秋葉原の殺人事件について。
これ今一番の話題ですからね、俺もこのニュースを見て思ったことはあったんだけど、なんか書いてみようかな?と思っていたら
そろそろ秋葉原の事件について語ってみるか(タケルンバ卿日記)
という記事を発見しました。
俺の言いたかったことが、ここに殆ど書かれてる
そう言えば、どこかのブログで「お前は俺か!」ってフレーズ目にしたことありましたが、まさにその心境(笑)。
でも、このフレーズは偉そうですね。俺何様だよ!!
それよりも、「俺もその意見に完全に同意です」ってところでしょうか。
それにしても、見事にシンクロしてます。
ここまで書かれちゃうと、俺が書くことは何も無いです。参った参った。
いや、というのは言葉のアヤで、「参った」と言うよりはむしろこういう記事を発見出来て「良かった」という感じでしょうか。
だって、そのおかげで俺はなにも書かなくても
「良かったらリンク先の記事に目を通してみて下さい。俺が主張したいと思ったことがすべて書かれてますから。俺もそんな風に思いました。」
と一文書くだけで終了ですからね(笑)
なので、今回この記事自体は秋葉原の事件云々よりも、タケルンバさんの表現の方法から、「これは良いな」と思ったフレーズを個人的にピックアップ
タイトルにも使用した
「必要なのは「バカにルールを合わせない」こと」
これ、良いなあ。上手い。このフレーズ次から俺も使わせて頂きたいと思いました。
あと、これの前提となった
「バカがルールを作る」
も上手いし、その総まとめの
「でも新たなバカはどうせ出現する。他の手法をとって出現する。そうした場合、前のルールは残り、新たなルールがつくられる。バカスパイラル。ルールがルールを呼ぶ。規制が規制を呼ぶ。こういうことには意味がないと思うんだよね。」
うんうん。意味もよく分かるし、簡潔だし、さらにインパクトがある。この表現は上手い。
俺だったらどう表現しただろう
「「臭い物には蓋を」的な場当たり的な対処方法なんて全くの無意味」
とかそんな感じで持っていったかなあ・・・・
ともあれ、「バカスパイラル」って・・・いいねこれも。凄く上手い表現。これ好きだなあ。この表現はメモして今後に活用させて頂きたいと思います。
本でも読もうかな?と書いておきながらも、ゴルゴ13からネタを持ってくる辺りどうなのかあ?って感じもしますが(笑)、でも実際ゴルゴってパロディとかで使われることも多いけれど、でもなんだかんだ言ってもやっぱり凄いマンガですね~。
ストーリーもそうだけど、よほど世界の社会情勢に通じてないと書けませんよね。フィクションではあるけど、どこまでがフィクションでどこまで本当なのか分からないくらい、政治や経済の裏の世界では普通にありそうな事ですし。
さいとうたかを先生凄すぎです。
というワケで、ゴルゴ13ビッグコミック増刊号「宴の終焉」という話の中でゴルゴのセリフから
セキュリティに自身を持つのは勝手だが、いかなる守りも管理者が自信を持ちすぎたその瞬間から崩壊が始まるものだ
うん。
確かに、いかに凄いシステムでも、何か問題が起こるときというのは大概人為的なミスによるものなんですよね。
別に俺はプログラマでも無いし、なにか凄いシステムを作るという立場にいるわけでは無いけれど、これって、システムを構築する場合に限らず様々な場面に当てはまる事だと思いました。
初心忘るべからずとか、油断大敵とか、要するにそこら辺のこと。
戒慎恐懼というのも、こんな感じの事ですよね?要するに慢心してはいけないと。
このフレーズは良いなって思いました。
新たにカテゴリを一つ追加しました。
これは、「俺自身に向けて」という意味合いのほうが強そうなので「個人メモ」と付け加えておきましたが、要するに
「こういう場合はこう言えばいいのか」とか「こう表現すれば分かり易い!」
と俺が個人的に感じた言葉の使い回しやフレーズ等をストックしていこうかなあと。
未だに、「思考→言語」の変換には常に四苦八苦しながら文章を書いている俺ですが、果たして進歩しているのやらどうなのやら。
だからこそ、もう少しこう、使えるフレーズを盗む・・・もとい。沢山勉強していこうかなあと思いました。
で、前回の
恋愛は現場で起きている!
という記事で俺は
付き合ったと仮定してみる。若しくは過去に付き合っていたときの事を思い返してみたり、つまり想像上で女性と付き合っている様子をイメージするのと、実際に現在進行形で付き合っているのでは全く違う。臨場感というかなんというか、言葉では上手く説明出来ないけど、特に実際に好きな相手を目の前にしているのと、その人を想像で考えているのでは、その時の緊張感やドキドキ感など雲泥の差です。
これは、過去に彼女が居た経験のある人がそれを元に想像している場合でも同じ。
実際に経験があっても、現在進行形とはまた違うものです。
という記事を書きましたが、これで俺の思考を上手く皆さんに伝えることが出来たでしょうか?俺なりに頑張ってみたつもりですが、実際長い言葉回しになったし、もう少しスパっといかないものかなあ・・・と思わないこともなかったんです。
そしたら、iona69さんからもらったコメントに
「恋愛のスイッチがOFFの時は もっと有意義な事にエネルギーが使えそうに感じたりしても イザONになると 手間も財布も智恵も何でも 総動員に近くなりますね」
!!・・・・これだ。
そっかあ、スイッチのオンオフねえ。この例え分かり易い。
俺自身このコメントを読んでほんとうにもう、目から鱗でしたよ。
伝えたい内容は、一緒なんですけどねえ。さらっと、こういう言葉の使い回しでスムーズにいきたいものです。
ionaさん、これ勉強になりました。
そう言えば最近全然本なんか読んでないし、もう少し本でも読んでみようかな?
原点に立ち返って夏目漱石あたりから、文学作品あたりを少しづつ。
P・S
iona69さんへ。
この記事を持ってコメントへの返信とさせていただきます。
いや、まあタイトルに関しては、俺の自力ではなく他力本願な部分での話なんですけどね(笑)
という前置きをして本題。
こんなニュースを見つけました
「休みたいなら辞めろ」発言は暴論?正論? ネットで波紋広がる
なるほどね~。
賛否両論。
俺自身は、仕事に対しては基本的に
仕事の意義
↑こんな感じですので、個人的にはこの永守社長の意見には否定派なのですが、確かに「潰れてしまったら元も子もない」という意見も一理はあるとは思います。
「でも、それは分かるんだけどでもやっぱり「休みたければ辞めろ」ってのはなあ~」
「やっぱり違うと思うんだよ、上手く言えないけどさ・・」
と思案しながらこのニュースを読み進めていったところ、記事の最後に弁護士の落合洋司さんという方の、次のようなコメントが載せられていました
『私自身は、社会に出た後、現在に至るまで、この社長発言のような感覚で生きてきている(適度に休んではいますが)ので、言っていることはよくわかりますが、そういった姿勢、やる気というものと、経営管理の立場での在り方というものは、やはり、きちんと区別し切り分けて進めないといけない、ということではないかと思います。
日本人(特に、やり手と呼ばれるような人々)の根底に流れている、こういった感覚が、過労死にもつながるような過重労働を生み、日本各地で様々な不幸を生み出している、という面も、見逃すべきではないでしょう。
先日、ニュースを見ていて、アメリカ大統領候補のオバマ氏が、激しい選挙戦の中、しっかりと休暇をとり家族と何日かを過ごした、ということを知り驚きましたが、そういったことが当然のこととされるような、より成熟した社会を、日本も、そして私自身(連休でも働いている)も、目指さなければならない、ということなのかもしれません』
・・・・うわ~。凄い。
うん。そう、まさにこれだよ。
さすが弁護士とでも言うべきでしょうか、思案している事を文章に変換するのに毎回四苦八苦しながら、それでもなかなか頭の中を100%変換しきれていない俺にとって、今回この落合洋司さんの言葉は、まさに「ビシッ!」と決まったというか。
こういう文章を書くようになりたいなあと思いました。
特に、俺が思考の中でモヤモヤしていた部分を、綺麗に言葉に変換されていた部分が
「そういった姿勢、やる気というものと、経営管理の立場での在り方というものは、やはり、きちんと区別し切り分けて進めないといけない、ということではないかと思います。」
この部分。
そう、これ。まさにこれ。つまりは、そういう事ですよ!
なんだか、最近弁護士といっても光市母子殺人事件の弁護団のアレとかもあって、なんだかなあという雰囲気もあったりしましたが、この落合洋司さんって人は凄いなあと思いました。
途中から「ブログ論」というか文章の書き方とういか、そういう方向に話が逸れましたが、実は今回最も主張したかったのはそちらの方だったりします(笑)だからタイトルもこのようなタイトルにしました。
まあ、でもいくらなんでも
「休みたいなら辞めろ」
は確かに横暴だと思いますね。
確かに余裕がないとしても、「休まないのが当たり前」という考え方はおかしいと思います。
「休みたい?何言ってんだお前?嫌なら辞めろ」
という会社は嫌ですね。
「本来は休ませたいところだし、休みだって必要だ。でも今はここを乗り切らないと会社が傾くから、だから仕方ないからここは我慢してくれ」
だと、まだ納得もできるってもんですけれども。
結果としては「休めない」にしろ、その捉え方の違い。根本的な意識の違いでしょうか?「当たり前」を持ってこられると、やっぱり嫌です。