新年のご挨拶もせず
ブログの更新もできず、コメントも入れられず
申し訳ありませんでした
ワタシ、罰があたっていました(嘘です)
結婚して以来、大晦日は、私の実家過ごしている
かれこれ20年になる
お腹いっぱい食べたあと、腹ごなしに出かけるのが
「しばられ地蔵さん」
しばられ地蔵さんはの縁起は「江戸時代の奉行 大岡越前」の事件簿に由来する
ちょっとお散歩するにはちょうどいい距離にある
このお寺さん
私が子供の頃は、よい遊び場になっていた
大して悪さをするわけではないが、境内で自由に遊んでいても
怒られるようなことはなかった
墓地と幼稚園経営をしていた
そこに、信じられない数の縄で縛られたお地蔵さんがいた
顔を見ることができなかった
「願掛けをしたいとき、家から縄を持っていき、お願いしながら、縄を巻く
願が叶ったら、縄を解きにいく」
父から教わった
縄だけでなく、腰ひものようなものが巻かれていて、文字が書いてあるものもあった
幼稚園のない土日は、人がいることがほとんどなく
大人の目を盗んで遊べるお寺さんだった
いつも静かだった 地域のお地蔵さん
縄は埃と煤でどす黒く、ちぎれかけているものもあった
「願いはなかなか叶わない」 子ども心にそう思った
縄が減っていることも、増えていることもなく
ずっと同じだった
そのうち、私は大きくなり、遊びにいくようなこともなくなった
が、
ワタシが25歳くらいの頃、院主が代替わりし、その様子は一変した
比較的近隣にある柴又帝釈天と抱き合わせで、観光バスがくるようになった
なかなかの経営者
いつの間にやら、門構えが立派になり、塀も美しく作り直されていた
マスコミにも登場するようになった
大晦日は年々派手になっていった
「縄とき式」なる行事が始まったのも25年くらい前からだと思う
願をかけた人の都合には合わせず、縄を全部ほどいて、(切って)
お地蔵さんが1年に1回だけ、その姿を現すようになった
12時近くになると、お坊さんが数人、本堂から経を唱えながら出てきて
マイクの前で、さらに唱え、縛られ地蔵さんの縄を解く
縛られていない地蔵さんを初めて見たのは15年くらい前だと思う
普通のお地蔵さんだったので、がっかりした記憶がある
裸にされたようで、「寒そう」なんて思った
昨年、大晦日も、いつものように 縛られ地蔵さんまで歩いていった
旦那に聞いた
「初詣 したっけ ?」
「おれは、どこにもいってない」
「じゃぁ 大晦日に初詣か・・・」
毎年似たような話をしている
息子が小さい頃は、自宅の近所の神社に行っていたが
旦那が病んでしまってから、そういうこともできなくなった
今は、病んでいないらしいが、わざわざ 行くこともなくなった
この10年 大晦日に 縛られ地蔵さんにいくだけになっていた
性格の悪い私の楽しみは、
「今年はどのようなイベントがあるのか」 にしか興味がない
「坊主まるもうけ」 を見るのが好きなのだ
達磨さん販売・縄販売・破魔矢販売
次々増えている
NHKの生放送が入った年はさらに、演出が凝っていた
おぼうさん専用、特設花道が設置され
照明は、消され、松明やかがり火の明かりだけになった
今年は中継車がきていない
一昨年は、振袖をきた女性が二人、ニュース原稿の下読みをしていたのを見かけた
元旦のニュース用なのかな
しかし 寺社仏閣が好きな息子
今年初めて願をかけた
そう、「合格祈願」
100円で縄を購入して
スンゴイでしょう
時間は夜 8時ころ
3時間後には、縄解かれてしまう
五色の幕が張られた小さいステージがあった
「お母ちゃん、明日ここで2回踊るのよ」
地域の日舞サークルに参加している母が笑った
他に、民謡、ジャズの演目があった
このようにして
例年通りの大晦日を過ごして、10時頃帰宅した
除夜の鐘が聞こえる頃、激しい悪寒と咽喉痛に襲われた
数日前から喉が痛かったが、高熱をだしてしまった
扁桃腺炎だった
正月3が日
寝ていることもできず、病院にもいけず、思い出したくもない時間をすごした
(ご想像におまかせします)
仕事始めの4日の午前中に病院に行き、午後から仕事に行ったときは
心底ほっとした
ということで
今年もよろしくお願いします
遅いよね ごめんなさい