エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

有名店の名前を冠したカップラーメン

2008-04-26 | てきとうなもの・雑記
ふと、思い付いたこと。
毎回「ふと、思い付いて」ばかりだけど(笑)、本当に何気なく思い付いたこと。
で、別に批判したいわけじゃなく、文句をつけたいわけでもなく、言葉通り思い付いたどうでも良いことです。

現在カップラーメンには、各メーカーから本当に色んな種類の様々なカップラーメンが販売されていますが、中には実在する有名ラーメン店の名前を冠したカップラーメンというのもよくありますよね。

有名店のインスタントカップラーメンに関するアンケート

こんなアンケートも発見しました。
「すみれ」「山頭火」「行列の出来るシリーズ」は俺も実際に食べた事があります。

ただ・・・、確かにカップラーメンにしては凝っている部分もあるし頑張っている部分もあるのですが、それでもカップラーメンはやっぱりカップラーメンで、当然の事だけど「そのお店で実際に客に出しているラーメン」とは全然別物です。
そりゃそうです、実際にその場でラーメン職人さんが作るラーメンと、カップラーメンで同じものが出来るのだったらラーメン店は必要ないって話ですから。

ただ、この「有名店の名前を冠する」のはどうなんだろうなあ?と、ふと、疑問に思ったんです。
というのも、例えばその有名店がそのままラーメン店としてどこかに支店や、暖簾分けする場合、そのラーメン店の本店を含む全てを背負う事が出来るだけの味が求められると思います。
例えば、東京に本店があって美味しいと有名なAというラーメン店が青森に支店を出したとします。しかしそのAの青森支店のラーメンは、とても本店とは似ても似つかないほど不味いラーメンだった。
しかし、本店のラーメンを食べたことのない青森市民に、その青森支店のAのラーメンを「なんだ、Aのラーメンって不味いじゃん」と判断されたとしても、その名前を冠した支店を出した以上、そうやって判断されてもしょうがない。ということですよね。
名前を背負うというのは、そういうものだと思います。

だとしたら、カップラーメンに有名店の名前を冠するっていうのは、極論になるけど、極端な話をすれば「そのカップラーメンで味を判断されても、しょうがないんだよ?」ということなんじゃないかなあ?と。
もちろん「まあカップラーメンだから」と、食べる方も予め分かってるので、特に問題にはならないし、「カップラーメンと本物が違うのは当たり前だろ?」って事で、「ん~な事いちいち突っ込むなよ」くらいのものなんだけど、カップラーメンだからとかそういうの抜きに、単純に「名前を背負う」「名前を冠する」というその視点から物事を考えた場合、本来の意味からすればカップラーメンだろうがなんだろうが、名前を背負うとはそう言うことなんじゃないのかなあ?と。

そんな事を思いました。
いや、「だからどうしろ」と言いたい訳じゃないんですよ。最初に述べておいたとおり。
単純にそういう疑問をちょこっと感じた。という話です。