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(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

義父

2014年08月27日 | 日記
彼が救急で運ばれた病院に、着替えやら洗面用具やら
あと、薬を持って行き、家に戻ったのは8時過ぎ。

さっさと帰るつもりが、思いのほか時間がかかってしまった。

話す途中で、彼が過呼吸みたくなり、薬を飲ませるのに
主治医の許可がいるとか、どうとかで時間がかったり、
何より、彼との話が長くなってしまった。

さっさと、結論だけ伝えて尻をまくってしまえがいいのに…
と思いつつ、なんだかんだと話に付き合ってしまった。


家で取りあえず娘と、ぼーっとテレビを見たりして、なんだか
いつもの休みと変わんないよなぁ…などと思ったりして。

でも、確実にこっから変わることがあるってことだよな…
なんて思ったりして。


9時を過ぎても、義両親は来なかった。

いつもは、朝の7時前からやってきて、草取りしたり、掃除したり
するくせに。

肝心の時は…と思うと段々とイラついてきた。

どうせ、また愚だ愚だと泣き言を言われるんだと思うと、直接病院に
行けばいいのに…と思ったりして。

今回の騒ぎが、きっかけがたとえ私のせいであれ、なんら責められる
ことはないと思ったりして。


義両親は10時近くに、我が家に到着した。

降りてきて、すぐに義母が庭の草が気になって抜き始めたので、
家に入るように促した。

そんなことやってる場合じゃないでしょうよ…って思ったりして。

義父は前日町内のお祭りだったとかで、しこたま飲んで遅くなったと
話し始めた。

取りあえず、和室に通して座ってもらう。

娘には、当然リビングにいるように言う。


義両親はもう、最初から私に怒られるモードでいる。

もちろん、私も不機嫌モードだ。

しかし、怒る相手は義両親ではない。

もっと言えば、怒るとか、そういうレベルはとっくに超えている。


怪我の状態、退院時期を説明する。

打撲と擦過、後頭部9針の怪我で、連休明け精神科の先生の診察を持って
退院となる予定。

入院した病院は、自殺行為での入院は外科的処置を施して退院しても
ケアしきれず、再度行為を繰り返すので、精神科が新設されたという
病院であることは新聞記事で知っていた。

まさに、彼がその記事に該当したわけだ。

どうして、彼がそうしたか、直前に話していた内容も説明する。

そして、そのせいで、彼が携帯依存するせいで、娘が泣きながら書いた
手紙も見せた。

そして、これ以上は彼の面倒をみることはできないと伝えた。

このままでは、彼は娘の害になるし、私が病気になる。

少なくとも、冷却期間が欲しいので、退院したらこの家に戻らず
実家に連れて帰ってくれるようにと伝えた。

もう、家族ではいられないって伝えた。


案の定、お義父さんは泣き出すし、お義母さんは黙ったまま。

しかし、彼と別れてしまえば、ある意味私には他人になる二人だ。

よくしてもらったとは思うし、感謝もしている。

が、だからといって私の一生を捨ててでも、彼の面倒を見続けるという
ほどのことでもないだろう。

お昼近くになって、義両親は彼の病院へと出かけて行った。

すると、彼から電話が来た。

あれだけ、しばらく電話しないでと言ったのに、これで朝から何度目かの
電話だった。

いきなり、

「お父さんに何言ったの?」と半切れ風。

「何って、今回の騒動のあらまし。」と淡々と答えると

「お父さんに電話したら、○○さん(私)にいじめられてたって~。」


あの親にして、この子だわ…って思った。

あの話し合いをいじめって…。

誰が被害者なんじゃ?


適当に相槌を打って、速攻電話を切った。


それから、娘とお昼を食べて、少しお昼寝。

疲れ切った心と身体は、たいして休まらなかったが、
娘と二人プールに行った。

先週からの約束だった。

スイミング教室に入れたのに、嫌がって就学前にやめてしまった
娘は、二人で練習してやっとクロールで25m泳げるくらい。

もっと、練習したいのでと懇願されていた。

この騒ぎで、諦めたと思ったら、そうではなかった。

昨日、病院でも「無理かな?行けないかな?」って再三聞かれた。

本当なら、このまま泥のように寝てしまいたかったが、そういうわけにも
いかないらしい。

頑張っていつもよりも、遠い、いつもよりも、大きなプールに出かけてみた。

そして、頑張って泳ぐ娘と思いっきり遊んできた。

私たちは、私たちだけでも、普通に生活しようと思ったりして。

お蔭で、その夜はしっかりと寝ることができた。