もう何年日本で年越ししていないだろう?
20年以上になる・・・。
子供の頃は今以上に「節目」を感じていたと思う。
年末の大掃除、この日だけは遅くまで起きていていい大晦日、年越しそばに紅白、
そして遠くから聞こえる除夜の鐘。
元旦は新しい下着をつけ着物を着てご挨拶。そしてお年玉、年賀状、お節料理。
たくさんの親戚が来て、普段は飲ませてもらえない炭酸入りのジュースが飲めたのもうれしかった。
何もかもが特別で、古い年さようなら、新しい年こんにちは、とまるで新しい誰かに出会うみたいに
新しい年を迎えていた。
10代の頃は、日本の伝統的なものより洋風なものの方が格好良く見えて、
お節なんておいしくない、お正月なんて面倒くさい、と思っていた。
そのくせ友達と初日の出を見に行ったりしていて・・・。
添乗をするようになってからは年末年始は必ず海外。
会社の方針でお節を持たされた。
ほんの一口分だけど、黒豆と栗きんとん、あと何があったっけ?
小さめの菰樽(こもだる)も持って行ったなあ。
元旦の朝食にレストランにセッティングさせてもらってツアーのお客さんに振舞う。
何もそこまですることないのに、その国のやり方でいいのに、と思っていたけれど、
現地の人には好評で、どこでも「これは一体なんなんだ?」と
レストランやホテルのスタッフが興味津々集まってきた。
中でも菰樽は大人気。置いていくと言うとみんな大喜びだった。
アラスカに住むようになってからは、年末年始はオーロラツアーのピークシーズン。
クリスマスもお正月もあったもんじゃなかった。
それでも大晦日のカウントダウンにはオーロラの横に花火が上がったりして。
でも元旦は普通の日と全く変わらない。
その頃から日本のお正月が懐かしくて懐かしくてたまらなくなった。
夫をおいて一人帰国しようと思ったこともあったけれど、
忙しくてぼろぼろになることがわかっていたから、それもできなかった。
ほじゃるが生まれてからお節を作るようになった。
最初の年は日本食材店で数種を購入し、2年目からはAshaちゃんと協力して。
去年からは「作って食べる会」のみんなで一人一品ずつ持ち寄り。
プラス集まって煮しめと昆布巻きを作った。
今年も昨年末30日に集まってお節作り。すべて手作り。
どれもこれも本当に美味しかった。
お節料理をこんなに美味しく感じるようになったのは年のせい?
いやいや全部自分たちで作ったからかな。
お正月気分を一瞬味わった後、
3日にはほじゃるのキンダーも始まった。
夫にいたっては1日の夜から仕事。
そして私もパートタイムの仕事を始めた。
いつか日本のお正月味わいたいなあ・・・。