エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

今を生きる

2007-07-22 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
俺は、人生においてまさに「今」が一番重要だと思っています。
その時々における今。
昨日であれば、昨日のその時点が一番重要だったし、まさに今現在は今のこの瞬間が一番重要だし、明日になれば、きっとその時が一番重要になると思う。

「今、この瞬間で出来うる限りのベストを尽くして生きていく」
が俺の生きていく上での方針というか、スタンスというか・・・常にこれを意識して生きています。
そして、俺にとっての「将来」とは
「その時その時をベストを尽くして一生懸命生きていく、その積み重ねの結果至る場所」
と考えています。
要するに、将来とは俺にとっては「結果」でしかないと思ってます。
その時その時で今ベストを尽くして生きたのなら、その結果が至る将来もきっと納得のいく将来になっているはずだと思うんです。

だから、貯蓄をすること等もそうなんだろうけど、それ以上に楽しいと思うことや幸せを感じる事に貪欲に、人生を有意義な者にしたいと思うし、若いからこそ出来ること、若いうちでないと出来ない事、若い時にするからこそ楽しいことも沢山あると思うし、今の時間を無駄にしたくないし、出来る限り犠牲にしたくない。

「将来のために」とか「老後のために」という常套句を用いて、最初から遙か彼方の「将来」という幻影に惑わされて今を犠牲にして生きちゃってる人って多いんじゃないかなあとか思っちゃったりするんですが・・・俺のこの考え方を理解してくれない両親なんかはきっとそうだったんでしょう。
まあ、別に両親を憎んだり嫌ったりはしてませんけどね。関係は良好です。この点における意見が合わないというだけの話ですが。

ただ、こう言うと、(両親にも)良く勘違いされるんだけど
「じゃあ将来はどうなっても良いの?」「今が良ければいいの?」と。
俺は「ベストを尽くして」と言っています。
将来が破綻するのが目に見えているのに、無策に今の快楽だけを求めるのは決して「ベストを尽くして」ませんね。
「ベストを尽くす」そういうことです。生きるため、人生を有意義に過ごす為に最善を尽くす。本当に目先しか見えてないのもベストじゃないし、でも逆に「将来」という幻影にとらわれすぎて、今を犠牲にするのもベストとは言えないんじゃないかと・・・そういう事です。

「一生懸命に今を生きたその積み重ねの結果至る場所。それが将来」
その時その時を精一杯生きて、気づいたときに「将来」に到達していた。それが俺の目指す将来だし、そう生きていきたいと思っています。

仕事

2007-07-21 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
仕事を選ぶ基準として「自分のやりたいこと」を主とする考え方が一般のようです。
もちろん、学生を卒業し、これから初めて仕事に就く場合や、まだ若いうちでの場合での事ですが。

ある程度の年齢になり、雇用条件に様々な制約が加わってくるようになると、もはや「贅沢は言っていられない」「仕事に就けるだけありがたい」という事にもなるだろうと思います・・・・が、今回はその場合はとりあえず置いておくとして、冒頭の主題に戻って考えたことを何となく書いています。

自分のやりたい事をそのまま仕事にして、そしてそれに、やり甲斐や生き甲斐を感じ、仕事に打ち込んでいる人もいるとは思います。
そういう人はそれで全然良い事だと思うし、そういう人をとやかく非難とか否定する気は毛頭無いですし、そういう人には是非とも頑張ってもらいたいものだと思っています。
そもそも本人が好きでやっているなら、俺が応援しなくても頑張ることだろうと思いますけど。
で、それはそれで、とても良いことだと思います。

ただ、俺は個人的には「好きなことは趣味で(もしくは遊びで)やるからこそ面白い」と思っていて、どんなに好きな事でも、それを「仕事」にしちゃうと、ただ単に「好きだから」「楽しいから」では済まされなくなると思ってますから、やっぱり好きな事は気楽に、遊びや趣味の範囲でやりたいと思ってます。
仕事ということは、賃金をもらう対価として、当然にノルマなり成果・・・所謂「結果」が求められるわけで、その結果と、それを果たすべき責任が常につきまとうせいで、自分のやり方を曲げなければならない場面も多いだろうし、嫌な面も多数見えてくることだろうと思う。例えそれが好きなことであったとしても。

もちろん、「それでもやっぱり好きだし、やり甲斐がある」という人は、大いに結構なことだと思いますし、頑張ってほしいと思います。
まあ応援しなくても頑張るだろうけど・・・・(2回目。笑)

だから、俺としては
「別に、好きなことを無理に仕事にしなくても良いじゃん?」
と思うわけです。
仕事は仕事としてこなし、好きな事は好きな事として、趣味なり遊びで続けていくという選択肢だって有りだと思います。
実際俺はそれを実践中です。
そういう生き方だって有りだと思うし、俺は確かに仕事はつまらないけど、総じて見ると、今の人生とても楽しくて充実しています。

つまり何が言いたいのかというと
「好きなことを仕事にするのは別に良いけど、最初から『好きなことを仕事にしなければならない』という考えに捕らわれる必要はないのではいか?」
ということです。
というのも、高校生などで「将来やりたいことが見つからない」とかいう話をよく耳にします。
そこで思ったのが今回の件。
「やりたいことを無理に仕事に選ぶ必要はないよ?」と。

それに、「何が何でもやりたいことを仕事にするんだ」というのは、一見素晴らしいことのようにみえて、実際はリスクも大きいことだと思います。
「夢に向かって頑張れ」とか無責任に言う人いるけど、人生、何時になってもやり直しが利くかというと・・・・現実はそこまで甘くはありませんよね?ある程度の年齢になると、急に選択肢が狭まったりします。
特に30後半になって「夢破れてさあ、何か仕事を・・・」なんて言っても、現実問題としては大変ですよ。
まあ、そこも一種の「賭け」と言えば「賭け」ですけどね。人生をかけた「賭け」
そこで堅実に行くのも、立派な一つの選択肢であると、俺はそう思ったりもします。
もちろん、夢を追い続けることが悪いと言うつもりは全くありません。現実としてリスクが大きいのは事実だと言いたいのです。

だから、別にやりたいことが見えなくても全然気にしなくていいのではないかと。
やりたい事なのかどうかは別として、とりあえず何かしらの職に就く。それはそれで有りなのではないかと。
高校生で本当に自分のやりたいことが見えてる人の方が少ないと思うし、本当にやりたい事を決定するには、18年そこそこでは、まだまだ全然足りないと思います。
仕事は仕事、遊びは遊び・・・そういう割り切りでも人生楽しいですし、逆に定職についているからこそ、しっかりした土台のある安心感の中で「遊び」を心ゆくまで楽しめる。そういう人生だってあるんじゃないかと思います。(もちろん、定職に就いたからと言って、将来が確実だというわけではないが、少なくとも不安定な状態よりは何倍も安心感という意味では上であることは確かだと思う)
俺自身そういう生き方を選択したから、一つの提案としてどうかな?・・・と。

最初でも述べましたが、やりたいことを仕事にしようと頑張ることが、悪いと言うつもりではありません。そういう人には、頑張ってほしいし、俺が言わなくても頑張るんだと思います(はい、3回目。笑)

ただ、そのやりたいことが見えなくたって、人生大丈夫さ!という事と、必ずしもやりたいことを仕事にするだけが人生のあり方じゃ無いんじゃない?と・・・俺はそう思ったと言うことです。
なんでも、若年世代の就職後3年間の離職率がもの凄く高いのだとか・・・
就職難と言われてますが、「仕事をえり好みさえしなければ、付ける仕事は沢山あるのに・・」と、そんな事も思っちゃいます。

分かってはいるのだけれど

2007-07-15 | 「生き方」「在り方」みたいなもの
ある問題が発生して、でもその原因は判明していて、解決策も分かっていて、その解決策というのも、決して不可能なものでは無く、やろうと思えば出来る範囲の事で…

「だったらすぐに解決すればいいじゃん!その解決策やればいいじゃん!」
と、思う。
俺だけじゃ無く、まず、そう思う人は多いんじゃないかとも思う。
原因も解決策も分かってるのなら…ねぇ?

でも、実際そういう状況にあっても、なかなか解決出来ない事が往々にしてあるな…と、今の台風絡みで地球温暖化の話題を耳にしてふと、そんな事を考えた。
まぁ、実際はもう少し事情が複雑ではあるんだろうけど…根本的な部分はそんなもんだと思う。

他には、ダイエット失敗なんてのもそうかな?痩せたいのに、方法も知ってるのに、成功できないとか。
「分かっちゃいるけどやめられない」って事は他にも多いと思う。
目標は「達成したい」という願いであるはずなのに、それが苦痛で真逆の事をしちゃったり、求めたり…

なかなか、ままならないものですね。

「謎の一万円」というニュース

2007-07-12 | 世の中の出来事
最近ブログは、俺のもう一方のブログの方に掛かりきり(掛かりきりとは言っても毎日更新しているわけでは無いんですけど)になってて、こっちは久々の更新になってしまいました。

今日はなんだか、県庁や市役所の男性トイレに一万円入りの封筒が置かれているとかなんとかいうのが、ニュースで報道されてましたね。
なんとなく見ていたら、その話題が一番多くやってたように思われます(少なくとも俺が見ていた範囲内では)
「いったい誰が何の目的で・・・」
的なお決まりの文句を、キャスター・コメンテーターのみなさん口をそろえて言っていましたが
「別に悪いことをしてるワケじゃないんだし、そんなムキにならなくても」
なんて思っちゃいました。

「お騒がせ」という意味じゃ迷惑なのかもしれないけど、必要以上に騒ぎ立ててるのはマスコミの方だよなあ~・・・とか、思っちゃったり。
本人が「あげる」「使ってください」ってんだから、拾った人は欲しいなら貰えば良いだろうし、警察に届けたいなら届ければ良いだろうし・・・と思うんだけど、法律的にはやっぱまずいのなかな?遺失物法とかそこらへんで?
あ、あれか。必ずしも本人のものであるかどうか確認できないからまずいってことかな?義賊気取りで、どっかから盗んだ金をこうやってバラ巻いてたからやばいってこともあるのかな?

でも、本人が自分でやってるのだとしたら、自らの意志でそれでいいってんのにね~とか思うと、そっとしておいてやれよとも思っちゃったり。
あ、でも、こういう事をする人間ってこういう事で周囲が騒ぐことを期待してるからこんなことをするんだろうから、騒いであげないと逆に可愛そうなのか(笑)
まあ、こうして食いついて記事にしてる俺も俺かもしれないけど(笑)、これがニュースで一番賑やかだったもので・・・

No!War

2007-07-02 | ちょっと考えた事

昨日の「原爆云々よりも・・・」という記事に引き続き、ちょっと「戦争」について考えてみました。

戦争って、なんだかんだ言っても「悪いこと」だよね?
という認識がずっと俺の中にあって、そしてそれは今でも変わらず、俺は戦争反対なのだけれど、戦争について次のようなコメントを頂いて、少し(自分なりに)深く考えてみました

>戦争反対を実践している国があればで攻め入ってきた国の民族に一生、奴隷として働かせられ、人間としての人権などなくなります。
>平和というものは、武力が裏づけされた国家に与えられた保障のようなものです。国家に力がなければ植民地・奴隷民族・牛・馬なみの生活しか与えられない事を知るべきです。

確かに、そのとおり現実問題としてはそういうことだと思います。
で、このコメントから考えたこと・・・いや、確かにそのとおりではあるんだけど、侵略して攻め入った国の民族を一方的に奴隷にしてしまう行為ってそもそも「悪」じゃないか?と。
「国家間」「戦争」と考えるから分かり難くなってるかも知れない、簡単に身近な問題に置き換えてみよう・・・・
見ず知らずの人が勝手に自分の家に上がりこんできた、で一方的な暴力で(凶器なども含め)痛めつけられ、財産を持っていかれた。
この行為・・・完全に「悪」ですよね。侵略戦争ってこれと一緒の事なんじゃないかな。

まあ、「善悪」という事について考えていくと、そもそも生物は食物連鎖・弱肉強食で他の犠牲の上に成り立っているものだけど、そう考えていくとそもそも「善」って何?「悪」って何?という話にもなっちゃうんだけど・・・まあ、今回そこはもう禅問答のような所にまで言っちゃうので、一旦おいて置くとして、とりあえず人類、人間だけでも平和な生活が営めるように・・・という事で考え出されたのが各種の法律であったり、現在の社会制度なのだと思います。
先に述べた、強盗事件の例、あんな行為を悪とせず、咎めないのだとすれば、そもそもの今の社会そのものが根底から破綻していまいますね。
だとすれば、やっぱり侵略戦争も「悪」だと思うし、やっぱり俺は反対だし、「No!War」を叫びたいと思う。

ちなみに俺は前回の記事でも
>たとえどんな理由であろうとも、まあ望んでないのに侵略された方はしょうがないにしろ、仕掛けた側(どちらかが仕掛けなければ戦争は起こりませんね)は、たとえそれがどんな理由であれ、戦争という行為は人殺し以外の何ものでも無いし、絶対に正当化出来ない行為だと思うし、そんなやつの行為を決して正当化してはいけないと思う。
↑こう書きました。
専守防衛なら、まあ致し方ないとは俺も思います。降りかかった火の粉を振り払うだけなら、しょうがないでしょう。これは強盗の例に置き換えても「正当防衛」とか「緊急避難」という部類になると思いますし。みんなが専守防衛で、自ら手を出さないならそもそも戦争は起きないわけですしね。
だから、侵略戦争、そういう行為自体・・・これはやっぱり、俺は「悪」だと思うし、これまでどおり反対します。

ちなみに、実現可能かとかそういうことではなく(そりゃ実現できれば最高ですが)、「悪いことだから反対だ」という、そういうことです。言いたかったことは。
実現できないからといって、悪いことを「悪いことだ」と言うことすら出来ないわけではないと思いますし、実現の可能性が限りなく低いからといって、最初から理想を掲げては駄目だということも無いと思いますから。


原爆云々よりも・・・

2007-07-01 | ちょっと考えた事
久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」(朝日新聞) - goo ニュース

こういう記事を読むたびに「またか」と思っちゃうのですが、俺はそもそも「戦争」という行為自体に反対だし、戦争という行為はどんな理由があれ否定されうる行為だと思うし、絶対悪であると思っています。
たとえどんな理由であろうとも、まあ望んでないのに侵略された方はしょうがないにしろ、仕掛けた側(どちらかが仕掛けなければ戦争は起こりませんね)は、たとえそれがどんな理由であれ、戦争という行為は人殺し以外の何ものでも無いし、絶対に正当化出来ない行為だと思うし、そんなやつの行為を決して正当化してはいけないと思う。
俺は「戦争」という行為自体を憎んでるし、否定しています。

なので、今回の原爆云々に関わらず、たとえば生物兵器の使用は人道的に云々だとかいう話なども耳にすることがありますが「じゃあなにか?生物兵器は非人道的だけど、銃で人を殺す行為は人道的な行為なのか?」と。
原爆にしたってそう、もちろん原爆に関わる被害は甚大で悲惨なものでしょうけど、原爆だけに限らずそもそも戦争そのものが、とてつもなく悲惨で許し難いこういなんじゃないのか・・・と、俺はそう思えて仕方ありません。

戦争そのものに絶対反対で戦争という行為自体許されざる行為だと信じて疑わない俺としては、戦争そのものはとりあえず置いておいて・・的に、原爆だと何だのと話題になるたびにウンザリしてしまいます。

もうね、原爆も悪だけど、それ以前に戦争そのものが悪。
戦争だけは決して認めない。これは誰がどんな理屈をつけようと、俺は決して曲げるつもりはないし、「No!War」この言葉は決して間違ってないと信じてます。