乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『コレクション・ギャラリー所蔵館による 近代の美術・写真』 平成20年度 京都国立近代美術館

2008-05-08 | 美術・文様・展示物

 


(写真は、京都の簾屋。博物館から岡崎にある美術館に向かう途中、バス車窓から撮す。)


 


 


 コレクション・ギャラリー所蔵館による 


  近代の美術・写真 平成20年度


 


 


 


 京都国立近代美術館で、平成20年度第一期の平常展を見た。


 素晴らしい作品の総数、146点。


 


 須田国太郎画伯(以下、画伯省略)のおなじみの作品6点。


 色・構図他、見飽きることはない。


 


 小出楢重は裸婦と鰯。


 この画家はモチーフに対する見方の個性が好きだ。


 ぞうきんを絞ったような 裸婦の躰のくびれ、中身が がっちりとしすぎた 筋の通った鰯。


 何を描かせても、 小出ワールド。


 


 浅井忠や 安井曾太郎も懐かしい。岸田劉生の前はすんなりと通り過ぎ、また、須田国太郎のもとへと戻る。


 


 今回も池田満寿男の作品の数々が展示されていた。


 


 外国の物では エルンストや パブロ・ピカソ、モンドリアン、ルドンなどもあった。


 心が高鳴る。


 


 陶芸、染色も非常に興味深い。


 陶芸では 北大路魯山人や清水六兵衛(5・6代目)の作品など展示。


 かなり好きな焼き物が多かった。


 染色は、京都生まれの私にとっては懐かしさを感じる。


 


 今回の平常展での収穫は、マックス・エルンストの『怒れる人々』(1927)


 この作品は好きだった。


 後は須田作品。彼の作品を見て、心が落ち着いた。


 


 

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『秋野不矩 展』   京都国立近代美術館  追記あり

2008-05-08 | 美術・文様・展示物

 

 

  秋野不矩(あきの ふく)展 

 

 先日、博物館で4時間ほど楽しんだ後、京都国立近代美術館へ行った。

 秋野不矩の絵は知っていたが、展覧会は初めて。

 彼女はインドを描く女流画家として有名。

 

①色彩は黄土や黄、コーラルレッドなどがふんだんに使用される。 或意味、全体が『ぬくい』のが気にかかる。

②デッサン的には、人物の支軸が耳と軸足を通っておらず、また顔もデフォルメとは言い難いゆがみ。

③輪郭が暈かしてあるのはよい。ただ、日本顔料につやがなく、筆をにしくった技法で描かれている。全体をかすれさせているため、焦点の定まらない写真を見ているよう。遠くから見ても、目がくらむ。

④普通では考えも及ばない部分でのトリミング。構図的に、私には理解しがたい絵が多い。途中、頭部分だけ切り取った複数の人間は、永遠に動かないアングラ劇を見ているようで、不安に駆られる。首から下を切った鳥の頭や動物の絵には、血流を途絶えさせ、恐怖感さえ感じる。不自然に途中から切りとられてしまったトリミングの連発で、精神的に結構疲れる。

⑤中には下絵のようなところで止めた絵が、結構多い。油はどこで止めるかは画家の感性の問題であり腕の見せ所だが、あまりにもはやい『止め』。200号くらいのキャンバスに描かれ他それらの絵を見て、釈然としないもやもや感・・・。

 

 インドの生活や壁の絵の文様はナスカとも共通した部分が見られ、これに対しては興味を覚えた。ただ、絵画としてか、或いはインド文化の記録として描かれているのかが 私には分からない。そういった絵をいくつも見かけた。

 その昔、熱狂的なインドブームがあった。そういった意味でもこの絵はみんなに注目を浴びたのではないだろうか。

 もしくは、よほど知識層 或いは素晴らしいコネやパトロン(芸術家としての)をお持ちだったのだろうか・・・。良き師匠につき、チャンスが恵まれたというべきか。

 

 館内の観客はは8、9割方が年配の女性。口々に「美しい・・・。」「素敵ね。」と言っておられた。

 人によって、感性が違う、これもまた楽しい・・・。

 多くの女性には、こういった無難さを感じる暖かい絵を好まれるのかも知れない。

 故に、正直な感想を記録すると、おしかりを受けるかも知れない。

 ただ、美術・芸術に於いては、私はいつも正直でありたい。

 美術・芸術に関しては、正直でありたい。裸の王様にはなりたくないし、お世辞、気遣いは、私にはできない。

 それが、今は亡き父に対する 最大のはなむけだと思っている。

 

 だが、秋野不矩の画は、数々の賞もとり、名実ともに名を残している。

 おそらく、私の理解不足か、好みでないというだけ・・・。そういった方が正確かも知れない。

 

 伝統芸能の古面が10点前後描かれていた。何だか好きな物ものを踏みにじられた感じ。かさぶたをはぎ取られたような痛みと腹立たしさを覚えた。

 

 救われたのは、絵本の挿絵。これは子供には場面がわかりやすくてようかも知れない。ただ、これも色彩は、個人的には好みではなかった。

 

 私の感情とは裏腹に、ショップには人だかり。

 プチ優しい絵はがきや絵本は人気筋のおみやげといった感じだった。

 

 京都国立近代美術館では、秋野不矩展と同時に、素晴らしい平常展が展示されていた。

 京都が誇る須田国太郎画伯(以下 画伯省略)の作品が6点ばかし展示されており、食い付くように見入っていた。

 小出楢重や藤田嗣次、ピカソなどの秀作もあり、救われた。

   

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