こんにちは、グルメストアフクシマの福島智哉です。
道の駅男鹿 オガーレ(複合観光施設)のオープン、間もなくですね~♪…はぃ?ですよね、すみません(笑)
この出だしの下書きから5カ月、既にオガーレはオープンしその事についても書きたい事はありますが、
ますはこの記事の下書きも今更ですが完成、投稿します。
FBに年が明けたくらいに書いたのですが、
道の駅の駐車場の部分の整備が進む中で衝撃の発見がありました!
…埋まっていた防波堤が現れたのでございます!係船柱(ボラード)と、男鹿石の並ぶ様子(間知石(けんちいし)積み工法)が確認できますね!おーーーーってなりましたよ!
いやー本当興奮しました!
そしてもしかしたら、祖父が昔撮った写真の中に防波堤が確認できるものはないかなーと探したところ、出てきました♪
60年くらい前に撮ったこの防波堤やオガーレが建設された部分(海とその一帯)の写真も見つけて本当興奮しました!
僕は以下、これらの写真を見るまで知らなかったのですが、
船川発着の遊覧船が(オガーレの入り口くらいの道路わきに位置する所から)
昔は出ていたのですね。
▼おばこ丸
現在(オガーレ建設中・道路工事中の3月頃)との比較
そしてさらに興奮したのが、おばこ丸就航に関して 記録ではなく、人から直接情報を得られた事です。
それは、ひのめ市が行われた7月22日から一週間行われた
ふなかわなつかし写真展 (地域おこし協力隊の松野さん企画・主催)にて。
栄町 清水文具さんで。
この写真展、もっと告知してたら良かっただろ!という声もありましたが、
口こみでじわじわ話題を呼び、地元の方々がなつかしい写真をどんどん持って来てくれて展示が増えていく、という面白い現象が。
そして、なんと、おばこ丸をだしていた船長さんの息子さんがいらっしゃってあれこれお話を伺える機会もあったのでした!
おばこ丸の写真はうちからだしていたのですが、話題にあがり、喜んで頂いたようです(^^♪
その息子さんというのは、現芦沢町内会の副会長さんで、おばこ丸の船長さんはお父様だったんですね。
多くの地元の人がこれを機に知った事もあったようです。久々の再会もここであったり、
つながりができたり、ここでの交流も楽しく盛り上がったようでした。
これまで見たことも無い写真が数点、自分の中で謎だった事が、地元の方々との交流を通し
結構明らかになりました!
その発見も興奮だったけど、交流そのものが楽しくの期間でした!
噂には聞いていたけど、初めて見てこれか!てなったのが、
ソースかつ丼が美味しくて有名だったたのし食堂さんの写真、
昭和天皇陛下男鹿駅到着時に突風で帽子が飛ばされる一枚
元浜町がまだ浜でハタハタ漁で賑わっていた写真の細かい部分まで確認できる原版(?)、
船川美人なる紹介のある冊子、
(一杉堂さんより▲)
さて、ここからは、参考までにという情報の羅列ですが、
まずは、
▼毎度おなじみの古地図。第一防波堤、しっかりのってますね♪
鉄道友の会寄贈とありますが、実はもともとうちの祖父が持っていたもので、巡り巡って以前男鹿駅長をしていた方(同じく同会員)から市に流れたわけでございます。
▼築港はじめの頃 埋め立てのこの段階で既に築かれていたことがわかりますが、(左上)
正式な記録としては第一船入場は大正3年(1914年)に完成した防波堤とあります。
▼築港事務所(今の魁新報社さんの男鹿支局に位置)と奥に第一船入場防波堤
(市より)
▼地図
▼航空写真(昭和40年前後)
現在の市役所に位置していた旧船川第一小学校の校舎も確認できます。
(男鹿なびさんより)
▼旧男鹿教会のあった高台から 1920年ころ
▼中川氏寄贈写真 市から 現在でいうとオガルベからオガーレの方向
▼現在のオガーレのところ2
▼ちなみにオガルベのところ、昔は中川氏の会社の事務所でした。駅方向。
この流れで書きたいのが、
中川邸からみた写真と昔の写真の比較、古地図を照らし合わせて分かった事、
海に浮かぶ線路は実際どんな感じだったのか地元の方に確認して分かった事など。
また、「しかく」といわれていた広場、保量川の海へ抜ける部分の写真もわかるものがでてきたのですが、
盛沢山なので、次の記事でまとめたいと思います(^^♪
追記 おまけ
今はオガーレのはじにうつりました当時の踏切
道の駅男鹿 オガーレ(複合観光施設)のオープン、間もなくですね~♪…はぃ?ですよね、すみません(笑)
この出だしの下書きから5カ月、既にオガーレはオープンしその事についても書きたい事はありますが、
ますはこの記事の下書きも今更ですが完成、投稿します。
FBに年が明けたくらいに書いたのですが、
道の駅の駐車場の部分の整備が進む中で衝撃の発見がありました!
…埋まっていた防波堤が現れたのでございます!係船柱(ボラード)と、男鹿石の並ぶ様子(間知石(けんちいし)積み工法)が確認できますね!おーーーーってなりましたよ!
いやー本当興奮しました!
そしてもしかしたら、祖父が昔撮った写真の中に防波堤が確認できるものはないかなーと探したところ、出てきました♪
60年くらい前に撮ったこの防波堤やオガーレが建設された部分(海とその一帯)の写真も見つけて本当興奮しました!
僕は以下、これらの写真を見るまで知らなかったのですが、
船川発着の遊覧船が(オガーレの入り口くらいの道路わきに位置する所から)
昔は出ていたのですね。
▼おばこ丸
現在(オガーレ建設中・道路工事中の3月頃)との比較
そしてさらに興奮したのが、おばこ丸就航に関して 記録ではなく、人から直接情報を得られた事です。
それは、ひのめ市が行われた7月22日から一週間行われた
ふなかわなつかし写真展 (地域おこし協力隊の松野さん企画・主催)にて。
栄町 清水文具さんで。
この写真展、もっと告知してたら良かっただろ!という声もありましたが、
口こみでじわじわ話題を呼び、地元の方々がなつかしい写真をどんどん持って来てくれて展示が増えていく、という面白い現象が。
そして、なんと、おばこ丸をだしていた船長さんの息子さんがいらっしゃってあれこれお話を伺える機会もあったのでした!
おばこ丸の写真はうちからだしていたのですが、話題にあがり、喜んで頂いたようです(^^♪
その息子さんというのは、現芦沢町内会の副会長さんで、おばこ丸の船長さんはお父様だったんですね。
多くの地元の人がこれを機に知った事もあったようです。久々の再会もここであったり、
つながりができたり、ここでの交流も楽しく盛り上がったようでした。
これまで見たことも無い写真が数点、自分の中で謎だった事が、地元の方々との交流を通し
結構明らかになりました!
その発見も興奮だったけど、交流そのものが楽しくの期間でした!
噂には聞いていたけど、初めて見てこれか!てなったのが、
ソースかつ丼が美味しくて有名だったたのし食堂さんの写真、
昭和天皇陛下男鹿駅到着時に突風で帽子が飛ばされる一枚
元浜町がまだ浜でハタハタ漁で賑わっていた写真の細かい部分まで確認できる原版(?)、
船川美人なる紹介のある冊子、
(一杉堂さんより▲)
さて、ここからは、参考までにという情報の羅列ですが、
まずは、
▼毎度おなじみの古地図。第一防波堤、しっかりのってますね♪
鉄道友の会寄贈とありますが、実はもともとうちの祖父が持っていたもので、巡り巡って以前男鹿駅長をしていた方(同じく同会員)から市に流れたわけでございます。
▼築港はじめの頃 埋め立てのこの段階で既に築かれていたことがわかりますが、(左上)
正式な記録としては第一船入場は大正3年(1914年)に完成した防波堤とあります。
▼築港事務所(今の魁新報社さんの男鹿支局に位置)と奥に第一船入場防波堤
(市より)
▼地図
▼航空写真(昭和40年前後)
現在の市役所に位置していた旧船川第一小学校の校舎も確認できます。
(男鹿なびさんより)
▼旧男鹿教会のあった高台から 1920年ころ
▼中川氏寄贈写真 市から 現在でいうとオガルベからオガーレの方向
▼現在のオガーレのところ2
▼ちなみにオガルベのところ、昔は中川氏の会社の事務所でした。駅方向。
この流れで書きたいのが、
中川邸からみた写真と昔の写真の比較、古地図を照らし合わせて分かった事、
海に浮かぶ線路は実際どんな感じだったのか地元の方に確認して分かった事など。
また、「しかく」といわれていた広場、保量川の海へ抜ける部分の写真もわかるものがでてきたのですが、
盛沢山なので、次の記事でまとめたいと思います(^^♪
追記 おまけ
今はオガーレのはじにうつりました当時の踏切