鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

記録

2010年12月16日 | 日記
一時、彼と二人でノートをつけていた。
前日にあったこと、考えたこと、食事の内容、睡眠時間…。

受診日に持っていって先生に見せるため、
彼の中にたまったものを吐き出すため、
そして記録のために…。

夜娘と寝てしまう早寝の私には早朝しか時間がなく
毎朝5時起きして、彼と話をしていた。

しかし…彼が躁気味になってイラつき始めた頃
私が段々尋問のように問い詰めてしまうようになった頃
段々と止めてしまった…。

確か、彼に
「もうノート、いいよ」って言われたんだったけ。

ちなみに私は三日坊主もいいところな人間なので
継続が苦手なことも一因にあるんだと思う…。

そして先週一緒に受診したあと、彼がまたノートを書こうと
言いだした。

理由は先生の質問にうまく答えられないから。
先生に自分の様子をうまく伝えられないから。

確かに、最近薬の変動が激しく先生が「どうだった?」と
聞いても答える以前にその違いが自分で把握できていない
んだろうと思われ…結局本人もよくわからないまま薬が
調整されている感じがした。

またそのせいで段々と彼が医者に行きたがらないような
気もし始めていた。

また、私の5時起が始まった。

心に抱える不安もその漠然とした感じがさらに不安を
増殖することもあるように思う。

その形や大きさを把握するためにも口に出したり
文章にすることはいいことのような気がする。

彼と一緒の時間も作ることができるし。

最近の彼は家で一人でいることもできないように
なりつつある…。

今朝のように寒い日は厳しいけど、今度は続くといいな。




遺伝

2010年12月13日 | 日記
この病気は遺伝する可能性があるらしい…。
双極性障害 Wikipedia)

が、確かなことはわからない。

でも…性格は遺伝するんだろうかぁ…?

娘が突然

「保育園に行きたくない」と言い出した。

娘は以前から

「○○ちゃんに、こう言われた」とか

「○○ちゃんに、こうされた」とか

自分が嫌な思いをしたことを伝えてくれていた。

でもそこまでかぁ…と改めて事の大きさに思い至った。

私のせいだ。

私がガンガン怒りまくっていたからだ。

娘にストレスを与え、自己肯定感が薄れてしまったに
違いない…。

反省…とともに、娘になるたけ怒らないように努力する
ことを誓った。

そして彼にはそうならないように、協力とそして私が
そうなったときに止めてくれるようにお願いした。


しかし、それ以外にもどうやらこの入学前の時期は
不安定もなるらしい。

今まで何年も一緒だった友達とも小学校が違えば
毎日会えなくなってしまう。

プレッシャーだっていろいろあるんだろうし…。


加えて娘は他人に何か言われるととても気にしてしまう
性質なんだと思う。

先日誕生月に小さい頃の写真を持って行ったら

「アンパンマンみたいだと言われて悲しかった…」とか。

お遊戯会の練習で風邪で具合も悪く、喘息もあって
大きな声で歌ったり、台詞を言ったりすると次が続かない
らしい。

「○○ちゃん(娘)だけ、遅れるって言われた」とか。

とても他人の評価を気にしてしまうのは…彼似か…。

…と、彼本人が言ってました。


「他人の物差しで自分を測るんじゃなくて
 自分の物差しで自分を測りなさい。」

「他人がどう言おうが気にしなくてもいいんんだよ。
 自分がどれだけ頑張れたか、どれだけ楽しめたかが
 大事なんだよ…」

…と最後のお遊戯会に向けての心構えを説いてみましたが
6歳児には難しいよなぁ…。










追憶

2010年12月08日 | 日記
夜娘と一緒に遊びながら、見るともなくテレビを
見ていたら見覚えのある名前が…。

地元で映画を撮るらしくイベントのニュースだった。
そこに出席していた同級生の名前…。
よく見れば、確かに同級生の顔…。

ずいぶん、久しぶりだ。

その人はサラリーマンを辞めて、イベント会社を
立ち上げている。

私がまだ地元に住んでいた頃は随分と苦労していたが、
頑張り続けているんだぁ…と見てうれしくなった。

正直、その人と一緒に生きていけたら…と思っていた
時期がある。

いい大人になってからの話だ。

でも、まぁ色々あって今に至っている。

そして今こんな状況においても、
私は自分で選んで、今ここに彼と娘といる。
その選択は間違っていなかったと思った。

だって、今あの頃独りでいるときよりも
守りたい人がいるということが幸せなことだと
思えるから…。

あのまま独りでいたら…なんて考える余地はない。


持論として

「一大決心を後悔しないためには
 事前の覚悟と事後の精進」

というのがある。


私は彼と結婚するとき、随分いい大人だったから
充分覚悟をした。

いいことばっかりあるはずもなく、悪いことだって
たくさん想定していた。

それでも…と思って一緒になった。

そして今精一杯、精進しようと思っている。

だからこそ、今そのときの決心を後悔していない。


まぁ…今の状況は想定していたものよりも酷ではあるが…。


幸せはその人の心が決める。

明確な基準などありえない。

私はあの頃独りでいた頃よりも、きっと幸せだ。

それは彼と娘のお陰げ、感謝しないといけない。




本音

2010年12月07日 | 日記
お義父さんが九星の占い本を買ってきた。

彼が三碧木星で、お義理父さん、娘、私は五黄土星。

で、彼の三碧木星はずいぶんと悪いことが書いてあり
しかも本厄…救いどころなし…。

五黄土星はそうでもないけど、ストレスに注意とある。

もう、自分でもどうかと思うくらい凹みました。

この時期ですから、来年のことが気になります。

できれば来年こそは…と思います。

しかし、「現状維持がいいところ」みたいな結果では

凹凹凹…。


しかも、中身読んでそれでも買って来てくれるって…。
お義父さんにしてみれば、それ相当に備えれば…ってこと
で買って来てくれたみたいなんですけど、でもこれ彼には
見せられないと思われ…。

そりゃ~占いごときという方もいると思いますし、
あまたある占いの中でたまたま…と理性的に考える努力も
しましたが…もうすっかり望みが絶たれた感じで…。


とうとう、お義父さんにいるところで

「来年もこんなだったら、もうヤダっ!
 耐えらんない…」

と言ってしまいました。


するとお義父さんも

「○○さん(私)がそんなことでどうするの。
 だったら、お父さんも嫌になった。
 もう○○(実家)に帰りたくなった」

と言われました。

ご飯の途中だったけど、席をはずししばし一人になったあと
戻って普通に話すようにしたらお義父さんが

「○○さん(私)が一番たいへんなのに、強く言い過ぎた」
と謝ってくれました。

でも…つい本音がでたんだろうなぁ…って、
やっぱり、自分の家に帰りたいんだろうなぁ…って。

私は私で、

「だったら、どうぞ帰ってください。
 ただし、○○(彼)も一緒に連れて行って下さい。」

って言いたかったけど…止めた。


娘の保育園のイベントが風邪の大流行で延期になった。
おかげて久しぶりに自分の実家に帰ろうと思っていたのに
無理みたい…。

なんか、それもかなり凹んでしまう…。

ゆっくり、何もしないで、何も考えないでぼーっとしたいなぁ。

霜月

2010年12月01日 | 日記
とうとう11月(霜月)が終わり、今日から師走ですねぇ…。

娘が生まれてから11月はいろんなことがありました。


6年前、娘が誕生し彼と私は父親、母親になりました。

5年前、娘が1歳となり、Rodyと一緒に記念撮影をしました。

4年前、娘が2歳となり、彼がうつ病になりました。

3年前、娘が3歳となり、七五三をお祝いして記念撮影をしました。

2年前、娘が4歳となり、彼が休職中だったので3人でTDLに行きました。

1年前、娘が5歳となり、退院した彼と3人で一時は穏やかな生活だった
ものの段々と調子が悪くなり、再び通院生活が始まりました。

そして今年、娘は6歳となり、彼は鬱真っ只中にいます。


この間4年間はほぼうつ病で、そして今年の7月に双極性障害と
診断されました。

私は4年前まで比較的淡々と、涙などさして流すことなく
日和見に生きてきました。

娘が生まれたときも感動して泣いたという経験はありません。
ただただ、へぇ~~~っていろんなことに感心していた気がします。

きっとのその何十年分よりも、ここ4年間の流した涙の量は
多いと思います。

今でも気を抜くと、自分でも理由もわからず泣いてしまうことが
あります。

この先どこまで続くのか…もしかしたら一生なのかもしれません。

それでも来年の11月を家族3人で娘の七五三をもう一度お祝いしたいと
思っています。

そして娘の誕生月であるこの11月を3人でずーっと祝い続けたいと
思います。