エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

人間失格 3

2009-07-14 | てきとうなもの・雑記

こちらのブログ、体調面でのトラブル(ヘルニア)等諸々の事情があり、中途半端なまま長期放置状態でしたが、やっぱりきちんと締めておかないと・・・と思いました。

「人間失格」というタイトルを付けて書き出したのは、結局、大多数の人間がごく普通にこれが幸せだと感じられる事柄、それがもう当たり前であるというのがごく普通の感覚であるという、そういう感覚・・・それを俺が当たり前のものとして受け入れられない。どうしてもそううやって感じられない。そういうのがそもそもの出発点でした。
それが当然で在るように話を振られると・・・・それが上司や先輩であれば、本心は違っても合わせるしかない。仲の良い友人でも、よほど腹を割って話せる相手じゃないとこの本心は伝えられない。なぜなら、こういう話をして良い気分になるなる人、同意する人は殆どいませんし、みんな結婚して子供ができるのが、揺るがない幸せの形の一つであるという価値観を当然として持っていますから。
だから、実生活での円滑な人間関係の構築を考えて行動する場合、この話はとても人を選ぶことになります。そして話したからと言って、損をすることは在っても得することはまず無い話です。
むしろ「おまえ、おかしいんじゃない?」と言われるか、言われないまでもそう思われておしまいです。
言いたくても言えない、子供が出来たと幸せそうにしている友人・知人を心からお祝いしてあげたいけど・・いや「祝う」という部分では本心だけど、ただ少しも「うらやましい」とは思えない自分。そんな自分には「人間失格」がピッタリだろうと思ったのです。

太宰治も、その著作人間失格の中で、なんか似たような事言ってた気がします。
みんなが幸せと感じることをそう感じられないとかなんとか。
今回の件に関しては、本当にそうなんです。
なので、匿名性の高いブログというこの場で、俺の偽らざる本心を少しだけ暴露してみた・・・というのが、この一連の記事でした。

一番辛いのは、結婚したら子供というが、もう決まり切った当たり前の事として言われること。
「れで幸せを感じるのは自由。でも価値観を俺にも当然のこととして押しつけないで欲しい」
これが、正に俺の本心なのです。そう思う人間が居ると言うことを言いたかったというか、そういう価値観もあるということを言っておきたかったというか。

でも、そういう俺だけど一番許せないのが子供を産んでおいて放置したり、自分の赤子を虐待したり、最悪はそのまま死なせてしまったりする親。
たまにニュースにありますね。児童虐待とかパチンコ中車に放置したりだとか、赤ちゃんポストだとか捨て子だとか。
これって、人間として本当に最低の行為で正に屑。こういう人間って本当に許せないです。
俺は確かに、将来的に子供を作って家庭を築くと言うことに夢や幻想を抱いていません。でも、だからこそ、そう言う人間だからこそ俺は将来的にも自分では子供を作る気ではないと自分自身感じています。結婚相手も当然それを受け入れてくれるというのがまず第一条件です。
やっぱり、子供を作り、親として育てていくということは、本当に本心からそれを望む人じゃなければやってはいけないことだと思うんです。中途半端な覚悟なんかで子供を産むべきでは無い。
これは、生んでしまえば、もう責任放棄は許されない事なのだから・・・・

俺は「小さな幸せ」とか、結構そういうの好きなんですよ。実は。
なにげに当たり前に生きているけど、こうして平和に日々を過ごせると言うだけで、実はものすごく幸せなことで、それを忘れちゃいけないとは常々思ってます。
家族愛を描いた映画とかドラマなんかも、見てる分には好きです。
幸せそうにしている家族も、傍目から見てていいな~とは思います。
ただ、俺の場合の「いいな~」は、あくまで第3者視点というか、「羨ましさ」という感情の入らない「いいな~」というか。
要するに、幸せそうな他人の幸せなストーリーは好きなんですよ。子供が好きだという人はそれで良いと思うんです。そして、すごく幸せになってください。
ただ、そう言う人はほぼ例外なく俺にもその価値観を押しつけようとするという、その点だけが残念なんです。
「子供はいいよ~」「作れば絶対に可愛いから」「可愛くてしかたかいから」
だから・・・・俺に押しつけないで。

いや・・・きっと押しつけてる訳じゃないんですよね。
自分が幸せだから、それを味わって欲しいという親切心とういか、単純な真心からの発言かもしれない・・・・いや、きっとそうでしょう。
それがもう、当たり前の価値観としてもっていて、あまりにも当たり前すぎて普遍的すぎる価値観だからこそ、まさか相手がそれと反する価値観をもっているとは、そもそも思えないということかもしれない。
多分・・・いや、きっとそう言うことなんだと思う。

なぜ俺は、そのごく当たり前の幸せの価値観を持てなかったのかなあ。
その点に関してだけ言えば。やっぱり俺の方が「人間失格」ってことなんですよね。
だから、子供は作らない。それを理解してくれる人と一緒になり、俺なりの人生を築いていく。
そうすれば、人間失格ながらも誰にも迷惑は掛けない。
これが、俺なりの今の答えです。
この部分だけは、本心に従わなければなりません。既に言ったとおり、本当に本心から子供が欲しい訳じゃないのに子供を作ったら、必ずどこかにほころびが生じて、そしてその被害を一番に被るのが、何の罪もないその子供なのだから。
だから、「世間がこうだから」「それが一般的だから」「それがあたりまえだから」という理由で、自分に嘘をついて子供を作ったりなんかしたらいけない。
本当に本心から子供が欲しいと思う人にしか、親になる権利は無いと俺は思います。

俺が言いたかったことは以上です。
そして、この「エッセイ的な何か」はこの記事を持って締めです。
過去に書いた記事も含め、残しておこうとは思ってますが、記事はこれが最後。
やっぱり、最後はスッキリとさせないと。ですからね(笑)
と言うことで、読んでくださった方には本当に感謝です。ありがとうございました。

※コメントは過去記事共々常時募集中ですので、もし俺の記事への意見・感想などが在ればどんどん気軽に描き込んでおいてください。出来る限り、返信はしたいと思っています。
※「エッセイ的な何か」は本当にこれで終了ですが、その代わり・・・では無いですが、別な駄文ブログを立ち上げる予定です。そもそも本来このブログを立ち上げた目的に近い。「北へ。」ブログの北海道以外の事をなんか書きたい時のブログ的なものを。このブログはなんか、途中から路線が違ってきましたから(笑)
ちょっとこのブログはあれこれと、負担になってた部分も実はあったりしたので、もっと気軽な、更新時期も本当に不定期で長期放置上等!な(笑)、もっと「ゆる~い」感じの、書きたいことを気ままに書くというスタンスのブログを新規に作りたいなあと感じてます。
そちらは出来たら、ここか、「北へ。」ブログの方で紹介したいと思います。