エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「用件は何?」という言葉の心理

2007-04-23 | 恋愛関連

相互リンク貼らしてもらっている、HN「ビバ!」さんのブログでの記事「夫婦げんか注意報。」という記事が今回のこの記事のモチーフです。

ビバ!さんが自身のブログで挙げていた「夫に言われて傷ついた一言」の中の、9番目の「で、結論なに?」というもの。
これを見て、ちょっと考えるところがありました。
それは、「結論なに?」とはちょっと違うけど、携帯電話での良くあるやりとりで

彼女から彼氏への電話
彼氏「ん?どうした?なんか用?」
彼女「なんか用って・・・用事がなければ電話しちゃいけないってわけ!」

というやりとり。これ良く耳にするやりとりですよね?
実際にこれで喧嘩したカップル・夫婦も少なからずいるんじゃないかと思います。
この問題に対してちょっと考えが及びました。

この問題に対する俺のスタンスは、彼氏養護というか、彼氏側の立場ですね~
と、言うのも、確かに得に用件の無い会話というのもありますし、「井戸端会議」でも「他愛もないおしゃべり」でも、用件がない気楽なバカ話だからこそ逆に面白いという事もあります。飲みの席で盛り上がるのもそうだと思うし、そういう会話も確かに大切です。
ただ、「用事がなければ電話しちゃいけないわけ!」といきなりキレるのはどうかと。
「なんか用?」という男の心理としては、別に「用がないなら掛けてくるなよ」と言いたいのではなく、あくまで言葉通り「用件は何?」というのを確認しているだけだと思います。実際俺の場合はそうです。
だから、別に悪気や悪意があって言ってるのではなくて、あくまで確認の為に言っただけなのに、いきなりキレられると、こっちとしても「なんでそんないきなりキレられなきゃならないんだよ!」と言うことで、逆に頭にきたりして、喧嘩に発展する・・という構図ですね。

この根底には、男女間で携帯電話というアイテムに対するそもそもの先入観というか、その存在価値に対するとらえ方の違いがあるんだと思われます。
女性からしてみたら、とにかくおしゃべりでも何でも気軽にできる道具という感じかもしれません。ところが男性にしてみたら、用件があるときの連絡用のツールという感覚があります(全ての男女がこのような捉え方をしてる訳ではないでしょうけどね)
おそらく、その部分の価値観の違いが、このような不毛な争いへと発展しているんだろうと。

ただ、俺が男だからなのかもしれませんが「用件を問われるのがそんなに不快かぁ?」とやっぱり思っちゃいますね。「用件を求めちゃいけないの?」とも。
確かに、無駄話も楽しいとは書きましたけど、それでもやっぱり会話していく以上、なにかしらかの着地点というか「起承転結」の「結」を求めるのは会話をする以上当然の行為なんじゃないかとも思っちゃいますし、むしろ話すだけ話して内容は途中でほったらかしってのは、複線を貼るだけ貼っておいて、全然回収しないまま終わっちゃう推理小説のようで何とも後味が悪く感じちゃったりするのですが・・・・

だから、個人的には「で、結論なに?」という旦那さんの気持ちも解らないでもないですし、電話が掛かってきたら「ん?なんかあった?」「どうした?」「用件は?」って聞いちゃうことはやっぱりあります。
この言葉悪意はありません。本当に言葉通りなんですよ。と言うことをとりあえずここで女性の方々に主張してみます・・・・

「恋愛」カテゴリーか、「言葉」カテゴリーにすべきか、微妙な内容ですけど、とりあえず「恋愛」で。


とりあえず付き合ってみる

2007-04-15 | 恋愛関連

「付き合う」ということは、当然ながら、お互いがお互いを好きであるということが前提だと思ってました。
「付き合ってる人」=「恋人」ですよね?「自分の彼女」は=「自分の恋人である」と言っても、間違いではありませんよね?「恋人」って位だから、当然前提として恋愛感情があって、好きだから付き合っている。
・・・・ここまでは、ごくごく当たり前にまっとうに、特別な話題の飛躍はどこにもなしに、行き着くべくして行き着く当然の結果だと思うんですが、いかがでしょうか?
結論として、
付き合っている人=恋人=好きな人
であると言って間違い無いと思ってます。

が、どうやら「付き合う」という行為は必ずしも好きな人と付き合うわけではない。という意見があって、というよりも、どうやら「最初から両想いで付き合い始めるのはむしろ希」でさえあるという意見を聞きました。
そういう人の意見では、とりあえず付き合って、それでだんだん相手のことを知っていき両想いになったり、相手のことを良く知って好きだという感情が無くなったりする。それを知るために付き合うのだ・・・と、言うことなのだそうです。

前回の記事「恋愛」とはと、今回の冒頭部分で述べた事と明らかに矛盾があります。
まず、そのために前回『「恋愛」とは』という記事を書いたんですが、これはもう自明。疑う余地は無いでしょう。あれを否定するなら、恋愛という日本語が破綻します。
で、ちょっと考えてみました
自分の付き合っている人を彼女(or彼氏)と呼ぶのは、これは付き合っている人ならだれしもそうでしょう。ここには疑問を挟む余地無しですね。
それじゃ、彼女(or彼氏)=恋人なのか。
ここが微妙な所なんでしょう。

好きでもないのに、とりあえず付き合っている人。この人達はその「とりあえず付き合っている相手」をどう捉えているのかな?まあ、そういう人たちでも「彼女(or彼氏)」と呼ぶでしょうね。「恋人」と呼ぶか・・・呼ぶけど「好きだという訳ではない」
矛盾はここに有り。おそらく、矛盾と知りつつも、気付いてないのか、気付いていながら敢えて無視しているのか、それとも「そんな言葉上の関係なんて関係ないよ」と開き直っているのか・・・・
そもそも、矛盾しているのに、その矛盾を内包したまま付き合うという行為に踏み切る。それが、「好きかどうか分からないけど、とりあえず付き合う」という行為が成立するシステムかなあ・・と。

さて、それじゃなぜ矛盾を抱えたままで平気で付き合えるのか・・・
とりあえず付き合っておけば、好きになった時にそのまま付き合えるし、好きになれなければ別れれば良いし・・・という、ノーリスクハイリターンのいわば「良い所取り」をできるシステムだからなんだろうなあ・・・と。
俺なんかは、矛盾が我慢出来ないタイプで、そこら辺「しっかりさせたい」タイプなので
「お互いがよく分からないなら、よく分かってから付き合えば良いだろう?付き合わなくてもデートでも何でもできるんだし。というか、そのためにデートとかして相手を知って行くものなんじゃないの?」
とか思っちゃって、とりあえず付き合うなんてできません。付き合うチャンスとか、そういうものよりも、自分の思う信念・信条を大切にしたい・・とそう思います。
ただ、「信念?信条?そんなものにしがみついて、付き合うチャンス失ったら何にもならないじゃん?」って人が、矛盾だろうが、そんなものなんのその・・・で、「とりあえず付き合う」という行為に踏み切る。要するに余裕が無いというか、必死なんだろうなあ・・・

それと、まあ「今恋人います」とか「これまで何人と付き合いました」という、いわば直接のお付き合いをする相手よりも、その他の周囲の第三者への見栄というか虚栄心というか・・・そういうものに起因していたりもするんだろうなあ。と。

そう言うわけで、俺自身は「付き合う」という行為は当然に、というかそもそも前提としてお互いを好きであること。両想いであることが絶対条件だと思ってましたので、
「好きかどうかわからないけど、とりあえず付き合う」
という行為に驚いたし、なによりそうやって付き合いを始める人がかなり多いのだと言うことを最近しって、軽いショックを受けました。
世の中の事、よく分かってなかったなあ・・・・・
なるほど、そんなものかなあ・・・と、俺なりに出してみた結論はこんなものでしたが、それとも「とりあえず付き合う」という行為。他になにか理由があるのでしょうか?

ただ、
付き合った相手=彼女(or彼氏)=恋人
という図式は間違っていないと、俺は確信してます。だとしたら
「恋人」なのに「好きかどうかも良く分からない相手」では確実に矛盾ですよね?


「恋愛」とは

2007-04-14 | 恋愛関連

「恋愛」って、要するに「人を好きなること」だと思うんです。
だから、恋愛感情とはつまり、人を好きなる感情だから、要するにそれも「人を好きになること」だと思います。
これは、なにも特別なことではありませんよね?
辞書を引いても「恋愛」は当然に「人を好きなること」とか、そういうことが書かれていることだろうと思うし、別に「辞書に書いてるから」とか、そういうのを抜きにしても、「恋愛」と言われたらやっぱり「人を好きなること」と、日本語を解する人ならば誰でもそう考えると思います。

「それだけじゃないぞ」って人もいるかも知れません。
ただ、それにしても「+αで他にもある」と言うことであって、要は「人を好きになること」という前提があって、その上でさらに別なこともあるという感じで、「人を好きなること」が全く抜け落ちた「恋愛」は、もはや「恋愛」でも何でもないと思います。
というか、「恋愛」から「人を好きになること」という意味を抜いたら、その日本語は破綻してますよね?

「恋愛」には「人を好きなること」という意味は当然に含まれている。
もしこれに違うという人がいるなら、是非その意見を聞いてみたいものです。

と、まあ、言われなくても誰でも当然に分かることを、敢えてこうして長々書かせてもらったのは「恋愛」という言葉の意味・定義を改めてハッキリとさせておきたいと思ったからです。
そう思うには、当然に意図があるわけですが、それは次の記事で。
今回は、その導入というか前提としての、お話でした。


血液型と性格

2007-04-13 | てきとうなもの・雑記
「血液型と性格」については、なにかと良く話題になります。そして大体が血液型判断等と言われるように、血液型が性格を決めている・・という風潮があります。
そこで、ちょっと思ったこと

子供が親に似ることは有ります。
親から子へ遺伝子が引き継がれ、子が親に似るというのは分からないでもありません。そして、例えばA型同士の親からはO型は生まれてもB型やAB型の子供は決して生まれないわけで、AかOが生まれることになるのだから、そういう意味からすれば、似たような性格の人間がある一定の血液型に偏ることも有り得るんじゃないなあ・・・と。

血液型の組み合わせによっては生まれてくる血液型、決して生まれない血液型があるわけで・・・・そうすると、親の遺伝子を受け継いだ親に似た性格の人間(=子)が、親と近い血液型に偏る割合は高い。
そう考えると、ある血液型にある性格の人間が多い統計が取れてもおかしくない。

ただし、この場合「血液型がこうだから性格がこうだ」というのは順番が逆で「こういう親から生まれて、似たような性格の子供が生まれて、その結果血液型は○○だった」という図式なんじゃないかなあ?

と、考えてみました。
これって、ちょっと新しい発想じゃないですか?(自分で言ってすいません)
「血液型と性格」論にあらたな一石を投じる・・・ことになったかな?(笑)