の解説をまじえながら・・・。
それが、本場所の解説と
回想の話がまじりあって、
見る甲斐がありました。

ああ、武隈親方はこんな人だったのだと
最後に知る事ができて、ありがたい企画でした。
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録画率。

2013-07-19 | テレビ
KAWADE夢ムック「山田太一」に
荒川洋治氏のエッセイ「文章と生き方」が掲載されておりました。
そのはじまりは、

「先ごろ新聞で、山田太一さんはこんなことを述べていた。一軒にテレビは何台もある。ビデオの普及もめざましい。だからこれからは視聴率だけではなく、録画率というものも考えなくてはならないだろうと。山田さんのテレビドラマは録画率の高いものだ。くり返し見て、楽しめる。ためになる。そのエッセイについても同じことがいえる。・・・・だが書物というのは録画率である。」(p152)

まあ、こうはじまるのでした。
そういえば、今日のフジテレビで山田太一のドラマがあるそうな。
さっそく録画することに。

ちなみに、「録画率」の前をすこし引用。

「そのエッセイについても同じことがいえる。はじめてエッセイ集を出したとき、山田さんは売れゆきが心配で、あちこちの本屋を歩き回ったとある本で読んだが、即効、即売性を問うなら、たしかに視聴率ということになる。一、二冊目の売れ行きはかんばしくなかったらしい。だが書物というのは録画率である。」

うん。録画率というのは、こと、本についてなら古本購入率ともいえそうだなあ(笑)。汝、新刊の視聴率に惑わされることなかれ。
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石原慎太郎録画。

2013-02-15 | テレビ
録画しといた2月11日の国会中継を、このまえ見ました。
「衆議院予算委員会質疑」の午後の部。
維新の石原慎太郎氏が質問している箇所を再生。
けっこう長く質疑応答をしているのでありがたい。
じっくりと見て聞く甲斐があります。大切に、
ときどき、再生して見ることにします。
さりげなくも、大胆にして、
つっこんだ話をしているのが、
聞いていて快いのでした。

こういう質疑を聞けるよろこび。
その語り口や雰囲気をお伝えしたいのですが、
といっても、すぐに忘れているので(笑)、
いつでも再生して見れるのは、
何よりも、ありがたいなあ。
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基本的データ。

2011-11-02 | テレビ
水曜日の産経新聞には、
曽野綾子さんの連載「透明な歳月の光」がある。
といっても、読まないことが多いのですが、
今日は読みました。
そこに
「バンコクの洪水の報道を見ていて、一体この町の海抜は、何メートルの部分がどれだけあるのか、基本的なデータを与えてくれる新聞もテレビもないのである。」という箇所がありました。たしかに、外国のことなので、そんなに丁寧に説明する必要を、はなから考えて報道していないのかもしれません。外国のニュースは、それぐらいの比重で報道されているともいえるのでしょうか。それとも、基本的なことは新聞もテレビも、あてにして、頼ってはならない、そんな処世術を、身に着けなさいと、曽野さんは指摘しているのかもしれませんね。

指摘といえば、
渡部昇一氏が指摘していた「通州事件」を中西輝政氏も取り上げております。
「たとえば、なぜ、日本はアメリカとの戦争に突入していったのか。ためしに昭和12年(1937年)あたりから遡って見てみると、中国大陸で日本と中国が戦争を始めた原因とされてきた『盧溝橋事件』というのは、日中戦争の泥沼化にとっては、たいして重要な意味を持つものではなく、たとえば『通州事件』など、じつはその後に起こった事件のほうがはるかに重大な事件だったし、もっと後の『国民政府は対手(あいて)とせず』といった昭和13年の『近衛声明』のほうが、重要でしょう。とすれば、『盧溝橋事件』よりも『通州事件』や『近衛声明』の背景を調べるほうがずっと重要ではないか、と思えてくるわけです。」(p123~124・「情報を読む技術」)

そういえば、渡部昇一・中西輝政の対談集が、古本にあったなあ。
さっそく、注文しなくっちゃ。
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新聞・テレビ。

2011-07-21 | テレビ
最近の国会中継は、できるだけ、録画しておいて、あとで早送りで、見たい箇所を特定して見るようにしています(国会中継はいつでも取り出して見れるシステムになっているとありがたいのですが、現在はどうなのでしょう)。昨日雑誌「SAPIO」8月3日号を買いました。特集が「新聞・テレビのグロテスクな限界」。ちなみに連載の方々には、大前研一・黒田勝弘・佐藤優・古森義久という面々がおりました。震災以来、私はこの雑誌にまで目がいっておりませんでした。
さてっと、特集の最初は内田樹氏。文のはじまりにこうあります
「最近のマスコミについての私見を述べよというのが編集部からの依頼です・・・」
それでは、途中を引用。
「テレビ局が制作放送にかける電力も巨大な量ですし、各家庭の受像機も大量の電力を食っている。それほど節電が緊急だと思うなら、テレビ放送そのものを抑制すればいいというアイディアは誰も出さないのですか。『クーラーの設定温度を調整して、なんとか乗り切りましょう』とか被害者面(づら)して言うんじゃなくて、各局で話し合って放送しない時間を設定すればいいじゃないですか。電車を間引き運転したり、駅のエスカレーターを止めたりすれば、ダイレクトに市民生活に影響が出ます。そのせいで生活に支障が出る人はたくさんいる。でも昼間のテレビ放送なんかチャンネルが二つ三つ減ったからと言って、それで市民生活に深刻な支障が出て困る人なんかいないでしょう?電車やエスカレーターを止めるぐらいだったら、まずテレビを止めればいい。僕が子どもの頃はテレビ放送は朝と夕方以降だけでした。昼間はテストパターンが流れていた。それでいいじゃないですか。午後2時が消費電力のピークだというなら、午後2時前後に交替で放送を自粛すれば、ずいぶん節電になるんじゃないですか。・・・だいたい、国民が今、一番知りたがっている震災や原発についてのニュースは、どの局も官邸、東京電力、原子力安全・保安院といったソースからの情報をそのまま流しているし、その分析解説に局ごとの個性や特色があるわけでもない。みんな横並びじゃないですか。だったら民放とNHKを合わせて6局も7局も要らないじゃないですか。テレビの人たちは『テレビ局はこんな数要らない』ということをもうわかっていると思います。」

内田氏の最後の方に、
「1970年代以降、マスコミの知的劣化が始まり、止まらなくなった。・・・」
そして最後に
「自己点検できる、つまり自分の失敗を吟味して、そこから学習できることこそ知性の証です。中立・公正で、誤報や事実誤認は決してしていないと言い抜けるメディアは端的に反知性的なのです。日本のマスメディアの再生の道はもう一度『知性的』とはどういういことかを熟慮するところにしかないと僕は思います。」
内田樹氏のつぎには神足祐司氏。
神足氏の最後の箇所。

「原発事故後の新聞紙面を見ればいい。原子炉の図解があり、放射線表があり、あらゆる専門家のコメントがあり、それでいて、とっくの昔にメルトダウンしていた事実を伝えるのは後回し。あとは個々人が判断するしかないって?わかりにくい隠蔽競争をしておいて、判断などできるか?お分かりでしょう。ニュース記事や番組が何を伝えているのかわからなかったのはあなただけではない。書いたり、しゃべったりしている当のマスメディアが、悲しいほどにわかっていなかったのだ。」


森田実氏の文もありました。そこから

「官僚を排除した『政治主導』を掲げてきた菅内閣は、官僚を全く使いこなせていない。こうした問題を追及している大マスコミを私は知らない。
さらに言えば原発事故のすべての責任を東電に押し付けている菅政権の姿勢に疑問を呈する報道もほとんどない。」
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待ち時間。

2011-04-11 | テレビ
今日発売の週刊ポスト(4月22日号)を購入。
すると、戯れ歌があるじゃありませんか。
ACジャパン(公共広告機構)のCMに使われている詩
金子みすず『こだまでしょうか』と宮澤章二『行為の意味』。
その詩を題材にした戯れ歌。

  「こころ」は見えないけれど
   震災利用の「下心」は透けて見える
  「思い」は見えないけれど
  「思い上がり」は誰にも分かる

写真入の記事には、こうありました。
「『震災後、ぶら下がり取材を拒み続ける菅総理らを引き合いにして、番記者が待ち時間に遊び始めたのがパロディの始まりで、いつの間にか官邸全体にまん延していた』(政治部記者)そう。・・・・」

「待ち時間」といえば、鶴見俊輔座談全10巻の内容見本に、鶴見さんの(談)が載っていて、その談話の最後にこんな箇所があったのを思い浮かべました。

「対談という、もともとの伝統は、連句、座の文学なんですね。戦国時代、城攻めのときは、待ち時間がものすごくあるでしょう。そのとき、座興のために連歌師の宗祇のような人が、かたちをつくったんです。それ以前には、男女が山や市などに集まってお互いに歌を詠み交わす、歌垣のような『万葉集』のころからの洗練された伝統があるんですね。・・」

余談にわたりました。
それより、雑誌にある番記者の戯れ歌を、もうひとつ。


   「大丈夫?」っていうと
   「大丈夫」っていう
   「漏れてない?」っていうと
   「漏れてない」っていう
   「安全?」っていうと
   「安全」って答える
    そうして、あとで怖くなって
   「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと
   「ちょっと漏れてる」っていう
    こだまでしょうか?
    いいえ、枝野です



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最後の防御。

2011-03-17 | テレビ
産経新聞2011年3月17日の国際欄(p6)に米メディアの記事が取り上げられております。
見出しが「自己犠牲『50人』最後の防御」とあり、「米メディア原発作業員を称賛」。
すこし記事にふれます。

「米メディアのあいだで、相次ぐ爆発と深刻な放射性物質(放射能)漏れに苦しむ福島第1原発に残って作業を続けている50人の作業員への注目が急激に高まっている。16日付米紙ニューヨーク・タイムズは『最後の防御』と題して50人を特集したが、驚くべき自己犠牲の精神に対する称賛の裏側には、この国家的危機に際しても他の電力会社や国際社会の総力を結集できずに手厚い作業体制を敷くことができない日本の対応への疑問やいらだちも透けてみえる。 【ニューヨーク=松尾理也】」

具体的な記事のはじまりには、こうもあります。

「『日本の核の大惨事から救う最後の頼みの綱』。ニューヨーク・タイムズは50人をこう表現した上で、『彼らは迷宮のように機器が入り組み、停電で真っ暗になった施設内を、懐中電灯だけを頼りに、防護服とマスクに身を包んではいずり回り、海水注入などの作業にあたっている』と・・・・」

「日本時間の16日に枝野幸男官房長官が会見で作業員の一時退避を発表した際には、米CNNのコメンテーターが『通訳ミスであってほしい。現場から立ち去るなどあってはならない』と取り乱した様子をみせるなど、すでに世界が息をのんで見守る対象になっている。だが、『50人』の自己犠牲に限界があるのは明らかだ。・・・」

記事の最後は、

「米CBSテレビは『死をも恐れぬ50人』と勇気をたたえつつも、『作業が長引けば、現在の50人に代わってリスクに向き合う覚悟を持った次のチームを見つけるのはきわめて難しくなる』と指摘している。」


こういう彼ら50人への注視が、テレビを見ている限り、日本ではおざなりになっているような気がしてくるのでした。産経新聞のこの記事の縦て見出しは
『総力結集できぬ日本には疑問符』とあります。

毎日刻々と変わる、福島第一原発についてのテレビ報道から、目がはなせない私です。けれども国際欄の視点は、どうも日本のテレビにはない発想のようです。こういうテレビに視線をうばわれる近視眼的な恐ろしさ。というのがあります。

昨日の福島原発の発表では、消防や自治体への連絡をしている、との言葉がありました。どうも、国や自衛隊では直通連絡は受け付けておらなかったようでもあります。今日になって、自衛隊のヘリコプターも作業開始し、警察からのポンプ車も活動しはじめてたようです。この危険を乗り越えていただきたいと祈るばかり。
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他人の余計な主観。

2011-03-09 | テレビ
元海上保安官の一色正春氏の本を読むと、
その経歴に目がいきます。
まず、卒業してからの最初の仕事が、「民間商船会社勤務中、オイルタンカーやLPGタンカーに乗船し東南アジア、ペルシャ湾、北米、ヨーロッパ、アフリカ航路に従事する」とあるのでした。

これについて、一色正春著「何かのためにsengoku38」(朝日新聞出版)では、
ビデオを、どこで出せばより効果的なのかを考察している箇所があるのでした。

たとえば、ここ

「当時、国家機密扱いになっていたビデオの内容を日本の放送局が放映できるのか、また日本のテレビは恣意的な偏った報道が多いので放映したとしても正確に放映するだろうかということを考え、日本のメディアは避けることにした。できるだけ多くの人に余計な解説がついていない事実だけを見てもらい、そして自分自身で考えてほしかったのである。他人の余計な主観は必要ないどころか邪魔なだけである。今思っても、やはり日本のテレビ局では、あのビデオを正確に放映することは難しかっただろうと思う。」(p112)

そこで、C社東京支社に動画データを郵送したのでした。
結局、それは無駄になるのですが、なぜC社なのかが、最初のタンカー乗船の仕事とつながっておりました。


「私がアメリカのテレビ局の中でもC社を選んだのは、私がペルシャ湾と日本を行き来しているころに起こった湾岸戦争の際に、C社が行った報道が印象に残っていたからである。自分が、数日後に行く港の近くで戦争が起こっているのであるから、当時の私は毎日、真剣にニュースを見ていた。そのときの現地レポーターが最後に決まり文句で言うC社の名前が私の印象に強く残っており・・・」(p118)

このタンカーでの経験は
私は、たとえば、以下の場面を思い浮かべます。

それは、谷沢永一・渡部昇一著「修養こそ人生をひらく」(到知出版社)。
すっかり内容を忘れていたので、あらためて開いてみました。
そうすると、こんな箇所があります。

【渡部】 ・・・日露戦争が終わると、お国のことを第一に考えなくなったんですよ。昭和に入ってからの戦争を見ますと、もう自分たちのことが第一ですね。・・・・
その典型が昭和19年秋の台湾沖航空戦ですよ。アメリカ軍と日本の基地航空部隊の戦闘ですけれど、このとき日本軍がアメリカの航空母艦を十何隻も沈めたという情報が大本営から流されたんですね。ところが、海軍の情報機関は『一隻も沈んでいない』と言っている。また陸軍情報参謀の堀栄三という人も戦果発表に疑問を抱いて大本営にその旨を伝えています。ところが、大本営は情報を訂正するでもなく、海軍も陸軍へ確度の高い情報を知らせなかった。その結果どうなったか。陸軍は大本営発表を鵜呑みにして、ルソン島へ送るはずだった兵隊をレイテ島へ送るように方針変更した。ところが、壊滅したはずのアメリカ艦隊が現れて、なすことなく全滅したわけです。師団長が戦死した場所もわからないし、死骸も出てこないのは、このレイテ戦だけですよ。それほど悲惨な戦争になってしまった。だって、航空母艦を十何隻も沈めたはずなのに実際は一隻も沈んでいないんだから。
【谷沢】参謀本部が画策して嘘の情報を流した。
【渡部】嘘の情報に乗ってしまったわけです。海軍の中でもインテリジェンス担当は『沈んでいない』と言っているのに作戦部は沈んだことにしたんですからひどい。
【谷沢】その状況を冷静に判断して口外すると敗北主義者と言われるわけです。・・・・

                        (p175~176)



佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬社)では、

「前原誠司外相は記者会見で『世界に説明することが大事だ』と述べ、『中国漁船が『体当たり』してきたことは、ビデオを見れば一目瞭然』と語っている。海上保安庁の巡視船は、体当たりの一部始終をビデオに撮っていたので、これを公表すれば中国側がいかにでたらめな主張をしているか、その一端がわかる。前原外相のこの危機管理は正しい。もしそのときのビデオを公表していれば、中国の反日暴動も防げたかもしれない。しかし、菅総理・仙石官房長官は中国に対する過剰な気遣いと保身のため、刑事訴訟法を持ち出して『裁判まで資料は不公表が原則』としたのだった。・・・」(p20~21)


もういちど、一色正春氏の本へともどります。

「私は民間の船会社に勤めているときに、イラン・イラク戦争や湾岸戦争が起こっている最中のペルシャ湾から日本へのエネルギー輸送に従事していた経験から、日本の国が外地にいる日本人を積極的に守ってくれるケースは少ないことを知っていた」(p58)


また、こんな箇所も書かれております。

「2010年に入ってから中国漁船が尖閣諸島付近の日本領海内での中国漁船に対する立ち入り検査の数が2010年9月現在で14件になっていることからもあきらかである。
この14件という数字は、少なく感じられるかもしれないが、通常、海上保安庁の巡視船は尖閣諸島付近の領海内にいる外国漁船に対しては領海外へ退去するよう求め、相手がそれに従ったならば、それ以上のことはしない。つまり、日本の領海内にいる外国漁船に対しては領海外へ退去するよう求め、相手がそれに従ったらば、それ以上のことはしない。つまり、日本の領海に侵入してくる中国漁船は、この何十倍以上いたが、その中でも海上保安庁の指示に従わない船が急増していたということである。
衝突が起こった当日も尖閣諸島周辺には約150隻の中国漁船がおり、そのうちの約30隻が日本の領海に侵入していたのだ。・・・」(p77~78)

C社はダメだったのですが、一色氏はこう語っておりました。
「私は別にC社を非難するわけでなく、むしろ感謝している。どのようなテレビ局でも、YouTube以上の効果は期待できなかっただろうからである。」(p120)

「私が驚いたのはインターネットの情報拡散能力である。反応の大きさは大方予想通りであったが、映像が広がる速度が正直ここまで速いと予測はしていなかった。それよりも私が望んでいたこととはいえ、いとも簡単に国家機密とされる映像をYouTubeから転用して国営放送を始めとするテレビ局が繰り返し放映していたことに疑問を持った。それはテレビ局が自らの手でニュースの情報源を探さないで、インターネットからの情報からニュースを作っていることにほかならないからである。本来、あの衝突事件で中国漁船が何をしたのかを、自らが取材して正しく国民に伝えるのがメディアの役割ではないのか。」(p128)
最後に、この箇所も引用しとかないとね

「私の妻は韓国生まれの韓国人であり、私が業務で韓国語を学ぶ過程で知り合って結婚し、それから日本に住んでいる。私は、別に韓国人だから妻と結婚したわけでなく、惚れた女がたまたま韓国人であり、この女と離れたくないと思ったから周囲の反対にもかかわらず結婚しただけである。最初は、大反対した私の両親も今では私以上に妻を信頼している。・・・・最近、妻は日本の文化や日本人の風習もようやく理解してくれるようになってきていた。今回も、私が『国のため国民のためにやったのだ』と簡単に説明すると、あっさと許してくれ、そのうえ『私も日本に住んでいる人間の一人として、あなたに感謝し、そしてあなたの妻であることを誇りに思う』とまで言ってくれた。ただ、これだけのことをやったのだから、体を壊したり、私より先に死んだりしてはいけないという条件つきで。」(p133)



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テレビくん。

2010-09-29 | テレビ
「梅棹忠夫語る」(日経プレミアシリーズ)を楽しく読みました。
こりゃ、テレビ(?)に代表されるメディアと、どのようなスタンスで対峙するかのヒントを語ってくれている新書だと私は読みながら思ったわけです。

というか、そういう発想で統一されているかのように、読める。
どれどれ、と並べ替えて、引用していきましょう。


まずは、第六章あたりから、
うん聞き手の小山修三氏の合いの手が、語りに拍車をかけて、滑らかな感じで、手ごたえがあるのでした。では、

民博創設当時の梅棹の訓話として、このような記述がある。『諸君を選んだのは僕や。自由にやりたい仕事をやれ。研究者は一年中いつも研究者や。休みを取ることなんか考えるな。税金を使う国家公務員である自覚を持て』

小山】 民博に来たころ、ヨーロッパに学会で呼ばれたので、金を出してくれるかと思って、『お金どこかから出まへんか』って言ったんです。そうしたら、『文部省の金で行ったら、すぐ帰って来なあかんで』と。『いまはOLでも、パリに行ったりロンドンに行ったり、自分の金で行ってくるやろ。時間はやるから自分で行ってこい』(笑)。それで、『帰ってきたら、そのことを書いて稼いだらええやないか』と言われた。・・・・『研究費は自分で取ってくるもんやで』って。(p112~113)


そして第七章

小山】・・探検してきた学者の書いたものが必要で、これだけの資金を提供するから帰ってきたら書くようにと。梅棹さんは朝日新聞の係で、中尾さんが毎日新聞とか、手分けしていたそうですね。
梅棹】そうやったなあ。・・・・
小山】その後、テレビ、ラジオから離れてしまいましたね。
梅棹】いっさい放送に出演はしない。電波には乗らない。その点はひじょうにはっきりした。民博の開館のときにもさんざん言われたわ。・・・・

梅棹】電波を嫌うわけじゃない。出演はしないというだけや。
小山】なんでそう決めるのか。むなしさみたいなものを感じるんですが。
梅棹】具体的ないきさつとしては、一緒に出演した子どもがひじょうに悪くなっていく。これは放送は人間を悪くする。子どもはまるで英雄みないになっていくんやね。ひじょうに悪くなった。それで、こういうものは人間を悪くするから、自分はもうやめやと。(p156~157)

このあと聞き手の小山さんが『ああ、いい言葉だ。これが聞きたかったところです』という箇所がありますので、そこを引用していきます。


梅棹】とにかく、活字人間には、放送みたいな雑な仕事はたえられんな。・・・・切ったり貼ったりの編集が、発言者の最終確認をとらないでやられてしまう。本だったら、最後の最後まで、ここ削ったり、ここは誤解を生むからちょっと足したりってできるけれど、テレビやラジオでは、それは発言者にはできない。だから責任が持てない。
梅棹】あれは思想の媒体ではないな。
小山】無礼だとかいやだとか、おれの趣味に合わんというのでは理由にならないんだ。『放送は思想の媒体ではない』。ああ、いい言葉だ。これが聞きたかったところです。新聞社でも、電話インタビューは全部断っていましたね。
梅棹】断った。これも責任が持てないから。
小山】すると梅棹さんが書いていることは、全部責任を持って書いている。
梅棹】あたりまえやろ。全部自分の言ったことを確認している。それができない媒体には責任が持てない。
小山】ずいぶん厳しいなあ。 (p158~159)


少し前にもどると、こんな箇所もある


梅棹】わたしは若い人には、本質論をやれと言いたい。まだまだみんな若いな、と。現象論に目を奪われるのは、ひとつの若さです。若さはあるが、ジャーナリズムの悪影響でもある。(p134)

そして、こんな箇所。

小山】そう言えば、最近は打たれ弱いということもある。みんな、批判されるのを嫌がる。
梅棹】それはみな、そうや。批判されると、非難されたように思ってしまう。
小山】批判と非難はちがう。
梅棹】ちがう。
小山】でも世の中の人は、批判に弱いですな。
梅棹】ほんとに弱いね。批判に対して弱い。
小山】ぼくも梅棹さんじゃないけれど、大学や博物館で『正論を貫け』って言っている。それしか方法がないでしょ。
梅棹】そうや。信ずるところを貫かな、しかたない。みんな、批判をおそれるというより、評判をひじょうに気にする。その意味では、ジャーナリスティックでもあるし、芸能人的になってるね。いまの世の中で、芸能界がもたらした害悪はひじょうに大きいな。テレビがもたらした害悪。なんだかテレビに出るのが偉いっていうふうになってしまった。ちがうか?
小山】そのとおりだと思います。(p145)


この新書の語り全体を、このテーマが覆いつくしていると、私は読みました。引用はこれくらいにしておきます。ひさびさに聞いた梅棹節だったのに、これが最後。
2010年7月3日に自宅で死去。と新書の最後には略年譜がついておりました。

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少年マガジン。

2010-06-19 | テレビ
渡部昇一による野間清治・講談社の創始者の伝記を読んだら、
講談社に興味をもちました。そこでさっそく思い浮かんだのが、
週刊少年マンガ雑誌のことでした。

「昭和34年(1959年)三月と四月、講談社から【週刊少年マガジン】が、小学館から【週刊少年サンデー】が相ついで創刊された。日本初の少年週刊誌の発売、少年マンガの世界に週刊誌時代が到来したのである。」(足立倫行著「妖怪と歩く」文芸春秋p36・以下頁数のみは、この本から)

思い浮かぶのは、文春文庫の武居俊樹著「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」。
こちらの武居氏は小学館の少年サンデー編集部に配属された漫画編集者。

さてっと、水木しげると講談社、というのが、興味ある今日のテーマ。
今現在のNHK朝のドラマ「ゲゲゲの女房」は水木しげるが貸本漫画を描きながら、身辺に貧乏神がしばしば登場しております。まだ、講談社との縁がつながらない状況です。

「いかんせん市場が狭隘だった。貸本業界ではいくら大ヒットでも一万部以下の売れ行き・・・三洋社を経営していた頃を振り返り、青林堂会長の長井勝一が書いている。
【当時、一冊128ページぐらいの単行本を二千部刷って、それが全部、貸本屋さんに売れても、2万円ぐらいの儲けしかあがらなかった】(「ガロ」編集長・ちくま文庫)
貸本マンガ家が1ヵ月に一冊描いて手にする原稿料も二万円から三万円。貸本出版社が零細なら貸本マンガ家も食べるのがやっと、陽の当たる大手出版社の雑誌の世界に比べると、貸本マンガの世界はやはりアンダーグラウンドと言わざるを得なかったのである。」(p44)

「『昭和39年の時点で、ライバル誌の【サンデー】は毎週約50万部、ウチ(少年マガジン)は32万部から33万部程度でした』当時の少年マガジンの副編集長でマンガ班チーフだった内田勝は言う。『それが41年にサンデーを追い抜き、42年1月8日号で百万部達成、44年には150万部を突破しました。・・・』昭和40年(1965年)というのは、水木しげるの名前が初めて大手出版社のマンガ誌【少年マガジン】に載った年である。」(p38)

「昭和39年(1964年)七月に創刊された【ガロ】は、三洋社をやめて青林堂を起した長井が乾坤一擲勝負を賭けた一般誌であり、長期連載された白土の『カムイ伝』がその後一時代を画すことになるのだが、創刊から一年ほどはさっぱり売れなかった。当然、白土とともに初期の【ガロ】の両輪を務めていた水木の懐具合も芳しくなかった。
水木は後に、【少年マガジン】編集者が訪れた時のことをさまざまなメディアで『暑い日、福の神がドアを叩いた』と表現している。・・・・『編集方針が変りましたので、自由に32ページやってください』と言った。僕はひきうけた。作品が掲載されたのは、昭和40年8月の『別冊少年マガジン』だった。『テレビくん』という幻想マンガだった。これを機会に、雑誌の注文がどんどん来はじめるようになった。・・水木は、『テレビくん』がその年の講談社マンガ部門賞を受賞し出世作となった・・・」(p45~46)


という、講談社と水木しげるとの関係のはじまりでした。
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