エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「更新の時間が無い」と言うことは

2008-04-25 | てきとうなもの・雑記

「面倒くさい」「大変だ」という気持ちは、こなさなければならない手順や作業が多かったり煩雑だったりするという事に対してではなく、ある作業を決められた期日までに終えなければならないという精神的ストレスに対するものなんだなあと、ふと思いました。
今までは具体的な作業の煩雑さ、つまり単純に労働量に比例するものだと考えてましたが。
自発的に行う事なのか、外から押しつけられた義務なのか、ここが分岐点ですね。
押しつけられた義務だと思う度合いの強さに比例するものだと感じました。

自分の意に反することは、単純な事柄でも「いつまでにやらなければ」と思うと「めんどくさい」と思いますし、踏み出す一歩がなかなかに重いものです。
好きな事はをしているときは、辿るべき道のりが短すぎると逆に興ざめしちゃいますし、長い方がそのやり甲斐を感じ、その課程が楽しいとさえ思えるものですけどね。

仕事とか「本当に押しつけられた義務」なのであれば、そこは面倒でもやらなければならないし(その分対価をもらうわけですから)、しょうがない事ですが、例えばブログの更新等のように、本来誰からも押しつけられたものではなく自分から自発的に行っている事なのに、いつのまにか「更新しなければ」という思いが、義務に成り代わって押しかけてくるような事には気を付けないとなあ。と思いました。

「更新する時間がない」というのは、だから物理的な時間の有無なのではなく、精神的な更新する余裕を持てるだけの時間があるかどうかだと思いました。(まあ物理的な時間が少ないと、必然的に精神面での余裕も少なくなりやすいとは思いますけど)
その基準はその人それぞれで個々別々。だから、自分にとって「時間がない」と思ったら更新頻度下げるというのは重要な決断であると思いましたし、無理せず自分ペースで続けて行くことも大事だなと思いました。
と言っても、このブログは元々不定期更新でやってますので、これからもその方針ですけど、昨日はちょっと更新してる余裕が無かったので、そんなことを考えました。