こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。
私達の住む船川が築港されて今年で100年
※ちなみに「開港」は昭和5年、西暦1930年なので
今年で81年目、「築港」されたのが100年です。間違った表記も多々ありますのでご注意ください。
100周年記念事業として、様々なイベントが展開されております。例えば4月30日にはドキュメンタリー映画「里湖~八郎潟物語~」が男鹿市民文化会館で放映され(11月大潟村でも予定されております。)、他ブッダ、また船川丸の一般航海、ブルジョワ客船飛鳥Ⅱの一般船内見学会、今月は帆船「日本丸」や北前船「みちのく丸」の寄港などがあります。
男鹿の様々な事業者の方がイベントに合わせ出店し少しにぎやかな船川となっております。
夜は帆船がトンネルを越えると綺麗に見えて、何事かと寄港した夜早速見てきました。
日中の帆を広げた日本丸の姿は素晴らしいものでしたが
夜もまたいとをかし。
さて船川の歴史はとても面白いです。
そもそもどうしてこの地が港町として栄えたのか、
3月11日 美女のお寺の住職さんから船川の歴史を学んでいた最中でしたので自主授業再開です。
船川は男鹿半島のつけねの南西に位置し、その地形的条件から波浪が少なく、古くから天然の良港、「風待ち港」「避難港」として利用されていました。
明治40年から本格的な測量調査が始まり、明治43年に港湾調査会により第2種重要港湾に指定され、明治44年から本格的な築港が開始されました。
昭和5年(1930年)に5千トン岸壁が完成し、外国貿易港の第一歩を踏み出し、
昭和26年(1951年)には港湾法の制定により重要港湾に指定されました。
昭和57年(1982年)には石油国家備蓄基地の立地が決定し、国家エネルギー備蓄基地として現在に至っています。
どのように築港されたのか、興味深い資料が現在文化会館に資料展示されております。
図書館でも船川の歴史に関してはたくさん資料があり確認できますが、入ってすぐある大きな建設図面は、
そうそうお目にかかれません。すごいです!!このようなものは初めて拝見しました。
その当時の図面に現在の船川の地形が赤いラインで示されております。
地味ですが アート でもある、非常に価値の高いものです。
その様子や
現在のお店があった場所がなぜ元浜町なのか
三角形の広場のうつりかわり等、祖父や祖祖父の撮った写真も交え
次のブログに続きます。
私達の住む船川が築港されて今年で100年
※ちなみに「開港」は昭和5年、西暦1930年なので
今年で81年目、「築港」されたのが100年です。間違った表記も多々ありますのでご注意ください。
100周年記念事業として、様々なイベントが展開されております。例えば4月30日にはドキュメンタリー映画「里湖~八郎潟物語~」が男鹿市民文化会館で放映され(11月大潟村でも予定されております。)、他ブッダ、また船川丸の一般航海、ブルジョワ客船飛鳥Ⅱの一般船内見学会、今月は帆船「日本丸」や北前船「みちのく丸」の寄港などがあります。
男鹿の様々な事業者の方がイベントに合わせ出店し少しにぎやかな船川となっております。
夜は帆船がトンネルを越えると綺麗に見えて、何事かと寄港した夜早速見てきました。
日中の帆を広げた日本丸の姿は素晴らしいものでしたが
夜もまたいとをかし。
さて船川の歴史はとても面白いです。
そもそもどうしてこの地が港町として栄えたのか、
3月11日 美女のお寺の住職さんから船川の歴史を学んでいた最中でしたので自主授業再開です。
船川は男鹿半島のつけねの南西に位置し、その地形的条件から波浪が少なく、古くから天然の良港、「風待ち港」「避難港」として利用されていました。
明治40年から本格的な測量調査が始まり、明治43年に港湾調査会により第2種重要港湾に指定され、明治44年から本格的な築港が開始されました。
昭和5年(1930年)に5千トン岸壁が完成し、外国貿易港の第一歩を踏み出し、
昭和26年(1951年)には港湾法の制定により重要港湾に指定されました。
昭和57年(1982年)には石油国家備蓄基地の立地が決定し、国家エネルギー備蓄基地として現在に至っています。
どのように築港されたのか、興味深い資料が現在文化会館に資料展示されております。
図書館でも船川の歴史に関してはたくさん資料があり確認できますが、入ってすぐある大きな建設図面は、
そうそうお目にかかれません。すごいです!!このようなものは初めて拝見しました。
その当時の図面に現在の船川の地形が赤いラインで示されております。
地味ですが アート でもある、非常に価値の高いものです。
その様子や
現在のお店があった場所がなぜ元浜町なのか
三角形の広場のうつりかわり等、祖父や祖祖父の撮った写真も交え
次のブログに続きます。