エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「メタボ」は正しく使おうと思った

2008-06-13 | 知識・勉強的なもの
今更だけど、ふと思ったこと。気になったこと。
この手の話題は、もう既に様々な人がネタとして取り上げて記事にしているかもしれません。

「メタボ」という言葉は、もう殆ど定着した感がありますね。
ただし、間違った定着の仕方をしてるんじゃないかな?と思いました。

メタボ=デブ

みたいな。極端に書けばこんな感じで。

「目標、脱メタボ!」とか言ってる人もいたし、「メタボ腹」なんて言われたりもしてたり、「俺、最近メタボ気味で」とか・・・・この類の会話は良く耳にします。
最近これが気になってしまって。
本当に「メタボ」な人がそう言ってるなら良いのですけど、単にデブなだけ・・・表現を和らげて書くと単に肥満体であるというだけの人がこれを言葉にすると、「いやいや、違うだろう」と。
知ったかぶりして間違った事を平気で言ってる人のようで、見てるこっちが恥ずかしくなると言うか。

メタボ。メタボリックシンドロームとは

こういう事ですよ。(ウィキペディアより)

内臓脂肪型肥満がベースで、それに「高血糖」「高血圧」「高脂血症」のうちのなかからいづれか2つ以上を合併したものだそうで、つま「内臓脂肪型肥満」+あと2つが合併して初めて「メタボ」なわけで、単にデブなだけなのは、メタボの要件の一つではあるけど「=メタボ」では無いということ。

似たような話で「放射能」と「放射線」の違いが分かってない人も多いですよね。分かってないと言うか勘違いしている人。
ニュースでさえ「放射能漏れ」とか言っちゃってる始末だし。


「スイーツ(笑)」っていう話題がちょっと前にありました。
「実際にそんな女性はいないよ」なんていう話もあったらしいですが、まあ居る、居ないはともかくとして、「スイーツ(笑)」の場合は、敢えて気取った言い方をしてる部分がどうなんだ?って話ですけど、完全に「間違いだ」とまでは言えない分まだマシだったと思います。
ただね、「メタボ=デブ」は間違いなので、少なくとも俺は正しく使おうと思いました。

他の人が使ってるのに、いちいち忠告したりとかそんなことするつもりは毛頭ありませんけど。
少なくとも俺は、こういう勘違いは恥ずかしいので。

豆腐と納豆

2008-03-11 | 知識・勉強的なもの

今回はゆる~いネタ。

豆腐と納豆という言葉には

「間違って逆に使われたのが、そのまま定着してしまった」

という俗説があります。
豆腐は本来「納豆」であり、納豆は本来「豆腐」であった。という話ですね。

恥ずかしながら俺は、子供の頃にこの話を誰かに吹き込まれたため、結構長い間、この話を信じてました(笑)
だって、子供心で聞く分には微妙な説得力のある話でしたからね。

豆腐・・・この腐るという文字と、納豆の製造過程の発酵させるという行程がイメージ的に合致。

納豆・・・豆腐って「ぎゅっと圧縮された」感じがありますよね。これと「納」の文字のイメージ。

子供としては、これでもう疑いの余地成しに「なるほど~」って話ですよ(笑)


すでにご存じの方も大勢いらっしゃるとは思いますが、豆腐は昔から豆腐、納豆も納豆で、別に間違ったわけでもなく、それはそれで正解ってのが本当の所らしいですね。

豆腐と納豆について納豆学会

↑こんなサイト発見しました。納豆学会かあ(笑)
そもそも、豆腐の腐を「腐る」とイメージするのが間違いらしいです。漢字の本場中国では「腐」という文字は、「腐る」という意味よりも「ブヨブヨしたもの(コロイド状)」という意味があるらしいですね。
で、納豆の方は、お寺の台所「納所」で作られたからだそうです。(これは、元禄時代の『本朝食鑑』という書物に書かれているとのこと)

ちょっとした雑学ですけど、俺と同じく「間違い説」で覚えてたって人、覚えてる人、そういう人も多いんじゃないかと思って書いてみました。

ちなみに、俺の過去記事の「エントリー」にも若干繋がる部分だけど、言葉には一つだけじゃなくて同じ言葉でも沢山の意味があるものもあるし、直接意味を持っていなくても派生して広義で別な意味で使われていたりもするし、改めて一つの点ばかりに捕らわれちゃダメだなあと感じました。


三権分立?

2008-02-08 | 知識・勉強的なもの

国会の予算委員会での答弁のシーンだったかな?たまたまニュースで放送しているのを目にして、何となく思ったこと。
今色々と話題になってる、道路特別財源云々とかそういうのとは全く違うことだけど「三権分立」というものについて。

「三権分立」という言葉を習うのは、確か中学の頃だと思った。
中学の公民の授業の時。
三権分立っていうのは、国家の権力を立法・行政・司法の3つに分散・独立させて、それぞれに他の権力を抑える権限を与えて、国家権力のパワーバランスを図り、権力の集中・濫用を防ぐのが目的・・・とか、こんなだったと思う。
で、一番最初に

立法権=国会
行政権=内閣
司法権=裁判所

と習うんですよね。
教科書なんかは、この3つの機関が三角に配置されて、それぞれに矢印を引っ張って、こういう権限をお互いに持ってる、というような図が載ってた気がする。

自分で言うのもなんだけど、俺は、結構純粋な少年だったので(笑)、これを素直にそのまま受け取っちゃってね~。しばらく苦労した記憶があります。
これ、そのまま素直に覚えちゃ駄目ですよね。頭なの中がこんがらかります。
どういう事かというと、要は現在の議院内閣制。
三権分立だ、それぞれに独立だ、お互いに牽制し合うだとか言ってるけど、内閣の長たる総理大臣は国会議員から指名されるし、内閣の最低でも半数以上は国会議員だし(国務大臣の過半数は国会議員から選ばれるから)
外側の殻だけ違ってても、それを被ってる中の人は同じとうか。
・・・なんだよ、国会と内閣って中身ほぼ一緒じゃん?っていう事ですよね。
これを最終的に「そういうシステムだから仕方ない」と割り切るまで、結構頭の中が「????」してましたよ。

ん?あれ?三権分立で国会と内閣って別もんだよね?
え?なのに内閣総理大臣は国会議員なの?
国務大臣の過半数は国会議員?え?なにそれ?

議院内閣制って、制度自体が、なにやら三権分立と矛盾してるように思えてしかたない。
いや、政府(内閣)が議会(国会)の信任のうえに成り立ってても、それはそれで良いんだけどね、中の人が同じってのは根本的におかしくないか?三権分立という考え方で考えた時に。

それに、「国会=立法機関」であるならば、国会議員ってのは単純に考えると本来「立法」が仕事なわけで、なのに国会議員が「政治家」と呼ばれている時点で「?」と思っちゃうし。
「政治家」ってのは行政=内閣なんじゃないの?と。
立法と行政の境界が限りなく曖昧で、三権分立なんて実は言葉だけで現状では立法と行政にあまり境は無いよ・・というのを端的に表しているのが「国会議員=政治家」という認識そのものじゃないだろうか?
それに、国会議員は選挙に立候補するときに「私はこういう施策をして、こういう社会を実現させます」って、まるっきり行政なことを言ってますしね。

あと、司法に関しても最高裁判所の裁判官は内閣が決めてるし・・・

結局実際のところ三権はそこまで厳格に分離していないということ

ああ、これって問題発言かな?(笑)

んと、別に今の日本の制度の在り方に批判を唱えてるんじゃなくて、これで今まで機能してきてるんだから、これからも(改良すべき点は改良を重ねてもらうとしても)続けていいと思ってます。
ただ、中学の公民あたりの、こういう政治関係する勉強のとっかかりの時点で、現在の議院内閣制がこんなシステムなのに
「三権分立」で「司法・行政・立法」はそれぞれに独立・分離してます。
なんて言われると、混乱しないか?普通?

俺、そのせいでシステムを理解するのに苦労しましたもん。
内閣と国会って結局中の人一緒だから実際は同じようなもんじゃねえの~、全然分権してないじゃん。って。
実際、日本の議院内閣制は全然三権分立じゃないという意見も聞いたことがあります。

こんなこと思ったの俺だけかな?とか思って書いてみました。
三権分立というものを習った後で、現在の議院内閣制の制度を、すんなりと何の疑問を抱かずに納得できてたのかなあ~。
ちなみに、「三権は実際現実には厳格に分離できてないよ~」と、当時の教師が一言でも付け加えてくれてたら、あのころ理解するのに苦労しなかっただろうになあ。

「おまえが頭悪いだけだよ」って言われたらそれまでだけど・・同じ思いした人いないかなあ?いると思うんだけどなあ(笑)


地デジとワンセグ

2007-12-22 | 知識・勉強的なもの
ネット検索すればすぐ分かるんだから、疑問に思ったらすぐに調べてみる癖を付けないといけませんね。

地デジとワンセグって、最初はてっきり同じ物だと思っていて、で「違うものだよ」という話を聞いてそれが別物だと認識したのがつい最近・・・・でもなく、実は結構前の事になるんだけど「そのうち、そのうち」と思って放置しているうちにしばらく経ってしまいました。

まあ、厳密に言えば違うけど、同じと言えば同じとも言えなくもない・・・結局は「ワンセグ」ってのは「地デジ」の中の一部というか、そう言う感じなんですね。
携帯端末用に1セグメントだけ割り当てたもの。
ちなみに、地デジは13セグメントだか12セグメントらしいですね。
当然地デジの方が画面は綺麗になるということになるし、ワンセグは5.1chサウンドにも対応していない。でも、1セグは携帯端末用の小型の画面用にしているだけあって、移動時の受信に安定性があって画像がブレにくい。
と、概ねこのような概要だと認識しました。・・・多分あってると思います(笑)

「なにを今更」という話ではあるけど、俺と同じくなんとなく知っているようで実は知らなかったって人もいるんじゃないですか?
折角なのでこの機会に、地デジとワンセグについて調べてみるのもいいかもしれませんよ。
これから主流になるものですからね。

現代用語の基礎知識2008

2007-11-16 | 知識・勉強的なもの

ニュースサイトを見ていて発見しました。

「アサヒる」「初音ミク」「ローゼン麻生」、現代用語の基礎知識に

という見出しで始まる記事は、
>はてなは11月14日、ユーザーがコンテンツを追加・編集するオンライン辞書「はてなダイアリーキーワード」に掲載されている97のキーワードが、新語辞典「現代用語の基礎知識2008」(自由国民社)に収録されると発表した。

とのことでした。
「初音ミク」ってのは、なんでもそういうソフトウェア上のヴァーチャルなキャラクターの名称だってのは、以前gooブログのトレンドランキングかなんかで見た記憶がありました。
あと「ローゼン麻生」ってのは、「麻生」って言うのだから自民党の麻生太郎さんの事かな?と思ったら、どうやらその通りだったみたいです。
麻生太郎氏が「ローゼンメイデン」を読んでいたから・・・が由来と書いてました。「ローゼンメイデン」を検索したら、そういうアニメがあるらしいですね。
「アサヒる」は「=捏造する」なるほど、アサヒは朝日新聞のことかな?まあ、アサヒに限らずともマスメディアはどこも大なり小なり捏造が皆無な事は無いだろうというのが俺の見解ですけどね。

他にも97ワード、色々ありました。
聞いたままの意味のものもあれば、始めて耳にするようなものまで。
さすがに「いさぎわるい」は、ちょっとどうかなあって思いましたけど、こんなのが通るが今の社会情勢なのかなあ・・・まあ今の社会情勢を知るに参考になりました。


紅葉

2007-11-05 | 知識・勉強的なもの
出張から色々とバタバタとしてて、久しぶりの更新になります。

最近寒くなってきたなあと感じるとともに、木々の紅葉も進んで秋の真っ直中という感じですね。
青森の場合は11月でも油断をしていると雪が降ったりすることもあるので、冬がもう目の前という感じでもあるんですけど。

ところで、「紅葉」と書いて「こうよう」とも「もみじ」とも読みますね。
同じ漢字でも、その意味は全く異なって「こうよう」は落葉樹の葉の色が変わる現象だし、「もみじ」はいわゆる楓を指しますね。

実のところ、俺ここら辺の解釈がイマイチ曖昧で、特に「もみじ」についてはきちんとしたところが分かってませんでした。
「こうよう」についても厳密には「赤色に変わる」ことを「こうよう」と呼んで、黄色に変わるのは「黄葉(おうよう)」、褐色に変わるのは「褐葉(かつよう)」と言う違いがあるらしいですが・・・
それよりも、「紅葉(もみじ)」と楓の違いって知っていました?

結論から言うと、楓の別名として紅葉と呼んでいるだけで、両者はイコールらしいのですが、てっきり紅葉という植物があるんだとばかり思ってた時期もありました(笑)
でも、これも厳密には「楓=紅葉」では無いんですよね。
紅葉(もみじ)とは紅葉(こうよう)する植物全般の総称としての呼び名らしく、その中でも楓が紅葉する植物の代表格ということで、紅葉(もみじ)と言えば楓を指すようになった。と言うことらしいです。

「パスタ」と「スパゲティ」の関係のようなものですね。
紅葉(もみじ)がパスタで楓がスパゲティ。
俺は「スパゲティはパスタじゃなくてきちんとスパゲティと呼ぶべきだ」と勝手に思ったりしてますが、パスタはスパゲティの他にもフェトチーネやらペンネやらも含むいわゆるパスタ料理全般の総称ですからね~。
「何が食べたい?」で「パスタ」と言われても、まあ大体「スパゲティのことなんだろうなあ」と予想は出来ますが、やっぱりおかしいですよね。
って、紅葉と楓の話がスパゲティの話に飛んじゃいましたが・・・まあ、「食欲の秋」の秋つながりで(笑)

でも考えてみると、小さい頃学校で何となく「紅葉(もみじ)」というものを習った記憶はありますが、低学年の頃に楓の絵を見せられて、「これが紅葉ですよ~」と習っただけで、それ以降厳密な紅葉(もみじ)については習ったことが無いような気がします。
こういうことって、案外多いですよね。
試験の為の勉強だけじゃなくて、こういう部分の教養ってのも大事だなあと思いました。知らないと恥ずかしいですしね。
実際この違いに気付いたのは結構遅かったりするんですけどね・・・(笑)

徒然~つれづれ~

2007-08-12 | 知識・勉強的なもの
最近ブログ巡りなどをしていると、本当に良く目にする言葉「つれづれ」。
特にタイトルで使用している場合が多いかな?

おそらく・・というか、かなりの確度で吉田兼好の徒然草の冒頭「つれづれなるままに日暮らし~」からだと思うんだけど、これって訳を見ると(まあ、様々な解釈があり様々な訳がありますけど)「特にすることもなく、暇を持て余し~」というのが、主流の解釈では無いかと思われます。
実際そういう訳が多いし・・・一応俺なりに調べてみました。

でもコレ、意外に「なんとなく」とか「思いつくままに」と勘違いされてる場合が多いんじゃないかなあと思ったりします。
「つれづれ」を使っている方々の用法を見ると、どうにもそういう感じで使っているように思われる場面が多くて・・・
「暇を持て余し」「特にすることもなく」なのに、例えば「日々の様々な出来事をつれづれに・・・」とかいう用法って矛盾ですよね?「することあるんじゃん?」という

同じ吉田兼好の徒然草の中でも、同じ序段のすぐ後に「そこはかとなく書きつくれば~」という一文があります。
ここの訳が「何となく書き綴ると~」という意味ですから、「何となく、思いつくまま」と表現したいのであれば「そこはかとなく」になるのが正解かな?
「そこはかとなく」という表現が別に出てきている以上、やっぱり「つれづれなるままに~」は「なんとなく思いつくままに」では無いと思われます。

いや、あの・・・別に特定のブログを批判したい訳じゃなく、文句をつけたい訳でもなく、例えるならズボンのチャックのが開いたままの人にそこを指摘しづらい雰囲気。鼻毛の出ている人にそれを指摘しづらい雰囲気。でも、指摘してあげたい・・・・そういう心境に近いかな(笑)
そういうことを、そこはかとなく思ったわけでして

でも、ひょっとして俺が大間違いをかましてる可能性も有りですね。
専門的な古典に関する学問を学んだ訳でもないし「いやつれづれって、なんとなくの意味でも良いんだよ?」という事もあり得るかもしれない。
だとしたら、自分のまったくの勘違いでしたということで、先に謝っておきます・・・が、「そこはかとなく」という表記があってそれが「なんとなく」って意味で使われてる以上ねえ~、「つれづれ」=「なんとなく」ではないと思うんだけど。