雨が上がり、雲間から出た陽の光で木々が照らされている。さっきまで暗かった木の葉が明るく白く照らされてゆっくりゆっくり風に揺られている。同じ木の葉なのに、命を得たように西日に照らされ右は左へ、私はこうやって、本当はあなたにもよく見える明るい顔を持ち、あなたに顔をちゃんと見せ、動いて見せることができるのだよと。
さっきまでの暗い顔、動けない私ばかりではないのだよと。空に向かってこうやって私はいるのだと言える私も、ちゃんと居る。陽があたっている時も、暗闇の中、全く姿が見えない時でも、私はここにいるのだけれど、陽があたっているから、さも力強く揺れているように見えるのだけど、見える私も、見えぬ私も私であると思ってくれる人もいる。見えぬ私がいる事を知る人よ。見えねば存在せぬに等しいはずなのに、存在を覚えてくれている人よ。そんな人がいさえすれば、生きてきたことの意味があったようなものだな
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