エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

女性の年齢

2008-04-30 | てきとうなもの・雑記

GW中は、様々な諸事情により更新頻度が下がります・・というか、元々更新日を定めて更新していたワケではないのですが、一応お知らせとしてUPしておきます。
まあ、そのGWといっても残り僅かなものですけれども。

今日、このブログの編集画面を開いてgooトレンドランキングで次のような記事を発見

【アキバ露出女】 沢本あすか(30)、「22歳」証明する“明治大学の卒業証書”をブログで公開するも矛盾発覚で“墓穴” 

なんというか・・・・やってることも確かに「痛い」んだけど、叩かれ方もまた凄い。
そういえば、「バレる浮気をするからいけない。浮気するならするで、絶対にバレないようにすれば良いのに」と言った、俺のリアルの知人(♀)がいましたが、それと似たようなものかな?・・・違うか?(笑)
年齢詐称なんかは芸能人とかでは良くある事なんじゃないかとは思ってますけど、今回は年齢詐称そのものよりも、卒業証書まで持ち出してそれで偽造をしたという課程がこのような事態を招いちゃったみたいですね。
まあ、「素直に30って言えばいいのに」というコメントもあったし、それは確かに正論だけど、「女性が年齢を気にする」という気持ちはわからなくも無いです。
卒業証書を持ち出して、それを偽造したりするのはやりすぎでしたけどね。

ともあれ、この人がどうこうというよりも(と言うか、この記事を読んで始めてこの沢本あすかさんという人を知りました)、女性の年齢に関する事柄ってデリケートな問題だな。
と言うことを考えました。

今回の件とは別にして
女性相手には年齢の事をそもそも話題にしないのが紳士的な対応、というものなのでしょう。そうしよう・・と思いました(笑)


有名店の名前を冠したカップラーメン

2008-04-26 | てきとうなもの・雑記
ふと、思い付いたこと。
毎回「ふと、思い付いて」ばかりだけど(笑)、本当に何気なく思い付いたこと。
で、別に批判したいわけじゃなく、文句をつけたいわけでもなく、言葉通り思い付いたどうでも良いことです。

現在カップラーメンには、各メーカーから本当に色んな種類の様々なカップラーメンが販売されていますが、中には実在する有名ラーメン店の名前を冠したカップラーメンというのもよくありますよね。

有名店のインスタントカップラーメンに関するアンケート

こんなアンケートも発見しました。
「すみれ」「山頭火」「行列の出来るシリーズ」は俺も実際に食べた事があります。

ただ・・・、確かにカップラーメンにしては凝っている部分もあるし頑張っている部分もあるのですが、それでもカップラーメンはやっぱりカップラーメンで、当然の事だけど「そのお店で実際に客に出しているラーメン」とは全然別物です。
そりゃそうです、実際にその場でラーメン職人さんが作るラーメンと、カップラーメンで同じものが出来るのだったらラーメン店は必要ないって話ですから。

ただ、この「有名店の名前を冠する」のはどうなんだろうなあ?と、ふと、疑問に思ったんです。
というのも、例えばその有名店がそのままラーメン店としてどこかに支店や、暖簾分けする場合、そのラーメン店の本店を含む全てを背負う事が出来るだけの味が求められると思います。
例えば、東京に本店があって美味しいと有名なAというラーメン店が青森に支店を出したとします。しかしそのAの青森支店のラーメンは、とても本店とは似ても似つかないほど不味いラーメンだった。
しかし、本店のラーメンを食べたことのない青森市民に、その青森支店のAのラーメンを「なんだ、Aのラーメンって不味いじゃん」と判断されたとしても、その名前を冠した支店を出した以上、そうやって判断されてもしょうがない。ということですよね。
名前を背負うというのは、そういうものだと思います。

だとしたら、カップラーメンに有名店の名前を冠するっていうのは、極論になるけど、極端な話をすれば「そのカップラーメンで味を判断されても、しょうがないんだよ?」ということなんじゃないかなあ?と。
もちろん「まあカップラーメンだから」と、食べる方も予め分かってるので、特に問題にはならないし、「カップラーメンと本物が違うのは当たり前だろ?」って事で、「ん~な事いちいち突っ込むなよ」くらいのものなんだけど、カップラーメンだからとかそういうの抜きに、単純に「名前を背負う」「名前を冠する」というその視点から物事を考えた場合、本来の意味からすればカップラーメンだろうがなんだろうが、名前を背負うとはそう言うことなんじゃないのかなあ?と。

そんな事を思いました。
いや、「だからどうしろ」と言いたい訳じゃないんですよ。最初に述べておいたとおり。
単純にそういう疑問をちょこっと感じた。という話です。

「更新の時間が無い」と言うことは

2008-04-25 | てきとうなもの・雑記

「面倒くさい」「大変だ」という気持ちは、こなさなければならない手順や作業が多かったり煩雑だったりするという事に対してではなく、ある作業を決められた期日までに終えなければならないという精神的ストレスに対するものなんだなあと、ふと思いました。
今までは具体的な作業の煩雑さ、つまり単純に労働量に比例するものだと考えてましたが。
自発的に行う事なのか、外から押しつけられた義務なのか、ここが分岐点ですね。
押しつけられた義務だと思う度合いの強さに比例するものだと感じました。

自分の意に反することは、単純な事柄でも「いつまでにやらなければ」と思うと「めんどくさい」と思いますし、踏み出す一歩がなかなかに重いものです。
好きな事はをしているときは、辿るべき道のりが短すぎると逆に興ざめしちゃいますし、長い方がそのやり甲斐を感じ、その課程が楽しいとさえ思えるものですけどね。

仕事とか「本当に押しつけられた義務」なのであれば、そこは面倒でもやらなければならないし(その分対価をもらうわけですから)、しょうがない事ですが、例えばブログの更新等のように、本来誰からも押しつけられたものではなく自分から自発的に行っている事なのに、いつのまにか「更新しなければ」という思いが、義務に成り代わって押しかけてくるような事には気を付けないとなあ。と思いました。

「更新する時間がない」というのは、だから物理的な時間の有無なのではなく、精神的な更新する余裕を持てるだけの時間があるかどうかだと思いました。(まあ物理的な時間が少ないと、必然的に精神面での余裕も少なくなりやすいとは思いますけど)
その基準はその人それぞれで個々別々。だから、自分にとって「時間がない」と思ったら更新頻度下げるというのは重要な決断であると思いましたし、無理せず自分ペースで続けて行くことも大事だなと思いました。
と言っても、このブログは元々不定期更新でやってますので、これからもその方針ですけど、昨日はちょっと更新してる余裕が無かったので、そんなことを考えました。


「当然の行為」が酌量の要件になるってどうなんだろ?

2008-04-23 | ちょっと考えた事
今、世間では「光市母子殺害事件」で被告人に死刑判決というニュースが大々的に取り上げられていて、ニュースではまずこの件に関することを目にするけど、まあ俺も「当然の結果」というか、裁判所がまともな判断をしてくれたなあと感じてます。
世論も「妥当」という意見が大多数なようで、この件に関しては、まともな世間の感覚に個人的に一安心しています。
この件に関しては俺も「至極妥当だ!」という意見です。他には特に述べたいことも無いです。ただ、話題のネタだったので一応書いてみました。

さて、これとは話は変わって、こちらはかなりのローカルネタになるのですが、青森県の地元ニュースでこんなのがありました

スーパー売掛金横領。懲役3年6月判決/地裁弘前

テレビでも、地元のローカルニュース番組で取り上げられていた記事ですが、これを見てちょっと疑問に思ったこと。
何もこの件に限った事じゃなくて、他の横領事件や窃盗事件でも言えることだと思うんですけど、この件でもリンク先の記事中にあるように

『~一方で、被告が被害弁償として473万円を支払っていることなどを酌量した。』

というこれ。
一見、「返そうとしてるんだ。酌量の余地有りだなあ」と確かに思えそうだけど、よく考えてみるとおかしくないかな?これ。
横領したり、盗んだりしたものを返すのは「当たり前」の事なんじゃないか?と。

5000万っていう大きい金額だから、分かりやすく、ちょっと単位を落として「友人から100円盗んだ」という想定で考えてみると、友人から100円盗んで、それがバレた。→悪い悪い100円返すよ。で済まないでしょ?
盗んだものを返すのは当然。本来その友人の物なんですからね。
じゃあ、盗んだという不法行為に対する制裁はというと、100円を返す行為とはまた別に、その不法行為を行った制裁として考えないと駄目でしょ?
どんな犯罪だってそう、犯罪を犯そうとして失敗したから「分かった分かった、じゃあ返す」で、済むものではありません。返すのは「当然」。

だったら、この横領の場合も「返済したことが酌量の余地」ってのが、なんなんだろうなあ?と思ったんです。
返すのは当たり前・・・というか5000万に比べたら全然返せてないし?
と俺は思ったのですが。

盗んだものを返す。横領したものを返す。
それは、当たり前のこと。やらなければならないこと。
なのに、この当然の事をしたことが「酌量の余地」になるっていうのは、なんというか、イマイチ納得できないなあと思いました。
なんだろ?「盗んだものを返さない、横領しても返さない」が基準なのかな?そこに基準があるから、返すという当然の行為をしただけでも「酌量の余地がある」と好意的(?)に受け取られるんだろうか?
だとしたら、基準の置き場所間違ってないかな?と、俺なんかは思ったりしたんですけれどもね。
酌量される位だから、「当然以上」の反省が必要なんじゃないの?返すのは「当然」の事だろ?と。

原状回復は「なされて当然」ではなくて「なされるとまだマシな方」という事なんだろうか?
それって、なんか嫌だなあ。被害者泣き寝入りかよ?とも思いましたが・・・これは極論かな?
ともあれ、そんなことを考えました。でも、考えてみれば「当然の事」をして情状酌量されることが多いなあとか思います。
過失犯罪なら分かるけどさ、故意犯にそれってどうなんだろうなあ・・・・

褒めるという指導

2008-04-22 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

宣言!今回は良いこと言います。良いこと書きます。

と、いきなり強気な発言なのは俺のオリジナルでは無いからです(笑)
俺が読んで「これ良いな」と思ったものの紹介になります。だから「良いことを言うよ」と予め宣言しちゃいました(笑)

と言うのは、前に書いた

わからない5大理由

という記事に、iona69さんから次のようなコメントを頂きました
『~注意を重ね続けていると 自己嫌に陥ります。叱るから 怒るに変わりつつある最近の自分を客観的にみて それならば どうすることが良いのかと 日々 考えています。謝り続ける彼の仕事の後始末でヘトヘトになるばかりで・・・でも彼の一生懸命さは解るのです~(一部抜粋)』

これを読んで、前に俺が読んだある記事を思い出したので紹介してみようかと思いました。

それは、YOSHIさんから「お勧めのサイト」として紹介された糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトの「ダーリンコラム」というコラムの中にあった記事の一つからです。
ほぼ日刊イトイ新聞というサイトは、紹介されて始めて知ったのですが「さすが糸井さんだ」と思わずには居られない記事が満載で、とても興味深く、そしてとても楽しく読ませてもらってます。記事の数も多くて、まだまだ未読の記事も多いんだけどこれから徐々に目を通していこうかと思ってます。
そして、この「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイト。知ってる人の間では結構有名なサイトらしいですね。なので、今日の紹介する記事も「すでに読んだ」って人も多いかもしれませんけど。

で、その記事とは「ほぼ日刊イトイ新聞、ダーリンコラム」から

<ほめるとなぜ伸びるのか?>

という記事です。

まあ、詳細というか、全文はリンク先を参照してもらうとして、この中でも特に「目から鱗」だった部分を抜粋して紹介させてもらいます

『叱って教えるという方法で考えてみよう。
例えば、まっすぐこっちに来させたいとする。
右に行くのでも、左に行くのでもなく、
まっすぐ進ませたいとする。
右に行ったら、叱るとする。
あなたが犬だったとしたら、
右には行かないようにするだろう。
しかし、次にどうしたらいいのかはわからない。
左に行ってみる。
また叱られる。
では、どうしたらいいかと、あらためて右に行く。
これもまた叱られる。
へたをすると、このままその都度叱られて、
いつまでも正解にたどり着かないかもしれない。
つまり叱られるしつけというのは、
「やってはいけないことを、ひとつずつ無数に憶えていく」
という方法なのだ。

ほめる方法では、
まっすぐ進んだときに、ごほうびをやる。
右に行こうが、左に行こうが、何ももらえないけれど、
まっすぐ進めばごほうびがもらえる。
これだけのことだ。
ほめる方法というのは、
「こうすればいい」ということを教えるから、
無数のやってはいけないことを憶える手間がいらない』

『あ、犬のしつけよりも、
目隠ししてスイカを割る遊びにもそっくりだ。
目隠ししているあなたは、
どっちに進んでいいか、
どこで棒を降り下ろしていいかわからない状態で
ゲームをスタートさせる。
何もわからないなりに、
提案的にどちらかに向かって歩き出す。
「そっちじゃない」という声がいくら聞えても、
どっちに歩けばいいのかはわからない。
なにか正しい方向に向いたときに、
「惜しい」とか「いいよ」とか言われたら、
どっちにいけばいいかわかるわけだ。
だから、いずれ、スイカは割れる。』

これは本当に「うん、まさにその通りだ!」と、思いましたね。
確かに、叱るばかりでは何が悪いのかを完全に理解しないまま、叱られることが怖くなり、ますます前に進めなくなる。そういう人もいるだろうなあ・・と。

そして、「わからない5大理由」と一緒に合わせて考えてみて思ったこと。

自分の立場が下の場合。つまり自分が部下だったり後輩だったり、
「自分が指導を受ける立場」にある時の心構えとしては「わからない5大理由」を心に刻み真摯に物事に取り組む事が重要なのではないか。

そして、逆に自分が上司だったり先生だったり先輩だったり、
「自分が指導する立場」に有るときは、ただ悪い点を指摘して叱りつけるのではなく、上手く出来た事を褒めて、また成功の方向へ導いてやるような指導を心がけるのも大切なのではないか

と思いました。なんでもかんでも一つの価値観を当てはめるではなく、立場によって心がけるべき価値観も様々に変化するべきというか、そういう臨機応変さも重要なのかなあと。
まあ、これも全ての場合に当てはまる訳ではないだろうし、褒めると調子に乗るような人間には叱ることも必要でしょうし、個々具体的な場面では、その場面に応じて様々な対応が求められるのでしょうけど、でも俺は糸井さんのこのコラムを読んで、自分が上の立場になったら基本として「褒める上司」になりたいなあと思いました。

以上、糸井さんの言ってた「良い話」でした。他にも良いこと沢山言ってます。機会があればまた、別なものも紹介するかもしれません。


まわりくどくてもいいんじゃない?

2008-04-21 | ブログに関するあれこれ

自分で自分のブログを冷静に客観的に判断してみると、おそらく俺のこのブログの特徴は「まわりくどい」若しくは「くどい」と評価されるんじゃないだろうかと思います。
単純に一つの記事の文字数もそうだけど、本題に入る前にまずその前提、若しくは例題、前振り・・・そういうのを盛り込んでから本題に入るのが殆どですし、最も言いたい核心部分は、そう言う課程を経て最後の方に持ってきています。
そして、「文字数は少なめに、明瞭簡潔に要点だけ述べるようにする文章」が良いとされる意見も良く聞きます。そういうのに照らし合わせると俺の書く記事はあまり「良い」とは評価されないでしょうね。「そういう価値判断に照らし合わせると」ですが。

だけど、俺は「別にまわりくどいことが、必ずしも悪いわけではないんじゃないか?」という考えを持ってますので、必ずしも「もっと文章を簡単にしなきゃ」とか単純に「文字数を減らそう」とかは、今のところ考えてません。
今回の記事は、そう言うことについての考察・・・というか、俺の持論というか。


その考えに至るプロセス・キッカケといったものも重要なのではないか?

冒頭ですでに述べましたが、俺が記事を書く場合は本題に入る前に前提となる事柄や、具体的事例や、出来事といった前振り的な話題から入ることが多いです。
が、これは、俺が「その考えに至るプロセス・キッカケといったものも重要なのではないか?」という考えを持っているからです。

自分のネタ、他人のネタ

という記事でもすでに述べてますが、例えば誰かのブログで「おおコレは良い記事だ」という記事や「この考え方は凄い」と思うような記事を発見した場合、その主張・思考そのものが凄いのはもちろんの事だけど、どういうキッカケでそれに至る思考がスタートして、どういうプロセスを辿ってそういう主張・思考に至ったのか?
俺にしてみれば、その点にも非常に興味があるわけです。
天才的な人に「おまえどういう頭の中してるんだ?」とか「どうやったらそんな考えが浮かぶの?」とかいう類の疑問を抱いたことってありませんか?
「無いよそんなもん。プロセスなんて関係ねぇよ」って言われれば、それまでだけど、少なくとも俺はプロセスやキッカケに興味があります。
なので、自分で記事を書く場合でもどういう出来事が発端で、どういう経緯で記事に至ったのかというプロセスやキッカケも出来るだけ書いていこうと思っているんです。
それが、形となって現れているのが今の俺の文章のスタイルと言うわけです。


ブログって、そもそも文字が中心の言葉を書いてナンボの世界じゃないの?

中には写真を中心に紹介したり、絵をUPしてそれを中心にしているブログもあります。そういうブログはもちろんそれで良いとは思いますし、そういうのもブログの形態の一つですね。
そういう形態があるように文字のみの形態だってありますし、むしろ日記をはじめとするブログの主流は「文字によって主張や意見や感想を表明する」というのが、そもそもブログというものの「在り方」というか「存在意義」というか、そういうものだと思ってます。
と言うことは、文字で語る場。語ってナンボ。というか、むしろ語るべき場。

だとしたら、言いたいことを、言葉を尽くして書きたいように書いたって良いじゃない?とも思ったりするわけです。
なんというか、仕事で使う報告書とかなら「要点だけを簡潔に」とかいうのも納得できますが、「ブログというこの場で好きなように語れなくて、どこで語る」とでも言うのでしょうか?そんな感覚。


言葉が少ないとやっぱり誤解を生みやすい

そもそも言語は万能じゃありませんし、それは日頃から痛感しているところです。
「それはおまえの言語能力の不足だ」と言われれば、それもそれまでの気もしますが、もしその通りだとしたら逆に「なおさら」なんですよね。
そもそも、言語能力が低いなら、言葉が少ないとなおさら誤解を生みやすい。
同じ言葉を使っても、その言葉の基本的な部分での解釈は同じでも、微妙なニュアンスや前後の文脈、行間から出てくる雰囲気・・・それが書き手が感じて想像している物と、読み手が感じて想像している物とが必ずしも一致するとは限らない。いや、一致する方が珍しいかもしれません。
「誤解されたって構うもんか!そんなの読み方の勝手だ!俺は俺で主張したいことを主張する。それだけだ!」
っていう信念でやってる人は、それはそれで良いと思いますし、その人の在り方だと思います。そういう信念の下では「簡潔で必要最小限の言葉で」ってのも良いかもしれませんし、説得力が強いかもしれませんね。

ただ、ここは個人的な好みというかそういう問題になってくるんだろうけど、俺は
出来る限り自分の真意を相手に伝えたい
と思ってます。
解ける誤解なら解きたいと思うし、誤解が生まれそうだと予想できたなら、予め回避したいですし、誤解を少なくするためにこの説明もあったほうが良いかな?と思ったらその説明も付しておきたい。
要するに、事前に誤解回避に出来る方法があるのならば、それを行う努力を尽くしたいと俺はそう思うんです。それでも誤解はどうしても生まれる場合だってありますが、「尽くしてダメならしょうがない」と思いたいですし。
そうやって考えてみると、俺の記事にはやっぱり「補足」も多い気がしますね。

そんなこんなで、やっぱり俺のブログって「まわりくどい」に部類されるだろうと思います。この記事だってそうでしょうね(笑)
でも、この記事で述べた理由から
「まわりくどくてもいいんじゃない?」
と俺は思ってます。半ば「開き直り」的な部分も否定できませんけどね(笑)

ただ、単純明快、言葉少なでストレートに、でも自分自身それで満足できる記事が書けたら、それはそれで良いなあとは思ってますよ。
わからない5大理由
なんかは、そう言う意味じゃ俺の記事の中じゃ異例で、奇跡的な記事なのかもしれません(笑)


HNを変更。「卯月」にしました。

2008-04-20 | てきとうなもの・雑記
特別「日曜は更新も休み」と決めたわけでも無いのですが、更新パターンがなんとなく日曜日は休みというパターンになりつつあったので、最近は逆に意図的に日曜は定休日としている節もありました。
とは言っても、もともと

ブログのネタは考えない

の記事で書いたとおり、基本的に「ネタのある時は書くし、無いときは書かない」という不定期更新なんですけどね。
これも、たまたま「ネタが続いている」という事で、最近はほぼ毎日ペースで、なにかしらを更新してるわけですけど。

さて、今日は最近そういう感じで「本来定休日?」的な雰囲気の漂う日曜日ですが、そういう日曜日だからこそ、「どうでもいい記事」をUPしておきます。
本当に「どうでもいい」事だけど、でもUPしておかなければならない記事。

前々からHNを変更しようとはずっと考えていたことでした

心機一転

の記事の頃から言ってます(笑)

で、まあ色々と考えた結果
「卯月 蒼」から「蒼」を取って

これからはただの「卯月」でいきます

と言うことで決めましたので、よろしくお願いします。
というのも、gooID、及びgooメールアドレスに「uzuki」って入ってるから、卯月は必須なわけで・・・・そこから色々考えたけど「まあ、下手にあれこれ考えるよりは『卯月』だけで良いんじゃね?」という結論に達したわけで(笑)

ということで、新HN「卯月」でよろしくお願いします。

この先俺がコメントを出来ない方へ

2008-04-19 | ブログに関するあれこれ
チラシの裏に一人でただ書き込むのと、こうしてブログに記事をUPするのとの最大の違いは、やっぱりコメントをもらったり、TBをもらったりするコミュニケーションの発生にあると思います。
まあ、もちろんアクセス数とかランキングが云々、とかいう場合の人も多いのでしょうけど。

「自分の書いた記事に興味をもってもらえる」という事が、ブログをやっていて一番楽しいと思うことだし、嬉しいと感じる瞬間です。
なので、コメントやTBをもらった場合は、出来るだけ俺もそのコメント、記事への返信はしていこうと思ってますし、そういうスタンスでやっています。
まあ、返信するタイミング自体は、目に付いた時にすぐする時もあれば、目を通した時は他にもやることがあって、後に回す場合もありますし、寝る前にちょこっと目を通しただけだから、寝て起きてから返信しようとか・・・様々な理由から早い時も有れば遅くなったり、そこはバラバラですけどね。でも、若干遅くなっても返信はしようと思ってます。

ただ、今まではgooブログ同士っていう場合が多かったので、全然気にならなかった部分もあるんですけど、他のブログの方からコメントやTBをもらった場合(もちろん、そうしてブログの垣根を越えて広がっていくことはとても嬉しいことです)、そのブログの仕様によってコメント等が出来ない場合もあるんですよね。 

それで、ここでちょっと一例を挙げますけど

わからない5大理由」の記事に

わからない理由 (ぼくはまちちゃん!(Hatena))

というTBを頂いて、TBを辿って覗かせてもらったのですが、「はてなユーザーのみコメント出来ます」という事でした。
TBありがとうございました。ここでお礼させてもらいます。

で、はてなに限らず、こういう「ブログの仕様」によっては、特定のユーザー間のみでのコメント許可とか、そういうの他にもあると思うんですよね。
で、今回この記事を書いて最も言いたかったのは、そういう仕様が悪いとか、そういう制限を解除しろとか、そういうのでは全くなくて、そういうのとは、むしろ逆で

俺は基本的にコメントやTBもらったら返信するようにしてます(スパム等は除く)し、とても嬉しいです。
が、各種ブログ等の仕様によっては残せない場合がありますので、この先、もし、そういう事で、返信等なにも反応が無かった場合は、上記のような理由だなぁと、ご了承下さい。
でも、コメント、TB等を頂けることは毎回とても嬉しく思っています。


と言うのを、言っておきたかったので、ここで一度記事にしてUPさせてもらいました。

「あり得ない環境」の裏には完全な成果主義(かも?)

2008-04-18 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

YOSHIさんのブログ記事

なんかそれは違うんじゃないかと思うBLOG15.NET

で紹介されていた記事

日本の会社ではありえないほど独創的なGoogleのオフィス写真&ムービー in スイス

たしかに、これは凄い。俺の知っている「職場」の常識からはありえないなあと思いました。
でも、日本でも職種によっては、振興の新手の企業には、この手の企業もあるのかもしれませんね。

YOSHIさんは

『少なくとも私が経営者だったらこんなインテリ家具のような物に金は出さないだろうな。従業員だったとしてもこういった環境が仕事しやすいのかどうかと言われたら、そうではないと思う。』

と感想を書かれていますが、俺も結果から言うとこの手の環境はパスすると思います。ただ、俺の場合は仕事のしやすさというよりも、別な視点からの理由になりますけど。
俺がコレをみてまず感じたのは、「成果主義」と「課程主義・努力主義」という概念の対立構造でした。

予め断っておきますが、ここから先は俺の独断と偏見100%の記事になりますのでそれを了承の上での事としてお願いします。

きっと、このgoogleのスイスチューリッヒ支部(?)は、もう完全100%成果主義なんじゃないかなあ・・と。
きっとね、最初に条件というか目的というか、「いついつまでに、何々という条件を満たした商品(若しくはコンテンツ)を完成させなさい」ってのがって、求められるのはそれを条件通り達成できるかどうかそれだけ。なんじゃないかなあ・・・と思いました。
だから、極端な話「期限までに仕事を完成出来れば、他はどうでも良いよ。」みたいな感じで、食堂食べ放題、リラクゼーションルームでリラックスし放題、カラオケもし放題、ビリヤードも好きなようにどうぞ?みたいな。
その反面、結果に対してはもの凄くシビアで、一切の言い訳を聞かないのはもちろん、とにかく「条件達成できたか出来ないか」のみが求められて、どんな理由が有ろうとも、出来なければとにかくダメとか、そんな感じなのかもしれないなあ・・・と。
そう言う意味じゃ、プロのスポーツ選手に近いイメージ。
結果を残せればOK。その代わり、怪我とか病気とか例えそう言う理由であっても、責任は自分持ち、結果を残せない人材は要らない。とかさ。

そういうシビアな面と引き替えに、あの手のオフィスや自由で開放的な一見羨ましい雰囲気があるんだと思うんですよね。
そして、インテリア家具のような物にお金を掛けているのも、優秀な人材を確保するための企業の先行投資という考えなんじゃないのかな?とも思われますが。ここにも、「ここまでお膳立てしてやったんだから、結果を出せよ?」的な圧力が見え隠れ・・・

だから、逆に常に気を抜けないと言うか戦い続けなければならないというか、いくら良い業績を残して来たとしても、ダメになればすぐに首を切られるような。

これに対して、日本の企業って、そこまで徹底した成果主義のみ求める企業ってのは、まだ少ないように思います。それに、人材を「育てる」という発想は、俺は大事だとは思うんですけどね。
とにかく成果主義って企業は、「人材の代わりはいくらでもいる。育てるくらいなら出来る奴を」って感じで、物としてしか見られてないというのも、哀しい感じもするなあ。と思わないでも無いんです。
もちろん、仕事にそんな「感情論なんて不要」って言われれば、それはそれで正論なのかもしれませんけど・・・でも、ねぇ?
窮屈な部分は多いけど、その分ある程度自分の身分について保障されている部分も欲しいし、極端な成果主義ってのは、俺はちょっと・・・・
ぬるま湯に浸かりたいとまでは言わなくても、成果主義のみ求めるのもちょっと、極端かな?と感じちゃって、俺には合わないなあと、自分では思いました。

当然だけど、仕事は遊びじゃありませんし、自分の人生・生活に直結するものですから、単純に好みの問題だけで選んだり、チャレンジ精神だけで挑んだりするには、それ相応のリスクと覚悟が必要です。それを踏まえた上でどういう仕事をし、どういう生活をしていくべきか・・・・

google社に関しては、断ったとおり100%独断と偏見ですよ?(笑)でも、実際そういう完全成果主義の企業だってあるだろうし、そうやって考えたときに俺は・・・ちょっとパス。って感じで思いました。
だって俺にとっての仕事の意義って、俺の理想の仕事って
仕事の意義
↑こんなのですからね(笑)

まあ、仕事の意義なんて人それぞれなので、自分に合った悔いのない業種を、自己責任で自分の仕事に選べば良いじゃん。と言えばそれまでの話ですけどね。


これが大手の力か!

2008-04-17 | ブログに関するあれこれ

昨日の俺のブログへのIPが結構凄い数になっていました。
前後と比べて、昨日だけ特別に多かったんです。
具体的な数字は出しても無意味なので敢えて言いませんけど、どのくらいかという程度を示すと、

gooランキングで、全gooブログ999155ブログ(約100万ブログですね)中のトップ1000に入ってました。(gooブログでは1000位以上のみ順位が表示されます)

と、ここまでだと単なる自慢話になっちゃいますね。
言いたいことは全く別です。このデータはその為の必要な事前準備。

そして事前準備をもう少し
昨日の記事というは「わからない5大理由」という記事で、内容はネット上に落ちていた「お、良いなぁ」と思うフレーズをただ拾って紹介しただけの記事です。
自分の中では、自分のオリジナルではないので、自分はあくまでただの紹介者だという立場だし、だから「どうだ自分の記事だぞ」等と、とても声を大にして言える代物でもないし、複雑な心境です。

さて、ここからが本題なのですが、結局何を言いたいのかというと
まず、昨日の記事はDONTAKTさんで取り上げてもらっていました。
DONTAKTさんには、過去に何件か取り上げてもらっていて、最近徐々にアクセスが増えているのはまず確実にDONTAKTさんのおかげである部分が大きいだろうと思っています。まずは感謝です。
敢えて「マイナーだけど面白い記事」を集めてらっしゃるんですが、集める内容、アンテナの感度には本当に感心しています。もっと人気があっても良いのにと思うのですが、やはり「マイナーブログ」に拘っているのが枷になってるんでしょうか?
でも、俺は好きなのでこの路線を堅持して欲しいなあとは思ってるんですけどね。

でも、昨日はそれだけに止まらず、徐々に上がってきているアクセス数が「さらに倍率ドン!」って感じでそこだけ急に跳ね上がっていました。
じゃあ、他にどういう原因なのかと思ったら、俺がブログ巡りで活用させてもらっているニュースサイトの一つでもある

まなめはうす

さんでも、この「わからない5大理由」の記事を取り上げてもらっていました。

こちら「まなめはうす」さんは、ニュースサイトを活用している方になら説明は必要ない位「大手」と言えるメジャーニュースサイトさんですよね。メジャーブログからマイナーブログまで、毎回充実したラインナップを揃えているのは流石の一言です。
そして、事実取り上げてもらった結果が冒頭で述べたような感じです。
なんというか

「これが大手の力か!」

と言うのを、身をもって知ったというか。
アクセスアップに関連した記事も多く見かけますが、結局「大手に紹介してもらう」のが一番手っ取り早いって事ですね(笑)。いやはや、大手の力は凄いです。

ただ、今回の結果は「俺」の入り込む余地はほんの僅かしかなくて、記事内容にしろ、ニュースサイトにしろ、「他力本願90%」位の出来事なので、別に順位がどうこうとか、アクセス数そのものがどうこうとか、そう言うことを言いたいんじゃないんです。

「大手ってすごいなあ~」という感想。これが今回言いたかった主題です。単純にそれだけ。俺のブログがどうのこうのじゃなくてね。

そして、念のため補足しておきますが、今回の俺のブログの順位データは、俺のこのブログがどうこう言うためじゃなくて、寧ろ「まなめはうす」さん、そして「DONTAKT」さん、双方のブログがいかに凄いか、そして影響力を持っているか。そのためのデータというつもりで書きました。
俺自身のアクセス数に関するスタンスは
ブログのネタは考えない
から変わってませんので念のため。

追記
「まなめはうす」さんの表記に誤りがありました。
というか、素で勘違いしてました。
ので、訂正したことと、謝罪を兼ねてお知らせします。