エッセイ的な何か

エッセイ的な「何か」です。
エッセイなのかコラムなのかダイアリーなのか自分でもよく分かりませんが「何か」です(笑)

芸能に疎い俺が、つい最近知った今更な芸能話

2008-03-31 | てきとうなもの・雑記
俺はゲームやアニメといったものにはあまり詳しくは無いので、その方面の記事は殆どここでも書いてませんけど、実はそれと同等・いや、それ以上に最近の芸能関連の事については全く疎いなあというのを再確認しました。

つい最近になって知った、すでに周囲は当たり前に知っている芸能関連の話題

・「磯野貴理子」が「磯野貴理」に改名していたこと
普通に、「磯野貴理子」だと思ってました(笑)
これは3月29日のDONTAKTさん掲載の
磯野貴理って凄いな(カナかな団首領の自転車置き場)
を読んで始めて気づきました。
そう言えば、昔は「行列の出来る法律相談所」も見てた事もありましたけど、あの番組もしばらく見てないですね。

・ジェロという演歌歌手の存在
というか、まだ実際に見たことがないんですが(笑)
これも、DONTAKTさん3月30日から
今頃は億万長者だった? (03/29)(四十路おひとり様のいつまでたっても……)
を読んで。
この記事内では「~ジェロさんが注目されていますね」との事だったんですが・・・・「そうだったのか~!!」って感じで「だれ?ジェロって?」って感じです。
黒人の演歌歌手だってのは知りましたが、別段、それ以上の興味は沸かないので未だ調べてませんが(笑)、でも、こんな人が出てきてたのか。

・エド・はるみさん
これはテレビからですが、たまたまかけていたテレビに映っていたのを目にして、正直な第一印象は「誰?このオバハン?」でした(失礼)
とにかく、語尾に「グー」を付けるのが芸風らしい、新手の芸人?と思ったら、どうやらその通りでしたね。
なんか、この手の芸風って生き残りが厳しそうですが、そう言えば、小島よしおを最近あまり聞かなくなったので、その次はこの人なのかな?とか思ったんですが、そこまできてるワケでも無いのでしょうか?
ちょっと、詳しくはわかりませんけど。

と、言うことで元々テレビ自体あまり見ないんですけど、見るとしても、芸能関連は特に興味が無くて殆ど見てません。かといってHNKも殆ど見ないんですけど。
自分でも何を見てるかって考えてみても、どうにも思い浮かんできません(笑)こっちから意識して見るものが殆ど無いですね。主としてFM聞いてますし。
「水曜どうでしょう!」くらいかな?自分から見ようと思って意識して見てるのは。

で、普段何をしてるんだろうと振り返って見ると
まあ、一週間の殆どは仕事なワケでして、仕事が終わってから何をやってるかというと、
「自分のブログ更新及び他ブログの巡回、他ニュースサイトや興味のあるサイトのネットサーフィン」
最近、結構これが中心かも?と思いました。
あと、飯食ったり、風呂入ったり、酒飲んだり(笑)、本を読んだりしていると、大体寝る時間になってますからね。
休日は、基本的に殆ど朝から外へ出かけてますから・・・あとは、飲みの誘いがあれば行くし、こっちから誘うこともあるし。
そうやって考えると、テレビを見てる時間はやっぱり殆ど無いかなあ?とか思ったりしますね。

幸いな事に芸能ニュースを知らなくても、生きていく上で必要となることは殆ど無いので良いんですけどね。
不便だとすれば、こうして話題になったときに「え?誰それ?」って感じになること位だけど、リアルな飲みの席ならその場で聞けば良いだけだし、ネットだと調べればすぐ分かるので・・・やっぱり、無理に芸能について行く必要性は無いなあ、とか思ったりしました・

という、長くなった割には特に何を言いたいという事でもない、何となく思った事を書き綴ってみました。

文字なんて下手でもいいじゃない

2008-03-29 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

筆文字にはじまり、最近はボールペン字等でも「文字の上手な書き方」とか「上達方法」なんて関連の書籍や、通信教育等でも「上達方法」みたいのがありますよね。

俺自身、あまり上手な方じゃないなあとは思っていて、そりゃ下手なよりは綺麗で格好いい文字を書きたいとは思っているのですが、これがなかなか。
時間も労力もあまり必要とせずに、すぐに身に付くというならば、そりゃ下手なよりは上手い方が良いのですが、自分の文字を根本から変えるとなると、時間も労力も、そして金銭的にも色々と必要になるのだろうと思うと、「まあ別に下手でもいいじゃないか」とか開き直ったりもしちゃいます。
「それも、自分の個性ってもんでしょ」
なんて、よく分からない理屈を展開したりして(笑)

ただ、ここまでだと何の根拠もない、本当にただの個人的な開き直りなんですけど、最近ちょっと思うところがあって、この開き直りにも自信が持てるようになったというか。

というのも、発端は先月函館市へ小旅行してきた際の事です。
函館市の函館市文学館と言うところに立ち寄り、色々と見てきました。
文学館では、石川啄木を筆頭に函館市縁の文豪の年表や作品紹介、そして直筆原稿などが展示されていたワケですが、その直筆原稿を見てふと思ったのです

『そう言えば、文豪と呼ばれる人達の直筆の文字って、決して「上手い」とか「綺麗」って文字じゃないなあ。というか、なかなか読めない文字も多いぞ?(笑)』

と、言うことです。
そうして思い返してみると、夏目漱石や太宰治等と言った文豪の直筆原稿を見たこともありますが、確かに決して「上手い」とか「綺麗」という文字じゃなかった。
むしろ、書き殴りで、読むのもちょっと苦労するくらいの文字。
そう、彼らは「文字」ではなくて、その「作品の内容」で勝負しているわけであって、文字の上手い下手は関係ない。
(注:かと言って彼らの文字が「下手だ」と言ってるワケではありませんが、少なくとも綺麗で読みやすい字では無かったと言うことを言いたいのです。そう言えば「上手い」って表現にしちゃうと、これって人によって判断基準が異なるから線引きが難しいことになりますね。今回は「上手い」=「綺麗で読みやすい」と捉えてください。)

だとすると、彼らに習って(俺は文豪じゃないけど)「文字じゃなくて書いた物の内容で俺を評価してくれ」と訴えたっていいじゃないか!
なんて事を思いました。
まあ、「じゃあ、そんなに内容が素晴らしい物を書いてるのか?」と言われても困るんですけど(笑)、でも「文豪の人だってそんなに上手い文字書いてるってワケじゃないよ」と言うのは、俺にもちょっと元気が出たかな?とか。そんな感じです。

要するに、そりゃ文字は上手いに越したことはありません。出来るなら上手くはなりたいです。でも、そんな簡単なものでもないし

下手だったら下手でも、別にそれでいいじゃない。


自分に子供が居ると想定して

2008-03-28 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

DONTAKTの管理者さんの編集後記。
最近、これにネタのヒントをもらうことが多かったりするなあと思うんですが、今回もそれです(笑)
何というか、「あ、俺も過去にそれについて考えたことあるなあ」というような事柄を喚起してくれる記事が多いんですよね。
俺の中では、一度考えたことあるけど、結局そのままほったらかしで、記憶の隅に埋もれてしまっていたもの。考えてみればブログのネタなんかにちょうど良いなあというのが結構転がってたりして・・・DONTAKTの管理者様には、そう言う意味ではお世話になっております。感謝(笑)

さて、今回はズバリ
「自分の子供に携帯電話を持たせるべきか?」
というテーマですね。(DONTAKT3月27日編集後記参照)

俺も子供は居ません。親の立場になった事はないので、あくまで「子供が居るとしての想定」でしかありませんが、これについても、なんとなくですが考えた事がありました。
まず結論としては

自分の子供には「プリベイト式携帯電話」若しくは「使用上限(金額)付きでの携帯電話」を持たせるだろうなあ。

と思いました。

やっぱり携帯電話は、持たないことよりも持たせることによる利点の方が大きいと思われますね。帰りが遅い時とか所在確認や安否確認が容易ですし、常時連絡が取れるというのは大きいと思います。
それに、これからは小学生あたりでも持つのが当たり前の社会になっていきそうですし、特に小さい子供であればあるほど、携帯電話を持ってる持って無いといった些細なバカバカしい理由でバカにされたり、いじめになったり・・・そんな事も考えられます。
それから、親が知らないコミュニティへの参加・・・確かにここも考慮する必要性もありそうですが、もし持たせなかったとしても、友達の持っている携帯を介してその友達と一緒になって参加したりとか、結局周囲が携帯電話を普通に持つような社会になると、自分の子供に持たせなくても、その危険性はつきまとうような感じがします。
それならばいっそ持たせて、こちらからの所在・安否確認が出来る手段を確保する方が、まだメリットは大きいかな?と個人的には判断しますが、ここら辺も難しいですね。

それから、子供に携帯電話を持たせて怖いのは、際限なく利用して利用料金がもの凄い額に跳ね上がることですね。
だから、使用料金の上限を設定してそれ以上使えない設定にして・・・そうした上で持たせてやる。かな?と思います。


それから、俺の場合、携帯電話のみにかかわらず、もし子供が出来たとしたら、「お小遣い」。これと携帯を連動させますね。

俺の構想はこう

毎月決まった額の小遣いを、多少多めに一括して渡す。

携帯電話の使用料金も使った分自分の小遣いで払わせる
(その為に小遣い金額そのものは若干高めに設定)

子供のお金の使い方には一切口を出さない。お金が入ったからと、後先考えず高い物を一気に買ってしまおうが、敢えて何も言わない。好きにさせる

そのかわり、次の小遣い日までは、何があっても絶対に追加の小遣いは渡さない。
(無論生活費は別だけど)

という感じですね。
持っている範囲でのお金の使い方は全くの自由だけど、その代わり「自己責任」で使え。と教えたいなあと。個人的にはそう考えたりしてます。

まあ、親という立場に立ってないので、あくまで想定上の、戯言のレベルですが。
と言うか、正直、まだしばらくは子供を欲しいとは思わないんですけどね・・・(笑)


一日の訪問者が50人以上のブログは、むしろマイノリティであった

2008-03-27 | ブログに関するあれこれ

以前『「ブログのネタ」は考えない』という記事でも述べましたけど、俺がブログをやってる主たる目的はアクセスアップではありません。
とは言っても、結果的にアクセスアップしたり、コメントもらえたりしたら、それはとても嬉しい事です。
でも、結果としてそういう状況になったら嬉しいと言う事は、最初から「アクセスアップそのもの」を目的とするのとは、やっぱり違うと思うので矛盾はしてないと、自分では思ってます。
アクセスアップそのものを目的とするならば、記事のネタも現在の流行や、世間の感心の高そうなもの等に偏っちゃったり、記事以外で検索サイトに登録がどうとか色々あって・・・やっぱり違うなあと思います。

と、言うような事は大体『「ブログのネタ」は考えない』の方でも書いてましたが、今回敢えてここで繰り返したのは、今日これから紹介しようと思ったブログの記事が、まさに「アクセスアップするための方法」について色々と考察されていた記事だからです。
「なんだ、結局アクセスアップが目的だったんでしょ?」と誤解されるのを回避するために、冒頭で述べさせてもらいました。
俺は、この方針はこれからも変えるつもりはないし、アクセスアップやコメント等の反応は、「結果として、そういうのがあれば凄く嬉しい」というスタンスで受け止めて行きたいと思ってます。
あ、念のため一つ補足しておくと「あくまで俺のスタンス」であって、「アクセスアップそのものを目指すぞ」という姿勢の人を否定したり非難したいわけでは無く、そういうのも有りだろうとは思っていますよ。と言うことを付け足しておきます。

と、前置きが長くなって申し訳ありません、本題に入ります。
DONTAKTさんで紹介されていた次のブログ記事

Blogのアクセスアップに効果があるたった一つのこと(WebとPCのメモ帳)

この記事は、すでに述べたとおり大筋はアクセスアップのための様々な考察がなされているサイトです。
今回このサイトを紹介したのは、その記事内に一部、とても興味深いデータがあったからで、その部分を以下に抜粋させて頂きます

『こういうデータもあります。

では、気になる訪問者数を見てみよう。同じくすべての回答者に1日あたりの Blog の訪問者数を尋ねた。

その結果、1人~50人の間に回答が集中しており、内訳は「10人~50人未満」23.0%(69人)、「5人~10人未満」17.7%(53人)、「1人~5人未満」19.0%(57人)となっている。「1人未満」7.3%(22人)を加えると全体の67%だ。

Blog 訪問者「50人以上」には相変わらず越えられない壁~ブロガー調査 (japan.internet.com)

 1日辺りの訪問者数が9人以下のBlogが44%、49人以下のBlogを含めると67%ということです。9人以下のBlogを6hotサイトとするなら、ほぼ半数はそこに含まれるわけです。いつも人気Blogを見ていると気がつかないかもしれませんが、アクセス数が少ないBlogの方が圧倒的多数なのですね。』

と、言うことで俺自身も始めて知ったのですが、無数に存在するブログの約7割が、実は一日の訪問者が49人以下なのだそうですね。
それどころか、9人以下のブログも44%と5割に迫る勢い。
これには正直驚きでした。
やっぱり、大手のブログって強くイメージに残るからか、一日1000人以上の訪問者があるなんて聞くと、それを基準にして
「1000人以上までいかなくても、普通のブログでも300とか400人くらいは来るもんなんだろうなあ」
って感じで捉えてたんですが、300人どころか、50人を越えるブログの方がむしろマイノリティだったという現実。

と言うわけで、「アクセスアップを目指してるけど、なかなかアクセスが増えないよ」とお嘆きの方はもちろんのこと、俺のような「別にアクセスアップそのものが目的でないし」という人でも、こういう現実だと分かれば、何となく元気が出てきませんか?(笑)

そりゃ、アクセスアップそのものが目的で無いとは言っても、チラシの裏に書いてるわけではなくて、ブログとしてネット上にUPしている以上、誰かしらに見てもらうことを想定しているわけですから、「一日の訪問数が2~3人しかいないなんて状態」はちょっと寂しさを感じちゃいますよね。
でもでも、大丈夫。9人以下というブログが44%だそうですから。
だから、そう言う人達にこのデータを教えてあげたいなあと思って、今回この記事を書きました。

そういう、俺のこのブログも以前は一日20人前後でしたね。
アクセスアップそのものが目的では無いから、特に宣伝活動したりなんて事は一切やってませんけど、DONTAKTさん等でたまに紹介して頂いたりしたおかげもあってか、(アクセス数UPそのものよりも、注目してもらったと言うことの方が嬉しいですが)地味にアクセス数は伸びてきてます。地味にですけど(笑)
まあ、これからも、特に変にアクセス数を伸ばそう等とは考えず、これまで通りのスタンスで続けていきたいと思ってます。
それで結果として、増えたら増えたで嬉しい事ですし、減ったら減ったで、それはしょうがない事だなあと俺は思ってます。


仕事の意義

2008-03-26 | 「生き方」「在り方」みたいなもの

gooでも「はてなブックマーク」のようなサービスを始めたみたいです

gooブックマーク

とりあえず、ここで紹介しておきます。
まだ、サービスを開始して間もないらしく「はてなブックマーク」と比べて、利用者数がまだまだ少ないらしいです。
goo自体はかなりの大手だと思いますけど、gooブックマークが浸透するにはまだちょっと時間がかかりそうですね。

とは言っても、俺自身、詳しい使い方とかよく分かってませんけど(笑)、たまに目を通してみたりはしています。

で、そこから拾ってきたブログ。

これ読んで「転職考えろ」とか言ってるやつってアホだろ - I 慣性という名の惰性 I

この記事の元になっているのが、こちら

新卒で入社して一年


これらを読んで、「仕事」に関する考え方というのは本当に人それぞれなんだなあと感じました。
ワーキングプア」なんて問題が出ている反面、「新卒で入社~」の記事を書かれた「増田さん(今更(でもない)聞けない(こともない)ネット用語あれこれ参照)」のように、境遇ではなくて仕事の「やり甲斐」について悩む人もいる。
そして「これ読んで~」のような反応を示す人もいる。

俺は基本的に
「別に仕事をどのように捉えようと人それぞれだし、仕事にどのような意義を見いだそうと、その人の自由だろう」
と、思ってます。
簡単に言えば
「勝手にしてくれ、俺に迷惑が及ばない限り、俺には関係ない事だし」
って事になりますが(笑)

仕事の意義について考えるときに
「生活の中に仕事があるのか、若しくは仕事の中に生活があるのか?」
という点が問題になります。
要は人生の中心が仕事かそれ以外かということ。

俺自身は、仕事については仕事はあくまで人生の付属品。
「人生を生きるため、楽しむために、その賃金を得るために仕事している」
です。仕事をそう捉えてますし、そう位置付けしてます。
だから、極端な話、一生暮らせるだけの金さえあれば仕事は今すぐでも辞めたいと思ってます。
が、そんな金は当然に持ち合わせていないので、しょうが無しに働いています。
それに、楽しむことをするにもやっぱり金は必要になるわけですしね。
でも、しょうが無しとは言っても、金をもらっている以上、さらに責任を負う以上、「やるべき事はやらないとなあ」とは思ってますけどね。

でも、それが俺の思う仕事の意義。
仕事のために人生を犠牲にするというのは出来るだけ避けたいし、仕事中心の人生にはしたくないと思ってます。
今現在、仕事以外の人生が楽しいですし充実してますので。

だから、そういう俺からしてみれば、仕事なんて楽な事に越したことはないんですよ(笑)
理想を言えば楽で簡単で、退屈な仕事が良いなあと思ってます(笑)
でも、楽で簡単で高い給料なんて美味しい話そうそう転がってませんけどね。だから現実では色々と苦労してます。まあ、それで当たり前ですし、楽で簡単で退屈で、でも高給なんてのは夢物語の戯言だなあとは思いますけど。
・・・そういう俺からすれば「新卒で入社~」の「増田」さんあたりは贅沢な悩みだなあとか思っちゃいますけどね個人的に。(笑)

でも、仕事に生きている人、さらなるスキルアップを求める人、バリバリ仕事したい人、仕事が生き甲斐だ・・・そう言う人はそういう人で頑張れば良いんじゃ無いかと思います。
俺は個人的には「そんなの勘弁」だけど、他人がする分には自由だと思いますし、当人がそれで「幸せ」っていうなら俺が口を挟む余地は無いでしょう。
そういう生き方だって有りだと思います。

というわけで、俺は個人的には「これ読んで~」の人の方に大筋同意なんだけれど、ただ、こういうのは人それぞれの価値観だから、「特に自分に実害が無い限りは好きにさせておけば良いんじゃない?」とも思うので、別に転職でも何でも自由にすれば良いんじゃないかな?と思います。
でも、自分で選んだ転職に関する責任はそれこそ「自己責任」で、転職の結果ダメだったとしてもグダグダ言うなよ?という所でしょうか。

俺自身は、生きていく上で取り敢えずは必要十分な賃金もらってますから、転職とかは全然考えてませんけどね。


ゼロ

2008-03-25 | ちょっと考えた事

「コカ・コーラゼロ」という商品があります。
エネルギーが0キロカロリーなのはもちろん、タンパク質・糖質・炭水化物も0グラム、糖類も0。
と、別に説明しなくても既にご存じかとは思いますが。

このコカ・コーラゼロに限らず、ペプシコーラにしろ、他の飲料にしろ、ゼロを謳っている食品は多数あると思います。
特にコカ・コーラについてあれこれ言いたかったのでは無くて、コカ・コーラは具体的な例として挙げたのですが、この「~ゼロ」という商品を目にすると

「それじゃ、いくら食べても(飲んでも)大丈夫なんだろうな?(太らないんだろうな?とか、血糖値上がらないんだろうな?とか健康を壊さないんだろうな?とか言う意味で)」

と言う人が必ずいます。
俺の周囲にもいました。

でも、なんで「ゼロ」となった途端に、こんな喧嘩腰でこんな事言うんだろうなあ・・と考えました。
というか、コカ・コーラゼロに限らずとも、どんな物だって食べ過ぎ、飲み過ぎは体に毒。薬だってそうだし、水だって限度を超えて飲み過ぎれば下手したら死ぬかもしれませんね。
だから、ゼロかどうかに限らずに、どんなものだって限度を超えちゃダメであって、それは多分「大丈夫なんだろうな?」と言った本人でも分かっている筈なのに、何故か「ゼロ」を目にすると、そんなことを口走ってしまう。

この「0(ゼロ)」という数字って、そういう特別な部分がありますよね。
何故だろうと思ってみたら、ゼロって「=絶対」に近い部分があるんじゃないかなあと、個人的に感じました。
ゼロってそれ以外に無いんですから、全くの無。1でも2でも有限であれば、1が1.1だったりしても誤差の範囲内とかいう感覚があるけど、ゼロって僅かな誤差も無い、全くの無というイメージがありますから、その感覚って「絶対」というものに近い気がするんです。
で、日本人って、曖昧にしたがるというか、ぼかしたがるというか、最初から誤差を含みたがる人が多いと思うし、そういう文化ですし、なるべくなら「絶対」を避けたい場合が多いと思います。
多分そこら辺の感覚と「ゼロ」が衝突して「じゃあ、いくら飲んでも~」なんて事になってるのかなあ?と考えました。

ともかく、ゼロであろうがなかろが、どんな物でも度を超えた飲み過ぎは体に良くないと言うことです。

というか、「よし、本当にゼロなんだろうな?飲んでも大丈夫なんだろうな?」という人は、もし「うん、大丈夫だよ」と、お墨付きをもらったとしたなら「よっしゃ、じゃあ飲んでやろうじゃないか」ってことで、実際に飲むのだろうか?あり得ないほどの量を。
「大丈夫」だと言われても、そんなに飲まないだろうとは思うんですけどね。


ブログ界でも引越しシーズン?

2008-03-24 | ブログに関するあれこれ
3月も下旬、年度末ですね。
新年度にかけて、進学、就職、転勤と様々な理由での引越しのシーズンでもありますね。引っ越しを行う業者はまさに「かき入れ時」

さて、そんな中23日のDONTAKTさんの編集後記の追記に、こんな記事がありました

「追記:FC2から「mixi(ミクシィ)からFC2ブログへ引越しすることができるようになったよ」ってなメールが来ました。mixiからお引っ越しの際はDONTAKTの巡回サイトに推薦していってくださいねw 必ずしも巡回サイトにはしませんけど、mixiのままでは巡回サイトにすることが絶対にないのでFC2ブログに移行される方はダメモトでどうぞw」

と、言うことで「FC2ブログ」というブログサービスでは、mixiからのユーザーの引き込みを狙っての引越サービスを開始した模様です。

そして、これは今日発見したのですが、俺の使っているgooでも似たような動きがありました。

gooブログにお引越し「インポート」機能リリース!

と言うことで、なにやらブログ界隈も競争が激化して、慌ただしくなっているみたいですね。
ちょうど、年度末から新年度への今の時期と被っての、各ブログの引越サービス。
敢えてこの時期に合わせたのがどうか分からないけど、この動きは各種ブログで活発化していきそうな・・・なんとなくそんな感じがします。
携帯電話各社間の争いにも似てますね(笑)


以下、俺の「gooブログ」使用雑感。
俺は、今のところこのまま「goo」を利用していくつもりだし、変える予定はありません。
「gooブログ」の魅力は、やっぱりなんと言っても無料版で、画像・写真・動画等が3Gまで使用できる所ですね。これは大きいです。
この「エッセイ的な何か」では、あまり必要ないですけど、俺のもう一つのブログ「そうだ「北へ。」行こう」では、かなり重宝しています。登録している写真が既に1000枚を越えましたし、これからもどんどん増える予定ですので。
そもそもブログを始める際に「gooブログ」を選んだ理由はそこでしたし、多分無料版では今のところgooブログの3Gが一番大きいんじゃないかと、そう思ってます。

偽善者度チェック

2008-03-22 | てきとうなもの・雑記
またしても、gooのトレンドランキングからですが、こんなものを発見

あなたの偽善者度チェック(心理テスト) | GoisuNet(無料) 

10問(だったかな?)の選択問題に答えると結果がでると言うもの。
ちなみに、俺は

腹の黒さ・・・・3%
知的偽善度・・・69%
勇気ある行動・・・100%
天使の光・・・29%

偽善者度は42%「偽善奥様級」

だそうです(笑)
俺は勇者か?

まあ、こういうのはほんの「お遊び」なので、「笑い話の種にでも」って感じですけどね。
こんなので、本当の人間性なんて分かるはずも無いですし、ちょっとした遊び程度の認識で良いと思いますが。


それよりも、以前どっかで目にしたフレーズ

「何も為さない善人・人徳者よりも、何かを為す偽善者の方が100倍マシ」

あ、これ、一字一句そのままじゃない可能性は大です。
俺の創作が何%か混じっているかもしれませんが、ともあれ、こういう思考。
おれは、この意見に触れて「なるほどな~」と思いました。

確かに、偽善的な動機であれ、深い考えも無しの単純な動機によるものであれ、それでも何かを実際に為し、少しで社会にプラスの影響を与えた人の方が、真理を深く考えすぎて逆に行動できない人間よりも、役に立ってはいるのかもしれません。
まあ、でも出来るならば、きちんと物事の背景から把握して、しっかりとその現状や目的、意味などを理解した上で、真に何かを為す人間になりたいなあとは常々思ってますが。
やっぱりその方が格好いいですしね(笑)

と、言うわけで俺のオリジナルの意見じゃないけど、俺が影響を受けたフレーズの紹介でした。
あれ?そもそもは「偽善度チェック」っていう「お遊び」の紹介でしたっけ?まあ、愛嬌、愛嬌(笑)

i-podに見た文化の違い

2008-03-21 | てきとうなもの・雑記

「カスタマイズ携帯」なんてのが出来るといいのに
という記事を書いていて、ちらっとだけ「i-pod」という単語を出しましたが、i-podで思い出したちょっとしたこと。
「文化」と言うほど、たいしたものでも無いんだけど・・・(笑)

あまり・・・というか、今まで一度もこの意見を聞いたことが無かったんだけど、i-podを持っている人・使ったことのある人で、始めて使用した時に

「あれ?停止ボタン無いの?」

と疑問に思った人、そしてその操作性に戸惑った人はいないのだろうか?
というのを、俺は未だに思ってます。
俺は思いっきりこの、「今までにない操作性」に戸惑いましたし、結構使い込んだ今でもまだ、正直この操作には違和感を感じています。
特に「再生中なのを、いきなり電源オフ」というのは、特に。

停止ボタンを無くして、そもそも停止という行程を省く。

俺なんかのように、純日本人で昔からの日本のカセットプレイヤーやCD・MDプレイヤーになじんだ人間にとっては、やっぱり一端停止で曲を止めて、その曲はいわゆる「完結」させてから別のアルバムへ、若しくは電源オフにしたい。と、思っちゃうんですよね。

アメリカは日本よりも合理主義である。
というのも、よく耳にしたりしますが、この辺にその片鱗を見たというか、
「いちいち停止させるという行為は無駄なんじゃね?」
というその発想に、軽く(本当に軽~いものですが)カルチャーショックを受けた記憶があります。


「まず条件を呑む事が対話の条件」というジャイアニズム

2008-03-19 | 世の中の出来事
gooトレンドランキングの第4位に

【チベット大虐殺】 温首相 「ダライが『チベット独立放棄』し、『台湾を不可分の中国領土と認める』なら、対話してもいい」痛いニュース

こんな話題がありました。

元記事はこちら

温総理:ダライとの対話の条件はチベット独立の放棄人民網日文版

3月18日付け(午後6時頃)の記事らしいので、まだ新しい新着記事でですね。
にもかかわらず「痛いニュース」のコメント欄にはもの凄い書き込みがあって、盛り上がっていました(それとも、これも炎上って言う現象の一つなのかな?)。

まあ、確かに「最初に結論ありき」でチベット独立を放棄したら対話に応じるっていうのうは、対話でも何でもないだろ?という気もしますね。「その後に何を対話するんだ?」っていう話ですが・・・

ただ、今回のこのチベットでの騒動、どこまでが真実なんだろうってのが一番気になるところですけどね。
色々なニュースを調べましたが、俺にはこの一連の騒動の、そもそもの切っ掛けがよく分かりません。
俺自身、実際に現地に行ったわけでもないし、ニュースを見て得た情報でしか判断出来ないのもありますが、ニュースを見る限りでも、中国当局側は「ダライラマ14世が騒乱を操っている」と見ているようですし、ダライラマ14世はそれを否定している模様。
「チベット自治区ラサにおいて、現体制に反対し、独立を求めた暴動が起こった」という騒動そのものは事実でも、それを主導し、扇動したのは誰か?とか、暴動まで至る背景等がいまいち良くわかりません。
そもそも、チベット人が本当に先に暴動を起こしたのかどうかも分からないし、中国当局側が先に仕掛けたものであったのかもしれませんし、そうでないかもしれませんし。

と言うわけで、一方的にどちらからを非難・批判できるだけの判断材料が揃ってないので、
「一般市民を巻き込んだ暴動や略奪はいけない」
と言うことだけは確かに言える事だとは思うけど、それ以上の事は言えない状況ですね。


ただ、一連の騒動云々はともかくとして、温首相の今回の

「まず独立放棄して、中国の一部だと言うことを認めろ。対話はその後だ」

という、この「やり方」に焦点を当てて考えてみると、これはちょっとおかしいかな?とは俺も思いました。
既に述べたけど、それは対話でも何でも無いし、一方的に条件を押しつけて、それが呑めないなら対話すら出来ないなんてのは、理不尽にも程があるってもんですね。
しかも、「認めたら対話する用意がある」と言っただけで「何かを約束する」とは一言も言ってないところがまたなんとも・・・。
さらに、「なぜここで台湾が出てくる?」とは、俺も思いました。どさくさに紛れて台湾までも一緒にって魂胆なんでしょうけど・・そんなこと言われても、ダライラマ14世氏も、困ってしまいますよね?(笑)