成田幸子・・・宇宙、自然、私

今そして流れの中で

被災しつつも・・・。

2011年03月30日 22時13分15秒 | 日記
震災で自宅は崩壊し祖母は亡くなったと言う状況で就職のために上京してきた青年と出会った。その辛い心情を想うと適当な言葉が見つからなかった。傍でただ話を聞くだけだ。震災で避難所生活を送っている家族を残し一人18歳の身で上京して新しい生活をしていく。その姿に言葉を失った。強く生きて欲しい・・とただ願うばかりである。

自らの人生に責任を取る

2011年03月28日 21時23分52秒 | 日記
過去と他人は変えられないという言葉がある。今起きている状況で外部や他人のせいにしても何も始まらないのだろう。被災者である高校生が言った「天を恨まず・・・」や70歳近い男性が「とにかく生きて行く事だ」という言葉を発しているその器の大きさに感動する。「なぜ、どうして、こんな目に・・・」と言いたくなり「○○のせいで・・、ああだったから私はこうだ・・とか、誰誰がこうしたから・・とか」そこからは前に進みにくく苦しみが増強するだけかもしれない。自分が持っている足で、手で自分自身をケアしつつ、歩きださないと後ろばかり見ていてもしかたない。・・・が、どうも人間は前に進む事幸せを手に入れる事が苦手なようだ。私たちはいったい何をどうしたいのだろうか?

課題が浮かび上がって

2011年03月27日 19時44分27秒 | 日記
震災を機に様々な問題が浮上してきている。この環境の激変にそれぞれが持っている課題がまるで液状化現象の水が浸み出てくるように浮き上がってくる。この時期だからこそゆっくりとした呼吸をして一歩一歩慎重に動けるといい。この時期だからこそ平常心・・を。気づきを深めて、深呼吸・・そして自分自身の身体の声に耳を傾けよう。




津波のよう・・

2011年03月25日 19時30分20秒 | 日記
今、放射線の問題があちこちで浮上している。確かに今まで以上の濃度になっているのだろう。多少の濃度であれば今までと同じように野菜だの牛乳だのを摂って生活しようと思っている。基本的に原子力発電には大反対だが、結果としてその電力で便利な生活を送ってきた。先日、群馬の知人から沢山の野菜を頂いた。無農薬の野菜を買って食べるようにしたりと注意して生活してきているが放射能の問題は私たちにも責任があると思っているので気にせずしっかり料理して頂いている。今まで原子力の御蔭で沢山の電力を使い便利な生活に送ってきた。電気をもらう時はウェルカム・・で、都合悪くなると敵対視・・というのは如何なものかと思ってしまう。物が不足してくる・・と言えば買いだめをしその結果物が不足し数日後には落ち着きを取り戻す。。その繰り返しだ。人間の行動(心)もまるで津波のようだ。自分達が今までにしてきた事、そして今現実に起こっている事、今度どうして行けばよいかを、もう少し冷静に考えてみてはどうだろうか。


ささやかな・・・

2011年03月22日 20時34分07秒 | 日記
昨日、外出した帰りに道端で桜の花を携帯のカメラで撮影している男性を見かけた。この惨事の中にある・・ささやかな喜び、楽しみ。探せば大げさな事ではなく何気ない所に沢山潜んでいるのかもしれない。TVのスイッチを入れるとどうしても震災の事が気になりそこに意識が集中してしまいがちになる。被災者の安否や復興状態を気にかけるのは当然の事だけれども、このような状況だからこそささやかな喜びや楽しみを大事にしたい。ちょっとした出会いや仲間との何気ない会話等々。震災の後猫の手(肉球)の写真集を持ってきておいてくれている人がいる。その写真の猫が昼寝をしている風景やかわいい肉球を見ていると穏やかな気持ちになる。苦しい時だからこそささやかな喜びや楽しみを大切にしていきたい。そして自らにも癒しの手当てを。




変容の時

2011年03月21日 17時28分48秒 | 日記
必要性を感じてワークショップを多く開催して行こうと思い今日も新しいワークを行った。この状態でそれぞれが持っている課題が浮上してきている。ピンチはチャンスという言葉があるように今この時が変容の最大のチャンスかもしれない。今をどう生きて乗り越えて行くか私たち一人一人につきつけられている。次の動きをするために古いパターンを捨てたり、あたらしい質を見つけだしたり・・と、今までのやり方では通用しない事を実感している。今は『大きな変容』の時なのだろう。


現実に即した

2011年03月18日 23時10分03秒 | 日記
周囲の人々の状況を見聞きして急遽21日(月・祝)にワークショップを開催することにした。この間にも気づきを深めて成長のためのプロセスを進める事が大事だと思っている。直接被災したわけではないが私たちは知らず知らずの内に身体も心も緊張状態に陥っている。「今を生き」これからの生活を創造していくために古いパターンを手放し新しいパターンと出会い現実に即した方法を手に入れられると良いと思う。

分かち合いの時・・

2011年03月15日 21時23分07秒 | 日記
あちこちで協力し合い、支援し合いながら復興に向けて頑張っている姿を目にする。これだけの惨事が起こった後だと言うのに淡々と仕事に向かい、そして仕事をこなしている。TVでは被災地の人が協力して支え合っている映像が流れ、人間の愛情の深さと強さを実感する。

アセンション・・・人間の意識が変わって行くと言われているが、恐怖や不安を手放し、力を分けあって支え合い愛のある生き方を選んでいる人が増えている。私だけが・・という発想はそこには無い。今回の惨事の後の人々の行動が人々の意識がすでに変わってきている事を証明している。これから起こることも含めて不安や恐怖を募らせていくのではなく、しっかりとグランディングして不安や恐怖を手放し現実原則に従い皆で支え合い分かち合っていけるといい。そして、それはそれぞれの意識を大きく変える機会なのかもしれない。




出来ること

2011年03月15日 15時16分42秒 | 日記
被災状況が明らかになってくるに従い、その傷跡の深さがハッキリとしてくる。何も出来ない状況で悶悶と数日が過ぎた。どのくらい時間が過ぎているのか・・何だか自分の中の時計が止まっているような感じがする。何か出来る事があれば一つ一つ行動に移していこうと思っている。まずここにいて出来ることをと思い、募金に行き、献血をもと思って有楽町の献血ルームに出かけた。今必要としている献血量が400mlだと言う。400mlの献血を行うには規定の体重量が無いためNGとなってしまった。事前に献血ルームに問い合わせてから行けば良かったと反省しながら次の機会には・・と思いながら帰ってきた。被災地の知人から送られてくる「無事だと」というメールに涙しながら私自身が励まされている。これ以上被害が広がらない事を祈りながら出来る事をやっていきたい。




安否を知る度に・・

2011年03月14日 20時46分04秒 | 日記
災害地の方から「生きているよ」とメールをもらう度に、ただただ涙を落としている。何も出来ない事を腹だたしく思いながらblog等で仲間の安否を伝えている。皆の声が励みになる。寒さも被災地の人に比べものにならない。これから寒さが増してくると言う、何とか持ちこたえて欲しい。生活をもっともっとシンプルに質素にして・・支援に使いたい。これ以上被害が広がらない事を祈って。。

自然災害を目のあたりにして・・・

2011年03月12日 20時26分33秒 | 日記
昨日の地震に始まり、全国的にさまざまな自然災害・二次災害が起きている。TVで現状を目のあたりにして気持ちは重くなる。今すぐにでも救助の手伝いにでも駈けつけたくなるのだが手段がない。何か無いものかとWebで「ボランティア」を検索。やはり同じ事を考えている人は沢山いるらしく「被災者のためになんかできることないのか」というページを見つけた。まず今・・遠くにいて出来ることが記載されてある。・募金  ・節電(東北電力・東京電力使用者) 等々
とりあえず、家の中で節電に努め、電気カーペットは使わず座布団に、電気もいる場所のみに限定して使用・・・もう少し状況が落ち着いたら別の方法も考えてみたい。

ここ数年世界のあちこちで自然災害のニュースが流れていた。アセンションでさまざまな事が言われているこの時期にいつまで日本は避けて通れるのだろうか・・と思っていた矢先・・こんな形で来るとは。。。生きて行くと言う事を試されている気がする。


この時期に・・・とは思ったが明日のワークは通常通り開催することにした。生きる事を試されているのであれば・・生きる事を見つめ直す作業は大事にしたいという想いで開催を決定。

久々に・・・

2011年03月08日 00時18分50秒 | 日記
週末、久々に・・、長くお世話になっている所のワークショップが開催されると言う。タイミングはバッチリ・・。その時を待っていたかのように課題が集約されてきている。ワーク開始と共に気づくために感覚を総動員して集中する。日頃見逃している瞬間をも見逃さないために。ワークを終えると新しい自分の自由な感覚と共にどっと押し寄せる疲労感。開始から終わりまで、物凄く集中していた事を改めて実感する。
終わってからは今まで張っていた薄い透明な膜がとれたようにすがすがしく自由で解放感を味わっている。

好奇心旺盛で行動的、色々な事(遊びも仕事も)をするのが好き。これからどんな現実が展開するのか楽しみ。色々なものへ拘りがより少なくなり味わいも深まって行く感じがする。

変化を楽しめるワークがいい、そして私自身もそういうワークを提供して行きたいと思っている。