乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『荒木賀光 古希を祝う会』  大阪能楽会館

2008年05月19日 | 能楽・狂言

 

 (写真はイランの ナクシェ・ロスタム。http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/bf27aa7ef83273fad9bceecafd98c8d0

荒木賀光 古希を祝う会に、敬意をこめて・・・。)

 

 

       荒木賀光 古希を祝う会

 

 10日ほど前のこと。以前、能楽会場で知り合った女性から電話を頂いた。

 何でも、18日は能が4つもあるとのこと。曲(演目名)も総て教えて下さった後、

「こんな事は珍しいので、是非いらっしゃい。」

と、お誘いを頂いた。

 事前にインターネットで 大阪能楽会館の情報は調べてはいたが、そこまでの詳しい情報は書かれてない。

 歌舞伎でバカほど馴染みの『俊』もあるとのことで、10時半頃までには行った方がよいとのことだった。

『俊』は能楽では経験がないし、その上 学生時代に一人で喜界島まで行った者としては、これは行かない手はない!

 

 さてさて会場に着くと、受付で、またまたお弁当とお抹茶の券を頂いてしまった。

 この雰囲気、謡などを習ってない私には、少々つらいものがある。

 しかし、気を取り直して、朝の九時半の『安宅』から 夕刻7時半の『山姥』までをしっかりと楽しませていただいた。

 

 最近では能楽師や他の方も、知った顔が少しづつ増えてきた。なんとなく、声を覚えている能楽関係の方もふえてきた。鼓や太鼓や笛の好きな音色もわかり始めてきたような気がする。依然、分からないままに、能を楽しんでいる感じ。

 

 能楽の世界も歌舞伎や小芝居同様で、一方通行ではあるが、顔馴染みの観客の方々も増えてきた。

 楽しいのが、それぞれの観客に特徴が認められることだ。

 能楽、歌舞伎、京・都・鴨川をどり、文楽では、会場や客層の雰囲気が全く違う。

 歌舞伎の場合、ごひいき筋によって客層も少し違うようにも感じるが、もしかすれば、能楽でも流派によって、同じような事があるのかも知れない。

 私は能楽鑑賞の初心者もいいとこなので、余裕もなく 何もわからない。

 

 今日は驚くばかりの人の多さだった。

 知人に言わせれば、こういった会で、こんなに人が多いのは、珍しいとのこと。

 7時半最終まで、会場は熱気で息付いていた。

 

 今日の曲も『融』など、好きなものがたくさんあった。

 勧進帳の好きな私が、初っぱなの『安宅』を途中からみたのは、とても悲しい。

 能楽に絞って言うならば、

   『俊』

   『熊野 ゆうや

   『羽衣』

   『山姥』

の4曲。

『俊』は歌舞伎の筋書きとは全く違い、驚いた。とはいえ、能楽の『俊』も、目尻は厚くなり、涙ぐんでしまったから、さぁ、大変。能楽で、こういった見方をして良いものか、果てさて、間違いなのだろうかと、若干不安感に陥る。

 能楽では大変簡単な筋を、歌舞伎はいじることにより 或意味、豊かにしたらしい。これを世間一般には、工夫と言う。

 比較すると楽しいので、他の歌舞伎で知っている曲も聴いてみたいと思った。

 

 今回、能楽では『羽衣』以外の3曲は、知らないものばかりだった。

 あらためて、もう一度聴いてみたいと思う。

 

 最後になりましたが、このような楽しい時間を過ごさせていただきました関係者の皆様方に、心より感謝申しあげます。

 ありがとうございました。

 

 私は能楽鑑賞の初心者です。

 何かお気づきの点や間違いなどがございましたら、お教えいただければ嬉しいです。

 

                大阪能楽会館にて

                 2008.5.18

 

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『怒りの方法』  辛淑玉(しんすご)著  岩波新書 新赤本 

2008年05月17日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 記録だけ  2008年度 47冊目   

 

  『怒りの方法』 

                   

 辛 淑玉 (しん すご)著

 岩波新書 新赤本 890

 株 岩波書店

 2004年5月20日 第1版発行

 208ページ 700円+税

 

 16日二冊目は、『怒りの方法』を読んだ。

 記述に納得。いちいち反応しながらしながら、こちらなで興奮気味に読んだ。

 しかし著者は至って冷静に書き進める。

 魅力的な一冊といえよう。

 

 今回も記録だけで、失礼いたします。

 

 

 

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『世界の音を訪ねる』 音の錬金術師の旅日記  岩波新書 新赤本

2008年05月17日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 

 記録だけ  2008年度 46冊目   

 

  『世界の音を訪ねる』 

  音の錬金術師の旅日記

   

                   

 久保田 誠 著

 岩波新書 新赤本 1011

 株 岩波書店

 2006年4月20日 第1版発行

 208ページ 940円+税

 

 民族音楽など、少し違った内容を想像していたが、興味深いジャンルの音楽も載っていて、まぁ、面白かった。

 著者は1949年、京都生まれとのこと。

 その臭いを感じる記述をうっすらと感じた気がした。

 民族音楽やジャズについても書かれていたが、ディープ・パープルのあとは、いきなりサザン・オールスターズや日本のグループなどが連ねられていたのには、とまどった。

『ピンク・フロイドや キング・クリムゾンや ユーライア・ヒープはないんかい』

と、思わず つっこんでしまったのは、わたしだけか・・・。

 生まれた年代や個人の好みによって、随分音楽感もちがうんだなぁ・・・。

 ・・・・・・ということで、今日は記録だけ。

 

 付属の小さなCDは、代があけてから、聴くとしましょう。

 

 

 

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『大停電の夜に』 豊川悦司 他

2008年05月15日 | 映画

 

   大停電の夜に

 

 2005年 日本  132分

 監督 源孝志

 キャスト 豊川悦司  他

 

 色彩美 ★★★★★ ★★★★☆

 満足度 ★★★★☆ ☆☆☆☆☆

 お勧め度  ★★★★★ ★★☆☆☆

 

 昨夜、テレビで、映画 『大停電の夜に』をみた。

 クリスマスイブの夜、東京中が大停電になる・・・。

 そこで巻き起こる個人のドラマの絡み合い。

 ジャズの音色とおしゃれな空間、思い切り重厚で美しいこなれた色彩。

 この映画、赤面物の甘いドラマ風映画だったが、音楽と色彩だけみていても充分楽しめる。

 水割りでも片手に、のんびりみることをお勧めする。

 

 昨日の『王妃の紋章』が長文だったため、今回は記録だけにしておきましょう・・・。

 それでは、今夜は失礼いたします。

 

 

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『下流社会』 新たな階層集団の出現  三浦展 著 光文社新書

2008年05月15日 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

 

(写真は 中国の山西省でみた版画。)

 

 記録だけ  2008年度 45冊目   

 

   『下流社会』 新たな階層集団の出現

   

                   

 三浦 展 著

 光文社新書 221

 株 光文社

 2005年9月20日 第1版発行

 2006年1月25日 第12版発行

 284ページ 780円+税

 

 本日 二冊目は、『下流社会』 新たな階層集団の出現を読む。

 いちいち記述に納得したり、反論したり。図や数字をみながら楽しく読み進めた。

 結構興味のある内容で、面白かった。

 今まで気づくことのなかった日本の側面の一部を知ることができた。

 

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『大和石仏巡礼』 高階成章 著 駸々堂ニコンカラー双書 046

2008年05月15日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(写真は 中国の山西省でみた、芝居の版画。)

 

 記録だけ  2008年度 44冊目   

 

   『大和石仏巡礼』

   

                   

 高階 成章 著

 駸々堂ニコンカラー双書 046

 駸々堂出版 株

 昭和52年7月10日 第1版発行

 142ページ 500円+税

 

『大和石仏巡礼』を楽しむ。

 奈良にも石仏はいっぱい。

 造形的にも興味があり、この目でみたいと感じた。

 

 仏教がはいる前から 疫病や悪霊を防遏(防遏)する意味合いを持って、村境や峠、辻、橋のたもとなどに地蔵尊や阿弥陀仏の石仏をたてられたらしい。

 村境や峠、辻、橋といえば、あの世とこの夜の境界線・・・知人に聞いたようなことが 丁寧に記されていた。

 

 今年、山辺の道に行った時に見た、金谷の石仏も拓本にされ、載せられていた。

 拓本においては、昔、某寺のご住職に教えていただいて、私も拓本をさせていただいたことがある。

 金谷の石仏もその姿の美しさに少し惚れていたので、それぞれに親しみを感じた。

 楽しいので、今後も本も選んでみたいと思う。

 

 ところで、駸々堂ニコンカラー双書で思い出したが、昔は京都の三条河原町角には、駸々堂書店があった。

 この本屋には、一体何度くらい行っただろうか・・・。

 行く旅に誰か友人に出会った。

 駸々堂書店では 当時、幼稚園からの友人もバイトしていて、

「5パーセント引きで買えるよ。」

と、言ってくれていた。

 その暖かな言葉に、何度か甘えさせていただいた事が、懐かしい。

 

 京都は自転車かミニバイク移動する学生も多い。

 京都はどこか店に入ると 結構お金がかかるので、みんな 工夫する。

 鴨川や(古)本屋、神社仏閣、公園などで本を読んだり、友人と話すことが多い。

 大阪ではあまりみることのできない、学生文化の一つかも知れない。

 駸々堂か・・・。懐かしいな・・・。

 そういうと、柏餅味噌あん ぎりぎりの季節なんだ。

 

 

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『王妃の紋章』 チャン・イーモウ監督 コン・リー チョウ・ユンファ

2008年05月15日 | 映画

 

 (写真は上海でみた『評弾』)

 

 記録・感想だけ

 あらすじなし

 

    『王妃の紋章』

 

 原題 『満城尽帯黄金甲』

 原作 『雷雨』 中国の劇作家・曹愚の舞台劇

 

 展開 ★★★★★ ★★★☆☆

 構成力 ★★★★★ ★★★★☆

 色彩 ★★★★★ ★★★★☆

    or  ★★★☆☆ ☆☆☆☆☆

 中国的グロテスク・リアリズム表現

    ★★★★★ ★★★★☆

 満足度 ★★★★★ ★★★★★

 影の使い方 ★★★★★ ★★★☆☆

 廷内に流れる一定の速度(時間的感覚)

          ★★★★★ ★★★★☆

 お勧め度 ★★★★★ ★☆☆☆☆

 

 2007年 中国

 監督 張芸謀(チャン・イーモウ)

 

 キャスト 

 周潤發(チョウ・ユンファ)

 鞏俐(コン・リー)

 周杰倫(ジェイ・チョウ)

 劉(リウ・イエ)

 

 

 一昨年の12月二中国の広州の繁華街にある映画館で、『王妃の紋章』は上映されていた。http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/44fe81384b821c63dc2de439f0a3fb97

 かなり遅くまで上映の人気映画だったらしい。

 家族の反対にあい、コン・リー出演にもかかわらず、私と子供はこの映画を広州で観ることをあきらめたといった 思い入れのある映画だった。

 

 王家に渦巻く愛と陰謀を主題に描かれた『王妃の紋章』は、あまりにも悲しく、私は涙をのみながら観た。

 

 一見ロシア風で豪華絢爛な金ぴか衣装には たじろいだ。しかし、話が進むにつれ、この衣装や舞台設定なくしては描けない内容に納得。

 金が神々しく、中国的表現としてはある意味において、的確。

 一部、黒沢作品を感じたし、一部は シュールレアリスムの絵画(油)を思い浮かべた。ロシアオペラ映画を思わせる一面もあり、興味深い。

 

 ワイヤー・アクションを逆手にとった、チャン・イーモウのおしゃれな遊び心はみもの。忍者のような御兵たちが。鎌に綱のついた武器を自由に使いこなし、空中から見え見えの綱(ワイヤー)を、堂々と画面に映す。チャン・イーモウの見事なブラック・ユーモアの瞬間を楽しんだ。

 

 王妃には戦略的な思惑はあったものの、中国伝統の両面刺繍を刺す 彼女の切ない一面も目の当たりにすることとなる。

 

 王制を守り抜くために繰り広げられた中国的グロテスク・リアリズム表現には、さぞや 井波律子女史も満足ではないだろうか。

 色彩で構成や衣装、あら筋に至るまで、練り上げられている。

 

 知らずして、第一王子と真の妹との恋。

 それを知らされた時の、女。

 この展開は、中国の代表的な拷問の一種を思い出す。

 女は狂気の顔は悲しいまでに、迫力があった。

 

 この妹役の衣装と化粧と顔や仕草は、中国のイラストや版画に描かれた美しい女性のイメージと重なる。

 薬を持ったしなやかな仕草と作法は、美人画にふさわしい物だといえる。

 透き通るほどの、美しさ。

 

 王についての残虐性を語るならば、王制、そして愛した女性の子『血』を守りぬくために、王妃には毒薬。

 毒薬と知りつつ、飲まねばならぬ複雑で恐怖感の伴った表情。

 毒にあえぎ画面右の王妃の顔が引きつりあがり、苦痛に耐えるつらさをコン・リーは、見事に演じた。

 アイメーク中心に工夫された化粧と髪の引きつり、コン・リーの細やかな演技が見事に実った一瞬。

 

 第二王子には厳しい修行。

 王と王妃との間にできた一番目の第一子だというのに、他で生ませた王の一子を 次の王位に就かせようと心に決める王。

 王妃と第二王子の、複雑な心境を考えると、忍びない。

 

 第三王子には、無惨残虐に死に絶えるまで、我を忘れるほどの残酷なるむち打ちを続ける。

 第三王子においては 王と王妃のふたりにとって 常に眼中になく 薄い存在。

 彼もまた、精神的に傷つけられた存在だった。

 

 愛した女性とその一族には、無実の罪をなするつけ、自らの利益のみを考慮。

 血のつながりを持つ息子は母の手から奪い、その女の顔には烙印さえ押しつける始末。一族には、王権を確実な物にするために裏切る。

 一方、30年という年月の間、その女の肖像画を王室に掲げていたにも関わらず、

「おまえたちは知りすぎたのだ・・・。」

と、その女性家族もろとも殺す計画。

 

 王ばかりではない。

 王妃は王と王が30年間愛し続ける女性との間の子と知りつつ、本気で第一王子を愛してしまう。

 それを知ってながら、平然な顔を保つ王の複雑なジェラシー。これもまた、王妃の残酷さといえよう。

 中国はこの残酷さの描き方が、諸国に比べて、上等。

 

 毒薬と知りつつ飲む王妃。

 三十年の間、他の女性の陰を見続ける王の姿を見ている王妃の切なさ。

 

  廷内の人間模様を考えるだけでも、それぞれがそれぞれの切なきドラマを抱えていた・・・・・・。

 

 第二王子を中心とした戦士の攻撃。

 びくともしない王の護衛団。

 驚くばかりの両側の戦士たちは、互いにひとかたまりの色彩構成をなし、黄色(菊)の上を赤に染めあげる。

 兵士も、菊も、王子も、王妃も、総てが王にとっては駒の一つとして、とらえられていた。

 それを色の構成で表現。

 

 王にとっての 死者や血、壊れた壺や踏まれた菊などの不要品は、即座に歌舞伎の『芋洗い勧進帳』のように掃き整えられ、300万本の菊の鉢で、廷内一面を埋め尽くす。

 

 王妃と第二王子にとって、王権を奪う戦略は失敗に終わった。

 王中心に、何事もなかったように祭のテーブルを三人は囲む。

 そして いつものように、薬の時間。

 トリカブト入りと知る王妃と第二王子の悔しくも逆らえぬ立場と心理。

 王妃は薬をはねとばした。

 その液体は、まるで将来を暗示したような色合いで空中を舞う。

 

「助かりたければ、ソナタが毒薬を王妃に飲ませる事じゃ。」 

と、第二王子に言い放つ、王の冷ややかさ。

 王子は、

「母上、私の力不足をお許し下さい・・・。」

と、自らの命を絶つ。

 

 王妃の嘆き・・・。

 彼女も また、燃えたぎった王権という魔物によって、心身ともに焼き尽くされたといえよう。

 

 マザーグースにも煮たような話があるが・・・

 王はこの上ない立派な王制を守りぬ事はできた。

 しかし・・・誰も残らなかった。

 

 

 そう、王以外は、誰も残らなかった。

 そして、王制も権力も守り抜いた反面、王子三人を、王自らが命を絶たせた。

 王の政権は、自分の代で途絶える。

 後に残ったのは、水をかけ磨き上げられた金ぴかの柱や館と、まっさらの立派な、1キロものシルク絨毯。

 王は何のなかったかのように、後ろ向きに歩き始めた。

 しかし・・・彼の苦笑とも挑発ともとれる顔が画面に浮かぶあがってくるようだ。

 彼もまた寂しい人物なのかも知れないと、私は感じた。

 これらを総合的に考えると、『王妃の紋章』は、大がかりな展開を試みた、質の良い寓話とも云える。

 

 この映画を観てから、いくつかの映画の感想を読ませていただいた。http://www.cinemaonline.jp/?s=%E7%8E%8B%E5%A6%83%E3%81%AE%E7%B4%8B%E7%AB%A0 (映画ジャッジ)

 ある人はこの映画は陳腐だと言い、ある人はくだらない、金色使いに品が欠けるといった意見も持っておられる方々がいらっしゃった。

 やはり違う意見の方の感想を読ませていただくのは、私にとってとても良い刺激になる。

 みんながいろいろな感性で作品を捉え、自分とは全く違った感想に出会うと、幸せな感覚に陥る。

 そういった点において、この映画は好きな人と嫌いな人に二分され、各個人が自分の意見をはっきりと持てるという意味合いで考えても、或意味 成功ではないかと感じる。

 

 ただ、これだけお金をかけ、監督や俳優たちにも恵まれ他作品の中で・・・・・・

         私はみてしまった。

 第一王子が死んで王妃が嘆き悲しむ迫真の演技の最中のこと。悲しきかな、死に絶えた王子の右目が二度、かすかに瞬きをしてしまった事を・・・。

 緊張のさなか、私は少し、笑ってしまった・・・。

 チャン・イーモーは知ってか知らないのか。色彩的構図で作り上げた映画のたった一つの失点が、龍の目のように心に残る。惜しかった・・・。

 

 『王妃の紋章』は全体として、気持ちよく心に響き、高得点で満足した。

 映画の後は 世界の生牡蠣やいろいろな牡蠣料理、ほどよい白葡萄酒を味わう。すこぶる気持ちもよく、適度に酔いもまわり、楽しい時間を過ごすことができた。

 

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『臆病者のための株入門』  文藝親書

2008年05月14日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(写真は 中国の山西省でみた、芝居の版画。)

 

 記録だけ  2008年度 43冊目   

 

   『臆病者のための株入門』

   

                   

 橘 玲 著

 文藝春秋

 文藝親書 514

 2006年4月20日 第1版発行

 229ページ 750円+税

 

 昨日、大阪~自宅の往復で、『臆病者のための株入門』を楽しむ。

 預金や宝くじや保険などについて、鋭い切り口。

 とてもためになりました。

 

 

 

 

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『石の声』朝日新聞こころのページ

2008年05月14日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 記録だけ  2008年度 42冊目   

 

   『石の声』朝日新聞こころのページ

   

                   

 荒巻 隆編

 朝日新聞カルチャーブックス 22

 1983年6月20日 第1版発行

 245ページ 1200円+税

 

 

『石の声』朝日新聞こころのページを楽しむ。

 今までは造形的、或いは絵柄の良い物に魅力を感じていたが、石一つとっても土地や人々に密着した歴史があるんだなぁ・・・。

 写真の石は、今春桜を求めて行った、奈良の杵築神社きずきじんじゃ http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/b45f3219735ccc33a2dccedbe2ecd54aの境内に置かれていた物。

 説明がないので、どういったいわれでがあって置かれているのかは分からない。

 石の前に蝋燭台が設置されてないと、見過ごすところだった・・・。

 

 

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『超バカの壁』感想なしのため、魯迅公園で書道する男性について記す。

2008年05月11日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は中国の魯迅公園で書道する男性。

 弘法筆を選ばずとは、このことか・・・。

 筆先スポンジを付けたペットボトルで、全く持って素晴らしくうまい文字を書いていた。驚き!

 道に書道するのも健康維持の一環とのこと。

 ここ、魯迅公園では、こういった書道をされて楽しまれる方を、多く見かけた。

 他には、社交ダンスやハデハデダンス?!

 もちろん衣装も、ダンスに合わせた華やかさ。

 いろいろなグループが、それぞれの曲に合わせ ダンスをして、健康維持を図っておられた。

 それらを取り巻いて見ている中国人たちも多い。

 なんだかんだ、どうのこうのと講釈して、見ているといった感じ。

 晴れた日に、こういった公園に人々が集い、いろいろな物を見て楽しんで講釈するだけでも、健康にはいいのではないかと思った。

 魯迅公園は 芸術や音楽や彼らの熱気で、とても賑やかだった。

 今は亡き魯迅も、

『こんなはずでは・・・。』

或いは、

『これもまた花の賑わい・・・。』

と、棺(墓)の中で苦笑しているのではと思うと、私までもがつられて笑ってしまう・・・。

               2008.3月)

 

 

 記録だけ  2008年度 41冊目   

 

   『超バカの壁』

   

                   

 養老孟司 著

 新潮新書

 新潮社149

 2001年1月20日 発行

 190ページ 680円+税

 

 以前『バカの壁』は読んでいた。

 今回『超バカの壁』を読んで・・・

 

           我無言也!

 

 ただただ、何が何だか・・・誰かになんぞやを、漠然と叫びたい。

 

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『暁斎展 Kyosai』  京都国立博物館

2008年05月10日 | 美術・文様・展示物

 

 先日、京都国立博物館『暁斎展 Kyosai』に行く。

 暁斎は一度見て見たいと思っていたので、これがいい機会と勢いだつ私。

 

 京都国立博物館は入場制限あり。長蛇の列で、待つこと二時間という場合もよくある。

 私は朝一で会場に滑り込んだ。

 入場はすんなりできたが、会場内は 人の山、また山。

 

 案内監視員が、声高らかに、

「順番はございません。空いているところから、見て下さい。」

と、連呼していた。

 

 作品群は面白かった。

 私はあまりの面白さに、メモをとりながら見ていた。

 明治の新しい作品だが、馴染みの歌舞伎の演目の絵や役者絵や文楽をモチーフにした物も多い。神話や民話や民衆の生活をユニークに描き上げた物、天狗やカッパなどの妖怪や幽霊、酒に事欠いて酔いで一気に描きあげた物、『暫く』を妖怪仕立てに四時間で描きあげた歌舞伎の段幕、拷問を描いた恐ろしい羽織の内側などなど・・・・・・。

 これだけ多くの題材を画にしてしまうことを考えると、空恐ろしや。一体全体暁斎とはどういった人物なのか。頭の中を覗いてみたいと思うた。多趣味な画家である。

 それらの内容は、私の頭の中にも 非常に強くインパクトが残る。また、メモをとった部分を考え合わせると、相当すごいことになる。

 かなりの長文になるため、今回は記録だけにとどめておこう。

 

 この展覧会は急いで観ても、ゆうに4時間以上はかかった。

 部屋数は十一部屋。一部屋における作品総数の多さには圧倒され、威圧感を覚え、驚くばかりである。

 大きい物から小さい物まで丹念に観ていると、正直面白さと心地良い疲れ。心とは裏腹に、足はへとへと…。

 初めの部屋から、細やかに見過ぎた。初めの三室くらいは、人々の殺気さえ感じる。それくらいに楽しい作品の数々…。

 

 グループで来ている人は良い。だが、一人で来ている人たちはこの面白さを誰かと共有することができず、ジレンマに陥る。自分の中で、感じたことや妄想が満タンになって、パンクしそうだ。へらへらとにやけながら、独り言を言っている方が多いのは、そのせいとも言える。。

 多分、例外に漏れず、一人で観ていた私も…相当 イタイ!

 

 知らない女性が、ぶつくさ笑いながら、私に、

「ねぇ!」

と、同意を求める。こういった瞬間も、また『暁斎展』の醍醐味というべきであろう。

 

 五部屋目くらいからは、見ている人がぐっと減り、ゆっくりと楽しむことができた。

 結構疲れた方が多く、後半は巻き上げて観た可、或いは二回に分けて観られたのであろうと思われる。

 私とで、今回のこの展覧会は疲れ、いつもならばもう一度戻って、興味ある作品だけは二度、三度と観るのだが、今回はあきらめた。

 

 楽しみすぎて、躰がへたった。『出口』の文字を認めると同時に、私はその二文字に吸い寄せられた。

 出口で遭遇した 美術にも感心を持っていそうな、学生カップルが、

「今日はまじ!疲れた・・・。」

と言ったのが印象的。

 彼らのまじめな鑑賞態度に、拍手を送りたい。

 

 

  河鍋暁斎記念美術館 公式HP ↓

  http://www2.ocn.ne.jp/%7ekkkb/Kyousaij.html

  暁斎についてのHP ↓

  http://www.kawanabe-kyosai.org/

 

  京都国立博物館HPより『暁斎展 Kyosai』説明抜粋 ↓

 河鍋暁斎(1831~89)は、かぞえ7歳で歌川国芳に弟子入りし浮世絵を学びますが、数年で狩野派に移り、11歳から19歳まで、基礎固めの時期には、徳川幕府の表絵師筆頭の駿河台狩野家で、徹底した絵画修業を積みます。独立後、明治維新をはさむ激動期には、「狂斎」と名乗って江戸の地で風刺画などを描き人気を博しました。  ところが明治3年、描いた風刺画が官憲にとがめられて逮捕・投獄され、笞打ち五十で放免という辛い目にあいます。以降、「狂」を「暁」の字に改め「暁斎」と号するようになったのでした。以降、文明開化の劇変にもけっして自らを見失うことなく、東洋画の伝統手法に工夫をくわえた魅力的な絵画を描きつづけました。  暁斎は、イギリス人建築家コンドル、ドイツ人医師ベルツ、フランス人実業家ギメをはじめ、来日外国人たちとも交流しています。急激な西欧化に走る日本の風潮を危惧した彼らは、失われつつある江戸文化に魅せられ、暁斎のとりこになったのでした。  暁斎のユニークな画風は、特に海外で関心を呼んできましたが、その全貌をつたえる大規模な展覧会は開かれたことがありませんでした。今年4月は、明治22年(1889)4月26日に暁斎が他界して120回忌にあたります。その節目をとらえ当館が企画した展覧会で、他会場へは巡回しません。  出品作は、暁斎の初期から晩年まで、選りすぐりの重要作品130余件。すべて肉筆絵画で、イギリス・オランダからの里帰り作品が24件、初公開作品は22件(うち新出11件)におよびます。展示は、8セクションで構成。奇想的な作品はもとより、暁斎の骨格を形づくった狩野派的側面をしめす作品もあわせた初の体系的な展示となります。  当館では、若冲、蕭白と、強烈な個性を紹介してきましたが、暁斎はそのラインナップに加わる画家。個性というものが、単なる奔放ではなく基礎的修練によってのみ生まれることを教えてくれます。  キャッチフレーズは「泣きたくなるほど、おもしろい」。実際に絵の前に立てば、こんなおもしろい絵描きがいたのかと、驚きと発見の喜びにひたれるはず。見逃す手はありません。

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『世界の龍の話』  世界民間文芸叢書別巻

2008年05月10日 | 読書全般(古典など以外の一般書)

(写真は山西省の『九龍壁』 2008.2月)

 

 記録だけ  2008年度 40冊目   

 

   『世界の龍の話』  世界民間文芸叢書別巻    

 

 丸山顯徳 竹原威滋 編著

 発行所 三弥井書店            

 平成10年7月10日 初版発行

 平成11年3月10日 再版発行

 223ページ 2200円+税

      

 書棚から拝借して、『世界の龍の話』を読む。

 龍や聖獣に感心のある私はこの本を見つけたときは、正直、嬉しかった。

 日本の説話や奈良の龍にまつわる話は、のめり込んで読む。面白くて、興奮。

 イランや中国、韓国。ドイツ、デンマーク、フランス、スペイン、バスク、南米などの知らない話が多く載せられている。実に楽しく、気分がいい。

 文献を参考にしただけではなく、現地調査の上聞き語りを記録した物もあり、心ときめいて読んだ。

 かなりお勧めの書で、秀作の一つ。

 

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『滑稽糞尿譚』 (ウィタ・フンニョアリス) 安岡章太郎 編

2008年05月10日 | 古典全般(奈良〜江戸時代)

(写真は龍門古鎮の川べりで、油絵を描く画学生たちの画材など。昼食を食べに行っていたのでは・・・。中国版モンパルナスの丘といった風情を感じる。)

 

 記録だけ  2008年度 39冊目   

 

   『滑稽糞尿譚』 ウィタ・フンニョアリス

   

                   

 安岡章太郎 編

 株 文春文庫

 1995年2月10日 第1版

 286ページ 450円+税

 

 本日、『滑稽糞尿譚 コッケイフンニョウタン』(ウィタ・フンニョアリス )を楽しむ。

 しかしこの「ウィタ・フンニョアリス」には笑わせていただいた。

 題名からして洒落にならん。ではない、駄洒落がきつい。

 たかをくくって読み始めたが、これがまた面白い。

 初めに申し上げておきますが、私至って健全で、変な趣味は毛頭ございませんので、ご安心下さい。

 

 有名な作家や著名人が軒を連ねてつくりあげた、トイレ云々?にまつわる一冊。

 

 中でも面白く感じたのは、直球では、『小便がつまる』(入江相政)元侍長と、『食事と排泄』(星新一)。

 

 曲屁の芸の見せ物である 『目出度三番叟屁』や平賀源内、果てはフランスまでも話を広げた、編者 安岡章太郎の『わが糞尿譚』は興味深い。

 

『粉屋の話』(チョーサー作・西脇順三郎訳)はオペラ或いはオペレッタになる。美女を中心において、まじめくさった顔で惚れたはれた以外に、このような馬鹿げた展開が繰り広げられれば、昔の貴族たちは作者に対してどのような態度をとるのだろうか・・・。考えると、楽しいではないか。衣装や歌声、声色まで思い浮かべながら へらへらと阿呆になって読むことをお勧めする。

 

 ラブレー作の『尻を拭く妙案を考え出した・・・・・・』(渡辺和夫 訳)は、阿呆な詩を、声高らかに リズムに乗せて読むことに意義があると申せよう。ただし、私は黙読。申し訳ない。

 

 ヘルマン・ポーテ作『オイレンシュピーゲル・・・・・・』(藤代幸一 訳)はいつもの通りで、笑った。

 

 芥川龍之介や円地文子、吉行淳之介、金子光晴他、そうそうたるメンバーの中に、不思議にも 開口健の名前がないので 不思議に思っていた。案の定、安岡章太郎の文中に、開口健登場。こういった話は、彼抜きでは片手落ちというもんだ。

 良かった、良かった、これで安心。

 

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『コレクション・ギャラリー所蔵館による 近代の美術・写真』 平成20年度 京都国立近代美術館

2008年05月08日 | 美術・文様・展示物

 


(写真は、京都の簾屋。博物館から岡崎にある美術館に向かう途中、バス車窓から撮す。)


 


 


 コレクション・ギャラリー所蔵館による 


  近代の美術・写真 平成20年度


 


 


 


 京都国立近代美術館で、平成20年度第一期の平常展を見た。


 素晴らしい作品の総数、146点。


 


 須田国太郎画伯(以下、画伯省略)のおなじみの作品6点。


 色・構図他、見飽きることはない。


 


 小出楢重は裸婦と鰯。


 この画家はモチーフに対する見方の個性が好きだ。


 ぞうきんを絞ったような 裸婦の躰のくびれ、中身が がっちりとしすぎた 筋の通った鰯。


 何を描かせても、 小出ワールド。


 


 浅井忠や 安井曾太郎も懐かしい。岸田劉生の前はすんなりと通り過ぎ、また、須田国太郎のもとへと戻る。


 


 今回も池田満寿男の作品の数々が展示されていた。


 


 外国の物では エルンストや パブロ・ピカソ、モンドリアン、ルドンなどもあった。


 心が高鳴る。


 


 陶芸、染色も非常に興味深い。


 陶芸では 北大路魯山人や清水六兵衛(5・6代目)の作品など展示。


 かなり好きな焼き物が多かった。


 染色は、京都生まれの私にとっては懐かしさを感じる。


 


 今回の平常展での収穫は、マックス・エルンストの『怒れる人々』(1927)


 この作品は好きだった。


 後は須田作品。彼の作品を見て、心が落ち着いた。


 


 

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『秋野不矩 展』   京都国立近代美術館  追記あり

2008年05月08日 | 美術・文様・展示物

 

 

  秋野不矩(あきの ふく)展 

 

 先日、博物館で4時間ほど楽しんだ後、京都国立近代美術館へ行った。

 秋野不矩の絵は知っていたが、展覧会は初めて。

 彼女はインドを描く女流画家として有名。

 

①色彩は黄土や黄、コーラルレッドなどがふんだんに使用される。 或意味、全体が『ぬくい』のが気にかかる。

②デッサン的には、人物の支軸が耳と軸足を通っておらず、また顔もデフォルメとは言い難いゆがみ。

③輪郭が暈かしてあるのはよい。ただ、日本顔料につやがなく、筆をにしくった技法で描かれている。全体をかすれさせているため、焦点の定まらない写真を見ているよう。遠くから見ても、目がくらむ。

④普通では考えも及ばない部分でのトリミング。構図的に、私には理解しがたい絵が多い。途中、頭部分だけ切り取った複数の人間は、永遠に動かないアングラ劇を見ているようで、不安に駆られる。首から下を切った鳥の頭や動物の絵には、血流を途絶えさせ、恐怖感さえ感じる。不自然に途中から切りとられてしまったトリミングの連発で、精神的に結構疲れる。

⑤中には下絵のようなところで止めた絵が、結構多い。油はどこで止めるかは画家の感性の問題であり腕の見せ所だが、あまりにもはやい『止め』。200号くらいのキャンバスに描かれ他それらの絵を見て、釈然としないもやもや感・・・。

 

 インドの生活や壁の絵の文様はナスカとも共通した部分が見られ、これに対しては興味を覚えた。ただ、絵画としてか、或いはインド文化の記録として描かれているのかが 私には分からない。そういった絵をいくつも見かけた。

 その昔、熱狂的なインドブームがあった。そういった意味でもこの絵はみんなに注目を浴びたのではないだろうか。

 もしくは、よほど知識層 或いは素晴らしいコネやパトロン(芸術家としての)をお持ちだったのだろうか・・・。良き師匠につき、チャンスが恵まれたというべきか。

 

 館内の観客はは8、9割方が年配の女性。口々に「美しい・・・。」「素敵ね。」と言っておられた。

 人によって、感性が違う、これもまた楽しい・・・。

 多くの女性には、こういった無難さを感じる暖かい絵を好まれるのかも知れない。

 故に、正直な感想を記録すると、おしかりを受けるかも知れない。

 ただ、美術・芸術に於いては、私はいつも正直でありたい。

 美術・芸術に関しては、正直でありたい。裸の王様にはなりたくないし、お世辞、気遣いは、私にはできない。

 それが、今は亡き父に対する 最大のはなむけだと思っている。

 

 だが、秋野不矩の画は、数々の賞もとり、名実ともに名を残している。

 おそらく、私の理解不足か、好みでないというだけ・・・。そういった方が正確かも知れない。

 

 伝統芸能の古面が10点前後描かれていた。何だか好きな物ものを踏みにじられた感じ。かさぶたをはぎ取られたような痛みと腹立たしさを覚えた。

 

 救われたのは、絵本の挿絵。これは子供には場面がわかりやすくてようかも知れない。ただ、これも色彩は、個人的には好みではなかった。

 

 私の感情とは裏腹に、ショップには人だかり。

 プチ優しい絵はがきや絵本は人気筋のおみやげといった感じだった。

 

 京都国立近代美術館では、秋野不矩展と同時に、素晴らしい平常展が展示されていた。

 京都が誇る須田国太郎画伯(以下 画伯省略)の作品が6点ばかし展示されており、食い付くように見入っていた。

 小出楢重や藤田嗣次、ピカソなどの秀作もあり、救われた。

   

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