一昨日は、差別に学ぶ協議会の集まりで仙台教務所へ。
4月開催予定の共学研修と会報ネイティブ・サン発行の内容確認。
そのあと、原発の自主学習会をしました。
今さらながらですが、高木仁三郎さんの1991年金沢での講義録を輪読。
この時からでも20年がたっていて、その間、原発を取り巻く状況が
何も変っていなかったことに愕然。
話せば話すほどに、自分の中でいろんな思いが渦を巻く。
いつしか外は雪になり、帰りのバスは大変でした。
東北道事故渋滞。
磐越道一部通行止め。
結局、2時間遅れの10時過ぎに帰ってきました。
いわきは途中の大雪がウソのように、小雨でした。
そして昨日、3日は桃の節句。
つくりんが生まれて、わが家の古いお雛さまを解禁したんです。
住職はあまりいい顔をしないのだけどね。
しかし、人形にツミはない。
飾りまっせ。つくりん喜ぶし。
思えば去年は、出しっぱなしにしていた雛人形も地震に遭遇し、
箱にしまったのは私が避難先から帰ってきた1カ月後。
あの揺れで、雪洞が倒れただけとはすごい踏ん張りようでした。
私が生まれてから、母がへそくりを貯めて買い足ししながら揃えた雛人形は、
その後、4人娘がままごと遊びに興じたため、
持ち物も無し、お道具もボロボロ。
とはいえ古びた雛でも、飾れば部屋が華やぎます。
今年は、五人囃子の髪が次々と剥がれてしまい、
つくりんは「あたまがとれちゃった~」と、大騒ぎでしたっけ。
定番ちらし寿司にハマグリのお吸い物など用意して、
もう一人のばぁばたちもご招待。
「ひなまつりパーティ!」を連呼してはしゃぐつくりんを囲んで
楽しいひとときを過ごしました。
翻って今日は、仙台教区の追弔法要が勤められました。
たくさんの普通にあった家庭の営みが津波に消え、原発事故に断たれました。
その痛みから立ちあがるには、まだまだ多くの時間が必要なのだと感じます。
4月開催予定の共学研修と会報ネイティブ・サン発行の内容確認。
そのあと、原発の自主学習会をしました。
今さらながらですが、高木仁三郎さんの1991年金沢での講義録を輪読。
この時からでも20年がたっていて、その間、原発を取り巻く状況が
何も変っていなかったことに愕然。
話せば話すほどに、自分の中でいろんな思いが渦を巻く。
いつしか外は雪になり、帰りのバスは大変でした。
東北道事故渋滞。
磐越道一部通行止め。
結局、2時間遅れの10時過ぎに帰ってきました。
いわきは途中の大雪がウソのように、小雨でした。
そして昨日、3日は桃の節句。
つくりんが生まれて、わが家の古いお雛さまを解禁したんです。
住職はあまりいい顔をしないのだけどね。
しかし、人形にツミはない。
飾りまっせ。つくりん喜ぶし。
思えば去年は、出しっぱなしにしていた雛人形も地震に遭遇し、
箱にしまったのは私が避難先から帰ってきた1カ月後。
あの揺れで、雪洞が倒れただけとはすごい踏ん張りようでした。
私が生まれてから、母がへそくりを貯めて買い足ししながら揃えた雛人形は、
その後、4人娘がままごと遊びに興じたため、
持ち物も無し、お道具もボロボロ。
とはいえ古びた雛でも、飾れば部屋が華やぎます。
今年は、五人囃子の髪が次々と剥がれてしまい、
つくりんは「あたまがとれちゃった~」と、大騒ぎでしたっけ。
定番ちらし寿司にハマグリのお吸い物など用意して、
もう一人のばぁばたちもご招待。
「ひなまつりパーティ!」を連呼してはしゃぐつくりんを囲んで
楽しいひとときを過ごしました。
翻って今日は、仙台教区の追弔法要が勤められました。
たくさんの普通にあった家庭の営みが津波に消え、原発事故に断たれました。
その痛みから立ちあがるには、まだまだ多くの時間が必要なのだと感じます。