乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

杭州で舞台を観た・・・西湖、少林寺など  

2008-05-03 | 舞台・芝居

 

 2008年3月某日、杭州で舞台を観た。

 1時間半の舞台は活気にあふれていた。

 舞台名は一体何だったろう・・・。

 旅行ツアーのオプションで、一人250元。

 おそらく180元前後だろうが、連れて行ってもらうと、結構高い。

   

 会場は中国人が多かった。

 拍手が画期的で、テーブルにはオレンジや緑色の 手形をしたカスタネットが置かれていた。

 このカスタネットを上下に動かして、歌舞伎ならば大向こうのかかるべき所をぱたぱたとならす。

 雑多な空間。五月蠅さがマッチした会場・・・。

 写真撮影はOKとのこと。しかしほとんど撮し忘れる。

 

 舞台の前にはせり上がり。

 その上には三人の伝統音楽奏者。

 美しく、音楽も至って上質。

 

 中国の美しい調べが終わると、いよいよ本番の舞台が始まるが、この少し大きめのせり上がりは、始終有効に使われていた。

 

 舞台の題名は忘れたが、内容ははっきりと覚えている。

 

 西湖由来から始まり、金属の時代の闘い、雑伎団、南宋時代(書道あり)、踊り、『チャイニーズ ロミオズ ツリー』、仏教(少林寺)、越劇とうい具合に何でもあり。

 舞台は立体的で、遠近感も考えられている。全体を通してよい舞台だ。

 ただ、こういった舞台演出は中国全般に観られるもので、中国の舞台を何度か観ている私としては、少々 マンネリ感をぬぐいきれない。昼間にやっている中国人向けの京劇が観たい。

 

 個人的には、金属の時代の闘いが京劇、或いは歌舞伎的な感覚で面白い。また、少林寺の決めも、がっちりと手応えあり。

 別段下心はないが、要するに、女性を観るよりも男性を観ている方が心地よいといった、健全な乱鳥である。

 

 

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『演出家の仕事』  栗山民也 著   岩波新書 新赤版

2008-05-03 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

(著者の栗山民也氏が能楽に夢中だったとのことで、『天鼓』を選ぶ。)

 

 

記録だけ  2008年度 36冊目   

 

   『演出家の仕事』 

 

                   

 著者 栗山 民也

 岩波新書 新赤版 1105

 2007年11月20日 第1版

 221ページ 740円+税

 

 5月3日夜中、『演出家の仕事』を読了。

 久しぶりの岩波新書の新赤版は読みやすかった。

 内容も芝居に関する物で、とても興味深い。

 著者演出作品では、勘三郎丈と森光子出演の『寝坊な豆腐や(?)』位しか見ていないと思う。それもテレビ(歌舞チャン)。

 

 表現法や細やかなことにも触れられていたので、今後芝居を見るにあたって、今までとは違った部分に興味を持つかも知れない。

 

 明治から現代に至るまでで小鼓の第一人者とされていた人の鼓を打つレコードを録音したが、鼓奏者から、キャンセルされたとのこと。

 当時のレコードではジージーとノイズが入る。

 奏者は無の空間(間)ということが非常に大切といい、この企画は断られたとのこと。

 私は能楽はまだ30回くらいしか聴いてない能楽鑑賞の初心者だが、何となく分かるような気がする。

 

 感心したのはP.136からの「太陽劇団との出会い」の項目。

 休憩を含め、5時間にも及ぶ舞台。

 役者は舞台衣装のまま、観客にカレーの昼食を取らせるといった、インドを内外から感じさせる舞台だそうだ。

 これは、真実、新しいのだろうか。

 

 もう二十年以上も前になるだろうか。

 ポンピドゥセンターで見た、立体的現代美術を思い浮かべる。

 それは、欧州の飲み屋を音から臭いに至るまで再現されていた。

 それを同方向に発展させ、また終了前には観客とインドについて、リアリティに意見を交わすといった志は、演劇に於いては斬新とも言える。

 また、コメディなどの舞台の対話方式などを考えると、消して新しくはないとも感じる。

 

 だが、インドを総合的にとらえ演出されたことを思うと、見てみなければ分からない。

 要するに、この舞台が見てみたいと、無意識に感じたのに過ぎないのであろう・・・。

 

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