エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「聞き上手」も状況次第

2008-02-29 | 恋愛関連

今週末、とは言っても明日(3月1日土曜日)の話だけど、飲み会があります。
普段からよく飲む「飲み仲間」という連中で、大体がいつもの固定メンバーなので「合コン」ではなく「飲み会」と言った方がしっくり来る感じですけど、構成内容が年代の近い男女なので、いつも一緒に飲んでいて楽しい飲み会です。
暇だと俺から持ちかけたり、誰か誘ったりして飲むこともあるけど、今回は年度末ということで年度忘れの「大忘年度会?」を企画したらしく、俺もお呼ばれするというカタチに。楽しみです。
そして、来週末の金曜には今度は部署の飲み会(兼送別会)。
で、先週は函館に行って来たばっかりだし・・・・これって「リア充」と言えるのかな?(笑)

今回はちょっと恋愛関連の話を。
女性に人気の男性として、「聞き上手な男性」というのを良く聞きます。自分の事ばっかり話す人や、一方的に喋っている人よりも、静かに落ち着いて、自分の話すことにしっかりと耳を傾けてくれる人。・・・まあ、それはそれで、分からなくも無いです。
gooのランキングでこんなのも見つけました

こんな男性がいたら嬉しいと思うことランキング 

堂々1位は「悩みを聞いてくれる」だそうで、やっぱり「聞き上手」は人気のよう。

ただ、俺が異性と飲んだりした経験をもとにして考えてみると、個人的に感じたのは「聞き上手が良いのも状況次第だなあ」ということ。
これって、単純に
「おお、聞き上手がモテるのか。じゃあ俺は聞き上手な男で行くぜ!」
なんて、聞き役に徹したからと言って上手くいくとは思えない。

「聞き上手」が効果を発するのは状況によりけりで、まず「相手の話を聞いてあげられる関係」になってないと無理。と言うこと。
「悩みを聞いて欲しい」とは言っても、誰にでも簡単に話したりする訳では無いだろう。
同じ会社等でも、普段から殆ど会話をしない人、知り合って間もない人なんかと、たまたま飲みの席で一緒になったからと言って、そんな「話を聞いて欲しい」なんて雰囲気に簡単になるとは、あまり思えない。
こういう場面で「聞き役」に徹しても、むしろ「話題がない・場が持たない」と言ったネガティブなシチュエーションに陥る可能性が高い。
実際「うわ~、何話したら良いんだ?この空気なんか嫌だなあ」って経験のある人多いんじゃないかと思う。

で、感じたのは、

とっかかりはむしろ、とりあえず「会話すること・話すこと。それで盛り上がれる男性」の方が良いだろう

と言うこと。
で、「聞き上手」ってのはある程度の仲を作った上で、相手が話を聞いて欲しいと言う場面では余計な事を言わず、じっと聞ける人だと思う。
さらに、この時はその人の雰囲気とかオーラとか、とにかくそういったものを敏感に察知して、こっちからそれを察してあげて、聞いてあげる雰囲気をこっちから作り出してあげる。そこまで出来る人が真の「聞き上手」なモテる人間だと思う。
なかなか難しいものだ。俺も自信がない(笑)
ただ、きっとモテる「聞き上手」ってのはこんなんだろうなあ、と言う俺の理想像を考えてみた。

今の飲みの連中は、そんなことしなくても普通に会話で盛り上がれるし、悩みとかがあれば普通に相談できる連中なので、今回の記事の内容はあまり関係無いのだけれど、最近ブログで目にした「非モテ」という言葉と、今回の飲みの絡みで、ちょっとそんなことを考えてみました。


おまけというか蛇足というか

ちなみに、「じゃあとりあえず会話とは言っても、何を話せばいいか話題がそもそも浮かばない」って時は何を話せば良いかというと・・・個人的な経験から言うと、とりあえず「恋話」かな?と思う。
「特定の人に掛かる恋の話」は深いから、いきなり話すには向いてないけど、一般論的な「こういうタイプの人が好き」とか「こういう行為にドキっとする」とか「こういう言葉遣いは嫌だ」とか、様々あると思うけど、恋愛における一般論は話題になりやすいし、盛り上がる。相手に「どんなタイプが好き?」と聞いても良いし「俺はこんなタイプが好きだなあ」と自分の好みを語っても良いし、色々と汎用性の高い便利な話題だと思う。


「大人買い」ならぬ「大人でも厳しい買い」

2008-02-28 | てきとうなもの・雑記

今回は「本当にどうでもいい話」だけど「でも驚いた」という話。
俺が驚いただけで、「本当にどうでもいい」話なのであしからず(笑)

発端は、いつも愛読しているサイト「DONTAKT」さん出発。
2月27日の紹介分のなかの一つ

素晴らしきAKB48商法は、ファンへの挑戦状なのかも(アホ理系青年の主張~窓野マサミ☆ネット街の悪夢~ - livedoor Blog(ブログ))

というサイトを見て、初めて知ったこの商法。
CDシングル一枚にポスター1枚プレゼント。
で、そのポスターと言うが44種類あって、プレゼントされるのはランダムに1枚。
で、44枚を全て集めた人は、なにかのイベントにご招待・・・・。
このブログの管理人さん窓野マサミさんが、その記事内で書かれてらっしゃいますけど
「CD1枚が1250円とすると、最低でも55000円必要である。もちろん、それじゃあダブりが出てくるので、もっと買わないといけないだろう。」
とのこと。

さらに、ビックリマンチョコをちょっと引き合いに出されてましたけど、俺自身も子供の頃ビックリマンチョコを買った記憶あるけど、1個30円のビックリマンとは桁が違う。
俺は「AKB48」なんて全く興味無いので、そういう俺からすれば「アホか?」の一言なんだけど(もちろんこの商法についてです。「AKB48」の事をどうこう言うつもりはありません。そもそも語るほど詳しく知らないし)、記事内ではこう締めくくられています

「もっとも、これはここで書かれている「ランダム」要素をどこまで信じられるかという、AKB48サイドの、ファンへの挑戦状という意味もあるのだろう。
そのことをちゃんと信じ、ポスターをコンプリートする者こそが、真のAKB48ファンといえるのかもしれない。」

ん~。なるほど。
興味ない人には信じられない話でも、熱烈なファンならこういうのもアリなのか。
俺がもし、この「AKB48」のファンだっとしたら、コレが切っ掛けで目を覚ますというか、こういう事されたら逆にしらけるというか・・・ファンなればこそ不快感を抱くだろうと想像するけど、そういうのは「真のファンじゃない」なんて言われるんだろうか?
自分の好きなアーティストに置き換えて考えて・・・みてもやっぱり無理でした。俺には買えない。

同じ話題で、同じく「DONTAKT」さんの2月26日分で紹介されていた

オタクの心理につけ込む商法は辞めろ(Thirのはてな日記)

では、管理人さんの憤りが感じられます。
俺も同意で「ビックリマンチョコのように1個何十円って物じゃないんだからさ。こりゃやりすぎだろ」とも思うんですが、ここまでやったら俺が想像するように「逆に興ざめ」って感じる人も多く現れて、黙っててもソッポを向かれるんじゃないかな?とも、思わないでもないので、結果が気になるところです。

子供の頃の「おまけ付きお菓子」を、大人の今なら箱ごと買えるからという「大人買い」なんてのもあるけど、あれは一個あたりの単価が安いから、ちょっとした贅沢程度で理解できるけどさ・・・これは「大人でも厳しい買い」かなあ。

と言うことで、とにかく俺にとって驚きの話題でした。


念のため補足しておきますが、あくまで「俺には無理」「俺には理解できない」という話です。
本気で集めようと思っている人に「何考えてるの?やめろよ」等と言うつもりは毛頭無いし、そういう人に俺の意見を押しつけるのを目的として書いたのではありません。集めたい人が自分のお金をどう使おうが全くの自由ですし、俺がそれについて、とやかく言う権利もありませんしね。
それが親友とか、そういう近しい仲の人なら、意見の押しつけになってでも止めますけど(笑)


今更(でもない)聞けない(こともない)ネット用語あれこれ

2008-02-27 | ブログに関するあれこれ

俺は自分自身を、かなりの「ライトブロガー」であると自認しています。
というのも、今までは殆ど自分が使用している「gooブログ」でのシステムしか分からなかったし、コメントやTBの使い方の認識や、RSSリーダーも最近になってやっと知った等、他の様々なブログへ目を向けるようになって初めて気付いたような事も沢山あって、「同じブログでも全然違う世界がある」と感じました。
今までは、沢山の人の意見に触れてみたいと様々なブログ検索等をする場合も「gooブログ」内での新着記事やニュース、注目記事の検索等をメインにやってたので、他のブログとの接点は少なかったのもありますし、特に「はてなダイアリー」なんかの、☆のシステムとかブックマークとかは、正直未だに「???」な部分が多かったりします(笑)
自分が、そのフィールドで記事を書く立場になるとそのシステムも覚えるんだろうけどね。一読者の立場からすると「まあ、記事は読めるしいっかあ、別に」という部分もあって(笑)

さらに、自分が「ライトブロガー」だと認識するもう一つの点は、言葉。「ブログ用語」というか「ネット用語」とでも言うのでしょうか?そういう言葉で、初めて聞くような知らない単語が多いと言うことです。
これもgooブログでは、あまり目にしなかったというのもありますけど。
以前のエントリーという記事もその中の一つですけど、今回はそういうのを集めてみました。

・増田(ますだ)
 はてなダイアリー発、アノニ「マスダ」イアリーの略で、匿名での投稿記事のことらしい。ちなみに、「はてな」は正式にはダイアリーという形式を取っているので、「はてなブログ」ではなく「はてなダイアリー」であり、匿名でのその記事の主を増田という・・・らしい。

・釣り
 わざと過激な発言、煽る発言、誹謗中傷などを書き立て、それに対する反応を楽しむという行為なのかな?そんな感じっぽい。
 「ブログ炎上」というのは、釣りを狙ったのだとしたら「大漁」って事になるのだろうか?

・厨房(ちゅうぼう)
 語源は中学生の意味の「中坊」で、「ちゅうぼう」と打っても変換されず「厨房」と変換されることから、こうなったとか。
 幼稚で低俗な言動をとる人のことを呼ぶスラングだそうです。単に「厨」や「○○厨」と呼ばれる場合も有り

・香具師(やし)
 「奴」のこと。片仮名の「ヤシ」が「ヤツ」に似ているからこうなったとか。
 この言葉は、結構前に目にした事があり、最近あまり目にしてないので古い言葉かもしれないけど、取り敢えずこれも当時「?」って思った言葉。「奴」で十分なところを、敢えて「香具師」を使うのが楽しい・・・ってことだろう。

・ネ申
 これも、上記「香具師」に似たような生い立ちの言葉で、半角カナの「ネ」に「申」を組み合わせて「神」と呼ばせる・・・なんか、女子高生がメールで使うギャル文字・下手文字に似てる気がするな。

・wktk
 「ワクテカ」の略・・・そもそもワクテカって何?って思ったら「ワクワクテカテカ」の略で、期待に溢れている様子だそうです。テカテカってのは、絵に描いたときにテカテカ光り輝いたような描写になるから・・・みたい。

・(ry
 「以下略」の意味。文末に付く。「りゃく」と、ローマ字打ちする途中のryを取ったもの?

・リア充(りあじゅう)
 現実(リアル)での生活が充実している人間のこと。と説明されていたが、主に恋愛関連。合コン・サークル活動などを指すことが多い。らしい。

多分、まだまだ沢山あると思われますが、とりあえず俺がここ最近で感じたのはこんな感じの言葉でした。
タイトルに「(でもない)(こともない)」と付けたのは、知らなくても実生活(リアル)そのものには、あまり影響が無いからで、こうしてじっくり調べても十分に間に合うと思ったからです。あと・・・やっぱりgooブログではあまり目にしない言葉達だなあというのが、感想です。
ブログそのものの性格の違いってのも、面白い感じがしますね。


武力に訴えちゃいけない

2008-02-26 | ちょっと考えた事

俺は、普段からテレビはほとんど見ない。部屋に居るときはテレビではなくFMか、適当にお気に入りの音楽を掛けている。
ただ、昨日、天気予報を見るためにテレビを付けてみたら(地デジって、番組とはまた別にいつでもニュースや天気予報などを見れるから、その点は便利ですね)パキスタンの現在の情勢に関する特番みたいなのがやっていた。
ムシャラフ大統領と、暗殺されたブット元首相、それからアメリカが絡んでの様々な思惑やら情勢やら最近の選挙のことまで色々と現在のパキスタンについての事だった。なんとなく見てしまったのだけど、その番組を見て思ったのは
「武力に訴えて言うこと聞かせよう」
なんてのは最悪だな、と言うこと。改めて。

と、ある市民へのインタビューで、その市民は
「選挙には行かない。死にたくないから。民主化は望んでいるし大事な事だと思うが、それ以上に生きることの方が大事だ」
的な事を言っていたのが、印象的だった。
選挙会場を狙ったテロだとか襲撃だとかが多発していて、民主化を求める人々を武力で弾圧しているという事らしい。

国民が民主的な主張すらできない・・・なんだよ、それ。
それに比べれば、まだ日本はとても恵まれている方だろう。贈収賄や汚職は絶えないけど・・・

で、この番組を見てて思ったのは

やっぱり、武力で論理を封じ込める行為は許せないし、やっちゃいけないだろう

と言うことです。

これは、なにもパキスタンの国内情勢に限った事ではなくて、規模や形こそ異なれど、本質的に似たような事は日本の、ごく普通の社会生活の中にだって沢山あることだと思った。

一例としては
「恋人からの暴力」若者の半数が経験(俺の過去記事から)
こんなのとかさ。

で、さらに思ったのは、やっぱり

「意見が衝突する場合は、単純にとことんまで疑問点追求の為の論争を交わしたいなあと思うのだが、現実社会では役職の上下だとか、論争に憎悪の感情を持ち込んで来る場合が多くて、後の人間関係とか色々と邪魔になる要素があって「純粋な論争」をする機会というのは滅多に無い。
そう言う意味ではブログを含むネット上はバーチャルであり、匿名性が高いからこそ、そのような事が出来る数少ない場の一つかもしれない。」

かなあ。と言うことでした。
ちなみに、これは俺が過去に別な記事で書いた一文です。自分の文章だから誰にも気兼ねなく引用できる(笑)
「そういや、前にも同じような内容の事書いたなあ」と思ったので、新たにここでまた書くよりも、そのまま使い回ししちゃいました。
というか、楽しただけ・・・・とか言っちゃあいけません。
でも、ネット上はネット上で「ブログが炎上」とか、ネット独自の様々な現象もあるみたいですけどね。

まあ、なんにせよ、力を持って論理を封じ込めようとしちゃ駄目ですよね。
そして、これから先の日本もそんな社会になりませんようにと、祈らずには居られない。
俺は戦争を知らない世代だからこそ尚更です。知らないで済む社会が一番良いと思ってます。
色々と、ありこち跳びまくりの記事になっちゃったけど、なんとなくそんな事。


「俺的」ちょっとだけ特別な日曜の過ごし方

2008-02-25 | てきとうなもの・雑記
函館に行って来ました。
とは言っても、俺の所からだと列車で片道2時間。そんなに大層な旅行と言えるものでは無い。旅行どころか、「日曜日にちょっと足を伸ばして遊んできた」程度のもの。
時間も、7:30出発で、帰ってきたのが18:40だから、これもごくごく普通に「日曜にちょっと足を伸ばして遊んできた」程度の範囲。

なのだけれど、やっぱり違いますね。
同じ県内で、片道2時間くらいの町に遊びに行ってきたのとそんなに変わらない行為のはずなのに、意識としてはそれよりもワンランク上の、なんというか特別な事をしてきたという感覚。
県内で動いてる限りは、これ以上の片道3時間かかる場所へ行ったとしても「日曜にちょっと足を伸ばして遊んできた」という感覚だと思う。
まあ、個人的に函館に限らず北海道に特別な想いがあるから、と言うのも大きな要因だとは思うけど。
もちろん、こういったものには個人差があると思うし、俺と同じ立場に立ったとしても「そんなに特別なものかぁ?」と感じる人も多いことだろうと思う。

何というか、この感覚って・・・得だよなあって思った。俺が(笑)
そんな大きな代償(手間や暇)を掛けずとも、それ以上の感動というか充実感を得られたんだからなあ。
でもこれ、調子扱いてやりすぎるときっと欲が出てくるから、ほどほどにしておくのが良いんだろうと思う。

ちょっと今、小旅行後の充実感というか、良い意味での精神的な疲労感が押し寄せてきているので、ブログ作成とかにしても、少しインターバルを・・・という状況で、これを書いてます。

自分のネタ、他人のネタ

2008-02-23 | ちょっと考えた事
YOSHIさんのブログ「BLOG15.NET」より
書きたいことが既に他のブログで書かれている場合どうするか?
という記事を読んで。

>自力で思いついたのだけど、後から同じようなことを書けば、パクリだと見なされてしまう。特許権や著作権なんかでもそうだと思うが、最初に書いた人だけが権利を認められるというのはどうだろう?

>だから結論を言えば、自力で思いついたことは、他のブログで書かれていようが書くつもりだ。

>何が言いたいのかというと、他のブログで同じようなことが書かれていても、引用していなければ、私は「パクリ」ということは絶対にしていない、ということを言いたいのです。

全くその通りだと思います。
純粋に自分で思い付いてブログに書いてみたら、たまたま同じ趣旨・内容の記事が他にもあった・・・こんな場合って多いと思います。
でも、あからさまな、その人本人が自覚して「パクリ」行為を行った記事ならともかく、自分で思い付いた考え・記事であるならば、何も気にすることは無いだろうと俺も思いますね。
だから、気にせずに記事にして、その後も堂々としていれば良いと思います。

さて、しかしそもそも「思考」というものについて、俺は個人的に思うところがありまして、それは

そもそも、人間の思考というものは、元を辿れば、必ず何かしらの他人の思考に基づいているのではないだろうか?

という疑問です。

ここで言う「他人」というのは、何も今現在すぐ近くに実際に存在して、接している人間に限りません。
例えば、昔から伝わる伝統やしきたり、各種学問や宗教、啓発思想、常識・・etc
ともかく、人から人へ伝えられる物事の考え方全てをもって、俺はそう捉えてます。
で、人間というのはこの世に生まれ出た時、その瞬間から思考能力が備わっているわけではありませんよね。その時点で自分の自我を持って、持論を展開する新生児など居ません。そもそも言葉というもの自体まだ理解していないのですから。
そこから考えると、人間だれしも生まれ出た時は、「思考」に関しては全くの「0」からスタートすると言うことです。
0というのは、いくら掛けてやっても0のまま。他からプラスが無い限り、それ自体が増えることはありません。思考もこれと一緒だと思うんです。
外の世界で、他人か何かのやりとりしているのを見て、聞いて、感じて、最初はそれを吸収して言葉を覚えたり、常識や世の中のルール的なものを親から教えられて、そして物事を知っていきます。
厳密に考えると、この時点ですでに少なからず「他人の思考」を取り入れてる事になるんだと言えます。

「物心付いた頃」と表現されますが、概ね自分自身で自分の存在を固めた時点、自我が形成された時点とでも言えるんでしょうか?
上で述べた理由から、自分で色々と物事を考えたり、創造したりする基盤が出来上がった時点で、すでにその基盤自体、少なからず他人の思考の影響を受けている。と言えますね。
小学校・中学校・高校と学校で習うこともそう、先人が確立してくれた各種学問を学んでいくわけです。

と、言うことは、例え自分が今まで誰も気付いたことのないような事柄を思い立ったとしても、それを思い付くに至った過程では、誰か他人から受けた各種知識や知恵、そして経験等を元にしているわけで、そう言う意味では「完全純粋に全く他人の影響を一切受けない思考」等というのは無いのではないかと、俺はそう思うんです。

そうやって考えると、そもそも「これは俺の意見だ」と言い切ること自体も難しいなあと。
だからこそ、「故意的に本人が自覚してわざと狙ってパクった意見」で無い限りは、他に同じような主張があろうとも堂々としてればいいだろうと、俺からしたら、そういう結果に至るわけです。
これは、その出てきた意見・主張そのものよりも、どういう思考経路を辿ってその意見・主張にたどり着いたのか、そちらの方がむしろ重要な気もします。

「おお~、おまえもこの考えに至ったんだ?ところで、どういう経緯でこの考えにたどり着いたの?俺は、こうこうこうだけど。へえ~、そういうアプローチもあるんだ、なるほどなあ~」
って感じで、むしろお互いに認め合うのが望むべき姿かな?と、俺は思います。

ちなみに、俺の愛読書の一つでもある「パスカル」の「パンセ」と言う本に、こういうくだりがあります

パンセ : 前田陽一・由木康 訳 より  
断章43
ある著者たちは、自分の著作について話す時、「私の本、私の注解、私の物語、等々」と言う。そういう彼らは、一戸を構え、いつも「拙宅では」を口にする町人臭がぷんぷんしている。彼らはむしろ「われわれの本、われわれの注釈、われわれの物語、等々」と言うほうがよかろう。というのは、普通の場合、そこには彼ら自身のものよりも他人のもののほうが、よけいにはいっているからである。


今回の記事は、かなり「勢い」に任せて書きました。
ちょっとね、自分の頭の中に渦巻いている朧な感覚の状態のこの思考を文章で表すには、その時の感じたままを勢いで書いていかないと、混乱してしまってまとめられない感じがしたので・・・・・
と言うわけで、とりあえず書き殴ってみた訳ですが、読み返してあまりに酷い場合は、推敲して加筆訂正を加えたいと思っています。
YOSHIさん、引き合いに出した割には、こんな完成度ですいません。
なんだか、最後になってグダグダ感を実感してきた・・・(笑)
まあ、俺なりに感じたことを書かせてもらいました。

アクセスの下がる曜日?

2008-02-23 | ブログに関するあれこれ

最近よく覗かせてもらっている「DONTAKT」というサイト。
ここは以前に「ブログに関するあれこれ」の記事でも紹介したサイトだけど、その「DONTAKT」での2月21日(木曜)の編集後記で

「編集後記:うーん、近頃アクセスが伸び悩んでますねー。やはりアクセスは更新意欲にもつながってくるので、常に上昇していて欲しいものですが、なかなかうまくはいかないようです。もう少し知名度を上げる策があればいいんですけどねw」

という記事がありました。

さらに、その翌日の22日の編集後記では

「編集後記:昨日アクセスが伸び悩んでいるといったその続きなのですが、ちょっと面白いことに気付きました。実は昨日は非常にアクセスが低く、いつもの半分ほどしか訪問者がいなかったんです。アクセスカウンターではそうはなっていませんが、それは昨日行ったブログのカスタマイズを確認するために、私が何度もアクセスしたからだと思います。それで昨日アクセスが低かった理由を探っていると、木曜日はアクセスが非常に低くなる傾向にあることを発見したんです。1か月ほどさかのぼって確認してみましたが、1週間のうち一番アクセスが低いのが「木曜日」。不思議です、何か理由があるのかもしれないですね。」

とありました。

実は・・・・21日木曜日、関連があるのかどうか分かりませんが、その日は俺のこのブログ「エッセイ的な何か」もアクセス数がガクッと減少していました。
それまでの半分以下です。
俺のこのブログは、元々そんなに言うほど多くのアクセスをもらってるブログじゃなくて、最近になってちょっとだけアクセス数が増え始めてたって感じだったので、当初は
「ああ、結局いつも通りの、以前の水準に戻ったんだなあ」
位にしか思ってなかったんだけど、22日の金曜日はまた、最近のちょっと増え始めた水準のアクセス数に戻ってたので、急激に減ったのは、木曜日だけってことになります。
そこで、「DONTAKT」でのこの編集後記が気になったというわけですが。

とは言っても、俺のこのブログと「DONTAKT」の2つだけで「木曜日はアクセスが下がる日」と決めつけるのは、検証対象としては少なすぎだし、早計だとも思います。たまたま、偶然に一緒だっただけという可能性も大きいですしね。
というか、DONTAKTさんとこことじゃ、取り扱うそのアクセス数の増えた減ったとか言う、桁自体が違う世界の話だと思いますけどね。一緒にしちゃ向こうに失礼かもしれませんが(笑)
ただ、ちょうどタイムリーに、自分のブログも、そういう状況にあったので「へえ~、面白いなあ」と感じたのでちょっと書いてみました。
一応タイトルも
「アクセスの下がる曜日?」
と「?」を入れてみたり(笑)

ちなみに、普段からおおよそのアクセス数は見るけど、それほどアクセス数自体には固執していなかったので、先週や先々週の木曜がどうだったかは分かりません。
(gooブログの無料版は最近一週間分しかわからないもので・・)
でも、ひょっとしたら先週も木曜だけ少なかったかもしれません。

他にも「そう言えば木曜ってアクセス少ないなあ」って人いませんか?
別にそれが分かったからって、なにかあるわけでも無いけど・・・・いや、そういう統計があるって結果を得るだけでも面白いかもしれませんね。

追記
23日の「DONTAKT」の編集後記より
「編集後記;今日、アクセス解析を見てみると、木曜日分のアクセスが通常の値に戻っていた。どうやらアクセス解析の方に問題があったよう。解析結果の反映が遅いようなので、毎日確認するのには向いてないようですね。」
とのことでした。
俺のブログは記事の通り、何故か今週の木曜だけ極端に低かったのですが、これは単に「たまたまそうだった」という事らしいですね(笑)
でも、
「21日のは勘違いでしたが、それ以前の木曜日はやっぱりアクセスは低かったです。」
とのコメントもありました。
と言うことは、「木曜はアクセスが低くなりがちな曜日である?」と、言ったところでしょうか?今週俺のブログに、それがたまたま当てはまった・・・・と。


ATMでのマナー

2008-02-22 | ちょっと考えた事
前にも一回どこかで書いたことのあるネタです。
ただ、自分のブログだったかどこかの誰かのブログへのコメントだったか、忘れちゃって、このブログにも残ってなかったのでここでもう一回書いてみます。
と、言うのも今日も似たような経験をしたもので。

ATMでのマナーについて。
俺は

ATMの操作は一人当たり、一回の使用で多くても3回まで

と思ってます。

それ以上の操作をしたい場合は、一端外れて最後尾に並び直す。これが後ろで待っている人への配慮、マナーだと思います。
もちろん、他に待っている人が居なければ何度でも良いですけど。
3回というのは俺なりの判断だけど、引き出し・入金をするとしたらそれで2回操作することになる。この行動はよく分かる。
さらにどっか別の口座にも入金したいとかそういうのもあるだろうから、まあ、3回ってところかな?と。
別に厳格に3回じゃなきゃ駄目だ。というつもりでもないけど、大体の目安として3回を限度にするくらいがちょうど良いだろうと思う。
予め入金する分のお金をきちんと分けて用意していて、すぐに終わるというなら4回とかになっても、さほど問題は無いかもしれないが。

ただ、今日もあったんだけど一人で何冊も通帳用意して、一人で延々と5分以上何度も操作を繰り返しているオバハンがいた訳ですよ。
その後ろにはかなりの列。その中には俺も。
もう少し他人への配慮ってものがあれば、ここら辺のところ気付かないかなあ?と、毎回思うんですが、分からないらしいです。
自分の番だからと、ATMの前で何冊も(あれは5冊以上はあった)取り出して、当然の如くそれらを操作し始める。これはさすがに配慮無さ過ぎだろ?と俺は思うんだが。
そして、偏見ではなく今までの経験上の事実として、そういうことをするのは、やっぱり中年の女性が多い。今回もそうだったし。

ちなみに、俺は自分の提案を実践してます。操作が数回にわたりそうな場合は、3回の操作を限度に次の人に譲ってます。
ATMの操作に於いては、この程度のマナーは必要だと俺は思う。
やたら長い人の後に並んでて、同じように思った人は居ないだろうか?少なからず居ると思うんだけど。

真に相手の立場に立って考えるとは

2008-02-21 | ちょっと考えた事

前回の

果たして、同じ場面の別な当事者の立場になったとしても、同じ発言が出来るか?

の記事とはまた別の、ちょっと違った視点からの「立場」というものについて。
前にあるニュースを目にして、その時にちょっと考えたことがあった。それを思い出したのでここで書いてみる。

宮崎県で、東国原知事のキャラクターがパッケージに印刷された、各種お土産が大人気だというニュースを以前目にした。
もう結構前の話なので、今、そのニュースを探しても見つかるかどうかは分からない、そして今でも、そういう状況なのかは分からないが、東国原知事の現在での人気を見れば、まだその状況は続いているのではないかと、俺は推測している。

東国原知事の人気は俺も良く知っている。
そしてテレビで見る限りは頑張っているなあとも思う。俺は実際に宮崎県に在住している訳ではないので、具体的にどうのこうのとは言えないけど。ともかく、別に東国原知事に関しては、特に悪いイメージは持っていないし、頑張って欲しいと思う。
ただ、東国原知事本人とは無関係に

東国原知事のキャラクターが入っただけでお土産の売り上げが急上昇

という状況の発生は何故なんだろう?と、当時凄く疑問に思った。
と、言うのは俺には理解出来なかったからで、ただ単にお土産品のパッケージにキャラクターがプリントされて、パッケージを変えただけなのにどうして急に売れるのだろう?買う人は、どうしてそこまでしてそれを欲しがるのだろうか?と。
正直俺は、人気キャラクターのプリントされたパッケージ等には全く興味がない。だって買ってから中身を取り出せば結局今までのものと一緒なんだから。
・・・・と、そう思っていたら、きちんと解答があった。
それは

買って帰って周囲の人に配って話題を作りたい。その話題の中心になりたい。

という心理からだそうだ。
要するに自慢したい心理というか、他人に話題を提供することにより自分を注目して欲しいという心理、見栄なのかな?そういう感じの心理。それに起因しているらしい。
それでみんな、「物」そのものよりも、そういう部分のために買うのだそうだ。

言われて納得した。
ああ~、そんな感じね~。うん言われてみれば分かる分かる。確かにそういう人居る、沢山。
俺自身は、そういう自慢というか話題作りには興味ないというか、逆にそういうの格好悪いなあとすら思う性格なので、
(コレはあくまで俺の性格の事です。俺がそう思うという個人的な俺の価値観。だからそう思う人が駄目だとかそういう事を言いたいのではない、と言うのを補足しておきます)
言われるまで気付かなかった。
そもそも、そういうのが自慢にあたるのかどうかすら、俺からしたら疑問だし、そういう俺だってみんなから注目を集めたり、褒めてもらえたりするのは嬉しいと感じる事もあるけど、俺の場合それは

自分で何か成したときにそれに対する評価

として注目されたり褒めてもらえるならば嬉しいのであって、ちょっと人気のお土産品を買ってきただとか、何処で芸能人に会っただとか、そういう話題で注目を引いてもなんだかなあ・・・と思ってしまうんです(あくまで、俺の個人的な価値観として)
という価値観から、この解答を得るまで俺はずっと疑問だったんですね、これ。

相手の立場に立ってものを考えろ

と良く言われますが、

立場に立っただけじゃ分からないこともある

と、言うのがその時俺が感じたことでした。

俺をその立場に置いてみる。
・俺は今宮崎に旅行に来ている、旅行の最中だ
・さあ、お土産屋に着いたぞ。お土産品が一杯並んでる。何か買って帰ろう
・東国原知事キャラクターのものがあるけど・・
ん~。イメージしてみたけどやっぱり特に欲しいと思わない。
そもそも、それを欲しいという人と俺とじゃ、同じ立場に立ったとしても、物事の判断基準の価値観が違うからなあ~。

他にも、

自分でされて嫌な事は相手にもするな

ともよく言われる。
もっともな事だと思うので、とりあえず自分でされて嫌な事はしないように心がけている。
ただ自分でされて平気でも、それを嫌がる相手も居るし、俺が嫌だと思ったことでも平気でする奴もいる。
これも価値観の違いかなあ~
ハッ、これって「空気読めない」に繋がるなあ(笑)

真に相手の立場に立つというのは、ただ単に同じ境遇に身を置くだけじゃなくて、その相手の価値観を理解した上で心理までトレースしなければならないのか

きっと、商売が上手い人や成功する起業家ってのはこういうのが出来る人、自分の価値観とは別に他人の価値観までも読める人なのだろう。

残念な事に、俺には営業や起業は向いてないみたいだ。


果たして、同じ場面の別な当事者の立場になったとしても、同じ発言が出来るか?

2008-02-20 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

追突事故「車っちゅうのはぶつけるもんや」 強い態度で亀田大の指導を(産経新聞) - goo ニュース

リンク記事の通り、亀田大毅選手が自身の起こした物損交通事故で「車はぶつけるもん」発言をして、それが問題になっているらしい。
倖田某の「羊水腐る」発言やら、鳩山法相の「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」発言など、最近著名人の失言問題というものをよく耳に(目に?)するような気がする。
これに関しては「失言へのバッシングも酷い」というように、「失言へのバッシング」へのバッシングなども、各種の掲示板等で行われているようである。

今回この亀田大毅選手の失言問題を取り上げたのは、別に俺もそれに非難を浴びせたりバッシングをしたいというのが主な目的ではく、別に思うところがあったからである。

それは何かというと

自分が同じ場面の、別な当事者の立場でも、同じ事が言えたか?

と言うことです。

亀田大毅選手の例で言えば、亀田大毅選手が、自分が「ぶつけた側」じゃなくて、「ぶつけられた側」だった場合に「車っちゅうのはぶつけるもんや」と、果たして言ったであろうか?ということ。
(ちなみに、交通事故は少なからず当事者双方に過失があるのが一般的であるから、通常は双方ともに「ぶつけた側」でもあり、「ぶつけられた側」でもあるんだけど、今回は追突事故との事なので、亀田大毅選手は「ぶつけた側」である)
俺の勝手な想像だけど、亀田大毅選手のこれまでの性格を考えると、彼が自分が追突されてたら・・・・。

ただね、実際それはどうなるかは分からないけど、こういう言葉っていうのは、「やらかした側」が言っても全然格好良くないし、やっぱり印象悪いと思う。
で、逆に「やられた側」の立場の時に、こういう事を平気で言える人は凄いと思う。
亀田大毅選手が今回もしも、追突した側でなくて、追突された側だったら同じセリフを吐いても「おお、たいした奴だなあ」と思ったところだけどね。
今回の亀田大毅選手に限らず、倖田某も自分自身が35歳以下という立場からあんな発言してる部分が、やっぱり必要以上に反感を買った部分も大きいんじゃないかとも思う。

果たして発言の対象として「自分もそれに含まれる立場である時」または「自分自身がその対象である立場」という時に、その場でその言葉を言えるのか?
そこの所を考えて発言すれば、失言が逆に名言になるかもしれない。
発言をするときには、その時の立場が重要で、
「果たして自分が同じ場面の別な当事者になったとしても、同じ発言が出来るか?」
で、別な立場の時には言えないような事だったらならば、最初からその発言はすべきでは無いなあ、と。
これこそが、今回のニュースを受けて、俺が感じたことでした。

俺は、「別な立場でも同じ主張をする!」という事を発言していきたいと思ってます。
ちなみに、自分のこのブログ内「バレンタインデーは楽しく」という記事から、自分で引用

「これは、たまたまシステムが「女性→男性」で、俺が男という立場だから、なんか俺がこういうと嫌らしく聞こえるかもしれないけど、逆に例え日本のバレンタインデーが「男性から女性に思いを伝える日」というシステムで成り立ってたとしても、俺は全く同じ主張をします。する、必ず。(笑)」

ほっ、良かった。過去の自分がこういう発言してくれてて(笑)