エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

「建て前」って「害のない嘘」じゃないかな?

2008-04-02 | ちょっと考えた事
昨日4月1日はエイプリル・フールと言うことで、俺の周囲のリアルな実生活では全くと言って良いほど無関係なイベントでしたが、ネット上では様々な形で盛り上がっていた(所もあった。個人ブログだとか)みたいですね。

そもそものエイプリル・フールについて、ウィキペディアで調べてみると

エイプリル・フールWikipedia

要するに、「害のない嘘をついてもよい」日と言うことらしいですね。
確かに4月1日であろうと、詐欺罪は詐欺罪に問われるだろうし、やっぱり人に迷惑を掛けちゃいけないってのは基本だと思います。

で、その「害のない嘘」と言うのをちょっと考えて「本音と建て前」ってのに考えが及びました。
それに関連して、以前その類の題材をテーマにした記事をDONTAKTで見たなあと思って、ちょっと探してみると、見つかりました。

[非技術的雑文]匿名性をやめるために、敬語を廃止しよう!(疲労コンパイル)

と言う記事。

これを読んで、ちょっと「本音と建て前」というものについて考えました。
ただ、この記事は単純に『「本音と建て前」の「本音」を大事にしようぜ。「建て前」はいけ好かない」』と言ってるだけではなくて、それともまた違った観点からも考察されてますので、単純に「この記事に対する俺の考え・意見」と言うわけにもいきません。
なので、あくまでこの記事は俺が今回、以下に考える事柄の「切っ掛けとなった記事」と言えますし、そういう事だというのをここで最初にお断りしておきます。
「疲労コンパイル」ブログの管理者さんとしても、自分の意図しない部分で変な方向から意見や反論をされても困ると思いますしね。

で、今回取り上げたいのは「本音と建て前」について、「建て前」なんて気持ちの籠もってない物、本心とは違う上辺だけの美辞麗句や敬語なんかはむしろ邪魔で不要か?というテーマをここで自分で作成。それについて考えてみました。

そして俺は、たとえ本心が籠もってなくても、礼儀として「建て前」も「敬語」もやっぱり必要だろうという結果に至りました。
「疲労コンパイル」ブログの管理者さんは、例えとして、バイト言葉の
「本日はご来店まことにありがとうございます」
「お次にお待ちの方、こちらへどうぞ」
や、企業の謝罪での
「…日頃からご支援ご愛顧を賜っておりますお客様、株主様、関係者様に多大なるご迷惑とご心配をおかけいたしまして、つつしんで深くお詫び申しあげます。今回の事件を厳粛に受け止め、社員一丸となって信頼の回復に勤め邁進致します所在でございます」云々
と言う言葉を引き合いに出して、「はたしてこれらに誠意を感じられるか?」と問いかけていらっしゃいましたから、この事例について俺も自分なりに感じたことを。

これらの言葉はしらじらしくて誠意なんて感じないことが多いですし、「表面的に謝ってるだけだろ?どうせ」と俺も思うことは多いです。

でも、確かにその通りなのですが、だからといってコンビニ店に入っても挨拶の一つも無く、無愛想にしている店員と「ご来店ありがとうございます」と笑顔で迎えてくれる店員。いざその場に自分が客として居た場合には、やっぱり後者の方が嬉しいです。単純に。
例えそれが、あくまで仕事上のバイト言葉・接客であって本心に誠意は無かったとしても。
露骨に無視というか、「あくまで仕事でやってるんだ」って態度を出されると、それがその人の本心で正直な態度であったとしても、俺は嫌な気分ですね。そういう従業員の態度は。
やっぱり客と従業員という関係からすれば、当然にあるべき礼儀というか、そういうものがあると思うんですよね。
別に上に見られたいとか、「俺を敬え」とかそういうのじゃなくて、単純に客として、どういう態度で接してもらうと嬉しいかという、それだけのことですが。

店員に「ありがとう」と言う人が大好き。おかしいとは思わない。。。
(↑俺の過去記事です。これも少しは関連ありな内容かな?と思ったので一応)

そして、企業の謝罪会見もそう。
確かに上辺だけの世間体を気にしたものかもしれないし、本心では反省よりも「どうやって乗り切ろう」とか、そう言うことしか考えてないのかもしれません。
でもこれも、だからと言って、謝罪すらしないとか、開き直られるのに比べれば、テンプレート的ではあっても謝罪する姿勢を示すだけでも、俺はまだマシな方だと思います。

確かに、本音を隠して全く心にも無いことを言われるとなると、良い気はしません。
それは、確かにその通りなんです。

でも、だからといって、なんでもかんでも本音で言えば良いかというと、それも時と場合と状況(TPO)ってものがあるかなぁ?と思うんですよね。
「何でも後腐れ無く、本音で言い合える仲」というのは確かに理想だけど、それはそれを言い合えるだけの仲に発展したからこそ出来る部分もあるし、まだ知り合って間もない人や、知り合ったばっかりの人、取引先の人とか、従業員と客とか、礼儀として人間関係を円滑に進める為には本音ばかりではなくて、やっぱり建て前や敬語なんてものも必要だろうとは思います。
で、これこそエイプリルフールに限ったことじゃないけど、「ついて良い嘘」「害の無い嘘」なんじゃないかなあ?とか思ったりしました。

あ、でも最初から意見交換会や会議などの「議論」をする場だというのが決まっている状況下、本音を言い合うことが本来の趣旨であるという場に限定すると、建て前や敬語は邪魔になるのかもしれませんね、確かに。