グルメストアフクシマのブログ

男鹿にある大正七年創業の
お肉とお惣菜のお店グルメストアフクシマ
(有)福島肉店スタッフのブログです。

SLおが 47年ぶりに男鹿線をSLが走る!②2代目福島基良のSL写真展と昔の写真

2019-10-18 11:43:03 | 男鹿

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

SLおが の記事の続編です。

祖父(2代目福島基良)の写真が今回の企画のホームページや旧男鹿駅でSL写真展として展示されているという旨を前回書きましたが、

JRさんともやりとりする中で、改めて知った事も結構ありました。

以前も昔の事に触れる際、何度か小出しにしてきた昔の写真、

改めてこちらのブログ記事で、祖父の撮った昭和30年代のSLの写真(男鹿ー秋田のものに限る)

をご紹介したいと思います。

▼まずは、ホームページやチラシの見出しにもなった、C11の入る船川駅(男鹿駅)構内の写真です。昭和30年5月の撮影です。

 

▼JRさんのページより

タンク型が10両を引っ張ってたのかー!と改めて思ったのですが、テンダーかどうかは、馬力もあるとは思いますが問題は距離なんですね。船川駅構内に貯炭場(石炭置き場)もあったので、距離としても秋田往復は問題無かったんだろうなーと推測。今の新男鹿駅はこの写真でいう奥にあるわけですが、旧男鹿駅舎の輪郭もこの時から変わってませんね。

残しておいてほしい昭和のかほり、国鉄のかほりのする建物の一つ。

▼羽立駅を出てトンネルの方へ向かう 昭和40年代 気動車 ディーゼル 昭和30年代には船川線にもディーゼル車が登場。後述しますが、昭和37年にディーゼル機関車DD51の1号機がここを走ります。

▼下新城 昭和30年 同じく男鹿線 C11 244 10両編成 ちなみにC11 242 の写真もちらちらでてきます

▼脇本 昭和31年 バックに寒風山

▼D60 貨物用テンダー 土崎工場から秋田 昭和30年~昭和31年頃

D50の改造 ナンバーから浜松とわかる。土崎工場でも同じようにD60がD50からつくられてました。

▼C51 昭和36年頃 手前二人は、3代目福島基秋と幼馴染の森山しんじさん(妻寛子の叔父にあたる)

しんじさんもまさか姪っ子と幼馴染の子が結婚するなんて予想できなかったでしょうに。。

ちなみに僕は幼少時、森山歯医者さんで大泣きの連日だったそうな(笑)

C57 シゴナナや貴婦人の愛称も テンダー(炭水車)にかかる屋根の具合いいなー。

▼C57 昭和32年 下新城

▼C11 昭和32年 現在の男鹿なびさんの裏手の高い部分から

 

男鹿駅構内 昭和 32年6月 船川駅構内

▼「船川駅の海側のスペース 「しかく」と呼ばれていてみんなここで遊んだり、運動会も行われたそうな。

奥に現在の漁港や備蓄基地の方の築港が進む様子も見える。

▼おなじく「しかく」 こちらは寒風山がバックで海沿いの道路がまだなくてみんな茶臼峠を通って脇本に出ていた時代

この堤防で釣りをしていた方もたくさんいたそうな。写真の手前側に石炭置き場があった。貯炭場ですね。

▼前回にも登場、祖父が所有していたこちらの古地図。現在以前駅長だった方が男鹿市に寄贈したという事で、

市の資料としてもよく出てきております。

この古地図をトリミングし拡大してみると、「しかく」のはじ、船入場の堤防側に「貯炭場」とあります。

▼そして、この貯炭場どんな感じだったのかを見つけました!船川港港湾事務所から 発見された築港当時の貴重な写真 土木学会さんのページより閲覧ダウンロード可能です。写真真ん中あたりの盛り上がったところが貯炭場ですね。

▼さらに拡大する

貯炭場の防波堤がそのまま第一船入場の防波堤と伸びていますが、それらの写真も見つけましたのでこれものせます。

▲父の友人

道の駅男鹿 オガーレの建設で、駐車場を作る際に一度は埋められたこの堤防が顔をだしました。現在確認できます。

駐車場と海側の道路の間にあり、最初でてきた時はそうとう興奮しちゃいました(笑)

▼この防波堤から撮った写真で、当時は遊覧船も運行していたんですね。おばこ丸!

オガーレの駐車場になっている部分の写真ですが、おばこ丸の位置が、駐車場の入り口くらいかな。

 

これくらいにしておきますが、土木協会のページにいくとこの第一船入場ができるまでの様子や漁協の様子、

防波堤の記録も確認できます。

▼当時の地形図も参考にのせておきます。 5万分の1

 作成したのは当時の大日本帝國陸地測量部で、極秘、秘 という文字が入っていたり扱いも一部のみだったそうな。明治20年代から昭和10年頃に作成されているという事ですが、築港の進み具合から判断するに、昭和5年以降と推測できます。今は自由にダウンロードできます。スタンフォード大学のブラナー地球科学図書館を中心に地図の調査やスキャニングが進められているそうです。スタンフォード大学 日本地図 とか古地図 で検索するとでてきます。

地図を眺めながら…最も大きな違いはやはり八郎潟がまだ干拓される前なわけで、大潟村も存在しない時代。なんとも不思議。琵琶湖に次ぐ大きさの八郎潟、どんな景観だったんでしょ!
シーサイドロード(と呼ぶ人はほぼいないけど現在メインの船川ー脇本を結ぶ道)もまだないので、茶臼を越える船川街道がメインロード。

▼男鹿線(当時は船川線ですね。)のマップも当時のものを見つけました!

地名、廃線、また存在しないライン、変わらぬ部分、様々面白いですよね。

話の脱線ついでに、男鹿駅の今昔の比較したものも▼

 

▼八郎潟鉄橋と呼ばれていた大潟村の干拓が始まる前 正式名は八郎川橋梁

 船川駅より港側に船川港駅があり、石油等を運ぶ貨物車が船川港駅まで運ばれていました。

男鹿線の写真の定番スポットにもなっているこちらの鉄橋

今は船越鉄橋と呼ばれていますが、現在の橋とこの当時の橋とで異なる点が多くあります。

まず、位置。高さ。つくり。…へーそうなんだ、という方と、なんだってー!!!マジかーーーー!!!となる方と分かれると思いますが、僕みたいな後者の方必見な貴重な記録も祖父は残していました。

何のことかというと、鉄橋の新旧切り替え工事や、試運転、式典の様子です。

▲雪ののった寒風山…冬~春の時期だったんですかね。まだ展望台も無い時代。

左のが新 右が旧。

▼天王側 自性院さんも今と変わらない輪郭で確認できます。

この鉄橋の工事の記録写真だけでも結構な枚数があります。
両脇には船越駅と天王駅がありますが、船越駅を出て天王側にレールは緩く右にカーブし、鉄橋に入るあたりで微妙に左に曲がっているのは、この旧新切り替えの名残ですな。

道路と線路の間にも三角地帯になって余っているようにみえるスペースも確認できます。


昭和30年代に入って八郎潟の干拓工事が始まり、これまで漁等で行き来していた小船では問題なかったのですが、工事の船を通すには難しく、現在の橋に架け替える事になったそうです。完成は昭和38年(1963年)

八郎潟の干拓工事が本格化する年とも重なります。この架け替えと大潟村も切り離せない話なんですなぁ。

ちなみに新しい鉄橋は、エレベーター式に橋が上昇し、高さのある船も通していたようです。

 

面白いのは、ここに写っている鉄道関係者、工事関係者の孫達が知り合いだったり友人だったり世代を越えてご縁もあるということ。

 

さて、話はSLに戻りまして

前述した「貴婦人」や「シゴナナ」の愛称があった C57

デゴイチ こと D51様

▼昭和32年 追分駅構内

 ▼当時の「昔」のSL 博覧会

▼最後に 船川駅構内 出だしの写真と同じタイミング 角度が少し違うC11の一枚

 

ありがとうSL!

試運転からの一週間余り、新たに教わった事も多々あり、改めて調べて学んだこともあり、濃厚な時間で楽しかったです!

②の次に保量川と海を結ぶ泉台の橋のとこの話 と予告しておりましたが、

今回はDLおがでもありましたので、次の記事でディーゼル機関車や昭和天皇陛下のいらした際のお召列車、特急つばさと特急白鳥の秋田駅同時発車の様子ものせておこうと思います。

 

以上 2代目 福島基良 の昭和30年代の写真と 付随する資料でした。


SLおが 47年ぶりに男鹿線をSLが走る①

2019-10-14 14:51:32 | 男鹿

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

この一週間はいてもたっても大塩平八郎…ではなくて、

ずっとSLの事で、運転する日の出発時間近くになるとソワソワしていたのでした。

伝統芸能の祭典「新・秋田の行事 in 男鹿 2019」の開催にあわせて,

JRさんの方も、今年2019(令和元)年10月12日(土)・13日(日)の2日間,“SLおが”・“DLおが”の運行をする、

という事で発表していたわけですが、チケットの販売開始と同時にほぼ完売とな。

やはり全国からSLファンが集まるわけですよね、我が家も開始時刻を狙って申し込んだのですが、

残念ながら購入できませんでした泣 

さて、今回のSLの運行に合わせ、当時のSLの写真の展示の依頼もJRさんからあり、僕の祖父(お店でいうと

2代目の福島基良)の撮影した昭和30年代の男鹿線、沿線のSLの展示を試運転くらいの期間から

旧男鹿駅でやっておりました~♪

▲試運転 初日 お店をぬけSLの撮影にくる社長 3代目福島基秋 とそれを撮る福島智哉 と

手前にうつるのが、2代目福島基良の撮影した写真

▼長年駅長室に飾られていた写真も。

試運転の初日10月5日、DLが先頭で男鹿に入った事をききつけた社長は、お店が落ち着いてた、という事もありますが、慌てたぐらいにして撮影しにいきました笑

父も祖父に色んな所に連れて行ってもらったり、鉄道関係では様々な特急や新幹線の処女運行の式典に参加したり、車両にのったり、テープカットをしたり、工事中の青函トンネルの視察や完成式の参加、と結構貴重な経験をしているようです。

旧男鹿駅の管理人の(館長さん?)夏井さんがまたすごいです!

どんどんグレードアップする展示の内容にも驚きです。旧男鹿駅舎、旧羽立駅舎、旧脇本駅舎も、今回のDLSLの車両のプラレールも♪

さて、出発の時間になると多くの方が出発の様子を見に旧男鹿駅の駐車場のスペースに集まっておりました。

▲この写真は、10月9日水曜日の試運転の時のもの。

出発時刻の14時45分 いつもは休憩時間にはまだ入れないくらいの時間帯。

なんとかやるものを先倒しで、余裕をつくりお店を出ます!5日の日は、42分にお店を出て、出発する様子は見られずも、いつも男鹿線を撮っている文化会館の方へ!

到着した時はまだ、視界に写らずも、汽笛の音が聞こえてきたところでした!

そうして、撮影したものが、この動画でした▼

 

一番最初の興奮と感動は、言葉では言い表せない、色んなのが一気にきた感じでした!

気が付いたら自然と涙腺崩壊でした。
何故だろう。
かっこ良すぎるのと迫力あったのもあるけど、
かつてここを走っていた記録や写真を熱心に調べていた経緯もあったからでしょうか。
亡くなった祖父が教えてくれた国鉄時代のあれこれ、
両親やお義母さんはじめ地域の方々のSLエピソードも一気に思い出しちゃったりしたのもあって(トンネル入る時の話とか、10両編成ですごかったとか、)
自然と目頭が熱くなってしまったのでした。本当は号泣(笑)
圧巻の迫力と男鹿線として走っている事に本当感動しましたばい!

かつてSLが走っていた頃の撮影ポイントは海でした。
▼上の写真の手前にみえる石は当時のままの堤防。


▼大正時代中期の定番の古地図 上の写真の時代は築港初期のこんな感じだったと思います。

古地図の右端あたりは今の路線の位置と道の感じからみて、丁度消防署と男鹿なびさんのある位置と推測。

 海上を走るSLのようにも見えますが、実際どのような感じだったかも、今回色々つながりまして

別の記事で詳しく書きたいと思います。

 

さて、その翌週も連日ちょこちょこ撮影。
遠くでも聞こえてくる汽笛、遠くでも居場所がわかる黒い煙にワクワク…

▼10月9日の試運転 脇本

 

日に日にギャラリーや写真撮影する方も増え、自然と泣けるのは通り越して、汽笛に拍手をしたり通り過ぎた後、目をぬぐったり完動して泣いているじっちゃんばっちゃんを見てもらい泣き。

船川から船越の間の数か所で連日写真や動画を撮っていたのですが、

SL運行と通り過ぎた後のタイミングの旧道は一気に渋滞。
どの場所に行っても60代以上の方々は思い出話をけっこうされていて、その話す内容が聞こえてくるのですが、とても面白かったのでした。
トンネルに入る際に窓閉めずワイシャツ真っ黒なったとか

女性も同じ経験ある方は脇本からまた船川駅行きに乗り自宅に戻り着替え直したとかの話は少なくないようで。
石炭置き場で遊んでで機関士にぶんなぐらいでごしゃがいだで ていうオヤジさんも笑
通った後の煙の匂いや色んなクサイ記憶等公害にリンクするネガティヴなのも。
窓を閉める係とか当番があったとかいうおばちゃんも。
いいとこどりのノスタルジー という方の言葉もよくわかる…
ですが、僕と亡くなった祖父を今最もつなぐこのSLの運行に、僕は何もせず無関係ではいられない。
そういうわけで、当時は日常だった風景を、祖父はどんな想いで写真を撮っていたのか想いを馳せ、同アングルも探りながら船川〜船越の往復の日々。
▼船越鉄橋

 

10月10日は最も天気が良く試乗会も最高だったと思います。…が、この日はお店から数分しか離れられず、

男鹿駅近くで撮影。泉台。消防署の裏あたり。

 

 

本番の12日は台風が近づき雨 そして13日は残念ながら中止と発表され

息子とゆっくり見たいと思っていたのでけっこうがっくし。。

脇本の稲穂とすすきと寒風山が見えるところで撮りたかったのでしたが…

▼本来はここ。でもやっぱり愛しき男鹿線。ディーゼルカーはディーゼルカーでかっこいい!

 

それぞれ、雨の日も風の強い日も、細かい部分もまとめた動画▼

 

 僕の撮ったものはどれもIpadminiによるもので、ぶれる事も多く見にくいと思いますが、

同じようにこの期間の記録を動画にあげている方のものを見て、場所の選定やアングル、計算しつくされたタイミング、

とても美しくまとまってた方のものもリンクします▼

 

②SLおが 旧男鹿駅での福島基良の昭和30年代の写真展示 の記事 ③海上を走るSL の研究 に続きます。


ブログのテンプレート変更しましたー!

2019-10-03 11:52:00 | お知らせ

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

ブログでご案内している、カレンダーが小さくて見にくいよ、とご指摘頂き、

取り急ぎ、大きく見えるブログのテンプレートに変えました(^^♪

ご指摘頂いたお客様、どうもありがとうございます!

カレンダーに関しては、今後写真で撮ったものを貼ろうか、

PDFでネットでも開けるようにしようか、考えております。

もっと見やすくなるよう工夫したいと思います(^^♪

 


自動ドアを手動ドアに変えました。

2019-10-03 10:16:23 | お知らせ

こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。

当店の自動ドア、故障が続いていて、手動ドアに切り替えました!

手動ドアになったんだね~、と話をしながら、出る時に取ってのところを押したり、あれ、開かない!、

あえ~今手動だって話してたばっかりだでね~

という方も結構いらっしゃったり面白いです。いや、面白いでいいわけじゃないですが。。

そして、手動になったんだもなーとドアを開けた後、

そのまま全開でお帰りになる方も多く…(^^; でもこれいつもいらしている方々に多く、長年の習慣だからこそ、を考えると改めていつもいらして頂いている事に感謝の時なのです!…こちらで閉めますが。

出た瞬間にもう次の事とか、夕食の事を考えるいつものルーティンに入るのではないかなーと推測しております。

 

自動ドアを廃止したことのお知らせでした。これもまだとりあえずの形で自動ドアだった名残がありますが、

ゆくゆくは秋田の木のつくりで、ドアだけじゃなく店舗自体もっと自然な感じにしたいと思っています。


2019年10月の営業のお知らせ 消費税率引き上げ伴う価格の変更と軽減税率による価格の表示の変更のお知らせ プレミアム付き商品券

2019-10-01 16:32:15 | 営業のお知らせ
 
こんにちは♪グルメストアフクシマの福島智哉です!
 

9月中旬から、かぼちゃコロッケが販売スタート♪お弁当の方も秋のメニューに変更しながら、新メニューも出ております。

9月14日のアースデイでは初めてフードパックやレジ袋を持参せず 笹の葉や桜の葉でコロッケを包みました。

みんなで地球に寄り添う愛のあふれるイベントでした、後程レポを。

10月1日は、レジも経理のデータの入力の方もあれこれ問題がみつかり朝はバタバタしました。
レジ屋さんの担当の方はこれまでに無い大人気で早朝から電話がやまずあちこちひっぱりだこでまいってらっす。と(笑)
当店は食料品の扱いは軽減税率対象で税率は8%のままですが、
営業における様々なコストがあがる事を考え、固定費の棚卸をしっかりやってみることに。そして、ABC分析でいうCにも着目し、これらから再度価格を見直そうと進めておりました。
もっとお客様に手に取ってもらいやすくしたい、と思う自家製加工品等はこれまでよりも価格を下げ、
基本的なお惣菜は実質若干あがる形に。
表示はこれまで税込み価格でしたが、税別価格が大きい表示になりますので、安くなったようにも見えるかもしれませんが、
しっかり税込み表示ももうけ、わかるようにいたします。
…と実は、10月1日から変えようと思っていたのですが、準備が想像以上に時間がかかり、無理なく少しずつ価格の方は切り替えていきたいと思います。よろしくお願いします。
 
さて、営業のお知らせですが、
28月29火はお休みします。
14日 22日 の祝日は営業します。
12日は「新秋田の行事」が船川で行われるのですが
ひのめ商店もこの日にオープンです。この新秋田の行事のブース(オガルベ~秋田海陸さん事務所あたり)が、ひのめ市として、という事で、ひのめ商店としてですが、こっちの方に出店という形になり
当店もひのめ商店の枠で出店します。
当日は通行止めになるところが多く交通規制も複雑に入るため、男鹿市役所前の道路を通る形でいらして頂くのが、当店のご来店はスムーズです。
23日の水曜日は
若美公民館にてコロッケ作り教室ということで当店が担当でWSを行います。
11月3日の化世沢食堂は
コロッケへの道presentsコロッケ食堂…こちらもコロッケへの道のページで後日 詳細を投稿します^_^
 プレミアム付き商品券 もスタートしましたね。当店も対象ですよー。どうぞ、ご利用ください(^^♪
 
9月の中頃、なんも大学の取材があり、とりあげて頂きました~♪
フクシマのコロッケに特化した内容で丁寧にまとめて頂きました!(矢吹さん)
写真も普段の感じの隙がありまくる、ありのままを綺麗に撮って頂きました~。(オジモンカメラ 高橋希さん)
話していながら、今になって思い出す事も結構あったり。
「コロッケ」によって頂いたご縁もいっぱい、改めまして本当に皆様いつもありがとうございます(^^♪