エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

芸術と大衆娯楽の違いとは?

2008-06-29 | ちょっと考えた事
gooランキングでこんなものがありました

スピンオフが見たいアニメのキャラクターランキング

ちなみに上位5位を紹介すると、
1位 峰不二子(ルパン三世)
2位 銭形警部(ルパン三世)
3位 シャア・アズナブル(機動戦士ガンダム)
4位 ベジータ(ドラゴンボール)
4位 ドロンジョ(ヤッターマン)(4位2つは同率)

ということでした。

今回は「スピンオフが見たい」と言うことでしたが、アニメに関するこういう集計を取るとランキングに登ってくるアニメって、何というかこう・・・今まさに流行っているとか現在進行形で連載されているようなものじゃなくて「一通り峠を越えて不動の人気を確立した」アニメというか「大人でも楽しめる」というか「国民的人気」というか、表現の仕方が難しいんですけど、この1~4位までのようなアニメやスタジオジブリものだとか大御所の原作のもの、手塚治虫作品等々とかそういう感じのものがランキングされているんですよね。いつも。

俺、あまり詳しくないので、こんなことを書くとアニメに詳しい方にお叱りを受けるかもしれませんが、いわゆる「萌え~!!」というようなアニメはランキングしてきませんよね。
やっぱりごく一部だけに受け入れられているアニメと、一般大衆に広く受け入れられているという違いからなのでしょうか?そりゃ認知度が高いほうがランキングされますからね。

で、こういうのを見てふと思ったことがあるんです。
こういうのでランキングされるようなアニメって、すでに単なる大衆娯楽を抜け出してて、すでにある意味「芸術」に近い部分にまで足を踏み込んでるようなものだよなあ~と。
ルパン三世や機動戦士ガンダムなんて、すでに単なるアニメを越えてるよなあ~みたいな感じで。
大人でもかなりの人が知っていて。

でも、そもそも芸術って何だろう?とも思ったんですよね。
音楽の分野でも現代の流行の最新POPSは大衆娯楽という認識だと思いますけど、クラシックとなると芸術という認識ですね。世間一般的には。
でも、クラシックだって中世の時代には、そもそもは貴族の娯楽(?)として誕生したのがそもそもの始まりだったと思います。あの音楽が現在進行形の頃は純粋に楽しむためにあったのだと思うんです。
「能」とか「歌舞伎」なんかもそうですよね。あれも元々は当時の人々の娯楽として誕生したものです。
落語やミュージカルなんかも、そもそもの誕生のキッカケはやっぱり「娯楽」だと思います。

だとしたら、大衆娯楽と芸術の違いってなんだろう?ってふと思ったんですね。
こうやってみると違いは「時間の経過」要するに背負っている「歴史」ってところでしょうか?建物などでも最新式のビルは世界遺産にはならないけど、歴史の古い建物は文化財として保護されて世界遺産なんかになってますね。あれだって、元々は芸術品として作られた物じゃなくて「建物」として機能させるために建てられたモノの筈です。

クラッシク音楽や歌舞伎などはもう歴史がかなりのものになるから、それらが「芸術」で今現在の流行曲等が娯楽と分けられると、何となく納得しちゃうけど実際その境界は曖昧だな・・・・と。
で、漫画というのはその歴史自体がまだ新しいのでまだ漫画は芸術では無く大筋は大衆娯楽という括りで捉えられていますが、ルパンやガンダム、ドラゴンボールやラピュタ等を始めとするそこら辺のアニメって、今まさに「大衆娯楽」の枠から抜け出して芸術分野の方面へ昇華しつつあるのかな?なんて個人的には感じたりしたわけです。
もちろん、俺の個人的、主観的な感覚です。
そして誤解の無いように一応補足せてもらうと、別に俺は「芸術」が「素晴らしく価値のある物」で「大衆娯楽」が「低俗で無価値」だというつもりは一切ありませんし、大衆娯楽は生きる上でとても大切なものだと思ってます。そもそもそこに甲乙付けるべき物でもないとも思ってます。
ただ、とは言っても世間一般的にみると「芸術>大衆娯楽」という認識があるのは、それはまたそれで事実であると思います。少なからずそう思っている人は多いです。
極端に「大衆娯楽は芸術に劣る」なんて思わなくても「芸術は高尚な物で大衆娯楽はそこまでではない」と言うくらいの漠然とした意識を持っている程度ならば、そういう人は凄く多いですね。これは実際にそうです。
そういうのを踏まえた上で、敢えて「芸術」と「大衆娯楽」という比較を持ち出して、ふと思ったことを書いてみました。

で、だとしたら今の流行のPOPS音楽やアニメ等も、いつか遠い未来には「芸術」となるんだろうなあとか。
ただ、全部が全部じゃなくてやっぱりその中でも特に売れたものとか、有名になった一部のものが生き残るのでしょうけど。
邦楽だと、B'zとか?アニメだとエヴァンゲリオンだとか?(すいません、俺がパッと思い付くとしたらその程度なんですが)
なんとなく、そんな感じ。


組織のトップに立つと言うことは

2008-06-26 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

最近時事ネタが多いですが、今回も。

「丸明」吉田社長、飛騨牛偽装の指示認め謝罪(読売新聞)

このニュースで思ったことを。
それと、一応これも。

時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項

では本題に。

結局社長本人の指示によるものだったみたいですね。
『吉田社長は、偽装問題が発覚した直後の21日の記者会見で自らの関与を否定。農水省や県が23日から25日までに行った日本農林規格(JAS)法違反などの疑いによる立ち入り調査で、一転して偽装を認めた。』
とのことで「言い逃れが出来ない」状況になったから謝ったという事ですね。
最初のうちは
「私は知らない」「私は指示していない」「工場が独断で行った」「だから私には責任はない」
あの社長、息を巻いてこんな事を言ってましたよね。テレビで記者会見で言ってるのを俺も見ました。
まあ、「んなわけねーだろ」とは思って見てましたけどね。やっぱりでしたね。

さて、それよりも今回のこのニュースを見て思ったこと。
それは、例えば今回の件が本当に当初の社長の言うとおりに社長が全く知らないところで、現場の勝手な判断で行われていた・・・と仮定した場合の話なのですが、もしそうであったとしても「俺は知らない」「俺に責任はない」では通じないだろう?と言うことです。

ある組織のトップに立つと言うことは、その組織が行った活動の結果についての責任を負う立場にあるということです。それは、本人の望む望まざるなど個人の意志に関係なく組織が存在し、そのトップにいると言うことは、自動的にそうなります。
組織の活動に責任を持てないなら、そもそもそのトップに立つ資格はありません。当たり前の話です。
これは、別に経営者や社長等に限った事ではありませね。
部長であればその部の活動に対する責任が出てくるし、課長ならば課の、係長であれば係の活動の結果に対して責任を負わなければなりません。自分が直接に行った活動に限らず、部下の行った活動に関してもです。その為の長です。
その為に、上に立つ者には部下に対して指示・命令する権限があり、方針を決定する権限があり、そして高い給料をもらっているんです。ただ単に「俺は偉いんだ~!黙って俺の言うこと聞いてれば良いんだ!ガッハッハ~!!」ってやってれば良いんじゃありません。上に立つ者には上に立つ者としてのやらねばならないことがあって、責任を負うというのはその最も大きな部分でしょう。

これはなにも特別な事でも何でもなくて、今更こうして説明するようなことでもない当然の事なんですけど、だとすれば俺の言いたいこと分かりますよね。

今回のこの「丸明」の社長の、偽装発覚当時の答弁「私は知らない」「私に責任はない」・・・・いやいや。あんた社長だろ?と。
例え、本当に言うとおり社長が知らなかったとしても、どのみち「丸明」という組織が行った偽装という行為に関して、社長のあなたが責任持たなくてどうする。って話です。一番最初の容疑を否定している記者会見の段階から、ここの部分はずっと気になってはいたんですよね。
あのオッサンは、とてもじゃないけど「社長」なんて立場にあるべき人間じゃありませんよね。人として至らないというか、社長という器に無いというか。

肩書きの位が上がるということは、そう言うことです。
組織の上に立つと言うこと、人の上に立つと言うこと。単に「偉くなる」だけじゃありませんよ。あのオッサンは完全に誤解してるみたいでしたけど。
というか、結局本人の指示だったんですけどね。もうどうしようもない。


女子大生6人フィレンツェの大聖堂に落書き・・・バカの見本

2008-06-25 | 世の中の出来事

本日のgooトレンドランキング1位の話題。
今回はかなり毒舌です。予め宣言。自分自身でもきついこと書いたかな?と思いましたが、あまりにも酷いなあと思ったので敢えて書かせてもらいました。

岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(読売新聞)

なんというかもうまさに「あきれて物も言えない」って話題ですけど、なに考えてるんでしょうね本当に。
短大生だと、20歳になるかならないかって所ですか?辛うじて未成年ではあるかもしれませんが、それでも高校を卒業して大学生でしょ?18歳以上ともなれば、少なくともこのくらいの分別はつかないものかな?いや、このくらいの分別はつけてもらわないと困りますよね本当に。

ちょっと言葉が汚いかもしれないけど、こいつらバカですよ。本当に。もうどうしようもなく、正真正銘の。
ブログでこうして「バカ呼ばわり」する事は良いことだとは言えないだろうし、批判も受けるかもしれないけど、ここでは敢えて言わせてもらいたい。こいつらバカだ。もう、どうしようもない。
というかね、本当に頭に来る。今回の記事を読んで俺は怒りすら覚えましたよ。
こいつらはバカと呼ばれても仕方ない。それだけ、とんでもないことをしでかしたと思う。

自分のやったことを自分自身で被れば済む問題ならば、俺だってここまで怒りは覚えないだろうし、そこまで強く言いたくもない。
だけど、これ、こいつらだけの問題じゃ無いですよ。こういう一部のバカのせいで日本人観光客全体が「こんなどうしようもないことをする国民」だと思われてしまうじゃないですか。最低限のマナーすら知らない、単なるガキのような奴らだなと。
そして、こんな事をするんだから、そう思われても仕方がないのが哀しいところ。
こういう一部のバカの、常識の欠如した考えられないような稚拙な行為のせいで、日本人全体のイメージダウンになってしまうのだからもう本当に、「頼むから、もうお前らどこへも行くな」ってさえ言いたくなってしまいますね。

「人間誰にだって間違いはあるし失敗だってある」
それはそう。その通り。俺自分自身もいつどこでどんな失敗をするか分からない。
ただ、今回の件はあまりにも酷い。ちょっとした過失なんてものじゃないし、ちょっとした間違いや失敗だなんてレベルの話じゃありません。
俺だって人間、間違いや失敗はするかもしれませんが、少なくともこんな間違いだけは絶対にしません。しない自身があります・・・というか、これはやっちゃ駄目です。ごく普通の常識を持っているなら、言われるまでもないこと。こんなことするという発想自体そもそも出てきませんよ。世界遺産に落書きって・・・・・・
落書きした理由も凄いですね「気分が高揚して書いてしまった」。だからお前らいったい何歳になったんだよ。幼稚園児かっての。

バカな人は嫌いです。
バカというのは、勉強が出来ないとか、知識に乏しいとかそういうのじゃありません。こういう人の事を言うんです。
本当に、あまりにも酷いですねこれは。恥ずかしすぎる。
「幼稚園児が世界遺産に落書きしちゃった」って話なら、まだ分からなくも無いですけどね。

P・S
念のため。
時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項


朝日新聞の「鳩山法相を死に神発言」問題について

2008-06-23 | 世の中の出来事
最近、色々と突っ込みを入れたいネタが多いですね。
これも、すでにちょっと遅れちゃった感がありますけど、鳩山法相の死刑執行に関して朝日新聞が「素粒子」欄で「死に神」発言した問題。
これについても、「おお、色々と言いたいことあるぞ!」と思って、いざ記事を書こうと思ったら・・・すでにこんな記事が

鳩山法相は、「死に神」なのだろうか弁護士川原俊明のブログ

これと、そしてこれ

弁護士の役割は・・弁護士川原俊明のブログ

う~む。またしても「言いたいことが全てすでに言われちゃった」という状況でした。
前回の

必要なのは「バカにルールを合わせない」こと

に続き、「すでに言われちゃったシリーズ」第二段ですよ(笑)

まあ、とは言ってもこの川原俊明弁護士ほど、理路整然とした文章で記事にする事は出来なかったでしょうけれど、言いたいことの内容としては俺もほぼ同じでした。
死刑がすでに確定した死刑囚の、刑を執行しただけです。そこには何の問題もありませんし、批判するのは筋違いも良いところ。
死刑廃止論やら、判決に疑問が有るという話なら、裁判の時点で、そして法律問題として取り上げるべき問題でしょう。繰り返しますが、すでに刑が確定した死刑囚の死刑執行をした事を批判するのは全くの筋違い。
まあ、これは川原弁護士が、ご自身のブログ記事内で書かれてますけどね。

で、今回のこの鳩山法相を死に神呼ばわり問題自体とはちょっと逸れる部分だけど、川原弁護士のブログ記事の中から、良いなと思ったフレーズ

『刑事事件における弁護士の仕事は、適切な量刑を求めることであり、被告人の量刑が単に軽くなればいい、と考えるのは間違っています。
そんな勘違いしている弁護士の多いことも問題です。』

うんうん。全く、そのとおり!!
川原俊明弁護士・・・凄いな、こんな弁護士もいたんだなあ。
この記事を読んで、この人は凄いなあと思いました。
という、結局今回はどちらかというと、川原弁護士をべた褒めする・・・な内容の記事でしたね(笑)

本当に4兆円も増えるのか?

2008-06-22 | 世の中の出来事

前回の

非喫煙者に「消費税率アップの是非」を問うてみろ!

の記事でたばこ税増税の話題をネタにしましたが、それに関連して今回

たばこ1000円、4兆円の税増収=日本学術会議が試算(時事通信) - goo ニュース

こんなニュースを目にしたので、ついでにちょっとこれについて書いてみようかな?と思いました。
というのも、この「たばこを値上げした場合」については、俺もつい最近の飲み会で友人と語ったばかりだったからです。
その友人は「一箱1000になったらタバコやめる。むしろ値上げしてくれないかな?やめるキッカケになる」なんて話をしてました。
そして、値段を上げたからって税収は増えないでしょ?むしろタバコをやめる人が一気に増えて、逆に税収は減るんじゃないか?ってのが俺らの結論です。
その友人曰く

「一本50円って、どんなブランド物の葉巻だよ!!」

と言うことだそうです。バカバカしくてやってられないとのこと。
俺は元々タバコは吸わないけど、「だよなあ~」って思いましたよ。

で、今回取り上げたニュース記事では

『価格が600円になるよう税率を上げた場合、喫煙人口は現在の3600万人から3300万人に、たばこ消費量は2700億本から1850億本にそれぞれ減少する一方、現在2兆2000億円の税収は4兆3400億円に増加。価格を1000円にすれば、喫煙人口は3100万人、消費量は1440億本に減るが、税収は6兆2600億円に増えるという。』

って事ですが、何を根拠にした試算だよそれ。
600円にした場合ってのは、要するに値段を倍にした場合ですね。
「3600万人から3300万人」「2700億本から1850億本」
値段倍にしておいて、その程度の減少で済むと思う?本当に?なんだか見通し甘くないか?
1000円にした場合
「3600万人から3100万人」
って、だから何を基準にしてるんだよ?3倍以上に値段跳ね上げて500万人程度の減少で済むと?
それで、「4兆円も税収アップするぜ!美味いなあ」って?

都合の良い、甘い見通しだなあ・・・と思ったのですが、どんなもんでしょうか?


非喫煙者に「消費税率アップの是非」を問うてみろ!

2008-06-19 | 世の中の出来事

今日のgooのトレンドランキング4位にこんな記事が

たばこ増税 49%が賛成-産経新聞

あ、そうそう。とりあえず時事ネタには
時事ネタをこのブログで取り扱うにあたっての前提事項
これを。

で、本題に入ります。
まず俺は非喫煙者です。「嫌煙者」とまでは言わないけれど、タバコは吸いません。
そう言う立場からこの記事を書きます。敢えてこの立場を最初にここでハッキリと提示しておきます。
で、このニュースのこの部分

『1箱1000円への増税については、「喫煙者」は「反対」が72・6%で、「賛成」の22・0を大幅に上回った。一方、「非喫煙者」は「賛成」が58・3%と半数を超えたが、「反対」も31・3%だった。』

を読んで、正直イラっと来ました。
>「喫煙者」は「反対」が72・6%で、「賛成」の22・0を大幅に上回った
まあ、当然ですね。喫煙者がたばこの増税を反対するのは自然な流れです。それよりも
>「非喫煙者」は「賛成」が58・3%と半数を超えたが
この部分。ここ、頭にくるな~ホント。
何にイラつくって
「自分は吸わないから関係ない。だからたばこ税上げればいいじゃん。賛成!」
というこれ。これがホントにイラつく。
もちろん、賛成の全ての人がそういう考えじゃないかもしれないけど、喫煙者の7割が反対で、非喫煙者の約6割が賛成という結果はそれを表していると言うことに他ならないでしょ?
これが「消費税率引き上げ問題」だとしても同じ結果になったか?と言うと、絶対に同じ結果にはならないと思う。非喫煙者の約6割の中には「自分は吸わないし関係ないから」という意志が少なからず絶対に入っていると思う。
今回質問した「非喫煙者」に最初から「消費税率アップについて」と聞いたとしたら、俺は絶対に賛成がこの58.3%よりは下だと思う。

で、税金って例えばガソリン税も同じなんだけど、ガソリンを使う人からだけとか、タバコを吸う人からだけとか、こういう有る一定の人からだけ徴収するというのは、どう考えたって不公平でしょ?そこが納得出来ない。
ガソリン税も道路の財源として使われるならまだ分かる。今までは不祥事が絡んでまともに使われなかった部分も大きいとか問題になったけど、それは腐った政治屋の問題であって、税金の使われ方という面で見れば、やっぱりガソリン税として取ったのだから道路に使うのが理屈としては通っていると思う。
それを今は一般財源化?たばこ税も同じだけど、喫煙者の為だけに使うか?と言うと絶対に違うでしょ?たばこ税の行き先は。
結局徴収した税金は、公共全般に使われるわけです・・だったら、有る特定の人達からばかり増税したりするのは、やっぱりおかしいと俺は思うんです。
で、それを「自分は吸わないから、自分に関係ない所で増税するならかまわないよ」という、この考え方。これがもう大ッ嫌いで・・・。

今回たまたま、自分も吸わない「たばこ」がやり玉に挙げられただけで、これが通るということは、次にいつ自分の好きな嗜好品やそういった物に跳ね返ってくるかわかならいと言うことですよ。
俺は、今回は非喫煙者だから、もし増税になっても俺個人としては影響ないけど、でもこれは嫌な流れだと思いました。
どうしても税収が必要で、どこかに増税しなければならないと言うので有れば、もっと公平な増税をして欲しいとも思う。そうでないと明らかに不公平だ。
消費税UPの方がまだ公平ですね。公平性という面で言えば。増税は、そりゃ嫌ですけど、ただこういう不公平な増税はもっと納得いかない。

「じゃあガソリン使わなければいい」「タバコ吸わなければいい」なんて議論は論外。
誰にだって嗜好品はあるだろうし、好きなことや好きな物はあるでしょう。
それにガソリン等は好き嫌いだけじゃない、生活に密接に関わることでもあります。

ある一定の人からだけ徴収して、その人達の為じゃなくて全体に使うというならば、それは不公平だと言うこと。だから徴収も公平なものを望むということ。
そして、「自分は関係ないから」という心理で安易に「賛成」って言ってる非喫煙者にもイラっとした・・・と言う事が、今回このニュースを読んで思ったことです。


やれば出来るんだけど、やらないだけだ

2008-06-17 | ちょっと考えた事

特に脈絡無く、ふと思い付いた事なんですけど
「やれば出来るんだけど、やらないだけだ」
という文句。
通常は悪いイメージで使われます。
「やれば出来るなんてのは嘘だ。ただの言い訳だ」とか「たとえ出来るのだとしても、やらなければ意味がない」とか、まあそんな感じで。
確かに、出来る出来ないはともかくとして欲しい結果が得られないんじゃ、「いくら出来るんだ」と言われても全く意味がありませんね。

ただ、それはそれで確かにその通りなんだけど、本当に文字通り
「出来るけど敢えてやらない」
って場面もあるなあ~。・・・と言うことをボンヤリと考えました。
「出来ること」特にかなりな余裕をもって、簡単に片付けられるものほど「ん~、こんなのいつでも出来るし後でいいかな?」とか思ってそのままにしておく事が多いなあ。なんて、自分自身を振り返って思ったわけです。
仕事で期限が定められてるようなものだと、そんな悠長な事は言ってられないし色々と責任も掛かってくることだし、後々めんどくさいので出来ることは出来る内にこなしてしまうようにしてますけど、プライベートに関連しての事になると、出来ることほど後回しにしてる部分って多いかもしれない、とそう思い当たる節が多かったりします。
で、考えてみるとそういう後回しにしてしまっている事って、もたいして被害を被ることもなく、影響も少ない事柄だからこそそうやって後回しにしているわけで、だとすれば
「やれば出来るんだけど、やらないだけだ」
って言葉の意味の中には、
「やれば出来るんだけど、(特に早急にやる必要性が無いから)やらないだけだ」
という場合もあるんだなあ。とか

で、何が言いたいのかというと、「価値観の押しつけは良くない」という話に繋がっていくんですけど、そもそもやるべき事、やらなければならないこと、なんていうのは、それぞれ個人の価値観によって、それぞれの個人が望む「こうしたい」「こうなりたい」という願望を達成したいが為に行うわけで、個人的な価値観を勝手に物事の基準に据えて「~をしなければならない」とか「何故~しないの」とか・・・・その程度ならまだ可愛いレベルですが、「そんな事も出来ないの?」と勝手に決めつけられても迷惑だという話です。(仕事や、何かの義務としてやらなければならないようなことを放置するという場合を除いての話です)
そこで、本当に興味が無くて、自分自身としては価値を見いだせないから
「別にやろうと思えばできるけど、(必要性を感じないから)やらないだけだ」
と言ったとしても、この言葉は「まけおしみ」として捉えられてしまうという理不尽さがあるな。と。

と、敢えて「これが言いたかった」という部分を書くとすればこんな感じですが、今回は別に強くなにかを主張したかったのではなくて、本当にただなんとなく「ボンヤリとそんなことを考えました」という記事でした。


犯行予告収集サイト「予告.in」が0億円・2時間で出来ちゃった件

2008-06-14 | 世の中の出来事

俺はいわゆる「IT関連」の職業に就いているわけではないし、PCに関しては、ブログやネットサーフィン等はしてますけど、プログラミング等に関しての専門的な知識は皆無です。

そういう方面に関しては全くの素人なので、
「新たなシステム構築には多額の資金が必要となります」
なんて言われると、「そうなのか」というより他無いのですけれど、でも、それにしても「開発費数億円」なんて金額を目にする度に
「いくらなんでも金掛かりすぎなんじゃね?どこにそんなに金がかかるんだ?」
と思う気持ちはありました。
そりゃ、何にしたって新たなものを創造するには資金は必要になるのでしょうが、「億」という単位は、そんな生やさしい単位ではないぞ・・・と。

いや、もちろん俺は全くの素人ですので、そうではあっても
「う~ん、でもやっぱりそれだけ金が掛かるものなんだろうなあ」
と最終的にはそれで納得するしか無かったわけですけど、そこで今回のこのニュース

犯行予告収集サイト「予告.in」公開 「0億円、2時間で作った」 - ITmedia News 
犯行予告収集サイト「予告.in」公開 「0億円、2時間で作った」(ITmediaニュース) - Yahoo!ニュース 

・・・なんだよ、出来るんじゃん。
しかも億どころか、「一人で2時間で作りました」って。

もちろん、この事例だけを持って、世の中の全ての「システム構築」なるものが「実は簡単に出来るんだろう?」なんて言うつもりはありません。実際に多大な費用と人材を必要とするシステム開発だってあるでしょう。
ただ、今回のこのニュースの一件。政府はこれに数億円の予算を計上する予定だとか?
だとしたら・・・・ねぇ?

日本の政府が、いかにネット関連やプログラミング、システム構築等の分野に関しては弱いか?ってのが浮き彫りになった事例でしたね、これは。
もし、これに数億の予算がそのまま計上されて、その通りに運用されたら、一人で2時間で作れるようなシステムに対して数億円がつぎ込まれるわけで、それこそ税金の無駄遣い意外のなにものでも無いですよね。


「メタボ」は正しく使おうと思った

2008-06-13 | 知識・勉強的なもの
今更だけど、ふと思ったこと。気になったこと。
この手の話題は、もう既に様々な人がネタとして取り上げて記事にしているかもしれません。

「メタボ」という言葉は、もう殆ど定着した感がありますね。
ただし、間違った定着の仕方をしてるんじゃないかな?と思いました。

メタボ=デブ

みたいな。極端に書けばこんな感じで。

「目標、脱メタボ!」とか言ってる人もいたし、「メタボ腹」なんて言われたりもしてたり、「俺、最近メタボ気味で」とか・・・・この類の会話は良く耳にします。
最近これが気になってしまって。
本当に「メタボ」な人がそう言ってるなら良いのですけど、単にデブなだけ・・・表現を和らげて書くと単に肥満体であるというだけの人がこれを言葉にすると、「いやいや、違うだろう」と。
知ったかぶりして間違った事を平気で言ってる人のようで、見てるこっちが恥ずかしくなると言うか。

メタボ。メタボリックシンドロームとは

こういう事ですよ。(ウィキペディアより)

内臓脂肪型肥満がベースで、それに「高血糖」「高血圧」「高脂血症」のうちのなかからいづれか2つ以上を合併したものだそうで、つま「内臓脂肪型肥満」+あと2つが合併して初めて「メタボ」なわけで、単にデブなだけなのは、メタボの要件の一つではあるけど「=メタボ」では無いということ。

似たような話で「放射能」と「放射線」の違いが分かってない人も多いですよね。分かってないと言うか勘違いしている人。
ニュースでさえ「放射能漏れ」とか言っちゃってる始末だし。


「スイーツ(笑)」っていう話題がちょっと前にありました。
「実際にそんな女性はいないよ」なんていう話もあったらしいですが、まあ居る、居ないはともかくとして、「スイーツ(笑)」の場合は、敢えて気取った言い方をしてる部分がどうなんだ?って話ですけど、完全に「間違いだ」とまでは言えない分まだマシだったと思います。
ただね、「メタボ=デブ」は間違いなので、少なくとも俺は正しく使おうと思いました。

他の人が使ってるのに、いちいち忠告したりとかそんなことするつもりは毛頭ありませんけど。
少なくとも俺は、こういう勘違いは恥ずかしいので。

必要なのは「バカにルールを合わせない」こと

2008-06-12 | 言葉・フレーズ個人メモ

秋葉原の殺人事件について。
これ今一番の話題ですからね、俺もこのニュースを見て思ったことはあったんだけど、なんか書いてみようかな?と思っていたら

そろそろ秋葉原の事件について語ってみるかタケルンバ卿日記

という記事を発見しました。

俺の言いたかったことが、ここに殆ど書かれてる

そう言えば、どこかのブログで「お前は俺か!」ってフレーズ目にしたことありましたが、まさにその心境(笑)。
でも、このフレーズは偉そうですね。俺何様だよ!!
それよりも、「俺もその意見に完全に同意です」ってところでしょうか。

それにしても、見事にシンクロしてます。
ここまで書かれちゃうと、俺が書くことは何も無いです。参った参った。
いや、というのは言葉のアヤで、「参った」と言うよりはむしろこういう記事を発見出来て「良かった」という感じでしょうか。

だって、そのおかげで俺はなにも書かなくても
「良かったらリンク先の記事に目を通してみて下さい。俺が主張したいと思ったことがすべて書かれてますから。俺もそんな風に思いました。」
と一文書くだけで終了ですからね(笑)

なので、今回この記事自体は秋葉原の事件云々よりも、タケルンバさんの表現の方法から、「これは良いな」と思ったフレーズを個人的にピックアップ

タイトルにも使用した

「必要なのは「バカにルールを合わせない」こと」

これ、良いなあ。上手い。このフレーズ次から俺も使わせて頂きたいと思いました。
あと、これの前提となった

「バカがルールを作る」

も上手いし、その総まとめの

「でも新たなバカはどうせ出現する。他の手法をとって出現する。そうした場合、前のルールは残り、新たなルールがつくられる。バカスパイラル。ルールがルールを呼ぶ。規制が規制を呼ぶ。こういうことには意味がないと思うんだよね。」

うんうん。意味もよく分かるし、簡潔だし、さらにインパクトがある。この表現は上手い。
俺だったらどう表現しただろう

「「臭い物には蓋を」的な場当たり的な対処方法なんて全くの無意味」

とかそんな感じで持っていったかなあ・・・・
ともあれ、「バカスパイラル」って・・・いいねこれも。凄く上手い表現。これ好きだなあ。この表現はメモして今後に活用させて頂きたいと思います。