ruruBの極楽な日々

グルメ、不思議、エンタメに好奇心は全開!
目指せ、もっともっと楽しい毎日♪

保護者会

2009-07-27 23:20:19 | まじめな話
今日は父のケアハウスの保護者会みたいなのがあり、行ってきた。

ケアハウスの館長さん、看護師さん、ケアマネージャー、父の担当の介護士さん二人、それに私の6人で、最近の父の様子のくわしい報告と今後の計画についての話があった。

私は父がこのケアハウスに入所できたことは、大きく見たらとてもよかったと思っている。

色々なケアハウスの実情を聞くことがあるが、父の入所しているケアハウスは、システムといい、施設といい、働いているスタッフの人たちの姿勢といい、とてもよいと思う。

それでも父の今後の生活がこれでベストかどうかと問われたら、それはまた別問題である。

とてもよいとは言っても、こうした介護施設の宿命として人手が十二分に足りているわけではないので、入居者とスタッフの間に必ずしも十分なコミュニケーションが取れていないかもしれない。

それから食事とかは、やっぱりそんなにおいしくなさそうだしね。

体操や歌や書道、お茶会など、施設内でもイベントはあるようだが、もっと父が退屈しないように、先週からヘルパーさんにお願いして週に一度、散歩に連れ出してもらうことにした。

私もできるだけ父のところへ行って、外へ連れ出したり、外食をしに行ったりしたいと思っている。

この日も保護者会の後に父を連れ出して、二人でこっそりアイスを食べてきた(こっそり、っていうのがどうなの?)。

父の電気カミソリがこわれかけているそうなので、父を施設に送ったあと、渋谷のビックカメラに電気カミソリを買いに行くことにした。

電気カミソリだけでなく、実家で使う自分用のノート型のパソコンも買い、実家にはネットがつながっていなかったので、KDDIの光フレッツを申し込んできた。

パソコンは富士通の最新型、15.6インチで9万円台(ほかにポイントが18%つく)。

光フレッツは、プロバイダ代+光電話基本料(NTTの電話番号を変えずに使える)+モデムレンタル代込みで、月4500円。

どちらも安いね。何年か前だったら考えられない。

ノートパソコンなんて倍の値段してたよね。

雨だったので傘をさし、パソコン、電気カミソリを実家へ運んだ。大荷物で死ぬかと思った。

そのまま家へ帰ろうかとも思ったけど、気を振り絞って電気カミソリをケアハウスに届けてから帰った。

善は急げだからね。

でも、こんなことができるのも実家とケアハウスが徒歩数分の距離にあるから。

この近さ、ありがたいことだよね。



さば?

2009-07-04 23:23:39 | まじめな話
6月30日にかかえていた仕事が終わった。

その日の夕食に、さばの味噌煮を作って食べたわけです。私は半切れしか食べず、ダンナは私の3倍の分量を食べた。

なのに私だけが、

まず翌日の1日の夜、コメカミがズキズキするような頭痛がしたのでバファリンを飲んで早めに寝た。

2日は前述のシンクロ地図のリーディングの日だったので普通に行動をしたのだけど、夜になるとふたたび頭痛、それに両足にポツポツしたジンマシンみたいな発疹、食道が細くなって食べたり飲んだりするとき通りが悪い感じ、動悸、軽い悪寒があったので、

3日に昭和医大の消化器内科に行ってきた。

さばと特定されたわけじゃないけどアレルギー症状が出ているということでアレルギーのお薬と胃薬を5日分もらった。それでも治らなかったら胃カメラを飲みましょうということで。

本の制作ですっかり仲良しになったMさんにメールで知らせると「それ、さばじゃないよ~」と返事が。さばが引き金になってはいるけど原因はストレスと一種の憑依だよーと。


本を書くとは、取材相手の業をまるごと取り入れ咀嚼して書くこと。それは、どんな霊媒よりきつい作業といえるのだそうです。私のエネルギー体の中に深く取り込んだそれらを、私の体が排出している、ということなんだそうです。

そういえば思いだした。去年、桃仙さんの本を書き終えた次の晩、私は夜中に何度か起きて吐き、翌日1日寝込んでしまったのだった。あのときも排出したんだな~。

今回は寝込むほどではないけれど不調が何日も続いている。

ふ~む。おそるべし、排出作業。


今日4日は友達Hからの情報で六本木のホンコンフェアに行ってきた。

うふ、7月下旬に2泊でホンコンに行くことにした。

地図に書かれたところじゃないけれど、赤いトランクを初使用してくるよ。楽しみ。






13回めの桜

2009-04-03 23:16:40 | まじめな話
今日は母の13回目の命日だった。

天気予報どおり、おだやかな風のない快晴で、桜が一気に咲いた。

お墓参りに行くのに、いったん実家へ寄ってから行ったのだが、駅からの道を実家のある坂道に曲がったとたん、息をのんだ。
いきなり眼に圧倒されるような満開の桜が飛び込んできたからだ。



ひょあ~~~!

亡くなって13年も経つのに、母、強し。満開の日がちゃんと自分の命日に引き寄せられている。

父とYさんと麻布十番の善福寺へ行くと、ここも満開。



咲き誇っていた。



その美しさにただただ感嘆する。桜を見ることでもらえるエネルギーはすごいよね。桜に縁の深い日本で生まれたからこそもらえるエネルギーだよね。

この13年、母が亡くなったときの痛みは年々薄まっては行ったけれど、毎年命日がくると、桜の哀しいほどの美しさに、そのときの痛みの記憶がたぐり寄せられていた。

でも今日の命日は、ただただおだやかな気分で母のことを想い、過ごすことができた。時の流れは、なんと優しい計らいをしてくれるのだろう。

母の墓前で手を合わせ、Yさんと自然に寄り添って歩く父の姿を見ていると
「きっと母も安心しているだろうな~」と心があたたかくなる。

私たちは、母が亡くなるまで母の病気が末期がんであることを知らせなかったので、最期まで母は、自分が亡くなるとは思っていなかったのではないかと思っていた。

でも、母は私たちの手前、知らないふりをしていただけで実は気づいていたのだということが、母の没後ずいぶんたってからわかった。

というのは、母と父が家族ぐるみで親しくしていた宮崎の友達Tさんが13年前の冬にお見舞いに来たとき、そっと彼女に「私はもうだめだ、でも、うちのお父さんは何もできない人だから心配だ」と言ったのだそうだ。

私たちがそのことをTさんの口から聞いたのは、母が亡くなって10年もたってからだった。

そして、死にゆく母が心配していた、そんなまったく何もできなかった父のそばには、Yさんという人がいてくれる。

私は今のこういう流れも、案外母のおかげなのかもしれない。



  ☆ お花見もう1回行きたい私に、クリッククリック♪    
        ↓
     
 
      ありがとうございました!


名刺の話

2009-03-30 01:11:11 | まじめな話
1週間くらい前だったかな、mixiに名刺の記事が出ていてビックリした。

なんと、

「名刺交換をしたあとに、二度と会わない、連絡を取らないと判断した人の名刺は社に戻ったあとすぐに捨てて問題なし。その日の内にシュレッダーにかけてしまうクセをつけるべき」というのだ。

「同じ部署の人たちと大量に交換した場合も、代表者の名刺に全員の名前を控えて残りは処分を」とも。

記事が書かれていたのは、集英社の女性雑誌「BAILA」の特集、できる女の「オフィス整理術」。

ニュースに対してmixiの人たちからは賛否両論が出ているけど、

私の意見は、

それは、ない。

名刺は「顔」でしょ。人の「顔」を安易に捨てるようなことをしたら自分の「顔」が大切にされるわけないよ。同じように捨てられるよ。
それにずっと先の将来になって必要になるかもしれないよ。名刺を交換できる出会いがあるのもひとつの縁でしょ。

今年の2月、取材先で知り合った、ある人に言われたことがきっかけでペンネームを変えた。

で、作った名刺がこれ↓



あ、これは名刺屋さんのサンプルだから現物じゃないよ。

ここの名刺屋さんで作ったのだけど、デザインを少し変更してもらえるか聞いたら親切にも希望をきいてくれた。中央の横ラインを5㎜ほど下に下げてもらったのだ。その方がおさまりがよくなるかな~と思って。

うん、思惑通り、重心が少し下がって、おさまりがよくなったよ。

それから紙の色はホワイトでなく、アイボリーにした。

最初に名刺を作ろうと思ったとき、どんな名刺にしようかな~と思いながら、いままでもらった名刺のファイルを久しぶりに見た。

色や文字の書体や間隔、表現のしかた。いろいろあって、でも見ていると「自分はこういうのが好みだな」っていうのが自然にわかる。

名刺というのは、91㎜×55㎜の小さなスペースの中に自分をコンパクトに表現できるものだと思う。

色んな人の名刺を見ていたら、少なからず何となく「名刺はその人っぽい」という気がした。

会社に所属している人は会社の名刺なのだけど、「会社の名刺もその会社っぽい」ので、その会社に属している人も、その名刺っぽいのだ。

おもしろいね。

ところで日本は世界でもっとも頻繁に名刺を用いる国らしい。

でも名刺の起源って、実は中国らしいね。

ほかの名刺屋さんのHPにこんな紹介があった。

へぇぇ~~。

私が使っている名刺入れは去年の1月に買った、イギリスのホワイトハウス・コックス社のもの。





綺麗な赤で気に入っている。

去年、この名刺入れを買った時の日記にこんなことを書いていた。

* * * * * * * * * *

新しい名刺入れを購入するにあたって、「名刺入れ風水」なるものがあるかどうか調べていたら、あった。

1.名刺入れは2~3年ごとに新しいものに変える。

2.名刺入れは、見られることを意識して選ぶこと。パワフルに活動したい人は赤を。
 
3.素材は革がよく、名刺入れの中身は早めに整理する。もらった名刺はすぐにフォルダーにしまうこと。

入れっぱなしにしておくと名刺の持ち主の運気の影響を受けてしまうそう。なので、いい運気をもらいたい名刺は1週間くらい入れておくといいんだそう。

4.名刺入れに入れておく名刺は4枚か8枚。

縁起かつぎな私は全部実行している。

* * * * * * * * * *

あれから1年3か月たとうとしているけれど、まじめな私はいまだに実行している。




☆ 10日ばかり更新をさぼっていましたらランキングが転落しておりました。とほほ。
こちらもまじめに実行しますので、どうぞよろしくお願いします。
              ↓
                 
         ありがとうございます♪   

Aさんのグループ写真展

2009-03-19 23:13:01 | まじめな話
18日は善福寺にお墓参りに行ってきた。

去年はけっこうまめにお参りしていたのに、今年はパタッと行かなくなっていたので、ずっと気になっていたのよね。

父のお世話で20~23日まで留守にすることになったし、思い立って急きょ行くことにしたのだ。

ということは…と、その後に足をのばすことにしたのが、数日前に案内状が来ていた知り合いのAさんのグループ写真展。

会場が半蔵門なので麻布十番からそう遠くないのだ。



Aさんは私が昔OLとして務めていた会社の上司でいまはリタイアして趣味で写真を撮っている。

今年の年賀状にも年2回に分けて5週間ほどカメラをぶら下げてヨーロッパをひとり旅していると書かれていた。

上の写真は年賀状についていたシチリアに行った時の写真。綺麗な風景だよね~。この海の色!!

グループ展には3枚の写真が展示されていた。

いずれも外国の建造物の柱のある風景。「いい柱があると聞くとつい足をのばして訪れている。観光客がいなくなったところを見計らって、ひとしきり柱の写真を撮るのが至福のひとときだ」みたいなコメントが添えられていた。

嬉々として柱の写真を撮るAさんの姿が想像できた。柱のある写真は、じっと見ているとその中へスイッと引きこまれそうな気がした。

歴史あるものはカメラでとらえた写真であっても見る側に何らかの影響を与えるものなのかもしれない。それだけ力があるってことだよね。でもその力を伝えられる写真を撮れるAさんっていうのもまたすごいんだな。写真を撮るってそういうことなんだね。

会場係をしているのは女性でAさんはいらっしゃらなかった。聞くと連休の午前中に会場に来るらしい。

連絡をしなかったのでAさんにはお会いできなかったけど、Aさんの写真を見に行けてよかった。

Aさんは私の結婚式の時に、当時の赴任先のシンガポールから披露宴に出席するために一時帰国してくださった。

そのときにスピーチをお願いしたのだが、なんとスピーチの中で、私がAさんに結婚の報告をするためにシンガポールへ送った手紙を、そっくりそのまま読み上げられてしまった。

まさか読み上げられるとは思わずに書いた手紙だったので、「あぁぁ、それ言っちゃうの?」ってことまで暴露され、参列者にかなりうけていた。

なつかしいな。当時はまだバリバリ働き盛りだったAさんも、今は異国の風景とレンズ越しに対話するような、のんびりした人生を楽しんでいらっしゃる。

当時お気楽に遊びまわっていた小娘だった私は、いまでもお気楽だけど少しは落ち着いたかな(笑)

時間の経過は何かは変えるけど何かは変わらずに残ってる。




  ☆ いつもポチッとしてくださって、ありがとうございます。
              ↓
                 
         毎日ホントに励みになっています♪