エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「入学金未納の生徒を入学式に出席させない」問題について思ったこと

2008-04-14 | 世の中の出来事

今回は時事ネタです。

時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項

↑こちらの前提で、記事を書きますので参考までに。

最初に、このネタを知ったニュースソースを
千葉の県立高校、入学金未納の生徒を入学式に出席させず読売新聞
入学金未納2人、式出さず=「苦渋の選択」と県立高-千葉時事通信
<入学式>入学金未納の2人、出席させず 千葉県立高毎日新聞
入学金未納の2生徒、入学式に出席させず 千葉の高校(asahi.com)

俺はまず、この学校の対応は「当然のこと」だと思いました。
そして、毎日新聞の記事の中にあった

『教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」と話している。


という一文を読んで、この尾木直樹という人に対して驚きというか、個人的な感情ですが怒りに似たようなものを感じました。要はムカついた。と言うことですが。

学校には全く非は無いでしょう、この件に関しては。

そう思う根拠を述べると、まずは

・入学式当日に必要なお金は3月の説明会で伝えている(毎日新聞)
・同校は新入生159人の保護者に対し、3月上旬に郵送した文書と同月中旬に開いた入学説明会で、入学式当日に入学料5650円や教材費など計9万円を持参するよう連絡。
・入学金などを式の当日に納めてもらうことは、合格証書を送付したときに説明書を同封し、3月17日に行われた入学者説明会でも連絡していた。(asahi.com)

と言うことで、事前にきちんと学校側からは連絡済みだったはずとのこと。決して「寝耳に水」の話ではなく、事前に知っていたならば「いきなりな話で用意できない」という事も無いでしょう。しかも、学校側は説明会・郵送の文書と、2段構えで通知しています。ここまでして学校に説明責任を果たしていないとは言えないでしょうね。
しかも、金額そのものが準備できない場合にも対応して

・経済的問題があれば相談するよう話した。(朝日新聞)
・用意できない場合は分納でも可能と説明した。 (読売新聞)
・、「持参するお金は一部でもいい。分納もできるので、経済的な心配があれば事前に相談してほしい」と伝えたという。説明会には2人の保護者も出席していたという。 (asahi.com)

とのこと。
学校側はここまでしていたのだったら、学校側のとった措置は適切だったと言えるでしょう。「機械的、官僚対応?」ふざけるなと言う話ですよ。ここまでしたのに納めないならば、納めない方にこそ非があるじゃないですか。甘えるなという話です。

とは言っても、もちろん生徒(子供)が悪い訳じゃありませんね。生徒自身は被害者でしょう。誰が悪い・・・そりゃ当然、その保護者。親でしょう、この場合。
きちんと説明を受けた、お金が用意できない場合の事まで説明してもらった、そこまでしてもらって、何もしなかったんだもの。「自己責任」とはちょっと違うけど、親としてやらなければならないことをやらず、その結果として子供に辛い思いをさせたという事でしょ?これ。

何か悪い事をしでかした場合、逆にすべき事をしなかった場合。今回は後者だけど、自己の行為についてはきちんとした「けじめ」はつけなきゃならないと思いますし責任はとらなきゃならない、ペナルティは必要だと思います。
「信賞必罰」ってやつですよ。
ただ、今回の場合は、そのとばっちりが子供に行っちゃったわけで、そこが、かわいそうだと言えばかわいそうでしたが、本来、そうならないためにも親はビシっとしてなきゃダメなんじゃないかと思います。

で、やっぱり俺は学校側の対応は正しかったと思います。
その生徒はかわいそうだけど、この親にはこのくらいしないとダメでしょう。甘やかしちゃダメです。人として自分の行為(不作為含む)には責任を持たないと。


時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項

2008-04-14 | ブログに関するあれこれ

今日は時事ネタで書きたいと思う件がありました。
ただ、その前に「これは言っておかなきゃなぁ」という前提事項があったので、まずはそれを書きたいと思います。
記事の中で書いても良かったんですが、これから先も時事ネタを取り扱う際には、同じ事が前提事項となるだろうと思ったので、ここで個別に一つの記事として書いておきたいと思いました。そうすれば、毎回毎回同じ事を書かなくても、この記事を参照ってことでリンクを一つ貼ればすみますしね。
・・と、ここまでは前提のさらに前振りでした。

と言うわけで本題に入りますけど、俺が時事ネタを扱う際にはその事案を知った経緯をまず明らかにします。「~新聞の記事より」とか「~放送されたニュースより」とか。
これは、まあ当たり前の事なんですけど、例えば新聞記事を読んで記事を書く場合、その記事は

あくまで○○というニュースを読んで(若しくは見て)感じたこと・考えたことを書いてます

と、言うことです。
一見当たり前の事のように思われるでしょうが、敢えて「読んで」の部分を強調したところに注目してください。
これって、敢えて説明しないと、当たり前の事のようで、でも当たり前のように誤解を受けている部分だと思うのです。

と言うのは、「読んで感じたこと」というのは、読んで字の如く

「その、元になったニュースソースに基づいて考察・思考したこと」

という意味です。それは

必ずしも「その事実について」では無い点

という所に注意が必要です。
ここを混同されて、誤解を受ける場合が多いと思うんです。

世の中で起きている事件事故、様々なニュース。これらの情報を得るのは殆どの場合、新聞なりテレビなりラジオなりのニュース番組やその他諸々・・・要するにマスメディアを通じての事だと思われます。
実際に自分が、その事件や事故があった現場へ直接行って調べたり、見たり、聞いたり、実際に体験したり・・・なんてのは、たまたま偶然にその場に居合わせた場合を除いては、殆ど無いことでしょうし、出来ないことでしょう。普段の仕事や生活だってあるわけですし。
日本国内の事だってそうですし、諸外国の事になると尚更です。
となると、時事ネタについて何かを書く場合は、どうしても、なにかしらのマスメディアによるニュースソースを元にして記事を書くのはしょうがないことであると共に、そうでもしないと個人ブログで時事ネタなんてそもそも書けないと言うことになってしまいます。
そう言うことから、

個人ブログで時事ネタについての考察・意見・感想を書く場合はどうしてもマスメディアを利用することになる、これは仕方のないこと

これが、まずは前提その1になります。

で、ここで一端話は別方向へ向きますが、マスメディアの報道というものは、ある時は行き過ぎた報道だったり、どちらか一方の当事者寄りの報道だったり、有る方向へ世論を向かわせるような情報操作のような感じを受けたり、最悪なのは事実自体をでっちあげたりする場合も、確かに無いわけではありません。
だから俺自身、「マスコミは100%信用できない」とは常々思っているところですし、「どこまで本当だろう?」とまずは疑って掛かる所からニュースは見てます。
でも、とは言ってもマスメディアにおいても、報道が社会に与える影響の大きさ、その意義、重要性、そして報道することに寄る責任等に関しては、プロでやっている以上それなりのものを持ち合わせている事だとは思います。特に時事ネタを扱う報道関連については。
全く有りもしないことを、好きなようにでっちあげてと言うことは、全くの無では無いにしろ、それなりの取材を行った上での事だとも思いますし、前提その1で述べた通り、それ以外知る余地が無いのですから、ある程度は信用しても良いのでは無いでしょうか?100%全てが全て真実とまでは行かないでも、疑いだしたら、世の中のニュースの全てが意味のない物になってしまいますからね。
と言うわけで

100%完全にありのままの真実を伝えているとは言えないかもしれないけど、ある程度は信頼しても良いのではないか?そうでないと、そもそも「ニュース」というジャンル自体が無意味な物になってしまうし、世間の出来事を知ることが出来なくなってしまう。根底から崩壊してしまうということになってしまうので。

というのが前提その2。

と、長々と書いて来ましたが、これで言いたいことの材料は揃いました。
そういう理由から、時事ネタを書く場合はあくまで

「ニュースソースに即して、それによって得た情報について考察をするということ」です。必ずしもその「事実」についてでは無いのです。

だから、予めそのニュースソースを明らかにして「ここから情報を得ました。なのでこの情報に即して俺はこう思います」と言うことを書きます。
と言うことは、当然にそのニュースソースに誤りが含まれていた場合、当然俺の主張も事実に対しては全くの的はずれな物となるでしょう。
もちろん、その場合はそれで間違いは認めるつもりです。

が、「あくまでその時のニュースソースに即しての考察なのだというのが、時事ネタを扱う場合の根本的な大前提なんですよ」と言うことを、記事を書く前にまず述べておきたいと思いました。
そして、だからこそその元となるニュースソース選びも慎重に行って行きたいとは思っているところです。