乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今日は二万歩近く歩いたよ。

2011-05-15 | 乱鳥徒然 Rancho's room.





 今日は二万歩近く歩いたよ。

 もう~くたくただ。

 つかれたな。普段、運動不足だな。



  





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きょう☆は、葵祭の日 

2011-05-15 | お出かけ





 気持ちがいいな

 今日は空が輝いているよ

 今日は葵祭

 晴れて、良かったな

 今日も、素敵な日





 葵祭


   京都

   御所~下鴨神社~上賀茂神社

   全て何度も訪れた所だよ、

   懐かしいな☆




 



   葵祭 有料観覧席ページより 

 葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として知られています。平安朝の優雅な古典行列は平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発、総勢500名以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。




  葵祭 有料観覧席ページより ▼
 

 賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われる。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。

 この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。

 賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。

 祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。

 また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという、国家的行事になった。

 なお、応仁の乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。


 

  葵祭 有料観覧席ページより ▼


 祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在は路頭の儀と社頭の儀がおこなわれている。

 この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発する。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、遠く東山や北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ向かう。その道のりは約8キロにもおよぶ。

 社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納する。さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納される。







 見ていただき、感謝いたします。

 ありがとうございます(*^.^*)








コメント (2)
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