グルメストアフクシマのブログ

男鹿にある大正七年創業の
お肉とお惣菜のお店グルメストアフクシマ
(有)福島肉店スタッフのブログです。

オーガニックコロッケへの挑戦。

2011-08-29 00:29:51 | コロッケ
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

オーガニックフェスタに出品する予定であった
フクシマのコロッケ
じゃがいも、お肉、玉ねぎ、調味料、パン粉、小麦粉
どれも秋田のオーガニック素材で完成させようというチャレンジをしておりました。
(22~店頭販売中です。)

なぜ 「オーガニック」 かというと

かなりの極論ですが
一言で申し上げますと
地球と本当に共存できる最高の手段と考え方だと思うからです。
 
これは長くなりますので続きます、にします。

大潟村の有機無農薬栽培に取り組んでいらっしゃる相馬農場の相馬さん、おばこ農場の佐藤さん、杜のやさい畑の土田さんのお野菜です。お店にもじゃがいも、玉ねぎ、販売しております。

OFAには参加できませんでしたが、今後の考えとイベントへの思い、「続き」に書きあげます。

お詫び。オーガニックフェスタ2011

2011-08-24 21:27:19 | お知らせ
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

先週のオーガニックフェスタinあきた2011
出店予定の前日夜(20日)、身内の不幸がありまして急遽参加できなくなりました。
お店の営業もイレギュラーでバタバタしていたのですが
本日葬儀が終わり明日から通常の営業となります。

実行委員、関係者の方にはお知らせ致しましたが
楽しみにして頂いたお客様にはご迷惑おかけする形になってしまいました。
本当に申し訳ありません。
お問い合わせの中にはお怒りの声も頂き
至らぬ点に反省と非常に申し訳ない思いでおります。
同時に期待して頂いた方が多くいらっしゃりとても嬉しく感じております。

このイベントにかける社員皆の想いはとても強く準備も周到に、祖父の体調が急変するまで一生懸命すすめて参りました。
イベントには出店できませんでしたが、フクシマのコロッケ、かぼちゃコロッケ、黒豆煮の販売をお店でご用意致します。
それぞれ、どのような商品かは後日ご紹介いたします。

オーガニックフェスタinあきた2011

2011-08-18 02:20:00 | イベント
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

オーガニックフェスタinあきた2011
8月20日・21日 セリオンプラザ室内にて
NPO地産地消を進める会 OFA実行委員としてかなり微力ながら準備を進めて参りました。

「食べることからはじめよう」
という今回のテーマ  当たり前の事が実はかけがえのない幸せな事であると
震災後様々な事に対し私達は多く感じたと思いますが
そのような想いが入っております。

このフェスタは「秋田県で有機農業に取り組む生産者を増やす」、「生産者と消費者・実需者が出会う場を作る」、「有機農業の価値観を広める」ことを目的として、昨年8月に初めて開催され今年は2回目。


オーガニックって何だろう、今後の未来はどうなっているだろう、どうなったら良いだろう、そんな事も
実際に触れてみて、食べてみて、楽しく体験できます。
お時間ある方是非是非セリオンにお立ち寄り下さい。



食の選択は

地球の未来の選択。

オーガニック という生き方とは。


当店は
フクシマのコロッケ・ かぼちゃコロッケ ・黒豆煮

有機農に取り組んでいる相馬農場さん、杜のやさい畑さん、おばこ農場さん、のお野菜で作らせて頂きます。
なお21日のみの参加で無くなり次第終了致します。ご了承ください。

船川築港100周年 2 中川重春氏~元浜町 三角広場

2011-08-11 01:06:52 | 船川 今昔
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

築港100年 vol2前回の続きです。
topにあげた写真は男鹿線から海側のまだ文化会館も立つ前の船川です。
文化会館入り口にある興味深い建設図とは

かなり大きいので直接ご覧になることをおすすめ致します。 

歴史に関しては堅苦しいので(でもとても面白いです)文字は少なく
写真をメインに簡単にアップしていきます。

明治終りの何もない船川港から大正初期、当時の人達はどういった事を考えていたのでしょうか。

▲築港から約20年で(この写真はだいぶ後です。)
外国との貿易をするまでに至り国の備蓄基地が建設されるまで急スピードで整備され続けます。
背景には最初の男鹿市長 中川重春氏の活躍があります。
様々な面からお話を耳にした事がありましたが 秋田稲門会 からの文面は裏事情も読めるなかなか面白い記事です。

『男鹿が生んだ英傑「中川重春伝」(渡部誠一郎著)を読んでいたら、「早稲田大学同窓会秋田支部」の名前を見つけた。
 対岸貿易の夢に燃えていた中川重春は当時、23歳。事業欲溢れる中川青年は、火力発電を選び、船川電気の設立を思い立った。ところがなかなか思うようにいかず、窮状を大隈総理に訴え、頂上作戦で問題解決を図ろうとした。
 早稲田に学んだ重春は、天下も大隈、秋田も坂本知事となり、我が世の春の思いだった。早速、坂本知事の了解を得て、早大出身の井上広居代議士(後秋田市長)に相談した。 そこで、大隈首相に面会を求める口実として、重春を「早稲田大学同窓会秋田支部」の代表に仕立てて、カバ張りのステッキを贈呈するという方法をとることにした。
 これによると、秋田稲門会は大正3年、86年前に設立されていたということになる。
 ともかく、早大出身の重春青年は先輩諸氏から金を出してもらい、ステッキを作ってもらった。ところが無一文の重春は東京までの旅費がない。そこへ新婚間もない妻光代さんが、嫁入りの際に持参した晴れ着を全部タンスから出し、「これを売って旅費を工面してほしい」
 山内一豊の妻ならぬ女房の援助のお陰で、重春は京都の八木別荘で大隈総理と面会できた。重春が恭しくステッキを贈呈した。すると大隈さんは、ステッキをクルクル回しながら「井上広居君は元気かね」と東北旅行の追憶談に及び、尽きることなき雄弁に(とうとう船川電気の件を)陳情する糸口がないまま、引き下がざるを得なかった、とある。』              
『夢とロマンの早稲田人、中川重春は、昭和38年73歳で逝かれた。
中川重春の葬儀には、早大名誉教授、横手市出身の平田富太郎先生からメッセージが届いている。
「先生は男鹿が生んだ一代の英傑。とりわけ船川築港、対岸貿易の開拓振興は圧巻であり、秋田の歴史に不滅の足跡をとどめられた。その行動と実践の礎となっているのは大隈重信の三訓、すなわち理想なきものは滅ぶ、進まざれば退く、あたわざるにあらず、勇なきなりーである。早大の一後輩として先生を深く追慕する」』

というもの。初めてそういったやりとりがあって現在の男鹿があることを知りました。早稲田とのつながりもある、というのは何も考えずに卒業した私でもますますやらなければ、と勝手に変な使命感に溢れ燃えるのでした。それぞれの母校を愛する精神で先人から学び地域を愛し地域を創る、とありましたが理屈では分かってもこれまた現実に感じとって学ぶ事は今の数百倍は勉強と行動が必要です、それゆえもっともっともっともっと真摯に学び真摯に経営に向き合わなければと思うわけです。
…脱線失礼しました。
さて、
裏の中川公園はこの中川重春氏の「中川」ですがいまだに中川邸跡があるのも面白いです、父や祖父からも聞いていた中川邸の話はとても興味深く個人的にはこの市役所の裏の中川公園と山と旧邸宅が観光資源になったら良いな、とも思います。


▲約30年前の船川。

▲拡大したものです。整備される計画段階からあったこの当店の前の三角形地帯。
そして元気な福島肉店の姿も航空写真におさめられております。


▲昭和30年代 の当店前、三角広場 砂地で広く、船川の祭りはここで規模も大きく開かれていたようです。盆踊りや仮装もすごかったみたいです。

▲同じところから現在。上の写真から約50年。

▲祖父 肉屋でありながら交通指導隊に選ばれ夢中だったようでこのような姿です。
三角広場の三角のさきっちょらへん。

▲現在の三角形のさきっちょらへんから元浜町をとらえる。2011年8月10日

▲別の角から 2011年8月10日

▲もひとつ別の角から 2011年 8月10日


▲昭和30年代の当店前から伊藤時計店さん

▲当時のアルバム。昔の写真はたくさんあって、船川の写真も面白いのが結構あります。

▲50年前の現在の男鹿市役所に位置していた船川第一小学校。

鉄道の記録もたくさんあります。祖父は鉄道好きで国鉄関係者としても様々な記念イベントで招待されていたようです。
以下 男鹿のものをメインに。

▲SL運転席から見る男鹿駅到着シーン 昭和30年代。

▲男鹿駅停留中のSL。立派ですね。

▲築港が進んでいる様子も少し見えます。

▲ 今の子供達が生まれた頃には既に存在していたローソンも 花火会場も みなと病院も 文化会館も プライウッドも まだ何も無い頃の船川港、すがた青果さんの手前あたりからの撮影です。

▲ TOP 男鹿駅からすぐでた泉台付近より。

▲展望台が立つ前の寒風山も見える 羽立踏切より。

▲八郎潟干拓前の貴重なSL船越~天王の橋をわたる。
男鹿線、SL、特急電車、新幹線の写真もたっぷりあります(笑)
鉄道や乗り物好きな血があるのを感じます。

「わたしたちの男鹿」という小学生中学年で配られた教科書からも
船川の歴史を学べます。
築港以前のルーツを探ると脇本城、安東氏、菅江真澄の道へ入ります。
非常に面白いです。
三角形地帯はどうしてできたのか、故意に作ったのか、はみ出しものなのか、
この謎も解いていきたいです。
現在の状況(客観的数字のデータ、例えば高齢化率30%以上の超少子高齢化+過疎化+様々な好ましくない事例)をもとにどうのこうの、と考える事も多々あるのですがこれはまた後ほどアップしたいと思います。
いずれにしても 「笑い」 があれば良いと思います。
笑う港には福きたる!

船川築港100周年  1

2011-08-10 07:18:06 | 船川 今昔
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

私達の住む船川が築港されて今年で100年 
※ちなみに「開港」は昭和5年、西暦1930年なので
今年で81年目、「築港」されたのが100年です。間違った表記も多々ありますのでご注意ください。

100周年記念事業として、様々なイベントが展開されております。例えば4月30日にはドキュメンタリー映画「里湖~八郎潟物語~」が男鹿市民文化会館で放映され(11月大潟村でも予定されております。)、他ブッダ、また船川丸の一般航海、ブルジョワ客船飛鳥Ⅱの一般船内見学会、今月は帆船「日本丸」や北前船「みちのく丸」の寄港などがあります。

男鹿の様々な事業者の方がイベントに合わせ出店し少しにぎやかな船川となっております。
夜は帆船がトンネルを越えると綺麗に見えて、何事かと寄港した夜早速見てきました。

日中の帆を広げた日本丸の姿は素晴らしいものでしたが

夜もまたいとをかし。
さて船川の歴史はとても面白いです。
そもそもどうしてこの地が港町として栄えたのか、
3月11日 美女のお寺の住職さんから船川の歴史を学んでいた最中でしたので自主授業再開です。
船川は男鹿半島のつけねの南西に位置し、その地形的条件から波浪が少なく、古くから天然の良港、「風待ち港」「避難港」として利用されていました。
明治40年から本格的な測量調査が始まり、明治43年に港湾調査会により第2種重要港湾に指定され、明治44年から本格的な築港が開始されました。

昭和5年(1930年)に5千トン岸壁が完成し、外国貿易港の第一歩を踏み出し、
昭和26年(1951年)には港湾法の制定により重要港湾に指定されました。
昭和57年(1982年)には石油国家備蓄基地の立地が決定し、国家エネルギー備蓄基地として現在に至っています。
どのように築港されたのか、興味深い資料が現在文化会館に資料展示されております。

図書館でも船川の歴史に関してはたくさん資料があり確認できますが、入ってすぐある大きな建設図面は、
そうそうお目にかかれません。すごいです!!このようなものは初めて拝見しました。
その当時の図面に現在の船川の地形が赤いラインで示されております。
地味ですが アート でもある、非常に価値の高いものです。

その様子や
現在のお店があった場所がなぜ元浜町なのか
三角形の広場のうつりかわり等、祖父や祖祖父の撮った写真も交え
次のブログに続きます。

夕陽を見る会 から少年の日を回想 戸賀 

2011-08-06 18:10:10 | 男鹿
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

先日某海の国の社長さんのおうちで茄子Pelpleが集まって海の幸、山の幸、福島肉店の幸を楽しんで頂きました。
場所は スタッフがこよなく愛する戸賀湾の真ん中。


美しい沈む夕陽を見ながら お肉を皆で楽しみました。

本当に美しい夕陽でございました。

朝もやの海も お昼の青く輝く海も 岩と遊び波しぶきをあげる荒々しい海も 美しく
真夜中の満点の星空の中で流れる星を見ながら聞こえてくる波の音も さっいこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーです。
八望台からの眺めがまたさっいこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーです。


そうして少年の日を回想すると …
戸賀は母の地。
この時期は
早朝、ラジオ体操をした後スイカを食べてすぐさま泳ぎ
飽きたら、兄弟、従兄で二の目潟の丘へ上がったり、将棋をしたり
お腹がすいたらトウキビを食べ
また泳ぎ、疲れたら
横になって甲子園を見て、午後は魚や貝をとりにいって、夜はお刺身を食べ、花火をあげて
宿題はやらないでテレビを見て寝る、と。


子供の頃のようにそうしたいと思う今日この頃、
海に呼ばれてますねー、でも山にも呼ばれてるし、実は湖にも、畑や田んぼ、森にも呼ばれてるので
なんだか自然にモテモテで幸せです。

いやー戸賀って本当に最高ですね。 


高性寺jazz impression

2011-08-06 17:28:17 | イベント
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

http://jazzimpression.main.jp/
明日 コロッケ・唐揚げ ふくちゃんステーキ、他
ご用意します。
五城目の皆様、いらっしゃる皆様、是非お立ち寄り下さい!

スタッフの皆様、よろしくお願いします。

風船トーク Vol.2 感じる前に分かろうとしていたから分からない事だらけになってしまったんです。

2011-08-04 00:06:34 | イベント
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

7月31日 カフェラテさん(土崎港、セリオン向かい)で
8nos!主催の
風船トーク in あきた Vol2がありました。
アサザ基金の飯島博先生
地元の若手3名(佐藤徳太郎商店 佐藤進幸さん、佐藤食品 佐藤賢一さん、福島肉店 僕。)がゲストで
今回は『言葉にはならない心の中のもやもやとの対話』を通して、わたしたちの中に眠っているイメージから、
これからの秋田の物語を紡いでいこう、というもので
『イベントを企画したcasane・tsumuguの田宮麻友美さんは「地域を考えるとき、他人に否定されることを恐れずに自由に発言することが大切」とし、「トークを通じて、私たちの心の中にあるもやもやとしたイメージから、これからの秋田の物語を生み出すことができれば」と参加を呼び掛ける。』  とイベント前、秋田経済新聞でも掲載されておりました。
正直、私の頭の中は大変危険な事ばかりで自由な発言はもやもやをもっともやもやにするのでは、という恐れもありました。
しかし、
参加してどういうことかが分かりました!!
 
アサザ基金の飯島博先生のお話は衝撃続きの最近の中でもすごく大きな一つでした。
もやもやの正体がわからなくても、OK。
その感覚を忘れずに、脇に追いやらずに、
ひとときでもいいから、向き合ってみて、
思い付いたままの言葉がふわふわ浮かぶ風船トークの『対話』の場から、
わくわくする秋田や自分を生み出しませんか?と………じわじわと
もやもやした自分を認める事ができた瞬間でもありました。

「感じる前に、分かろうとするから、分からないんだ」
に集約されております、まさに自分がそうだから飯島先生のお話は燃える要素たっぷりと同時に凹む部分もたくさんありました。

「あなたのお勉強してきたこととか、さまざまな引き出しも、でてきたものに与える答えや型にはめる輪っかにしかなってないんじゃないの?そういう理論とかの積み重ねはただの積み木で、何かあると簡単に崩れてしまうよ?」と言われているような…おそろしい問いですが、先生のお話からものの見方が変わりさらに自分の弱点や欠点にも気が付かせて頂きました。
以下抜粋させて頂きますが、当てはまる部分が多いにありました、おそろしやー。
「現代人は対象物の部分や要素を分析し、それらを寄せ集め再構成しながら、何ものであるかを理解しようとする。しかし、いくらこれをやっても相手を部分的にしか理解できない。類型化やタイプ分けはできるが、相手を丸ごと理解はできない。相手をタイプ分けして理解したつもりでも、結局相手を適当な枠組みで固定する事、つまり無理やりに相手の動きを止めて、ある部分で評価しているに過ぎない。丸ごと理解する とは、生きて動いて常に変化し続ける生身の相手をそのまま全部理解しようとすることだ。現代人は、そのような丸ごとを理解したいという意欲を失っている。」

答えばかり求めていた最近の私にとって
飯島先生はある意味答えを示してくれた部分もあるのですが
「まるごと理解の真意」は 答えなんてないよ、という答えかもしれないと思ったわけでございます。自然風土そのものを受け入れ成り立っていた和の精神のお話は
今までの何かが繋がった、とかではなく 本来あったはずの当たり前のはずの「新しい」合点のいく話で純粋にスーッと入ってきました。

私のモヤモヤは 経済発展の裏にある悲劇や 成長すればするほど何か犠牲になってしまう矛盾、ドラッカーの経営哲学がモヤモヤをモヤモヤにする竜のエサのように
持続可能な社会、本来の循環型社会に相反する世の動きが、そもそも自分のやろうとしていることだったりさらに分からなくしているのではないかと。
県立大教授でありNPO法人 地産地消を進める会代表の谷口先生の
坂の下の桃源郷 はバイブル的愛読書ですが、いくら読んでも、考えをもってしても、行動しなければ何ら意味を成さない、というわけですね
その前にまず感じたのか?と。感じていないのに、背伸びして、分かったように頭でかちになった上にたくさん詰め込もうとするから、ジェンガの上にジェンガ二乗だわ、
この自問自答をブログに書くという事はすごい水浸し状態でございますな。ええ。
でも大丈夫です、この認識が最も本当の希望に近づいたからです。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、毒!なんですかね。10年以上も前の曲ですが、ふと思い出し、歌った時と同じ歳くらいになり少し理解できたかな、と思うもののポイズンか、ま、いっか。イーストエンドプラスユリ。布袋さんのポイズンにしよう、そりゃもっとマズイ。
しかし、同じような考えを持った方が数多くいる事も再認識しました。
潟上の佐藤進幸さん、佐藤賢一さん、は中小企業家同友会の今年度の経営指針を創る会受講生でもあり
共に男鹿南秋エリアで八郎湖や「自然」に対して想いが強く皆4代目という立場。
草木谷を守る会の皆さん、茄子地人協会の皆さん、他様々なところからのご参加があり参加者全員で自由に話し合いました。
この日
それぞれのお店の商品の試食・試飲もあり私どもは滝の頭クレソンを使用した冷製スープをご用意しました。
カフェラテスタッフの皆さん、いつもありがとうございます!!
様々なご意見を頂き、やはり販売はさらに延ばしさらに改良することとしました。
佐藤さん、お二人のつくだ煮、徳太郎商店さん定番のカリン子(わかさぎ)
              賢一さん 白魚の唐揚げ 岩ノリとエゴマ油
             美味しかったですー!たくさんあるつくだ煮屋さん、それぞれにストーリーがあり色もまたそれぞれ、似ているようで全然違います。お二人のお話を聞くとそのつくだ煮にかける想いに圧倒されます、熱いです、故に私もまた燃えます。
casane・tsumuguの田宮さんお二人がますます「人という資源」までもつなぎつむいでいく事の大きさ、に感謝と感激、まさに今後消費者と生産者という構図の中に最も必要とされる役割を担ったお仕事をされていると思います。
改めて準備を進めて来られた田宮さん、太田さん、8NOS!スタッフの皆様、カフェラテさんの皆さん、どうもありがとうございました!
ウナギや河童や竜などの動く線のメタファー達が動き、人々の心を動かし、丸ごとの湖を私達に取り戻してくれる日がくるだろう、という希望のもてる飯島先生の言葉で終わります。

戸越銀座コロッケの旅から~ファイナル。フクシマのコロッケ。

2011-08-03 22:39:17 | コロッケ
こんにちは、コロッケの福島肉店です。


私どもの「フクシマのコロッケ」
も実は立正大学の学生さんはじめ関係者の方に試食して頂きました。
色んなご意見を頂き色々考えました。

お店を継承する上で深く掘り下げないと。
頑張りたいと思います。

コロッケのイベントとしてお知らせ。
後ほど改めてお知らせしますが
21日のオーガニックフェスタに参加致します。
今後もできる限り美味しさと安全性を追求し、安心してもらえるよう
かつ、社会的には持続可能な循環型社会が築けるよう
オーガニック仲間と共に良い土づくりを念頭に、こういう素敵な考え方もあるんですーといったことを広めていきたいと思います。

戸越銀座コロッケの旅 後編

2011-08-03 20:54:39 | ふらり旅
こんにちは、コロッケ・ハンバーグのグルメストアフクシマです。

前編からの続きですが
友人と食べ歩いたお店は合計10店舗。
総合的に
印象に残ったお店とコストパフォーマンスも良く美味しかったお店を簡単に3店舗アップします。


①かたばみさん お肉屋さん お店前に腰かけるスペースもあります。


友人。

渙さん 居酒屋さんです。ビートルズが聞こえてくるお店。

ご主人
オープン10分前にお願いしても快く揚げたてをご用意して頂きました。ちなみにこの後メディア取材もあったようです。

梅コロッケ うす衣でしそと梅の風味がすごく良く芋とあっておりました。まわった中では一番好きです。


陶花さん フォアグラコロッケ 

この頃にはすっかり暗くなり フラッシュ撮影…わかりにくくすみませぬ。ソースは自家製デミグラス。

ふれんどN。

インパクトがあったり面白い発想のコロッケがたくさんありました。
10店舗もまわると非常にお腹いっぱいになりましたが、満足感MAX。
戸越銀座のコロッケ特集を以前テレビで(ナンちゃんがでてるの)見た事があるのですが
カニクリームコロッケの洋食屋さんなど、他にもまわってみたいところがたくさんあります。
戸越銀座は創業地の武蔵小山の隣です。また創業の地を歩く際に戸越銀座もよりたいと思います。