エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

まわりくどくてもいいんじゃない?

2008-04-21 | ブログに関するあれこれ

自分で自分のブログを冷静に客観的に判断してみると、おそらく俺のこのブログの特徴は「まわりくどい」若しくは「くどい」と評価されるんじゃないだろうかと思います。
単純に一つの記事の文字数もそうだけど、本題に入る前にまずその前提、若しくは例題、前振り・・・そういうのを盛り込んでから本題に入るのが殆どですし、最も言いたい核心部分は、そう言う課程を経て最後の方に持ってきています。
そして、「文字数は少なめに、明瞭簡潔に要点だけ述べるようにする文章」が良いとされる意見も良く聞きます。そういうのに照らし合わせると俺の書く記事はあまり「良い」とは評価されないでしょうね。「そういう価値判断に照らし合わせると」ですが。

だけど、俺は「別にまわりくどいことが、必ずしも悪いわけではないんじゃないか?」という考えを持ってますので、必ずしも「もっと文章を簡単にしなきゃ」とか単純に「文字数を減らそう」とかは、今のところ考えてません。
今回の記事は、そう言うことについての考察・・・というか、俺の持論というか。


その考えに至るプロセス・キッカケといったものも重要なのではないか?

冒頭ですでに述べましたが、俺が記事を書く場合は本題に入る前に前提となる事柄や、具体的事例や、出来事といった前振り的な話題から入ることが多いです。
が、これは、俺が「その考えに至るプロセス・キッカケといったものも重要なのではないか?」という考えを持っているからです。

自分のネタ、他人のネタ

という記事でもすでに述べてますが、例えば誰かのブログで「おおコレは良い記事だ」という記事や「この考え方は凄い」と思うような記事を発見した場合、その主張・思考そのものが凄いのはもちろんの事だけど、どういうキッカケでそれに至る思考がスタートして、どういうプロセスを辿ってそういう主張・思考に至ったのか?
俺にしてみれば、その点にも非常に興味があるわけです。
天才的な人に「おまえどういう頭の中してるんだ?」とか「どうやったらそんな考えが浮かぶの?」とかいう類の疑問を抱いたことってありませんか?
「無いよそんなもん。プロセスなんて関係ねぇよ」って言われれば、それまでだけど、少なくとも俺はプロセスやキッカケに興味があります。
なので、自分で記事を書く場合でもどういう出来事が発端で、どういう経緯で記事に至ったのかというプロセスやキッカケも出来るだけ書いていこうと思っているんです。
それが、形となって現れているのが今の俺の文章のスタイルと言うわけです。


ブログって、そもそも文字が中心の言葉を書いてナンボの世界じゃないの?

中には写真を中心に紹介したり、絵をUPしてそれを中心にしているブログもあります。そういうブログはもちろんそれで良いとは思いますし、そういうのもブログの形態の一つですね。
そういう形態があるように文字のみの形態だってありますし、むしろ日記をはじめとするブログの主流は「文字によって主張や意見や感想を表明する」というのが、そもそもブログというものの「在り方」というか「存在意義」というか、そういうものだと思ってます。
と言うことは、文字で語る場。語ってナンボ。というか、むしろ語るべき場。

だとしたら、言いたいことを、言葉を尽くして書きたいように書いたって良いじゃない?とも思ったりするわけです。
なんというか、仕事で使う報告書とかなら「要点だけを簡潔に」とかいうのも納得できますが、「ブログというこの場で好きなように語れなくて、どこで語る」とでも言うのでしょうか?そんな感覚。


言葉が少ないとやっぱり誤解を生みやすい

そもそも言語は万能じゃありませんし、それは日頃から痛感しているところです。
「それはおまえの言語能力の不足だ」と言われれば、それもそれまでの気もしますが、もしその通りだとしたら逆に「なおさら」なんですよね。
そもそも、言語能力が低いなら、言葉が少ないとなおさら誤解を生みやすい。
同じ言葉を使っても、その言葉の基本的な部分での解釈は同じでも、微妙なニュアンスや前後の文脈、行間から出てくる雰囲気・・・それが書き手が感じて想像している物と、読み手が感じて想像している物とが必ずしも一致するとは限らない。いや、一致する方が珍しいかもしれません。
「誤解されたって構うもんか!そんなの読み方の勝手だ!俺は俺で主張したいことを主張する。それだけだ!」
っていう信念でやってる人は、それはそれで良いと思いますし、その人の在り方だと思います。そういう信念の下では「簡潔で必要最小限の言葉で」ってのも良いかもしれませんし、説得力が強いかもしれませんね。

ただ、ここは個人的な好みというかそういう問題になってくるんだろうけど、俺は
出来る限り自分の真意を相手に伝えたい
と思ってます。
解ける誤解なら解きたいと思うし、誤解が生まれそうだと予想できたなら、予め回避したいですし、誤解を少なくするためにこの説明もあったほうが良いかな?と思ったらその説明も付しておきたい。
要するに、事前に誤解回避に出来る方法があるのならば、それを行う努力を尽くしたいと俺はそう思うんです。それでも誤解はどうしても生まれる場合だってありますが、「尽くしてダメならしょうがない」と思いたいですし。
そうやって考えてみると、俺の記事にはやっぱり「補足」も多い気がしますね。

そんなこんなで、やっぱり俺のブログって「まわりくどい」に部類されるだろうと思います。この記事だってそうでしょうね(笑)
でも、この記事で述べた理由から
「まわりくどくてもいいんじゃない?」
と俺は思ってます。半ば「開き直り」的な部分も否定できませんけどね(笑)

ただ、単純明快、言葉少なでストレートに、でも自分自身それで満足できる記事が書けたら、それはそれで良いなあとは思ってますよ。
わからない5大理由
なんかは、そう言う意味じゃ俺の記事の中じゃ異例で、奇跡的な記事なのかもしれません(笑)