エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

褒められて嬉しいことランキング

2008-07-31 | てきとうなもの・雑記

今回はgooランキングから。
ちょっと気になるランキングだったので紹介してみます。

女性がほめられてうれしいことランキング

男性がほめられてうれしいことランキング

という結果が出ていました。
詳細はリンク先を参照してもらうこととして、取り敢えずそれぞれの上位5位を書いてみると

女性
1位 料理上手
2位 肌がキレイ
3位 気が利く
4位 清潔感がある
5位 笑顔がかわいい

男性
1位 仕事ができる
2位 責任感が強い
3位 頼りがいがある
4位 知的である
5位 優しい

と言うことでした。

以下、これに関する俺の個人的雑感。
まずは女性から。
「え?一位が『料理上手』なの?」
というのが率直な感想です。2位の「肌がキレイ」とか、7位の「若く見える」とかそこら辺が一番だと思ってました。要するに「可愛い」とか「キレイ」とか、そこら辺かと。
『気になる女性ともっと近づきたい。彼女や妻の機嫌をとりたい。そんな時、相手を思いっきりほめると効果的ですが、ピントがずれたほめ方をしてしまうと、逆効果になってしまうことも。』
って事でしたけど・・・俺も、微妙に外してたかも。
でも1位では無いにしろ「肌がキレイ」は一応2位だし、嬉しいポイントでは有るらしいので、まあギリギリ女心が分かってたのか?という所で踏みとどまったかな?俺(笑)
ん~・・・料理ねえ。
俺は、女性であれ男性であれ、美味い料理には素直に「美味い!」って言うし、不味いものは「不味い!」って言っちゃう性格なので、実際に料理上手な女の子なら、もう凄いべた褒め出来る自信があるけど(笑)、正直微妙な腕前だと上手く褒めることが出来ないかも。
まあ、嘘は良くないよ。嘘は!(と自己弁護してみる)

はい、次男性。
1位がダントツで2位を引き離して「仕事が出来る」なのですが・・・・俺、個人的には無いなあ、これは。
俺は仕事が出来るとか褒められても全然嬉しくないですよ。
いや、仕事場で仕事のシーンで上司なりに褒められると、そりゃ嬉しいですけどね。俺、基本的に仕事は仕事、プライベートはプライベートでしっかり分けたいし、特にプライベートに仕事は一切持ち込みたくないし、そもそも仕事は嫌いだし・・・
だから、仕事上で仕事を褒められるのは嬉しいけど、プライベートの時には仕事の事で褒められるよりも・・・例えば6位の「人を見る目/観察力」とか8位の「若く見える」とか、12位の「ファッションセンス」とか褒められた方が全然嬉しいですね。特に異性から褒められる場合だとなおさら。
でも、
『。《肌がキレイ》《笑顔がかわいい》など、見た目に関する項目が上位に入った 女性のランキングに比べ、男性は《若く見える》が8位と、見た目にはあまりこだわらない傾向があるよう。男性は女性よりも「外見よりも中身で勝負!」と考える人が多いのでしょうか。』
とのこと。
ありゃ?・・・俺は女性寄り?

いや~、確かに中身も大事ですよ。それに別に中身はどうでも良いと思ってるわけでも有りません。
ただ、確かに中身も大事だけど外見も大事でしょ?中身で勝負するのも良いけど、だからってそれを言い訳にして外見を捨ててしまっている人もどうかな~って俺は思いますね。
それに、本当に中身が凄い人は外見の大切さも知っているんじゃないかと思います。外見によって与える影響だってあるわけですし、外見で判断する部分だってあります。
だらしのない出っ張った腹と引き締まったお腹・・・これだけで、その人への印象が全然違うでしょうしね。
俺は中身も当然磨きつつ、常に外見にも気を配る事を忘れないように歳を重ねて行きたいなあと思ってます。「結婚したから」、「子供が出来たから」、「もう歳だから」とかそんなのはタダの言い訳だと思います。
子供の遊び心を忘れない、格好いい大人な男性・・・を目指したいですね。おや?当初と趣旨が違ってきたかも(笑)なので、この辺で。

ちなみに、俺は「格好いい」って言われると喜びますよ(笑)
実際はイケメンでもなんでも無いので、コンプレックスの裏返し的な、憧れ的なものもあるのかもしれませんが、「仕事が出来る」よりも全然嬉しいです。個人的に。


微妙な男心

2008-07-29 | てきとうなもの・雑記

女心とか乙女心とか、女性の気持ちというのには、とても繊細で微妙な部分が有ります。
「全然女心が分かってない」なんて言葉、言われた事ありませんか?
中には自己中心的で、自分に都合の良いときにだけ乙女心を持ち出してくる、たわけた女もいますが、基本的に女心は微妙なもので、男としては女性に接するときはそこをしっかり汲み取れるように心がける必要はありますね。
モテる男、持てない男の基準の一つにその点の配慮が出来るかどうか?って部分もあるかもしれません。

さて、話は変わりますが(笑)なにも女性に限った事じゃなくて、男にだってそういう微妙な部分ってあるんだぞ~。と言うのが今回のお話。
もちろん、男全体がそうだと言うわけでなくて、あくまで「俺の場合」という前提での話ですけど。

飲みの席での話です。
知人(「友人」とも「飲み仲間」と言い換えても可)の女性と2人で飲んでいました。
別につい最近知り合ったばかりとかそういうのじゃなくて、普段から良く飲んだりしている知人の一人です。
普通に2人で飲んで、色んな話で盛り上がって、まあ楽しい飲み会ではあったんですけど、最後の会計の時になっての話。
「さて、じゃあそろそろ今日はお開きにして、会計しようか」ってことになって、テーブルにある伝票に目を通すと書かれていた金額は8000円(当然端数も付きましたが、ここは敢えて分かり易く端数切り捨てで8000円と言うことにしておきます)でした。
その彼女はそれじゃ、と財布から4000円取り出して俺に渡そうとしてきたので

俺「いいよいいよ。4000円もいらない。ん~、じゃあ、2000円だけ払ってちょうだい」

ってことで、2000円だけ受け取って、2000円を彼女に返しました。

彼女「いや、いいですよ。そんな。」

ってことで、遠慮していたので

俺「いいから、気にすんなって」

ってことで、結局彼女からは2000円だけ受け取ることにしました。
んで、この後の俺と彼女の会話が、今回の書きたい事の内容そのままなので、たまには趣向を変えて当時の会話をそのまま再現してみたいと思います(笑)(注:方言→標準語への変換はしてありますので、全くそのままというワケではありません。生の会話は方言での会話になってます)

俺「ちょっとお金の話になるから、嫌らしい話かもしれないけどさ、俺、基本的にこういう飲みの時は、極端な話、全部俺が奢ってもいいかな?とすら思ってるよ。だって、俺が誘った飲みだし、それに付き合ってくれたわけだし、それこそ嫌らしい話だけど、もらってる給料の額だって違うわけだしさ」

彼女「でも、やっぱり毎回払ってもらうってのも・・・」

俺「そこ、それそれ。それなんだよね~。」

彼女「?」

俺「それが大事だと俺は思うんだよ。やっぱり○○(その彼女の名前)は良い子だわ~。いいと思う。それ凄く。何というかさ、お金を払うこと自体はホントに何とも無いというか、俺が奢っても良いぜ~って思ってるのはその通りなんだけど、だからといって最初からあからさまにそれを目当てにしている女の子とか、払ってもらって当然って顔をしている女性は嫌なんだよな~」

彼女「あ~、それは分かるかも」

俺「でしょ?男って単純だから、女の前では格好付けたがる生き物で、こういう場面だと『むしろ俺にお金を払わせてくれ』って感じなワケさ。逆にここできっちり割り勘当然って顔をしている男って、それはそれでどうかなって俺は思う」

彼女「単純だとか自分で言っちゃってる(笑)。●●さん(俺の名前)も男じゃないですか」

俺「ああ、○○だからこういう話もしてる。まあ○○に限らず、いつも飲んでるメンバーの連中とだから出来る話っていうか。殆ど知らないような人との飲み会じゃ、こんな話はあまり出来ないけど。」

俺「だから、払っても良いと思うし、全額奢っちゃっても良いとも思うんだけど、でもそれを当然と思われたり、それを目当てにするような奴は嫌なんだよね。で、普通に○○みたいに払おうとしてくれる人の場合はその当然と思ってない所が良いなあと思うんだけど、でもその場合、今度は俺が全額奢るなんて言っても、逆にそれはそれで相手に気を遣わせちゃうんじゃないかな?っても思うわけさ。だからこうして2000円だけ貰ってるんだけど、ここら辺がさ、何というか微妙な男心とでも言うか・・・。」

俺「本当は奢っても良いんだけどね。でも奢って貰うことを当然と受け止められるのは嫌なわけで、でも奢りたい。どっちやねん!って話だけど、なんて言うの、お互いがお互いに相手を思いやるというか、譲り合うというか、そういう意識の上で、でも奢りたい・・・みたいな(笑)女心は微妙だって言うけど、それと同じくらい男心も微妙なワケさ~。本人目の前にして言うべき話じゃないし、嫌らしい話だけど、でもいつも飲んでる○○だから敢えて言うけどそんな感じ」

彼女「(笑)」

俺「だから、毎回飲みの時は最後会計の時そんな事を考えて、小さく悩んでるわけよ。ほら、俺って気ぃ遣ぃ~だから?(笑)」

彼女「もっと別な所に気を遣った方が良いと思うけど・・・(笑)。でもじゃあ今回は2000円だけ払いますね。ありがとうございます」

俺「うん、まあ本当に奢るときは最初から『今日は俺が本気で奢るから気にせず飲め』って言うから、その時は本当に気にしないで奢らせてちょうだい(笑)」

彼女「わかりました。じゃあ期待してます(笑)」

と、まあこんな感じのやりとりをして、会計を済ませて彼女とは別れたわけですが・・・そんな感じです。

これはある程度気心の知れた相手じゃないと出来ない話だと思います。
彼女は理解してくれたみたいで嬉しかったのですが、あまり知らない相手にこんな話しても
「結局奢るとか格好いいこと言ってる割に、でも払って欲しいって、結局は奢りたくないって暗に示してるだけでしょ?」
とか受け取られそうだな~と、自分自身改めて記事でこの会話を書いてみて思ったりしました。
いや、「全額奢っても良い、むしろ奢って格好つけたい。」ってのは本心なんですよ。
だから、何というかこう・・・そう、微妙な男心ってやつなんですけどね。


別に何が好きでも良いんだけどさ・・・

2008-07-28 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

gooトレンドランキング、本日2位の話題。

「苦くて、おいしくない…」 ビール飲めない若者が急増中 (痛いニュース
livedoor ニュース - ビール飲めない若者が急増中

という事でした。

タイトル通り、別に誰が何を好きでも、俺は別にそんなのどうだって良いだろうと思うんだけど、この記事内やコメントのやりとりはどうにも不毛だなあ・・・と感じました。

元記事内の
「ビール会社に入社しておきながら、シレッと“ビールは飲めません”という若手社員がけっこういますよ。なんで入社を志望したんだか」
とか
「かつては飲めなくても最初の一杯はビールという暗黙の了解があった。それが社会人のたしなみではなかったのか。」
とか
「どんだけひ弱なんだ! 席について全員が“とりあえずビール”という文化は廃れつつある。」
とか。

「ひ弱」って・・・別にビール飲むかどうかと強い弱いはまた別の話だと思いますけど。

この他にも、ビール派、非ビール派のコメントの応酬も、もの凄く不毛な言い争いが多かったです。
「俺はビールが好きだ」「俺は嫌い」「苦いのが良い」「苦いのは不味い」
この程度の自分の意見を言うだけで良いと思うんですよ。
この手の好き嫌いに関しては。
それが「ビールが美味いという奴は味覚障害」だとか、「ビール嫌いな奴はおこちゃま」だとか。
単なる、自分本位の罵り合いでした。

別に飲みたい人だけ飲めば良いんだろうし、また「とりビー」だとか「イッキ」だとか、そういうのを強制する飲み方もバカじゃないか?と思う。
そもそも、元記事の

 席について全員が“とりあえずビール”という文化は廃れつつある

確かに、そういう風潮はあったけど、それが「=正義」でも「=善」でも「=正しい」わけでも無いんですよ。ただ単純にそういう慣習があったというだけで、別に意固地になって強制してまで守るようなもんでもないでしょ?これ。
嫌な人に無理矢理押しつけるのは良くないですよね。意見でも慣習でもビールでも。

今回のこの記事と、コメントのやりとりを見てて一番に思ったこと

こういうのは単純に自分がビールに対してそういうイメージを持っているか、好きか嫌いかだけ書けばいいと思う。反対意見の人を罵ったり、意見を押しつけるのは不毛な言い争いでしかないだろう?

と言うことです。
これはこのビール論争に限った事じゃないですけどね。

ちなみに、俺もつい最近

食における格好良さというものについて

という記事を書きましたが、これは読んでもらうと分かるように個人的に「格好いいと思う」と言うことを書いてます。
男が甘いものは「違和感がある」とは書きましたけど、それは俺がそう感じると言うこと。決してそれが悪いとは書いてませんし、そこは文中でも特に誤解の無いように強調したつもりです。
ビールが嫌いな人は嫌いでも良いんですよ。嫌いって書いても良いと思うし、不味ければ素直に不味いというのも意見だと思うんです。ただ、すでに書きましたけど、それをもって、「ビールが好きな人は味覚障害だ」とか、逆にビールを嫌いだという人を「おこちゃまだ」とか「成長してない」だとか、そこに言及しても無意味だと思いますし、端から見てても良い気分はしないし、

そんな下らない言い争いやめようぜ。

って思うし、

別に何を好きでも良いじゃん?別に

と思います。

ちなみに、俺はビール大好きです。
今の時期キンキンに冷えたビールは本当に美味いなあって感じます。
さらに、飲み会も大好きだし、家で飲むより居酒屋で飲む方が断然美味しく感じるので、飲みの誘いがあれば喜んで出て行きます。
それはそれで、俺の好みの問題ですね。


ブログ通信簿

2008-07-26 | てきとうなもの・雑記
gooトレンドランキング1位にもなっている、これ

ブログ通信簿 - goo ラボ 

をやってみました。
詳しいところはリンク先を参照してもらうとして、簡単にどんなものかを説明すると、通信簿を付けて欲しいブログのURLを入力すると
1 主張度
2 気楽度
3 マメ度
4 影響度
の4項目について5段階で評価してくれるというもの。

ただし、これは当然ながら「○○メーカー」のように、人間が実際に作成しているのではなくて、あるルールに従って自動作成されるもののようです。

>ブログに書かれた内容や言葉遣いなどから自動的に推定されます。例えば、実際には20代の方でも、40代がよく話題にする内容を書いていると40代と判定されます。また、言葉遣いが女性っぽいと女性となります。実際のブログ作者のプロフィールを示すものではありません。

↑こんな説明がありました。
なので、実際のブログの内容と評価には隔たりができるかもしれませんが、まあ、あくまで「お遊び程度」と割り切れば楽しいかもしれません。

俺のこのブログもやってみました。結果は

このとおり。
ブログ性別はやっぱり「女性」。
まあ、以降、丁寧語で行こう!でも書いたとおり、文体を丁寧語で統一してますから、ひょっとしたらとは思ったけど・・・・でも一人称は「俺」で統一しているんですけどねえ。自分を「俺」って言う女性が流行ってる?(笑)。いや、まあそれは冗談だけど、自動作成なんて、そんな程度のもんですってことですね。

でも、主張度1ですか、これ。
「もっと自分の意見を言ってみてもいいのでは」
う~ん。自分の意見を言うのがメインのブログのつもりなんですけど・・・。
これも、「丁寧語=主張していない」と見なされてるんでしょうかね?
じゃあ、俺のブログは主張度1で敵を作りににくいブログであるということで(笑)

みなさんも話のネタにどうですか?URLを入れるだけで簡単にできますよ。

3度目までは無条件で信用してみる

2008-07-25 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

最近、ちょっと忙しくてなかなかブログの更新まで手が回ってない状況でしたが、その仕事面で最近ちょっと考えていることを書いてみます。
過去記事の

組織のトップに立つと言うことは

と、直接に被る部分は無いと思うけど、ちょっとは内容的にリンクする部分もあるかもしれません。

俺はまだ部下を何人も抱えるような役職に就いているワケでもなければ、部長だの課長だのと言った肩書きを持っているワケでもありません。
それでも、社会人になって数年にもなると、後輩は出来るし時と場合によっては自分が場の責任者として行動をしなければならない場面だってあります。
そういう、自分が誰かの上に立って(あくまで仕事をする上で職務上上の立場に立つというだけの話ですが)行動する場合の心構えというか、こうした方が良いというか・・そう言うことに関してなんですけど、ただ最近流行り(?)の
「○○するための、たった○つだけの方法」
だとかみたいな、あんな大層な事を言うつもりはありません。そういう趣旨でもありません。「そうするべきだ」という意見を押しつけるつもりも全くありませんし、俺が個人的に「こうした方が良いんじゃないかな?」と思うことと、そして実践していることを書いてみる・・・という、それだけの記事です。

で、本題。
まあタイトルに集約されるワケですけど、
後輩(あるいは部下)の意見を、とりあえずは3度目までは無条件で信用してみてはどうだろうか?
と、言うことです。
もちろん、進めている仕事の規模や重要性、重大性等を勘案して、何が何でもというわけではありませんが、重要度という観点から見たら「中」レベルまでの仕事に置いての場合です。

と、言うのも自分の今の上司の一人に「部下の意見を全く聞かない」というのが居ます。
この上司、別に「お前らの意見は聞いてない。黙って俺の言うとおりにしてれば良いんだ!」というのとの違うんです。そういうワンマンタイプじゃなくて、むしろその正反対のような性格の人なんですけど・・・なんて言うか、部下を信用していないと言うか。
こういう場合はどうしたら良いだろう?あれはどうだっただろうか?なんて話になった時に俺を始め、他の人などが意見を出しても常に「う~ん。だけど・・・」みたいな感じで、そして最終的には「でもやっぱり、もう一回確認取ってみてくれない?」とか「やっぱりこれは、これを試してみてからにしたいんだけど」という感じで、結局最終的には自分の主張を押し通すというか、部下の意見を聞き入れる余地がないんです。
もちろん、例えば俺の方もあやふやな状態だったりして「多分~だったと思います」みたいな状態であれば、慎重を期して確認作業をしたり、色々と他の方法も試してみてからというのも重要でしょうが、確かにすでに確認が取れていて「いや、これは必要ないです」「大丈夫です」と進言しても聞き入れて貰えないんですよね。
そういうのって、逆に作業能率を下げているだけで、無駄な労力ばかり使っている気がしてならない・・・・。
で、多分その上司も悪気があってやってるワケじゃなくて、ただ単純に自信が無いというか、几帳面すぎるというか、自分で確認しないと、そして自分でやらないと気が済まないタイプらしく、そういう性格から着ているものだと思われます。
ただ、俺を始め他の人達との間でも、そういう不毛な摩擦がいつも繰り返されているものだから、あちこちから「いい加減にしろよ」という、その上司に対する不満の声が挙がってたりします。
そして、その上司の仕事は着実なのかもしれないけどやっぱり、決定的に致命的に遅いんです。で、遅い割に仕事の量ばかりは多い。いや、無駄な仕事が多いから遅くなるんですけどね。

と、こうやって書けばただの俺の近況の上司に対する愚痴になっちゃいますけど、言いたいことを言うための大事な前提事項なので敢えて書かせてもらいました。
こういうことから、最近思うのは上に立つものとして、後輩や部下を使う上で大事なのはやっぱり信頼関係だと思うんです。お互いの間に信頼関係が無ければ、そのチームは上手く回らないと。
で、その為に重要なことは・・・・ってところで先ほども一回書いた
後輩(あるいは部下)の意見を、とりあえずは3度目までは無条件で信用してみてはどうだろうか?
って事じゃないかなあと。
3度ってのは、俺なりの個人的な基準だけど、まあ人間誰しも間違いや失敗はあります。一度ミスをしただけでもう信用出来ないって言うんじゃ、その人の人間としての器としてあまりにもちっさい感じがしますよね。
「2度目まではまあ許そう」でも良いかもしれません。まあそこら辺はその人のさじ加減ですけど、とりあえず部下の言うことを最初は信用してみる。無条件で。3度目のミスをするまでは。
積極的に前向きな姿勢で一生懸命やった結果のミスを、誰がそこまで非難できようか?って話ですけど、信用した結果、そう言うちょっとしたミスがあったとしても、そこはみんなでカバーしてやればいい話じゃないかと。
で、さすがに信用したけど3度もミスがあったとなれば、次からは無条件で信用されなくなったとしてもそれはミスした当人だって納得出来ることだろうし、逆に信用を取り戻そうという気になるんじゃないかなぁ?とか。
これが、最初から間違ってもいないのに全く信用されてないとすると、人間ですから良い気分になるはずは無いですよね。

なんというか、確かに仕事は完璧にこなすことが求められるし、甘くも無いものだけど、でも、最初から少しのミスまでも怖がって、重箱の隅を突くような感じで、部下や後輩の言うことも信用しない・・・・で、結果チーム内の雰囲気も悪くなって、人間関係もギクシャクして、で、結果として能率下げてたら元の木阿弥というか、結局マイナスの方が大きいんじゃないか?と思うんですよ。
だから、そりゃ最初の方で書いた「命運を賭けた一大プロジェクト!」なんて代物なら、最初から万全を期して、慎重に慎重を重ねたって当然でしょうけど、やっぱりね上の立場になって部下なり後輩なりの人を遣って仕事を進めていく場合は、まずは部下のことを無条件で信用するところから始めて見ても良いんじゃないかな・・・と。

俺が将来もっと偉くなったとしたら(なるかどうかは全くの未定だけど)そういう上司になろう・・・と、まあ今のその例の上司がある意味反面教師になって、そんなことを考えたりしてます。
これが正解かどうかは分かりません。「たった一つの冴えたやり方」なんてものとも全然違います。とんでもありません。
ただ、俺はそういうのが良いんじゃないか?と思うという、そう言うことでした。

それと
「よし、お前らのやった結果についての責任は全部俺がとる!お前らは変な事に気を遣わず、自分の思うように精一杯頑張ってみろ!」
なんて、言ってみたいもんです(笑)
そういう上司って憧れますね。いや、憧れだけで仕事は出来ないのは百も承知ですけどね。


クールビズに一言申す!なブログ発見。

2008-07-20 | てきとうなもの・雑記

エコは大事です。確かに。
自分たちの住む地球を自分たちの住みよい環境に整えること。結局自分自身に降りかかる問題ですから、確かに大事なものです。

でも、前回の

食べ残しに関するあれこれ

でも書きましたけど、今のこの世の中の生活に慣れてしまった状態で、何が何でもエコ、エコ言うのも、ちょっとどうかな?って部分もあると思うんですよ。
なんでも、聞いた話によると(聞いた話なので、どこまで本当かは分からない部分はあるけど)完全なリサイクルが実現できる環境に本当に負担を掛けない生活というと、江戸時代位まで文化水準を下げないと駄目だとか聞いたことがあります。
そんな生活・・・・実際問題無理ですよね。
なので、確かにエコが大事なのはそうなんだけど、ある程度は「しょうがない」という部分もあるとは思うんですよ。

で、クールビズに関しても、エアコン28℃設定に関して俺も、ちょっと思ってた部分もありまして・・・で、今回トレンドランキングでこんな記事が

クールビズ「28度では能率低下」…日本建築学会調査(読売新聞)

で、さらにこの記事繋がりでこんなブログを発見しましたので、今回は主にそのブログの紹介です。

間違いだらけの節約術西荻ライフ

何というか、「そうだよな~」って感じでした。
一部抜粋させてもらうと

『1 人がいない部屋の冷房ONOFFをこまめにする
→起動時と空気を冷やす時に一番電気を食うので、日中頻繁にするのはNG』

『2 社内コピーは裏紙使用
→コピーに占める紙のコストは15-20%(転写代4円、紙代1円が目安)
のうえ、裏紙を使うと故障や詰まりが発生して能率が逆に落ちる』

うんうん。納得、そして同意。
なので、紹介してみました。

クールビズも、軽装で快適にというコンセプトは十分に分かるし、良い試みだとは思うんだけど、だからといって「28℃にしましょう」ってのは、ちょっと極端というか、逆に暑苦しくなるだろう・・・と、俺も思ってました。
もちろん、エコという観点、単純にその観点からだけ見ればエアコンなんてそもそも使用しない方が良いに決まってますし、それは分かります。分かりますけどね・・・仕事の能率を以下に上げるか?そして業績をあげるか。というのも、仕事をして給料をもらってそれで生活をしている以上、生きていく上で大事なことです。
だから、ただなんでもかんでもエコエコ言うんじゃなくて、ある程度の折り合いも必要だろう?とも思うんです。
そういうことを、俺は考えたりしてます。


食べ残しに関するあれこれ

2008-07-16 | ちょっと考えた事
前回の記事で「食」について書きましたので、今回もちょっと食繋がりで、食べ残しに関する事を。

最近学校給食の食べ残しが問題になっているみたいですね。
でも、今回はその話ではありません(笑)。そことはまた別な話。学校給食は脇に置いておいて、あくまで大人の話というか、食べ物の大切さ、犠牲の尊さというものをきちんと理解している大人を想定しての食べ残しに関する事です。
何故敢えて学校給食の場合と分けたのかも理由がありますが、それについても追々書きたいと思います。

で、今回の話の発端は、あるホテルを会場にして行われた会合の席で、会議の後に親睦会的なパーティー的な要素も含んだ会合だったんですけど、様々な料理が出たわけです。
最初はみんな普通に食べているんですけど、そのうちに場の空気が和んでくると、それぞれに知り合いや上司先輩との話に盛り上がるようになり、途中からは殆ど誰も食事には手を付けず、最後はかなりの料理が余っていました。
これは、結婚式の披露宴なんかも似たような感じですよね。
で、食中毒とかそういうのの防止のための持ち帰りはご遠慮願いますとのこと。まあ、ホテル側としても持ち帰られた後の事まで責任は持てないって事でしょうし、それで後からクレームを付けられてもたまらないと言うことでしょうから、分からないでもありません。
自分で持ち帰って、自分で保存状態が悪いまま保存してそれを後で食べて、それで腹壊してもホテルに文句を言うようなモンスターが増えてきてるらしいですからね。

と、ちょっと脇道に逸れましたが、本筋に戻ります。
で、その余った料理を見て最後みんな「もったいないなあ」と言うわけですよ。
余っているから勿体ない。
確かに、勿体ないと思うこと自体は悪い事じゃありませんし、物を粗末にするよりは、勿体ないという感覚を持っている事はむしろ良いことだとは思います。
だから、別に非難したいワケじゃないんだけど、でも、よくよく考えると本質的な部分で違うんじゃないか?って思うんですよ俺は。
確かに勿体ないかもしれませんが、じゃあだとしたらどうしたら勿体なく無いのでしょうか?・・・そう聞くと「全部きちんと食べればよい」と言うでしょう。
でも、それってちょっとおかしいんじゃないかな?と。
そこに居る人達は食べれるのに敢えて残したワケです。と、言うことはすでにお腹が一杯だとか、すでに十分に満足しているというわけで、その状態で無理矢理に詰め込む行為は、逆にその人達にとって苦痛ですら有ることですよね。
食べ過ぎは逆に体に良くないということは誰だって知っていることです。
それに、すでに料理されてしまった物は結局、捨てるか、その場で消費するしか無いわけで、そういう席に出した料理をリサイクルなんてのは出来ませんよね?そんなことしたら船場吉兆でしょう?
要するに、食べたとしても捨てたとしても、結局料理として出してしまったものは、どのみちその場で消費してしまう意外に無いわけです。

と、言うことは、「食べ残しは勿体ない」とは言っても、じゃあそこに有る物を無理矢理にでも食べることが本当に勿体なくないのか?というと、かなり疑問ですよね?
無理矢理食べた人も気分が悪いし、捨てたとしても食べたとしても、結局は無くなるだけ。無理矢理食べて気分を悪くするだけ逆にマイナスですよ。

でも、大量に食べ残しが残るのを見て「勿体ない」と思うのは正常な感覚だとも思うんです。
だとしたら、どこに問題があるんだろう?・・・と思って考えてみたら、結局は

料理を残す事が勿体ないんじゃなくて、最初から料理を作りすぎることが勿体ない

と言うことなんですよね。つまりはそう言うことです。

大量な食べ残しを見て
「そんなに残して結局捨てるだけなら、食べたくても食べられない飢餓に苦しむ人々にでもあげられたらいいのに」
なんて言う人もいますが、料理を作る前の食材なら輸出はできても、すでに作ってしまった料理そのものを飢餓に苦しむ国に送ってやる事なんてできません。どうやって運ぶんですか・・・。輸送費だってバカになりませんし、そんな長時間保存するのも大変でしょう。移動中の衝撃に対する保存だって大変でしょうし。
こんなのは当然の事です。すこし冷静になればすぐに分かること。
そうやって考えてみても、結局は料理されてしまった時点で、その場で食べるしか無いわけで、余ったからその分を恵まれない人に分け与えられるか?なんて言ったって現実問題出来るわけ無いわけで・・・。

でも、だからといってじゃあ「本当に必要な分だけ作ればいい」と言ったって、そんなのも現実にやるとしたらまず不可能でしょう。だってホテル側だって商売でやってるわけです。儲けを得るためにはそれなりの値段をつけて、それなりの料理を揃えなければならない。
ホテルに限らず、レストランや居酒屋や各種外食産業、コンビニで扱う弁当とかそういうのも全てそうですよ。
じゃあ、そういうの全部廃止できるか?・・・・と、言うと実際どうですか?
今の世の中の生活に慣れてしまった状態で、本当に必要な分だけ生産して必要な分だけ食べて暮らしていくなんて、今の現在の社会で可能かどうか?というと、無理でしょうね。

そうやって考えると、やるせなくなる部分もあるんだけど、結局は「しょうがない」って事で納得するしかないんですよね。
嫌なら、自給自足の生活・・極端だけど結局そこに行き着くことになりますので。
だから、単純に目の前の食べ残しを見て「勿体ない」とは簡単に言うけど、これはこれでなかなか難しい問題だなあと。そして、単に目の前の料理が残ってるから「勿体ない」っていうのは、ちょっと本質から逸れてるんじゃないか?と思うんです。
本当に勿体ない行為は、「料理を作りすぎること」の方なんですからね。

と、こんな事を思ったのでちょっと勢いに任せて書いた部分も否めないけど、思ったことを書いてみました。
ただ、こういう事は直接解決は出来なくても考えてみること、それ自体にも少なからず意味は有るんじゃないか?とは思ってます。

最後に、学校給食の食べ残し問題を別にしたのは、学校給食の場合「食育」という側面が入ってきますからね。
まだ、物事の善し悪しの分別も付かない子供達には、とりあえず「残すこと=勿体ないこと」「残すこと=いけないこと」というように教え込む必要はあるかもしれません。
なので、敢えて今回の問題とは別にしました。

食における格好良さというものについて

2008-07-14 | ちょっと考えた事
甘い物というと、女性的というか子供っぽいというか、なんとなくそう言うイメージですよね。世間一般的に。
例えば、チョコレートパフェとかは女性や子供が食べてても何の違和感も無いけど、いい大人の男が食べてるとちょっとした違和感がある。
良い・悪いの話じゃなくて、世間一般的なイメージはそうですよね?って話です。別にチョコレートパフェが好きな大人の男性が悪いって事は無いし、否定する部分は全くありません。

で、逆に苦いものは「大人」というイメージがあります。
ブラックコーヒーだってそうだし、ビールとかが顕著な例かな?

辛いのは、性別年齢関係なしに好きな人は好きだし駄目な人は駄目っていう感じもあるけど、例えば寿司のワサビ抜きは子供用ってイメージがあるし、ざるそばのつゆにワサビを入れたり、刺身を食べるときにワサビを使うようになると大人というイメージがありますね。
重ねて言いますけど、これも世間一般でのイメージでの話です。別に大人だからそうだとか、こどもだからどうだとか決めつているのでも無いし、全てがそうだと言ってるわけではありません。

俺は、以前からこの「味に対するイメージ」に関してずっと疑問を持ってまして
「何故甘い物というとイコール女性、若しくは子供なんだ?」
と言う感じで。
そして甘い物であれ苦い物であれ、味覚ってのは人それぞれで、好きな食べ物、嫌いな食べ物が人によって異なるように、性別や年齢関係なしに甘い物が好きな人だっているだろうし、苦めのものが好きな人、辛い物が好きな人、酸っぱい物が好きな人・・・それこそ、個人個人の単位で違うものだろう?と。
なんで、性別や年齢でくくられなきゃ駄目なんだ?
なんて思っていたわけですよ。
ピーマンは嫌いだけど、ジャガイモは好きだ。とか、イカは嫌いだけどホタテは好きだとか・・・・チョコレートパフェが好き、ケーキが好き、カルアミルクが好き。なんてのもそう言ったピーマンとジャガイモ、イカとホタテの関係となんら違いが無いだろうと思っていたわけです。

でも、最近になってふと思ったこと。
「いや、考え方が逆なんだろうなあ」
と。
女性だから、子供だから甘い物が好きとか、大人だから苦い物が好きとか、そう言うのじゃなくて逆に年齢が低い内は、若しくは女性はそもそも甘い物を美味しいと感じるように出来ているのではないか?そして年齢を重ねていく上で苦い物を受け入れられていくように、味覚が変化していくように・・・人間ってそもそもそういう感じに出来て居るんじゃないか?と。
女性や子供が甘い物が好きで、苦い食べ物が大人の食べ物というイメージも、そういうイメージが根拠無く先行していたのではなくて、実際にそうであったからイメージが後から着いてきたのではないか・・・と。
だとしたら・・・そっか。そうなのか~。というより他はないけど。
言われてみると俺も、ビールの美味さなんて最初は理解できませんでしたしね。

もちろん、とは言ってもそれはあくまで一般的な場合の話で、一般的というのは大体多数に於いてという意味であって、決して全てではありません。
当然にそうじゃない場合だってありますし、それこそ個人差はあります。
大人の男性でも「いや、俺は甘い物大好きだ」って人もいるでしょうし「甘い物大嫌い」という女性の方。苦い物も大好きという子供だっているでしょう。
ただ、味覚の話に限ったことではなくて世の中の物事の全てに於いてそもそも「普通」という事の判断基準は、大多数の場合と一緒かどうか?マジョリティであるかどうかと言うことですよね。
普通であるかどうかというのは本質的な善し悪しよりも、多数の意見に受け入れられるかどうか?と言う部分が大きいです。そして、こっからが今回最も言いたい部分に掛かってくるところなんですけど、それがカッコイイかどうかなんて判断もそうだと思うんです。

食に関する格好良さについて。
格好良さというと、ルックス・・顔とか体型とか、後はファッションとかが主に注目されるけど、チョコレートパフェを一人で食べてる大人の男性ってやっぱり「格好良く」は無いですよ。(念のため補足、もちろんそれが悪いという意味ではありませんよ。単純に格好良さの話です。以下の例についても同じ)
寿司屋でワサビ抜きじゃなきゃ食べられないのは、やっぱり格好良くは無い。
バーでカルアミルクやエッグノッグ、スプモーニばかり飲むのも格好良くはない。
食に関しても、そういうのってあると思うんです。ファッション的な部分というか、格好良さというか。

俺は苦い物も辛い物も好きですし、寿司には当然ワサビは必需品だし、ビールだってウイスキーだって日本酒だって好きですが、甘い物も好きです。
でも、喫茶店などでチョコレートパフェを頼めるかというかと、躊躇しちゃいますね。いや、注文することに何も悪いこところは無いですよ。
この前、とあるカフェでスーツを着込んだ大人の男性が一人でチョコレートパパフェを食べてるのを見て、ふと思ったんですよ。
スーツの大人の人にチョコレートパフェって何故似合わないんだろう?違和感の下人はどこだろう?と。別に何が好きだって個人の好みの問題でしかないのに・・・と考えてみたのが今回の記事の発端です。

もちろん、そういうチョコレートパフェを食べてる大人の人が可愛いとか言う意見もあるでしょうし、食で格好良さを語るのがそもそもバカバカしいって意見もあるでしょう。
で、何回かも俺自身で書いてるとおり誰が何を食べても良いだろう?ってのもその通り。大人の男性がチョコレートパフェ食べたって何も悪いことはありませんし、そもそも否定するつもりもありません。
ただ、今回書きたかったのはあくまで俺から見た、男性視点で見た格好良さという事で、

でも、実際問題としてその場その雰囲気にあった食べ物、飲み物ってあるよね。

と言うことです。
そして

バーでさりげなくウイスキーロックを頼める人は格好いいだろう

と言うことです(笑)
もちろん、狙って無理して飲んでてもそれはそれで必死すぎて逆に格好悪いんですが、そう言う意味でも「食にも格好良さってのは実際にイメージとしてあるよなあ」と。
そういえば「ウィスキーが格好良くなくて、何が格好いいんだ」なんてCMがありましたね昔。木村拓哉がやってた。

嫉妬

2008-07-10 | 恋愛関連

俺にはどうにも「嫉妬」というものがよく分かりません。

いや、こうやって書くと語弊がありますね。正しくない。
訂正します。
嫉妬そのものは分かります。どんな感情かも分かります。
今回言いたいのは、「嫉妬という感情そのものが一体どういうものなのか?」という話ではなくて、嫉妬して相手にキレたり、嫉妬から気分悪くして拗ねたり、悪意を向けたり、「でも諦めきれない」とかいつまでのグダグダ言ってたり、羨んだり、妬んだり・・・そういうのが理解出来ないというか、そう言うことです。

嫉妬・・要するに妬むことですよね。
その感情は分かりますよ。好きな人に想いが届かないのは辛いことです。そして自分の好きな相手が、自分じゃない誰かと仲良くしているのを目の当たりにするのも、確かに辛いもの。
そういう気持ちは分かります。
ただ、俺の場合、自分がそういう状況になったとしても最終的に「しょうがない」という気持ちの方が勝っちゃうというか。

自分の気持ちが相手に伝わらないのは確かに辛いけど、でも相手が自分を好きになってくれないならそれは仕方のないこと。恋愛っていうのは相互交通。決して一方通行なものじゃなくて「相手ありき」であって、その相手は生きている人間です。
その人なりの人格もあるし、考えもあるし、好みもあるし、性格もあります。
こっちとしては、自分の事を好きになって貰えるように努力する事はできても、「自分を好きになれ」なんて強制することは無理だし、暴力に訴えるなんて論外です。相手の意志までもコントロールする事は不可能です。(催眠とか暗示とか、そういうのも論外だというのは言うまでもないことですが)

恋愛って、お互いがお互いを自発的に好きで、その上で成り立っている関係で、実はとても微妙なものだとも言えると思います。
ちょっとした事でも、いつ、どうやってそのバランスが崩れるかわかならい部分もありますしね。
そもそもそういうものだと思っています。だからこそ、相手が自分の事を好きだと想ってくれる事というのはとても尊いものだと思うし、それが、自分も好きだと思っている相手であれば尚更だと思うんです。

で、よく別れ話をしたら彼氏に暴力をふるわれた。とか、浮気がばれて暴力をふるわれたとか聞きますけど、俺からしてみたら全く理解できない。
そもそも、女性に暴力って時点で俺の中では無いんだけど、例えば別れ話をされたのだとしたら、それは既に自分から気持ちが離れてしまっているということで、その時点でもうどうしようも無いと思うんです。
これは浮気も、結局は一緒。自分から気持ちが離れた結果だと思うので。
まあ浮気の場合は「裏切られた」という気持ちもあって、カッとなる部分もあるのかも知れないけど、でも、例えば暴力で相手を縛って、それが怖いから仕方なしに自分に付き合ってもらっても・・・「それって全く意味なくね?」って思うわけです。
恋愛の何が楽しい、何が嬉しいって、自分の好きな相手が自分に想いを寄せてくれる事、そこがキモなのであって、形の上だけ表面だけ付き合ってたって全くの無意味だと思うんです。

「暴力を振るう彼氏」を持ち出したのはちょっと極端かもしれませんが、結局冒頭で述べた

「俺の場合、自分がそういう状況になったとしても最終的に「しょうがない」という気持ちの方が勝っちゃうというか」

という部分は、要するにそう言うことなんです。
暴力に限らずとも、嫉妬で悪意を向けたり、悪口を言ったり、諦めきれないといつまでもグダグダしてたり、相手にキレたり、妬んだり・・・そういうのも全部「意味なくね?」と。

「自分の想いが、自分の好きな人に伝わらない・・・・それは辛いことだ」
この気持ちが嫉妬というなら、俺も嫉妬はしたことがあります。何度も経験はあります。
でも、そうじゃなくて、自分の思いが伝わらないから、その相手に悪意を抱いたり、その好きな人と付き合う事になった相手に悪意を抱いたり、妬んだり、羨んだり・・・そういうのが嫉妬だというならば、俺は本当に嫉妬という気持ちが理解できません。
だってその時点で「ん~、どうせ俺に対して想いが無いならばしょうがないもんな」と思っちゃうし、その気持ちの方が強いから。

飲みの席で、知人と恋愛関連の話になると、よくこの話にもなるんですよ。
で、俺が「嫉妬する人ってワケわからん」と、今回述べたような俺なりの論理で語っても、どうにもみんなに納得して貰えないんですよね~。
「いや、確かに言ってる通りだとは思うけどさ、でも嫌だって思わない?どうしても相手のこと妬んだりする部分って無い?」
とのことで・・・・
たしかに、多分それが普通の人間の感覚なのかもしれません。
でも、俺はやっぱり「しょうがないじゃん」って気持ちの方が強いんですよね。それが俺の本音だからしょうがない。

恋愛に対しての理想が高すぎるのかな・・・
まあ、別に他人に迷惑を掛ける事じゃないから別に良いかな?とは思ってますけど。
それに「理想を追求して何が悪い!」いや、すいません、これは開き直りです(笑)


自分に正直で良いと思う

2008-07-06 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

仕事をするために生きているんじゃない。生きるために仕事をしている。

生きるために、ただ生きているのは死んでいるのと一緒。

何が大切か、何が幸せかの基準は人それぞれだけど、その人にとってこれが大切だというものを守る事、幸せだと思う事を追求していくことが生きていくことだと思っています。

(もちろん、その日を生きることすらままならないって場合だってあるだろうし、そういう人を生きるために生きることで精一杯かもしれない。だから生きることそれ自体に悩まずに済む生活を送っている人は(俺を含む)生きることそれ自体に悩まずに済むことをへの日頃からの感謝を忘れてはいけないとは思う。ただし、それは当然の大前提として今回は書いているので、この部分はあくまで補足までに。)

だから、自分の好きなことに正直に、楽しいと感じることやりたいと思うことはどんどんやっていきたいと思ってます。
「そんなの当たり前のこと」「やれば良いじゃん」と思われるかもしれないけど、実際は「おいおい、もういい加減いい歳なんだから」とか、歳を理由にしたり様々なもっともらしい言い訳を用意して、自分に自分で嘘を付いて我慢して生きている部分って多いと思うんです。
もちろん、それ以上に守る物があるんだって人もいれば、仕事が生きることと同義な位大事なんだって人もいるでしょう。それはそれで否定する部分ではないですが、それと同様に俺は俺で自分に正直に、満足のいく人生を進んでいきたいと思ってます。
結構、他人からは「自由に生きているよな~」「自分に正直すぎる」なんて言われたりするんですが、その度に思うこと、俺の持論。

年齢をいいわけになんてしたくない。子供の心を忘れない大人ってやつだよ!

ということかな?

そんなんでも良いですよね?
というか、今のところ変えるつもりはありませんけど。

もちろん、犯罪に至らない、他人に迷惑を掛けないというのは言うまでも無いことですが。